つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

TIU坂戸キャンパスツアー(1)

2010年10月31日 | 日記
                  坂戸キャンパス野球部室内練習場を見学

東京国際大学ホームカミングディがあった。
台風が近づき雨と風が強くなる中、坂戸キャンパスツアーに参加した。
第一キャンパスから学校バスに乗って25分で坂戸キャンパスに到着。
大学職員が施設の案内をしてくれる。
第1グラウンドと第2グラウンドは完成しており、現在第3グラウンドは造成中であった。

第1グラウンドには、野球スタジアム、サッカー場、フットサルコート2面、屋内練習場、フレンドシップハウスがある。
野球スタジアムは神宮球場と同規格で建設されている。
サッカー場では雨の中練習が行われていた。
野球部は晴天ならば野球スタジアムで練習を行われるが、雨のために屋内練習場での練習であった。

我々が室内練習場に入っていくと野球部員は皆爽やかな挨拶をしてくる。
室内練習場はほぼ内野グラウンドをカバーできるほどの面積があり、打撃練習が行われていた。
野球部員は約150名の部員が所属していて3クラスに分かれて練習をしている。
練習場の横にはウエイトトレーニング施設があり筋力トレーニングに励んでいる部員もいた。
まったく素晴らしく充実した施設であり、十分に練習を積んでリーグで優勝を果たして大学選手権大会の行われる神宮球場へ行ってもらいたいと期待する。

(10月31日記)

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紅鹿舎のピザトースト

2010年10月30日 | 日記
                    元祖ピザトーストを食べる石井徹さん

日比谷の紅鹿舎で懇親会があった。
元祖ピザトーストの店として有名な喫茶店「紅鹿舎」は、女性に人気のあるお店である。
テレビや雑誌の取材が多くメディアにも多く出ている。
テレビ朝日の「シルシルミシル」でも、銀座日比谷で最も歴史のある古い喫茶店では、紅鹿舎が「お初」に選ばれた。

懇親会に集まったのは、高岡茂夫さん、石井徹さん、町原幹夫さんらである。
互いに現況報告の後に、高岡さんによる「商売店の活性化のコンサルティングについて」の講話があり、今後のビジネス活動に活用していくこととなった。

石井さんは、初めて元祖ピザトーストを食べて「こんなに美味しいピザトーストは初めてである」と喜んで食べていた。町原さんも初めてピザトーストを食して「とっても美味しいです」と感想を述べていた。
参加者は紅鹿舎の美味しい食事をしながら、ビジネスの向上を目標に邁進していくことを誓い合った。

最後に紅鹿舎の集客対策と売り上げアップの方策について、村上社長と打ち合わせをしたら、この検討事項はすでに考慮しているとのことであり、皆は安心してお店を後にした。
今後も定期的に情報交換の場としての打ち合わせを行うこととなった。

(10月30日記)
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東京スカイツリーの撮影スポット

2010年10月29日 | 日記
                枕橋から見た東京スカイツリー

東京スカイツリーの建設が進んでいる。高さは488メートルまでなった。見物客も増えており、押上、業平橋近辺の商店街は活気に満ちている。

東京スカイツリーが高くなれば遠くの方からも展望が可能である。
その様な中で撮影スポットもいろいろと公表されてきた。
北十間川の逆さスカイツリー、アサヒビール本社ビルに写る黄金のスカイツリー、二つのスカイツリーが観察できる隅田川畔、スカイツリーを見るためにアーケードを取り除いた合羽橋商店街等々。

そんな中、隅田川から北十間川の最初の橋である枕橋は墨田区役所のすぐ前にある。
枕橋からのスカイツリーは東武電車と屋形舟が一緒に見える撮影出来るスポットである。カメラマンが多く電車の来るタイミングをはかっている。特急電車のスペーシアなどが通過すれば絶好のチャンスである。

