つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

世界最大級LABI日本総本店開店

2009年10月31日 | 経済
               LABI日本総本店オープン

家電業界の最大手であるヤマダ電機が、三越池袋が5月に撤退した後に、建物をリニューアルして10月30日に「LABI日本総本店 池袋」としてオープンした。
世界最大級!約150万点の品揃い!7000坪の超大型店!
この店を見ずして家電は語れない。
とのキャッチフレーズが目に入ってくる。

早速行ってみた。
開店前から長蛇の列がガードマンに誘導されて行列している。
ビルは一周して、反対側の歩道から次のブロックまで長い列となっていた。
店内は、どのフロアも見通しよく、通路も充分に歩けるように取ってある。
しかし開店初日は昼頃にはどのフロアも満員状態。
ワゴンの中には超目玉オープンセール価格の商品が山のように積まれている。

ヤマダ電機代表取締役兼COOの一宮忠男社長は、
この度、ヤマダ電機は池袋に家電維新を巻き起こすべく、今までに類を見ない巨大スケールでLABI日本総本店池袋をオープンいたしました。
充実の提案コーナー、新製品体験のコーナーなど、お客様が商品をより選びやすい工夫を様々な角度から施しております。
また、エコ推進の観点から、地球にやさしい商品も積極的に取り揃え、様々な面において業界をリードしていきます。
もちろん、高率ポイントやリーズナブルな価格設定でお客様お一人お一人をお迎えします。
と、メッセージを寄せていた。

家電業界では、ビックカメラが池袋で本店として発展してきた。
2年前に隣のビルにヤマダ電機が出店してから、家電の激戦地となった。
元祖池袋ここが安さのビックカメラのチラシを街頭で道行く人に配っていた。
ビックカメラの本店をLABI日本総本店とドリーム館が挟んだ形となった。

有楽町そごうはビックカメラとなり、吉祥寺三越はヨドバシカメラとなり、池袋三越はLABI日本総本店と変貌した。
家電業界の台頭と百貨店の衰退を垣間見た。

(10月31日記)
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我武者羅応援団について

2009年10月30日 | 芸能
        つばさアクションパーティーで応援をする我武者羅応援団

どんなところでも応援に駆けつけるグループ「我武者羅応援団」がある。
つばさ基地アクションパーティーの時にも、秋本つばささんや出演者を一生懸命に応援していた。
その一生懸命さが話題となっている。
応援団なので、全員学ラン姿での出演である。
本屋さんで頑張っている社員や、家族連れの人たちに応援をする姿がテレビに映し出されていた。

テレビのはなまるマーケットに出演していた。
ブログを見ると
「われわれ我武者羅應援團
たった今『はなまるマーケット』に出演させて頂きました!!
全国の主婦の皆さまの応援団であるはなまるマーケット出演者の皆さまに向けて、
精一杯の応援をさせて頂きました。
岡江さん、薬丸さん、須藤さんをはじめ皆さまが喜んでくださったこと大変うれしく思っております。
今後とも、全国で頑張っていらっしゃる主婦の皆さまを全力で応援させて頂きます。
もしよろしかったら、感想や応援してほしいことなど書き込んで頂ければ幸いでございます。」
皆さまからの声を力に、我武者羅應援團はこれからも、より一層精進してまいります。引き続き、どうぞ宜しくお願い致します。

以前、学ラン集団の大川興業というグループがあったが、その手法が少し異なるようだ。
こわもての顔をする時もあるが、応援する時には相手により顔面を変えている。
どんなところへでも応援に行くというスタンスは、これから話題性も高まるだろう。
つばさパーティーで活動振りを見たので、親近感もあり今後の活躍に期待したい。

(10月30日記)
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映画「沈まぬ太陽」

2009年10月29日 | 芸能
                   映画「沈まぬ太陽」

山崎豊子原作、若松節朗監督作品。
映画「沈まぬ太陽」を鑑賞した。
上演時間が3時間22分と超大作である。途中10分間の休憩時間を入れてある。

日本航空への公的支援に関して政府で検討しているなか、タイミングのよい話題の映画となっている。
巨大航空会社の社員・恩地元(渡辺謙)の生き様を通して、物語は進む。
恩地は、労働組合委員長として活動していたことにより、外地勤務へと左遷させられる。カラチ(パキスタン)、テヘラン(イラン)、ナイロビ(ケニア)と赴任してきた。
同じ労働組合出身の行天(三浦友和)は、米国の支店勤務と表街道を進んでエリートコースを昇進していく。
恩地は御巣鷹山航空機墜落事故で520名の遺族への対応に奔走する。
会社建て直しに就任した国見会長(石坂浩二)とともに航空機の安全運行等の改革に尽力する。
政界と巨大航空会社と墜落事故の520名の遺族と家庭を絡ませてのストーリーは長時間の苦痛は感じさせない。
この秋の秀逸作品である。

