つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

モバイル事業の優位性(2)

2009年05月30日 | インターネット
                     総務省のホームページより

総務省のホームページからu-japan政策のところを出すと、
2010年「いつでも、どこでも、何でも、誰でも」ネットワークに簡単につながるユビキタスネットワーク社会の実現に向けてと出てくる。
利用イメージ(u-japanが実現する暮らし)をクリックすると生活面での利用イメージとなって動画が見れる。これからの暮らしの一部を見ることができる。

http://www.soumu.go.jp/menu_seisaku/ict/u-japan/scene02_b.html

(キャリアを積んで思いっきり仕事をしたいけど、家事や育児がおろそかになってしまいそうで不安…しかし・・・)

2011年7月からの地上デジタル放送開始と共にユビキタスネットワーク社会は大きく進展してきます。
そこに関わる主要なものがモバイルです。

(5月30日記)
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神田祭打上げ

2009年05月29日 | 神田祭
                  天星睦打上げ(明神そばきやりにて)

5月10日に行われた神田祭・天星睦の打上げが神田明神前の明神そばきやりにて開催された。
天星睦は天野屋美人神輿として神田神社への宮入は大トリとなっている。
今年は、警視総監の視察のために各神輿の宮入が遅れてしまった。
いつもは天星睦の宮入は午後6時ごろであるが、今回は大トリの宮入は午後7時半となってしまった。

天野屋美人神輿の評判は、いろいろの意見があった。
ほとんどが良い評判であった。
神田明神の神門から、女性だけで境内に進んだ。
それは初めての試みであって歴史の一頁に記すこととなった。
天星睦の白い半纏が暗闇の神田神社境内にひときわ映えた。
わっしょい!の掛け声を終始通したことがとても良かった。
天星睦神輿がライトアップされてとても良かった。
クライマックスにはおひねりが周りから神輿に投げ入れられたので観客一体となって盛り上がった。等々おおむね評価の高い今回の天星睦美人神輿であった。

打上げには天野家の弥一会長、寿美子奥様、天野博光社長、さかえ夫人、由香子さん、神輿責任者のKさん、女性神輿に参加したОさんと、Iさん、そしてYさん
と自分の10名であった。
2年後の神田祭・天星睦への開催に向けて一本締めでお開きとなった。

(5月29日記)
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モバイル事業の優位性(1)

2009年05月28日 | インターネット
                     情報満載のQRコード

総務省のホームページにU-JAPAN政策について詳細に掲載されている。
そのコーナーを閲覧すると国が今後何をしようとしているか分かる。
2011年7月24日にアナログ放送は停止され、地上デジタル放送がスタートする。
それまで使用していたアナログ通信回線を全てモバイルに割り当てる。
インターネットがパソコンから携帯インターネットマシンと呼ばれるモバイルが主流となる。
モバイルは、1億台を超えた。日本人の老人と赤ん坊を除くほとんどの人が所有している。その内の90%がインターネットに繋がっている。

ユビキタスネットワーク社会の構築は、国策として推進している。
いつでも、どこでも、誰でも、何でも繋がるのがモバイルである。
モバイルを活用して仕事に生かしている人たちが多くなってきた。
また、商売において顧客を囲い込む手段としてモバイルを使用している。
モバイル事業を上手く活用したところが伸びているようだ。

(5月28日記)
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サラリーマン川柳

2009年05月27日 | 社会
                       サラリーマン川柳

今年も第一生命よりサラリーマン川柳が発表になった。
昨年話題となった歌手グループとアニメを取り入れたものがトップを飾った。

第一位 しゅうち心 なくした妻は ポーニョポニョ (オー マイ ガット)
第二位 久しぶり ハローワークで 同窓会 (転起)
第三位 ぼくの嫁 国産(こくさん)なのに 毒(どく)がある (歩人)
第四位 朝バナナ 効果があったの お店だけ (品切れ店長)
第五位 やせたのは 一緒に歩いた 犬の方 (花鳥風月)
第六位 「ストレスか?」 聞かれる上司が その原因 (読み人知らず)
第七位 コスト下げ やる気も一緒に 下げられる (敏腕経営者)
第八位 「パパが(・)いい!」 それがいつしか 「パパは(・)いい」 (はりきりパパ)
第九位 胸(むね)よりも 前(まえ)に出(で)るなと 腹(はら)に言(い)う (えんどうまめ)
第十位 篤姫に 仕切らせたいな 国会を (玲子命)

いつも笑わせてくれます。
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深谷駅舎

2009年05月25日 | 名所
                    高崎線「深谷駅舎」

仕事の打合せのために高崎線の深谷駅で下車した。
駅舎を出るとレンガ造りの見事な建物であった。
駅舎は東京駅の丸の内口駅舎を建築する際、当地に所在する日本煉瓦製造の製造した煉瓦を使用したことにちなみ、東京駅をモチーフにした造りとなっている。
ただし、駅舎の構造上の関係で、煉瓦調の外壁パネルが使用されている。

昔の面影を残す深谷駅は関東100選の駅舎にも選ばれている。

(5月25日記)