(10月29日記)
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行政刷新会議事業仕分け

2010年10月28日 | 政治
             行政刷新会議事業仕分け第3弾

行政刷新会議事業仕分け第3弾が始まった。
今会場はサンシャインシティ文化会館であり、近くなので傍聴に行ってみた。
入り口ではガードマンによる厳重なるチェック。持ち物のカバンの中や身体検査。金属探知機で体を探る。音が鳴ったのでポケットの中の物をだす。キーホルダーが反応したようだ。
受付で入場のワッペンと資料を受け取る。資料は電話帳かと思うくらいの本の厚さであり本日分だけの資料が400頁以上のものであった。

会場に入るとメディアの関係者が多い。報道室も準備されている。テレビカメラの放列や写真を撮っている人。案内係役のSTAFF等々。
傍聴者の注意事項には、「当日の評価結果が、当該事業・制度に対する最終判断となるものではありません」と明記されてある。
その他、審議の妨害となる行為(ビラ、プラカード等の持ち込み、鉢巻、ゼッケン等の着用による示唆的行為など)は慎む。言論に対しての賛否の表明や拍手はできない。傍聴者の質問は受けられない。会場内での録画、録音および写真撮影の制限はないが、使用者の責任で対処すること。などと記述があった。

今回は特別会計の事業仕分けである。二部屋に分かれて作業スケジュールが進められている。労働保険特別会計と食料安定供給特別会計を傍聴する。
評価者には、衆議院議員の枝野幸男、長妻昭、寺田学氏ら13名。その他民間有識者が30名ほどが担当。
長妻議員は、役人官僚の天下り組織は税金の無駄遣いの温床である。と問い質していた。説明側の行政官僚たちは、弁の立つ人が積極的に朗々と説明をしている印象を受けた。自分たちの獲得した利権は手から離さないとの姿勢が見られた。日本の行政を担当している役人たちの一端を垣間見たようである。
事業仕分けにより、多くの項目は廃止や見直しとなっていった。

何しろ、税金の無駄遣いの廃止と有効利用に心掛けてほしいと念願して会場を後にした。

(10月28日記)
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絵画と生花のグループ展 あるぽらん

2010年10月27日 | 文化
                「あるぽらん」開催案内状

絵画を趣味としている高岡茂夫さんから案内状が届いた。
2010年第19回「あるぽらん」展の開催案内状です。
絵画と生花のグループ展、自由な集まりで早19年、是非ご覧頂きたく御案内いたします。との記述がしてあった。
高岡茂夫さんの同志27人のグループ展である。

開催日 10月28日(木)~31日(日)
時間  10時から20時まで
     (初日は13時から。最終日は18時まで)
会場  全労済ホール スペース・ゼロ
     渋谷区ヨヨギ2-12-10 全労済会館B1F
     新宿駅南口より徒歩6分
主催直通 電話03-5371-2688

◆芸術の秋です。どうぞ関心のある方は会場へ行ってみて下さい。

(10月27日記)
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第78回独立展

2010年10月26日 | 文化
              松井通央画伯の「真夏の夜の夢」(150号)

毎年秋に開催される「独立展」を鑑賞した。
会場は六本木国立新美術館
隣の会場では、「ゴッホ展」が開催されていた。
国立新美術館は、多くの人が来館していた。年配の女性達が多く見られる。

独立展は、1階から3階までの展示。どれも100号以上の大作である。
知人でもある松井通央画伯(独立美術協会会員)の作品をまず鑑賞する。
毎回、同じテーマで二人の女性の寝ている姿「真夏の夜の夢」を表現している作品であり、150号の大作である。
松井通央画伯の作品は、1階の入口近くのところに展示してあった。