主演の渡辺謙は、初日の舞台挨拶で涙ぐみながら次のように語っていた。
「自分の映画に感動して泣いている訳ではないんです。ここまで来るのに、どれだけ皆が大変な思いをして映画を作ってきたかというのを、ちょっとだけご理解いただきたいと思ってます。
僕たちがこの映画をやる前に、この映画をやりたいというプロデューサーの方達も沢山いらっしゃいました。
そういう人たちの熱い気持ちを忘れる事の無いように、僕たちも一生懸命やらせていただきました。
もちろん、事故で亡くなられた520名の方々の気持ち、そのご遺族の気持ちを絶対に無駄にしてはいけないという、そんな気持ちで頑張ってきました」

ラストのナイロビのサバンナの夕日の中を走っていくジープのシーンは素晴らしい感動を与えてくれた。

(10月29日記)
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犬竹一浩家のはやとうり

2009年10月26日 | 日記
                   隼人瓜(はやとうり)

武蔵高萩の犬竹一浩さんから自宅で栽培した隼人瓜(はやとうり)が送られてきた。
手紙には、
「葉の下に 白く輝く 隼人瓜」
無農薬、有機で趣味で育てたものです。レシピはパソコンで調べると沢山あります。浅漬け、塩漬け、糠漬け、豚肉などとの油炒め等々。
しゃきしゃきした歯ざわりを楽しんで下さい。
平成21年秋     犬竹一浩

※犬竹一浩さんの字はとても達筆で読んでいて心が洗われるような美しい字体であります。

隼人瓜の解説書が同封されてあった。
果実の養分のみで生き続け、中の種を取り出すと死んでしまいます。
果実は、青いのと白いのと2種類がある。
うまく育てると、苗1本から100個以上も収穫できるので「センナリウリ」とも呼ばれている。
秋に開花し結実する。漬物用が一般的調理方法。
◆種の準備と植付け
前の年にできるだけ遅くまで木にならしておいた果実を種子として保存しておき、遅霜の心配のなくなる4月中旬~5月上旬に植え付ける。
あらかじめ鉢に、果実の割れ目を斜め下にし、お尻が少し出るように植付け、芽が出るまで育てる。
(室内で、そのまま保存しておいてもよい。春になると勝手に芽がニョキニョキでてくる)
◆管理
生育を開始すれば、非常に旺盛で8月頃まで適当に追い肥をする。
9月頃まで開花もせず、ひたすら伸び続ける。高さ1.5mほどの棚を作り、それにはわせる。上手く育てれば1株に100個以上の果実ができます。
◆収穫
秋になり、株全体が枯れはじめる1ヶ月前頃、突然実を付け出す。
早めに収穫して利用しますが、来年用の種子にする果実は、できるだけ遅くに収穫します。種子用は、果実をそのまま利用します。
種は果実の養分で生きつづけますので、中の種を取り出してはいけない。
◆調理方法
なんと言っても、浅漬けのシャキシャキ感が一番よろしい。
小さく若い実はそのまま、大きいのは皮を剥いて、適当な大きさに切って、塩漬け、味噌漬け、糠漬け、粕漬けで美味。
アクが強いときは、切ったあと塩もみした後、水洗いをする。
キムチの素に千切りしたものを漬けても最高です。塩もみ、豚肉・ベーコンなどとの炒め物も美味です。

早速、糠漬け、浅漬けにして食す。
味噌汁の中の具として入れて食べたが、これも良かった。
カレーライスにも他の野菜と一緒に入れて食べたらこれも美味しかった。
はやとうりの使い方をいろいろと犬竹一浩さんから教えてもらった。

(10月26日記)
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川瀬恭三さんと再会

2009年10月25日 | 友人
                   川瀬恭三さんと再会

青梅線の羽村駅前にある東京都議会議員島田幸成事務所を訪れた。
そこには東海大学付属菅生高校分室があり、川瀬恭三さんが室長として担当している。
川瀬恭三さんとは、一時一緒に仕事をしていたことがあり、その後も交流を続けている。神田祭の天野屋神輿やTAMCマジック発表会などには必ず顔を出してくれる人です。
そして、川瀬恭三さんを通して島田幸成議員のことを知り、この日に訪問したもの。
用件は、島田議員の後援会員の増強のために独自の携帯ホームページを活用したらどうかとの情報を伝えるため。
事務所の担当者に説明をして資料を渡してきた。

