太い枝が低く張り出し、いまなお堂々たる姿を誇っている。
太い枝が低く張り出し、いまなお堂々たる姿を誇っている。
朝の散歩365日
今頃の日の出は5時ごろです。家を出て朝の散歩に出かけるとジョッギングをしている人や歩いて散歩をしている人、犬の散歩をしている人たちを多く見かけます。自分の散歩コースは北コースと南コースを交互に歩いております。
朝の散歩も継続して365日となりました。雨の日は小雨なら傘をさして歩きます。大雨の時は近くのサンシャインシティや東池袋駅から豊島区役所に通じる地下通路を歩いています。歩数はスマホが記録してくれます。
散歩の目的は、①体力維持、②老化防止、③体重減量としております。
午前6時を過ぎると大塚駅前のトランパルひろばには、多くの人が集まってきます。犬を連れている人たちは犬の話題で盛り上がり和気あいあい話が進んでいます。夜の間、飲み物をした人が捨てたごみなどを清掃している人もおります。馴染みの人が多いようであちこちで朝の挨拶が交わされています。ひろばの横を都電さくらトラムが通っていきます。なかなか風情のある景色です。
6時半からはラジオ体操が始まります。60名ほどの人が毎日参加しています。年配者が多く、女性が7割ほど占めます。10分間のラジオ体操を伸び伸びと試みて身体を柔らかくしております。
このトランパルひろばには、多くの人のコミュニケーションの場所となっています。朝の散歩はとても気持ちが良いものです。
スマホの歩数計(365日継続) 大塚駅前トランパル広場
戦火での消失をまぬがれた社屋は西洋建築の姿を守り、昔ながらの愛好家の方はもちろん、近代建築の研究者やファンの方にも愛される観光スポットとなっています。
神楽坂付近を散歩していると多くの坂があり、楽しみました。
神楽坂(かぐらざか)は、大久保通り交差点から外堀通り交差点までの坂である。坂の周辺の地名でもあり、神楽坂一丁目から六丁目がある。大久保通りとの交差点が「坂上」、外堀通りとの交差点が「坂下」となる。
庚嶺坂(ゆれいざか)は、徳川二代将軍、秀忠の時代、ここに広い梅林があり、中国の梅の名所「大庚嶺」にちなんで名づけられた急坂。幽霊坂とも呼ばれた。
袖摺坂(そですりさか)は、横寺町と箪笥町の境界から大久保通りへと 続く、とても短い狭い坂道です。「俗に袖摺坂と呼ばれ、両脇が高台と垣根の 狭い坂道で、すれ違う人がお互いの袖を摺り合わした」と説明文があります。階段状になっています。
歌坂(うたさか)は、雅楽坂とも言う。一説には「善知鳥 [うとう] (海鳥の一種)」の口ばしに似た地形であるからともいう。「うとう」が「うた」になり歌坂に転じたもの。法政大学市ヶ谷田町校舎前の坂。
その他に、逢坂もありました。
会場は東京芸術劇場アトリエイーストで「東上線沿線の風景」です。
このテーマによるワークショップ写真展としてお弟子さんたちの作品も一緒に展示されていました。
東上線沿線の地区を選んで撮影をした写真をプリントアウトした後にみんなで見せ合うというもの。沿線地区として、池袋、大山、下赤塚、和光市、志木、柳瀬川、川越、越生、東松山、武蔵嵐山、寄居の11ヵ所を選んでおりました。どの作品も秀作です。
荒井眞治先生は、千葉大学を卒業後、毎日新聞社入社し主に雑誌の写真撮影を担当していました。在職中には日本雑誌写真記者会賞として「世紀末漂流」「ゴミ問題」「元気な亀さん」(毎日グラフ)「日本工業倶楽部」(サンデー毎日)などを受賞しています。
毎日新聞社に在職中から、写真の個展を積極的に開催していました。特に杉並区を中心に開催していました。私が初めて荒井眞治先生とお会いしたのも杉並区で開催された森山はるみさんのライブ会場でありました。その時に写真展をその会場で開催中でした。
今回、写真展を鑑賞してその素晴らしさを堪能してきました。
写真展案内 東松山「箭弓稲荷神社」