独立展の出展作品は、力強い筆のタッチが多く迫力のある作品である。
独立美術協会の理念であるのだろう。

独立展について
独立美術協会は1926年から1930年にかけて5度開催された佐伯祐三、前田寛治を中心とする1930年協会展が発端となり、二科会ほかの団体を超えて気鋭の作家が集まり1930年に組織されました。
創立会員は伊藤廉、川口軌外、小島善太郎、児島善三郎、里見勝蔵、清水登之、鈴木亜夫、鈴木保徳、高畠達四郎、中山巍、林重義、林武、福沢一郎、三岸好太郎の14人でした。そして1931年1月、東京府美術館で第一回独立展を開きました。
以来、須田国太郎、小林和作、海老原喜之助、野口弥太郎、鳥海青児等々、近代美術史に輝く画家を数多く輩出してきました。
現在も創立時の精神をそのまま引き継ぎ、会員と前途有望な準会員、会友、出品者により毎年10月国立新美術館で展覧会を開催しています。

松井通央画伯は、現在142名の会員所属であり、協会でも重要な立場にいる方です。

(10月26日記)
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羽田国際空港ビル

2010年10月25日 | 日記
                 羽田国際新空港展望デッキ

羽田空港に国際線専用の24時間対応のビルが完成した。
孫の大樹君を連れて早速行ってみた。
浜松町からモノレールで羽田空港国際線駅で降りて改札を通過するとそこはもう国際線のビルの中である。

国際線ビルは5階建てとなっている。
1階は、エントランスプラザ、国内線行き無料連絡バス、バス乗り場・降り場、タクシー乗り場・降り場。
2階は、到着ロビー、京浜急行線、モノレール、国際線駐車場。
3階は、出発ロビー、免税店、京浜急行線、モノレール。
4階は、江戸小路、江戸前横丁、江戸舞台等。
5階は、展望デッキ、プラネタリウム等。

全体的に分かりやすい配置となっている。
国内線から国際線への乗り換え、国際線から国内線への連絡、国際線から国際線への移動もスムーズに行けるように配慮がされている。

4階の江戸時代のお店の雰囲気を出しているレストランやショップ、お土産店は多くの人で賑わっていた。
歌舞伎小屋(中村座)があり、中央には江戸舞台でイベントを催すスペースとなっている。レストラン街はあらゆる職種の店舗が並んでいる。平行している仲通りはショップ店が並んでおり、ユニークな店も多い。Tシャツ専門店「面白てぃしゃつ屋」、風呂敷専門店「伊兵衛ENVERAAK」、手ぬぐい「RAAK」などがある。
EDO食賓館は、日本の地域名産品や東京の人気商品等豊富な品揃いで、見て楽しく、買って満足、贈っても満足感を味わってもらうとのコンセプトで出店している。
5回の展望デッキも多くの人が出ていて、飛行機の離陸、着陸の飛行をみて楽しんでいた。前方には国内線のビルと空港の管制塔が見える。
遠くの方には、東京ディズニーランド、東京スカイツリー、東京タワー、お台場などが見えている。
また、東京に人が集まる新名所が誕生した。

(10月25日記)
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新国劇を愛する人たち

2010年10月24日 | 日記
                 新国劇を愛する人たち

新国劇が看板を下ろしてからもう23年経過する。
島田正吾、辰巳柳太郎を代表とする新国劇の芝居を観ていた人たちが定期的に集まって芝居談義に花を咲かせている。
あの芝居の島田正吾のあの台詞が良かった。と言って物まねをしたり、辰巳柳太郎のあの時の立ち回りが凄かった。などと次から次へと思い出話が泉の如く出てくる。

この人たちの頭の中には、ほとんどの新国劇の芝居が記憶に残っているから素晴らしい。新国劇の観劇に対して観ていない演目は無いといえる位入れ込んでいる人たち。
男の劇団と評価されていた新国劇。殺陣の立ち回りでは日本一の劇団であった。