その後、川瀬恭三さんと近くのお寿司屋で昼食を摂りながら情報交換の場となった。
5階にある店内からは御岳山や奥多摩方面の山々が素晴らしく見渡せる場所であった。
プロ野球の日本ハムファイターズの金森投手は、菅生高校野球部の出身であり、クライマックスシリーズの第二ステージで楽天イーグルスとの第二戦で健闘した。
無死満塁のピンチでリリーフ登板して、打者3人を凡打に仕留め無失点に押さえた。
分室の壁には、日本ハムの金森投手の大きなステッカーが展示してあった。

川瀬恭三さんの話は、いつ聞いても面白いし新たな情報として知識を得ることが多い。
これからの一月の内に小学校から会社のグループまでの同期会が4つもあるという。全て参加するとのこと。いつも元気な秘訣が行動の実践活動にあることを感じたひとときでした。

(10月25日記)

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イタリアンレストラン奏のひととき

2009年10月24日 | 友人
             アットメールMDMのメンバーと牧田淳店長

その日ガレリア東京では、大阪から講師としてきた岸吉彦さんと安達定幸さんがセミナーを担当した。
その後、浅草橋のイタリアンレストラン奏へ出向いて、食事懇談会となった。
銀座のガレリアから地下鉄で4つ目の浅草橋まで乗車時間は6分。
そんなに遠くはないところに美味しいイタリアンレストラン奏があることを知って、この機会に友人たちを案内して連れて行った。

このレストランは、東京国際大学の同窓生である牧田淳店長が経営している。
以前にも何回か来ていて、パスタやピザパイが美味しいので皆さんを案内してきた。
ワインにカルパッチョ、生牡蠣、生ハム、ピザパイ、パスタと料理が進んでいく。
皆美味しいと満足げに食事をしていた。

白い壁に黒のマジックインクでサインがしてあった。
よく見ると、元横綱の輪島大士さんとタレントのデーモン閣下のものであった。
躰道部の同期である勝木弘幸氏が、二人をこのレストランに連れてきた時にご機嫌良くなった二人が興に乗じて白い壁にサインをしていったとのこと。
そのことを話題にひととき盛り上がる。
名古屋から来られた櫻山貴文さんは、そのサインの写真を撮って自分のブログ「BOSSの言霊」に掲載していた。とても印象を強くしたようです。

牧田淳店長とお店の美しい女性スタッフたちも快く応対をしてくれて、心地良いひとときを過ごせた。
そして皆で輪島さんのサインをした前で牧田店長を入れて集合記念写真を撮った。

その日は、東京国際大学の卒業生で牧田淳店長と同期生の高松利男さんと加藤啓さんも来店していたので、名刺を交換して挨拶をした。

(10月24記)
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独立展 松井通央先生の作品

2009年10月23日 | 文化
                 松井通央先生の作品「異郷の夢」

毎年秋のこの期間に六本木の国立新美術館において、独立美術協会主催による「独立展」が開催されている。
今年も正会員として活躍している松井通央先生の案内で鑑賞に行ってきた。
国立新美術館は、美術の展示場として建設されているのでゆったりと鑑賞できる点がいい。
独立展は1階から3階まで大きなスペースを使用して数多くの作品を展示してあった。

松井通央先生の作品は1階に展示してあった。
二人の少女が昼寝をしているところを描いている。
異郷の夢」と題名が付いていた。
ソファに横たわっている手前の少女、後ろには椅子に腰掛けながら眠っている少女。
窓のカラフルなステンドグラスがコントラストを表現している。
毎回大きなキャンバスに描く絵画の作品。多くの人が作品の出展のために力を注いできたことだろう。

その日は、ギャラリートーク(制作現場の視点に立って)のイベントが行われていた。
批評するのは、今井信吾先生と吉武研司先生。
主だった作品の前で、約150名ほどの鑑賞者を引き連れて解説と批評を語っていた。
独立展の作品は、独特の味わいがある。解説を聞いているとなるほどそういう観点があるのかと参考になる。
その日は中年の婦人たちが多く参加していた。

