○数学と詩の相似
小林 岡さんのお考えは、理論とは言えない。一つのヴィジョンですね。私は大変おもしろいと思います。
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ヴィジョンvision(英)ここでは、想像力、洞察力によって思い描かれた像、イメージの意。との注釈がついています。これも読解を助けます。この本の一つの魅力になっています。
小林 岡さんの文章は確信だけが書いてあるのですよ。
岡 確信しない間は複雑で書けない。
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1Q84book1を読み返しながら、「アフターダーク」以降村上作品は少し変わったような気がします。地下鉄サリン事件にこちらがハラハラするほどコミットメント(責任をもって関わること)していた。近年の卵の比喩もその延長上にあると思います。そして、1Q84は確信だけが書いてあるように私は思うのです。イメージについても、流れるイメージではなく確信したイメージだけが書いてある。すなわち「確信しない間は複雑で書けない」。こういうかたちで村上文学が社会とコミットメントしていることが強く感じられる作品です。
岡 無いところへはじめて論文を書くのを認める。だから木にたとえると、種から杉を育てることになって、杉からとった材木を組み合わせてものをつくるということをやりません。
小林 そうですか。そうすると詩に似ていますな。
岡 言葉が五十音に基づいてあるとすれば、それに相当するものは数ですね。それからつくられたものが言葉ですね。
小林 新しい数をつくっていくわけですね。
岡 数というものがあるから、数学のことばというものがつくれるわけですね。
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確かに今は「杉からとった材木を組み合わせてものをつくる」ようなことばかりやっているように思います。この章は思索する人々にとって今までの方向を変えるぐらい重要な要素を含んでいると思います。私も、確信したことを書こう。「材木を組み合わせてものをつくる」ようなことはしないでおこう。