竹早高校の先輩である緒形拳さんが新国劇に入団して後、国広先生から授業の中で緒形先輩のことを聞き、それ以後、新国劇のファンとして観劇を続けてきた。昭和37年から62年までの25年間とその後新国劇の精神を継承して公演を続けている劇団若獅子が23年となるから48年間のお付き合いである。
新国劇50周年記念公演が新宿コマ劇場で行なわれた時は、新国劇の財産演目である国定忠治、瞼の母、王将、ビルマの竪琴、一本刀土俵入り等々の名場面をダイジェストで披露してくれた思い出などもあった。
新国劇は澤田正二郎が創立させてから後7年で100周年を迎えることになる。
新国劇追悼として緒形拳さんが「大菩薩峠」の机竜之介役を演じた時のエピソードなどの話も盛り上がっていった。そのときには劇中で殺陣田村の披露も行なわれた。

荒井陽一さん、梶原信夫さんらは父親に連れて初めて新国劇を観劇したのは戦前の子供のころであったとのこと。清水辰雄さんや佐藤守男さんは戦後から最も新国劇が隆盛華やかりし頃から公演を観劇している人たちだ。

島田正吾さん、辰巳柳太郎さん、緒形拳さんは既に他界しておりますが、これは肉体的な死であり、多くの人たちがその役者さんのことをいつまでも語り続いているのならば、精神的な死はなく未だに生きている証拠であると考えます。

(10月24日記)

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坂大智高さんについて

2010年10月21日 | 日記
          坂大智高さん(左)、高岡茂夫さん(中)(湯らくの宿こしじ)

魚沼のビジネス交流会が終わり会場の外に出ると坂大(ばんだい)智高さんが待っていた。
坂大さんは、高岡茂夫さんの友人で魚沼市で足つぼ&整体「癒楽喜(ゆらぎ)」の代表者である。
早速、葎沢温泉「湯らくの宿こしじ」に案内された。
今夜はここで温泉に入りゆっくりと過ごす宿屋である。
ここは湯の谷温泉の中でも一番目の温泉であるところ。
ぬるめのの温泉と熱めの温泉があり、ゆっくり入っていると体の中から温まってくる。

高岡さんが足つぼの研修のために通っていた学校の事務局員が坂大さんであった。その関係で親しくなった。
坂大さんは今年故郷の魚沼市に帰って「癒楽喜」を開設して活動をしている。
高岡さんが魚沼市を訪れた機会に連絡をして、再会を果たした。
食事をしながらも、足つぼ学校のことや整体師についての話が話題になる。
話を聞いていてとても参考になる。

坂大さんの話によると、体の不調な部分は足の裏を見れば分かる。
小さな棒で足の裏を押すと痛いところがあれば、体のどこの部分であるか判明をする。
足の内側足甲部は体の中心である背骨を軸とした箇所に通じている。
肩から背中、そして腰の部分の状態を判断できる。
肩もみや背中のハリ具合はなかなか自分ひとりでは揉みほぐすことができないが、足つぼならば一人でも不調の場所が判定できる。
そのように多くの人が足つぼの療法で不調な体を元気にしてほしい。
皆が元気に健康になれば、個人や国の治療費負担が軽減されていく。
と話す坂大さんは「医は仁術なり」を実践されている人である。

(10月21日記)
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魚沼地域ビジネス交流会

2010年10月20日 | 経済
                魚沼市長の大平悦子実行委員長の挨拶

新潟県の魚沼地域ビジネス交流会に参加した。
魚沼地域と東京の足立区との交流関係が長く続いております。
足立区で開催される産業展に魚沼地域の関係者が出展したり、足立区の小中学生達が魚沼地域に行って農業や地域の産業の体験学習を行なっている。

足立区で活躍しているプロパスコの高岡茂夫さんも応募参加したので二人でビジネス交流会に行った。
関越自動車道で約3時間半で到着した。
小出インターより降りて、道の駅「深雪の里」で食事をした。メニューにコシヒカリ定食があり、オーダーすると山菜や刺し身に味噌汁付き。魚沼産のコシヒカリ米のご飯なのでとても美味しかった。隣接する魚沼市地域振興センターがビジネス交流会の会場であった。