池袋「自由学園」 池袋「水族館」
全国各地から144名の選手が参加しておりました。
開会式では、山田重幸大会会長、祝嶺正献躰道宗家の挨拶後、前回最高師範杯を受賞した佐々木尚希選手(宮城県)が選手宣誓をして競技は始まりました。
法形競技、実戦競技、展開競技の男女・壮年・個人・団体など13種目の競技に白熱な熱戦が繰り広げられていました。
今大会の最高師範杯は、女子個人実戦競技と女子個人法形競技で優勝をした稲見安希子選手(千葉県)が選ばれて、祝嶺正献躰道宗家から授与されました。
稲見安希子選手は千葉大学に入学して躰道部に入部し、中野哲爾監督から指導を受けてから上達していき、卒業後も仕事をしながらも精進してきました。
その他優秀な選手として、木村雅和選手(愛知県)、佐々木尚希選手(宮城県)、金子智一選手(東京多摩)、土井光司選手(山梨県)、木間一紀選手(新潟)などがおりました。
自分は全国社会人躰道優勝大会には第1回から第6回大会まで個人法形の部で出場をしておりました。
大塚大通りの都電16番(大塚~錦糸町)の線路が無くなってから大塚阿波おどりは始まりました。昭和45年から54年が経過しましたが途中コロナなどで中止の年がありましたが、今年は50回目という継続したイベントとなっております。
十文字学園の吹奏楽部によるファンファーレからテープカットが行われ大塚阿波おどりはスタートしました。
毎年出場して観客を魅了しているのは新粋連、盛和連、大塚商興連、サンモール大塚駅前連、空蝉連、巣鴨信用金庫連などです。
桃李連は豊島岡女子高校のクラブ活動「阿波踊り部」の生徒たち、巣鴨小学校の児童たちは巣鴨っ子連で出場。
大塚大通りを通行止めにして催される「阿波おどり流し踊り」は観覧している人たちを魅了しておりました。駅前のトランパル広場では「組踊り」の演舞会場となっています。
なお、50回を記念して賛助出演をしたのが、沖縄エイサー、豊島フラダンス、東京よさこいチームのメンバーたち総勢150名ほどが華を添えておりました。
今年も大塚阿波おどりは成功裏に終了しました。
新粋連 桃李連
東京よさこいチーム フラダンスチーム
カテドラル関口聖堂
文京区関口3丁目に「カテドラル関口聖堂」があります。
1920年に築地教会から関口教会に東京の司教座聖堂(カテドラル)が変更となり現在に至ります。第2次世界大戦時の東京大空襲で聖堂は消失しました。
戦後、ドイツ・ケルン教区の多大な支援により1964年12月8日には、世界的な建築設計者である丹下健三氏の設計による東京カテドラル聖マリア大聖堂が建設されました。丹下健三氏の葬儀もこの大聖堂で行われました。
この大聖堂は上空から見るとキリスト教の象徴である十字架を象っています。大聖堂の中に入ると、重厚感のあるパイプオルガン、天井が高く、天窓から降り注ぐ光は神聖な空間をより神秘的に彩り厳粛厳かな感じを受けます。
聖母マリア像や鐘の鳴る塔もあります。
そのなかでもっとも人気なのを独断で決めれば、どう考えても隅田川にかかる「勝鬨橋(かちどきばし)」です。
現在の中央区晴海から江東区豊洲あたりを会場にする予定で、そのメインゲートとして作られたのが勝鬨橋でした。
総工費418万円(当時)をかけ、1940年6月14日に開通。当時、その美しさと壮大さから「東洋一の跳開橋」と呼ばれました。
会場は新宿副都心NSビル29階にある「とんかつ伊勢」です。とんかつ伊勢店からの展望は素晴らしい景観です。新宿副都心の全景が見え、東京都庁は眼前に大きく建っております。都議会議事堂は眼下に見えます。たそがれどきから夕景へと変化していく時間のながれが雰囲気を盛り上げます。
岡 浩之さん(とんかつ伊勢社長)が挨拶にきてくれました。岡浩之さんとは東京国際大学の同窓会仲間であります。今回予約をしましたところ、美味しい料理メニューにこころ細かいおもてなしを受けました。