(10月23日記)
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同期会「昭和40年会」

2009年10月22日 | 友人
               昭和40年会に出席のメンバー

10月17日、2009年『昭和40年会』が北の家族にて開催された。
昭和40年会は、国際商科大学(現東京国際大学)の第1期生として入学した人たちの同期会です。
毎年10月の第3土曜日に開催しております。今年の参加者は12名。

欠席者の中には、体調不調、家人の介護、ゴルフや運動会や高校同窓会の参加、遠方の為などの理由が多かった。
また逝去者は13名に増えていた。黙祷をして冥福を祈った。

参加者の近況報告では、定年後年金生活をしている。自由な時間が持てる。ゴルフ、カラオケ、競馬などを楽しんでいる。友人家族で世界各地を旅行している。生まれ故郷の満州ハルピンを訪ねた。会社を定年後も嘱託として勤務を続けている。ビジネスに奔走している。再婚した奥さんとの楽しい生活。孫がとても可愛い。

同期会に参加できる人たちは幸せである。
会場まで足を運べる。自由な時間が持てる。家人等の介護の心配もないなど、恵まれた要因が重なっている。
自己の近況報告に対して質問が活発に出て懇親会は盛り上がっていく。皆の顔が生き生きしている。

次回は、2010年(平成22年)10月16日(土)に再会することを約束して帰途についた。

(10月22日記)
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社会人躰道大会の反省会

2009年10月21日 | 躰道
                社会人躰道大会の反省会(銀座なだ作)

9月22日に開催された全国社会人躰道優勝大会の実行委員会反省会が、銀座のなだ作で開催された。
葛西隆実行委員長より、大会要項、競技結果、収支決算書について詳しく報告があり、その後委員からの報告、所見、反省の意見が出された。
競技記録がしっかりしていたので、日本躰道協会のホームページには詳細な内容がアップされている。

反省会の参加者は10名。
それぞれが大会についての意見を活発に発言していた。
流石、社会人大会の関係者は、着眼点が鋭い。
大会に関して思いついたこと、感じたこと、反省するべきことなどは的確にまとめて発言していた。
後半は、それぞれの思いを語るひとときとなった。
皆、躰道を発展したいとの思いが話し振りから出ていた。
中でも、今の高弟指導者たちは、自分だけに躰道を利用しているのか、それとも躰道の実技と理念を後進に伝える努力をしているのか疑問に思う。と鋭い意見も出された。
やはり創始者である祝嶺正献最高師範については、正しく伝えていかなければならないと意見が一致した。

反省会では、自分の思ったことを自由に発言できることがいい。
先輩後輩の立場を超越した躰道の問題点を語るには相応しい反省会となった。
来年の大会に向けて多くのアイディアもでていた。
特に社会人大会だけに与えられる「最高師範杯」については再考を要するとの意見が出ていた。
葛西隆実行委員長のもと各委員は来年も皆に喜ばれる運営をしていこうとまとまった有意義な反省会であった。

(10月21日記)

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トレーニングセンター サンプレイ

2009年10月19日 | スポーツ
               サンプレイでトレーニングに励む会員たち

JR御徒町駅から3分のところにトレーニングセンターサンプレイがある。
ジャパンヘルスに在勤中にサンプレイの宮畑豊会長と知り合いとなり、トレーニングをするためによく通っていた。
今では、サンプレイも広い場所のところに移転して会員も増やしています。

サンプレイを訪れてみた。
昔からお世話になっていたスタッフの佐藤靖子さんとも久し振りにお会いして、現在の施設内を詳しく説明して案内をしてもらった。
スタジオ、ルームランナー、ウエイトトレーニング、マシン類などが設置されて、
メンバーの会員たちはインストラクターの指導のもと汗を流していた。

メンバーには、宮畑会長の幅広い人脈により業種を問わずにいろんな人が集まっていて800名を超す会員が実働している。
安美錦関、高見盛関など大相撲の力士も多数トレーニングに通っている。

(連絡先)
トレーニングセンター サンプレイ
〒110-0005 東京都台東区上野5-10-26 (御徒町駅から徒歩3分)
TEL 03-3836-4795 / FAX 03-3839-7476
E-Mail info@sunplay.jp (※半角文字に変換して下さい)
営業時間 月~土 10:00~22:00  日祝 10:00~18:00

(10月19日記)