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孔子像

2009年05月24日 | 名所
                 湯島聖堂にある世界で一番高い孔子像

現在、湯島聖堂構内に飾られている世界最大の孔子像は、1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものである。
孔子像の他、孔子の高弟たち、四賢像(顔子-顔回、曾子、思子-子思、孟子)が安置されている。

この孔子像の横に楷の木が大きく高く伸びている。
漢字の楷書の字体の基になっている楷の木。
枝が角度を取って伸びている。

(5月24日記)

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湯島聖堂

2009年05月23日 | 名所
                 孔子を祀っている湯島聖堂大成殿

徳川五代将軍綱吉は儒学の振興を図るため、元禄3年(1690)湯島の地に聖堂を創建して上野忍岡の林家私邸にあった廟殿と林家の家塾をここに移しました。
これが現在の湯島聖堂の始まりです。
その後、およそ100年を経た寛政9年(1797)幕府直轄学校として、世に名高い「昌平坂学問所(通称『昌平校』)」を開設しました。

湯島聖堂の敷地の中に入ると多くの樹木に囲まれている。
都心の喧騒から解放されるひとときである。

御茶ノ水駅の南側にニコライ聖堂が建っている。
神田川に架かる橋をニコライ聖堂と湯島聖堂を結ぶところから「聖橋(ひじりばし)」と呼ばれている。

(5月23日記)



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映画「60歳のラブレター」

2009年05月21日 | 芸能
                  映画「60歳のラブレター」より

このブログ「つれづれなるままに」でも12回ほど掲載している60歳のラブレターが映画化されたので鑑賞してきた。
長年連れ添った夫婦が、口に出しては言えない互いへの感謝の言葉を1枚のはがきに綴る応募企画「60歳のラブレター」(住友信託銀行編)。
2000年から毎年募集され、日本中から約8万通を超えるはがきが寄せられ大きな反響と共感を得ている人気企画に着想を得て、本映画は製作された。

監督は深川栄洋(同級生、体育館ベイビー)、脚本は古沢良太(ALWAYS三丁目の夕日)、撮影は芦澤明子(日本の女性カメラマンの第一人者)

出演は、中村雅俊、原田美枝子、井上順、戸田恵子、イッセー尾形、綾戸智恵といった豪華キャストが、個性的な3組の夫婦を熱演。
魚屋夫婦を演じるイッセー尾形と綾戸智恵がいい。綾戸がこんなに自然に演じているとは以外であった。
歳を重ねてこそ感じる迷いや焦り、喜びや幸せ、そしてかけがえのない大切な人との絆を丹念に演じている。
パートナーとどう人生を歩んでいくか、何よりわたしはどう生きるのか。
これからの人生をよりよく、美しく輝いて生きていこうとするすべての人たちに、勇気と希望を与えてくれる感動作。

(5月21日記)
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緒形拳追悼-新国劇の名優たち

2009年05月20日 | 文化
               新国劇の名優たちを語る笠原章さん(右)

城西大学紀尾井町キャンパスで開催されたエクステンション・プログラムに参加した。
テーマは「緒形拳追悼-新国劇の名優たち
朝日新聞論説委員の越村佳代子さんによる進行で、ゲストスピーカーは劇団若獅子代表の笠原章さん。
笠原章さんは、新国劇解散後、中堅メンバーが劇団若獅子を結成。代表の笠原章氏は島田昌吾、辰巳柳太郎に教えを受けた。師の思い出や新国劇名作の上演を語っていた。
進行役の越村さんが新国劇の歴史を上手く解説する。

澤田正二郎が1917年に旗揚げした劇団「新国劇」。
数々の名優、名作を生みだし、中でも「国定忠治」や「一本刀土俵入り」など、男の芝居に大衆の人気が集まった。
1929年に澤田が亡くなって、二人の若手役者、島田正吾と辰巳柳太郎がこの劇団を支えてきた。
戦後の隆盛期を経て、人気が陰ってきたころ、緒形拳は、次代を託せると期待された逸材であった。緒形拳はテレビや映画の出演が相次ぐ中、ついに新国劇を退団。
二人の師との間に深い亀裂が入った。

やがて、和解のときが訪れたが、劇団は1987年に解散。
辰巳柳太郎が亡くなった後、島田正吾は80歳を過ぎてからひとり芝居を始める。
「白野弁十郎」「霧の音」「人生劇場」「司法権」「王将」「沓掛の時次郎」など、新国劇の名作を演じ、98歳で亡くなる。
緒形拳は島田正吾のひとり芝居を継ぐように2006年「白野」を上演して、2008年10月5日71歳の生涯を終えた。
日本の演劇史上、確かな足跡を残した新国劇の盛衰を背景に澤田正二郎、島田正吾、辰巳柳太郎、緒形拳らの名優の軌跡を笠原章さんは分かりやすく語ってくれた。
最後には、笠原章さんが国定忠治、水野善之さんが定八、森田優一さんが巌鉄を演じて赤城天神の森山の場を披露してくれた。
劇団若獅子関係者や河野美和子さん、杉原仙五さんら後援会の方も多数参加していた。
とても勉強になったエクステンションプログラムでした。

