創作日記&作品集

作品集は左のブックマークから入って下さい。日記には小説、俳句、映画、舞台、読書、など…。そして、枕草子。

電子出版

2010-05-26 18:39:09 | 読書
アップル社のipadの発売にともない電子出版についての議論が頻出しています。個人的には、電子本の方が読みやすい。DS文学全集で、漱石の長編をいくつも読みました。林芙美子の「放浪記」も読みました。正岡子規の「病牀六尺」も読みました。本当にすらすら読めました。そんなのは読書じゃないという声が聞こえてきそうですが、読まないよりは読めたほうがよいというのが私の立場です。漱石も、放浪記も病床六尺も本当に素晴らしかった。多分本なら途中で放り出していたと思います。また、いろんな付加価値をつけることも可能です。朗読を聞けるとか、登場人物の解説を簡単に読めるとかです。電子本のソフトが充実としてくれば。私にとってipadは買いです。今、五木寛之著「親鸞」が無料公開されていますので、一度見て下さい。ただコピーとかはダウンロードはできないようになっています。これはこれからの問題点だと思います。気に入った文章があれば自分なりのスクラップをつくりたいですものね。


○人間の建設13 岡潔・小林秀雄対談

2010-05-26 15:01:04 | 読書
○素読教育の必要と総論

素読(書物の意味や内容を考えず、ひたすらその文字を音読すること 注釈より)と音読とは少し意味合いか違いますが、声に出すということでは共通です。茂木さんが云っている音読もこれに通じます。私が今回試しみた書き写しも同じだと思います。織田作之助が書き写しをしていたとどこかで読んだことがあります。意味が直接入ってくるそんな気がします。源氏物語もそうして伝えられたのでしょう。とても楽しいことです。当然誤読の可能性はあります。それは音読でも素読でも黙読でも同じです。誤読の可能性はどんな読み方でもあるのです。書かれたものの内側に必ず作者の人間があるという信念は、読書の裏に読者という人間があるのも当然です。岡潔・小林秀雄対談を通読して、個人を越えたところに真の個人があるといっているように私には思えます。そこが出発点でそこが到達点であると云っているように思えてならないのです。でも西洋の個人主義とは異なります。他を先にして自分を後にせよというただ一つの戒律だと思います。
この読書ノートはなんども書き直されるものでしょう。いくら書き直しても永遠に完成はできない。誰にも。そんな気がします。最後に岡先生の含蓄のある言葉で締めくくります。
「理性はまったく純粋な意味で知らないものを知ることはできない。つまり理性の中を泳いでいる魚は、自分が泳いでいるということがわからない。」

人間の建設1-13 岡潔・小林秀雄対談をUPしました。左のリンクをクリックして下さい。右クリックで対象をファイルに保存の選択でダウンロードも出来ます。本を読むときの参考にして下さい。それと是非「人間の建設」をご一読下さい。
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