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東洋大学マジックショー

2009年10月18日 | マジック
                 石川礼将氏による鳩出しマジック

東洋大学でマジシャンズソサエティーを創部させたプロマジシャンの黒崎正博さんの案内で、第46回東洋大学マジックショーを観覧した。

会場は板橋文化会館。
学生たちは日頃研鑽したマジックを披露してくれた。
フラワー、トランプカード、リング、タバコ、シルク、ボール、ステックなどのマジックが次から次へと披露されていた。
時代の流れであるのか、フロッピーディスクのマジックも出ていた。
女子学生も鮮やかな手さばきで演じていた。

大トリは、クラブの会長である3年生の石川礼将氏の「鳩出しマジック」であった。
プロも顔負けするほどの高度なテクニックに堪能させられた。
鳩も何羽も次から次へと出てくる。
途中では鳩消しの実技も披露してくれた。
素晴らしいマジックショーをTAMCのメンバーと一緒に楽しんだ。

終了後、会場ロビーで出演者たちが観客へ挨拶をしていた。
中でも石川礼将氏は、重責を全うして感極まって目からは大粒の涙を流していた。

◆ご案内
TAMC(東京アマチャマジシャンズクラブ)マジック発表会案内
日時 11月15日(日) 午後2時~5時
会場 虎ノ門 ニッショーホール(日本消防会館)
◎入場券希望者は下記へ連絡して下さい。
メール ikeuchi@cap.ocn.ne.jp
携帯 090-1541-1573(池内和彦)

(10月18日記)
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井実彬(あきら)さんについて

2009年10月16日 | 友人
                全国学生躰道大会を観戦する井実彬氏

今年の全国学生躰道優勝大会に井実彬(いじつあきら)氏が観戦に来場した。
井実氏は、国際商科大学(現東京国際大学)の第1期生として1965年に入学した一人です。
大学に空手道部を創部しようと、玄制流空手道最高師範である祝嶺正献先生の自宅に赴き、指導依頼をした人です。
学生数の少ない初年度は20名の同好者を集めて玄制流空手道を創部させた。
理論派である井実氏は、クラブの統制役で尽力していた。
その後、祝嶺正献最高師範により玄制流空手道部は躰道へと名称を変更してあたらなスタートを切ったのです。
全国学生躰道大会における東京国際大学の戦績も上位に入賞したことも多くある。

この日も母校の後輩たちの活躍を見ようと東京武道館まで駆けつけてくれた。
しかし、現役部員たちはインフルエンザに罹り、活動停止となり今大会に出場することはかなわなかった。

今回大会を観戦した井実氏からメールでコメントを頂きました。
池内様
会場では予期せず貴兄にお目にかかれて嬉しく思いました。
多忙な中、わざわざ時間を取って頂いた様子でかえって恐縮しております。
以前、「社会人大会」だったと思いますが、数回観戦に出向いたことがあります。
当時は貴兄の円熟した演技に魅入っていたものです。(さっそくユーチューブで貴兄の雄姿を探し出しましたよ)
期待をしていた商大の不参加がインフルエンザにあったとは・・。
学生諸君の無念さを思うと切なくなります。
是非、次回に期して欲しいものです。
偉大なる祝嶺正献先生のご逝去後、2代目の宗家(代行・工藤依子氏)がしっかりと「理念」を引き継がれていることは「スピーチ」からも窺い知れ、その求心力のなせる業で見事に43回目の大会を遂行されました。
初代宗家祝嶺正献最高師範御逝去の直後ではいろんなことがあったやも知れませんが、2代目のお人柄や組織作りが確立していたこともあって今日の発展に至ったのだと思いました。
なにより、貴兄他の重鎮達、会員個々の自覚の高さが「大きな危機」を乗り越える「原資」になっていたとも言えそうです。
いずれにせよ、傍目からすると今日の有りようは、20数年ほど前と比べると、隔世の感がしましたね。
つまり、「宗家の理念」にぶれることなく、しかし国際化時代に相応しい「洗練された日本の武道」を更に指向している様をたっぷりと体感させて頂きましたと言う事です。

井実彬氏は、11月1日開催の全日本躰道選手権大会(BunB東京スポーツ文化館。新木場駅下車徒歩10分)には、良き仲間である佐藤彰雄さんと一緒に観戦するとのことです。
今から楽しみにしております。