(5月20日記)
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神田祭(8)

2009年05月19日 | 神田祭
                 山本玄一さんとマジック仲間たち

神田祭に参加していることを知った友人たちがたくさん神輿を見に来てくれました。
TAMCのメンバーである山本玄一さん鈴木眞弓さんも来て頂いた。
そしてカメラでたくさんの写真を撮ってくれました。

天星睦会長の天野博光さんも一時マジックのTAMCに所属していたことがあった。山本玄一さんとは馴染みの仲であります。
山本玄一さんはマジック教室で指導も担当しています。
高瀬登士雄さんや木下清さんも山本玄一さんからマジックの指導を受けていた。
マジック関係者が揃ったところで写真撮影となった。

(5月19日記)
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神田祭(5)

2009年05月16日 | 神田祭
                    天星睦の男性役員たち

天星睦は女性神輿であるが、サポートは男性役員たちが関わっている。
天星睦会長の天野博光さん、神輿責任者のKさん、神輿運行担当者のWさんなどが綿密な打合せをして宮入の日を迎えた。
神輿の巡行には、細心の注意を払っている。
日頃から親しく交流している町会の神酒所に立ち寄り挨拶を交わし、おもてなしを受ける。
その神酒所の担当者も快く迎え入れてくれる。
女神輿を無事に巡行させていく陰の功労者が男性役員たちである。
男衆は誠心誠意の心構えで女神輿をサポートしていた。

(5月16日記)
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神田祭(4)

2009年05月15日 | 神田祭
                  天星睦・天野屋美人神輿

天野屋神輿は、普段は店の店頭に展示してあるのでいつでも見ることが出来る。
神田・日本橋の神輿は、ほとんどが町内会のものである。
一店舗の神輿なのでやや小ぶりに出来ている。
そのために女性だけが担ぐことが出来る女神輿として7回目の宮入である。
天野屋の白い半纏を着用して担ぐ女神輿は壮観であり格好いいものだ。
神輿は和を背負うとの意味合いで天星睦の掛け声は「わっしょい!」に統一している。
女神輿が巡行していくところはどこでもカメラとビデオの撮影者がいっぱい集まってくる。
特に秋葉原の電気街を通る時には、外国人たちは日本の文化である神輿が物珍しく写真撮影を楽しんでいる。
祭り装束の女性たちと一緒に写真を撮るととても喜んでいた。

(5月15日記)
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神田祭(3)

2009年05月14日 | 神田祭
                  川瀬恭三さん(天星睦神輿)

神田祭の日、天星睦の神酒所で待機していた時に友人である川瀬恭三さんが突然訪れてきてくれた。
川瀬恭三さんは、以前同じ職場で勤務していたこともあり交流があった。
今では、S学園の室長として勤務している。
天野屋茶店で冷やしあま酒を飲みながら、近況を報告しあった。
そして天野屋天星睦についての解説を詳しく話した。
神酒所では、天野弥一会長に川瀬恭三さんを紹介した。
カメラの得意な川瀬恭三さんは、年賀状のお年玉で当選したデジタルカメラを手にして祭りの模様をいろいろと撮影していた。
天星睦の女神輿が神酒所を出発して、巡行するところを同行してカメラに撮っていた。

(5月14日記)
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神田祭(2)

2009年05月13日 | 神田祭
                天野史子さん(中央・天野屋前)

今回の天星睦はハイテクを駆使した。
神輿責任者は、Kさん
神輿にPHSシステムを搭載して、どこに神輿が巡行しているかが神酒所のテレビで確認できるシステムを編み出した。
また、宮入が大トリで夜になるので、暗闇の本殿境内でも神輿がライトアップされて光り輝くように趣向を凝らしていた。

神輿のしきたりや担ぎ方の指導を担当する天野史子さんは、祭りの花形であります。
女性たちに懇切丁寧に着付けの仕方や神輿の挙げ方、担ぎ方、盛り上げ方、宮入の仕方をてきぱきと教えています。
いつも手拭のかぶり方、半纏の帯〆の着付けをして貰っている。
史子姐さんに〆られた帯は一日中解けることはない。
いつも若々しく神輿を仕切る姿が頼もしく見えています。

(5月13日記)
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神田祭(1)

2009年05月12日 | 神田祭
                   神田祭の天星睦に参加

5月10日は神田祭本祭。本祭は2年に一度の大祭。
天野屋の天星睦に参加した。
天星睦は美人神輿で女性だけが担げる神輿。
神輿を担ぐ女性たちに大団扇で風を送る役を担当。
一生懸命に汗を出して担ぐ女性たちは風が来ると気持ちがいいと言ってわっしょいの掛け声に力が入って入る。
この日は、30度を超える真夏日となった。
女神輿が秋葉原の電気街を巡回行路すると、外国人や男性の若者たちがカメラを向けて写真を撮っている。
楽しい祭りの一日であった。

(5月12日記)
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