石原和幸店長のホスピタリティ精神がとても嬉しかったです。岡浩之社長も話のなかに入ってコミュニケーションを図っておりました。タオルに日の丸を入れて普及させた社長のエピソードを話してくれました。
話はどんどん盛り上がりインターナショナルの話題となっていきました。
50年間交流を継続して友の絆は固く結ばれております。(2014.9.20)
温泉温度は54℃。効能は、神経痛・関節痛・五十肩・うちみ・くじき・運動麻痺に効くようだ。(2010.5.7)
祝嶺の型研究会奉納演武のときに、来宮神社の本殿裏手にある大楠の大樹を見てきました。樹齢2000年と銘打ってあるだけにその巨大さにはびっくりした。
古記によると、残されているこの大楠をも伐ろうとして樵夫が大鋸を幹に当てようとしたところ怱然として白髪の老人が現れ、両手を広げてこれを遮る様な姿になると大鋸は手元から真っ二つに折れ、同時に白髪の老人の姿は消えてしまったそうです。
これは神のお告げであるとして村人等は大楠を伐ることを中止致しました。この木が即ち現在ある御神木であります。
福山市の銘菓で、少しレトロな雰囲気がただよう懐かしい焼き菓子「レモンケーキ」は瀬戸内ブランドの限定商品に認定されています。
香り高く上品な酸味をもつ瀬戸内産レモン、豊かな自然が広がる広島県神石高原のハチミツを合わせて香り豊かな最高なレモンケーキです。上にはレモンチョコをかけてあります。
ドルセのレモンケーキは、1977年(昭和52年)オープン当初からの一番人気の焼き菓子です。基本配合は、オープン当初から変わらないが、その時代のニーズに合わせて、シェフ達が材料選びや製法の見直しなどを繰り返して理想のレモンケーキを作っています。
紅茶を飲みながらこのレモンケーキをおやつとして食べるとゆっくりと休憩ができるひとときです。
せとのかレモンケーキ
復習では、27枚のトランプカードを3列に並べて、相手の選んだカードの列を指図することを2回繰り返すと選んだカードが分かるもの。1~9のカードを並べて相手の記憶したカードの数を移動した後、移動先でないカードを徐々に除いていくと最後には8のカードが残る。16枚のカードを縦4列横4列に並べてキング型のカードのみを表にして、折り畳んでいくと、K(キング)4枚が現れる魔法の絨毯。
研修は「フォーク曲げ」をしました。新潟県燕市・三条市は食器具や刃物の地場産業が盛んな地域です。そこで生産されたフォークを片手で曲げていく研修をしました。最初は曲げることは困難でしたが、コツを覚えると女性でも簡単にフォークを曲げることが出来るようになり、皆さんビックリしていました。
後半は、指に関するマジックです。両手の親指を紐で結んで手拭いを被せるが、片手が出てきて手拭いを調節する。再び手を手拭いの中に入れて開くと両手の親指は結ばれたままである。左手の親指から数えて自分の名前の数を二回繰り返し小指の方へ2つ移動すると全員が薬指に到達している。ハンカチの中から赤いシルクが出現するが、再びハンカチの中に入れると消えているサムチップを活用するマジックです。
TAMC(東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ)の「マジック発表会」の案内がありました。10月27日(日)午後2時開演 有楽町マリオン11階「朝日ホール」 観覧には入場券(無料)が必要です。
フォーク曲げの練習 曲がったフォーク
高村光太郎は、明治23年に下谷区練塀小学校から日暮里小学校(当時は、現在の福祉館の場所に校舎がありました)に転校、ここで勉強し小学校を卒業しました。その後、彫刻家としてすぐれた作品をつくり、また詩や絵もかき、立派な書を数多く残しています。
ここで大切なのは、それらの作品を通して光太郎が人を愛し、自然を愛する人間としての生き方を教えていることです。