(10月16日記)
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全国学生躰道優勝大会

2009年10月15日 | 躰道
                  選手宣誓する東京大学・山家太郎選手

第43回全国学生躰道優勝大会が東京武道館で開催された。
昭和42年6月4日に東京医科歯科大学体育館において開催された第一回大会には自分も出場した想い出が今も思い出される。
開会式の選手入場では、昨年度の総合優勝校の東京大学チームの56名の選手が先頭に入場してきた。
大阪市立大学の瀬藤有希選手は一人での入場行進であった。瀬藤有希選手は昨年の大会で個人戦の実戦競技と法形競技で優勝して最優秀選手賞の栄冠に輝いている。

選手代表による選手宣誓は、東京大学の山家太郎選手が行った。
はっきり大きな声で、正々堂々と競技することを誓いますと宣誓していた。

今大会も総合優勝校は接戦の上勝ち抜いた東京大学チームに栄冠が輝いた。
近年躰道競技におけるなかで、東京大学の学生やOB、OGたちの活躍が目立っている。初期の頃から監督として指導に当たっている安部幸史郎6段教士の功績は大きく評価に値する。
安部幸史郎監督は、躰道の創始者である祝嶺正献最高師範の諭してくれた理念を実践している数少ない指導者である。

瀬藤有希選手も昨年に引き続き、個人競技の実戦と法形で優勝をして大学最後の4年生の大会を最優秀選手賞と栄誉を持ち帰った。
指導者である小西美智子先生小西愛先生に早速携帯から勝利の報告をしていた。
和歌山県の小西美智子先生らの指導方針の正統性が評価されたものである。

(10月15日記)
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本・「寺山修司の時代」より

2009年10月14日 | 芸能
                    本「寺山修司の時代」

友人の山田勝仁さんから一冊の本を贈呈された。
「寺山修司の時代」(河出書房新社)である。
その中に山田勝仁さんが出筆した文章が17頁に亘って記載されてあった。
新高けい子伝序説 寺山修司に“殉じた”女優
以前取材していた内容をまとめたものであるという。

山田勝仁さんは青森県の出身で現在は夕刊紙の編集に係わっている。
寺山修司と新高けい子は青森高校の出身である。
青森県出身者は津軽のじょっぱり精神があり、困難にも打ち勝つ強い精神を持っている。
新高けい子は、終戦直前の45年7月の青森空襲に遭遇している。子供心にはっきり記憶していて、その時のことが平和祈願の原点となっている。
上京して、東京文化学園に入学後、学風の堅苦しさが肌に合わず中退、喫茶店やバーで手伝うようになる。
ミス日活に応募し次点で選考。ミス文化放送からキャバレー歌手などをして、ピンク映画への転身で道を開いた。
その後、寺山修司と出会い、行動を共にする。天井桟敷での公演は主要な役をこなしてきた。しかし稽古はとても厳しいものであった。ステージを重ね、海外公演でもけい子の存在感は絶賛された。役者は存在感があることが重要であることを知る。
天井桟敷の華として君臨した新高けい子も寺山修司の死は心の打撲を負った。
天井桟敷が解散した後は、どんな出演依頼も断ってきた。
「寺山さんと作った舞台の記憶は私の中ではいつもでも永遠の輝きを放っている」
新高けい子が大切にした台本。それは寺山修司と作った人生という名の台本だった。

山田勝仁さんは、一人の女性を取材して、研究して文章にまとめた。
自分もこの本から新高けい子という女優の存在を知ることとなった。

文藝別冊「寺山修司の時代 なぜいつも新しいのか」(河出書房新社 定価1,143円)

(10月14日記)
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鳥越神社

2009年10月12日 | 名所
                      鳥越神社本殿

ある雨の日、台東区の蔵前橋通りを歩いていたら鳥越神社の前を通った。
本殿で参拝する。

鳥越神社の歴史
前九年の役征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。
それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。

鳥越神社が土地を失ったのは、江戸城築城と隅田川や当時鳥越のすぐ近くにあった姫が池の埋め立てのためにたくさんの土が必要になり、鳥越の丘を崩して使用した。
その後、江戸城の城下町を形成するのと、旗本や大名屋敷の御用地とするために 幾度となく幕府に土地を没収されたもの。

それまで、鳥越の山にあった鳥越大明神と熱田神社と第六天神の鳥越三所明神のうち、 熱田神社が今戸に、第六天神が蔵前にそれぞれ移動させられた。
鳥越大明神だけがその地に残されて、今の鳥越神社になった。

鳥越神社の祭礼
1月8日 とんど焼がおこなわれる。
6月9日に近い土曜日・日曜日 例大祭
御本社宮神輿は、台輪幅4尺3寸の元祖「千貫神輿」で有名。

(10月12日記)
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