受付で資料を配布される。今回の魚沼地域ビジネス交流会の参加企業は81社関係団体だった。中には展示スペースを利用して自社製品をアッピールしている企業もたくさんあった。
第1部プログラムは、主催者(魚沼地域ビジネス交流会実行委員会)の代表として魚沼市長である大平悦子実行委員長からこの出会いを生かしてビジネスチャンスを広げて頂きたいと挨拶があった。
基調講演は、荏原製作所名誉会長である藤村宏幸氏による「バイオマスを資源とした持続可能なまちづくり ~究極のゼロエミッション~」のテーマで行なわれた。

第2部の個別商談会会場内に面談用のテーブルが配置されていた。
スタッフに申し出れば、希望する企業を呼び出してくれて商談の打合せができるように心細かい配慮がされている。
参加企業名簿から、①食品の製造と販売をしている株式会社ゆのたに取締役の上重正一さん。②新潟の自然環境を生かす調理食材などを販売している株式会社大沢加工の代表取締役社長である杵淵正夫さんを選んで、商談打合せを行なった。両社ともゆっくりと20分ほど資料に基づいて話が出来た。

第3部の情報交換交流パーティーでは、テーブルの上に干支の表示がしてあり、参加者は自分の干支のテーブルについて、名刺を交換していた。そこでも多くの人たちとの交流と名刺交換が出来た。お話の出来た人たちは皆素晴らしい方々でした。
お楽しみ抽選会では、新潟の美味しい日本酒が当選して、大平悦子市長から贈呈された。
午後から半日間のビジネス交流会であったが、企画運営をする人たちの心配りが随所に見られた。また、参加企業のメンバーも快く情報の交換に応じてくれた。今後、名刺交換をした人たちと長い交流が出来ることを臨んで会場を後にした。
とても有意義な魚沼地域ビジネス交流会でありました。

(10月20日記)
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中野英華さんの絵画

2010年10月19日 | 日記
                 中野英華さんの特選絵画

親しい友人である中野英人さんから連絡がありました。
「娘の英華がメトロ児童絵画で特選に入選した。銀座のメトロ通路で展示されているので見に行ってほしい」

早速、銀座のメトロ通路のロビー広場へ行ってみました。
28回メトロ児童絵画展 2010展示作品発表の掲示板が目に入りました。
全国から応募のあった作品は9261点。
毎年東京メトロが企画して、児童たちからメトロに関する絵画を募集している。

今年度の特選となったのは30点作品。
その内の一人が中野英華さん(小学2年生)の作品。
車内喫煙に関するマナー扱った作品です。
描かれた一人一人の表情が楽しくいきいきしています。
と、講評の文が綴られておりました。

中野英人さんはとても子供達の教育には熱心である人です。
長男の英太郎さんは、高等学校の運動会の企画運営を取り仕切るリーダー格で積極的に活動をしています。
長女の裕華さんは、バレーダンスを習っていて今ではかなりの上級のクラスで活躍しています。
3人のお子さん達の成長が今後楽しみであります。

(10月19日記)


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重田辰弥氏著作本「おきなわ就活塾」

2010年10月18日 | 文化
                 重田辰弥著「おきなわ就活塾」

銀座8丁目に沖縄クラブ「うちな~タイム」というお店があります。
沖縄の関係者がよく利用している。
小渡昌子女将から重田辰弥さんの著作本「おきなわ就活塾」を贈呈されました。

作者の重田辰弥さんは、1040年生まれ。那覇高校卒業後、琉球大学、早稲田大学で勉学。卒業後、琉球新聞社、行管庁、ビジネスコンサルタント社を経て、株式会社日本アドバンストシステムを創業。2006年代表取締役社長を退任、同会長に就任。

この「おきなわ就活塾」は、いまやIT業界で確かな地歩を築き、沖縄の若者雇用にも積極的に貢献している重田辰弥氏と㈱日本アドバンストシステム。そのベンチャー創業30年に至る新人採用の事例を具体的に紹介しながら、会社と社員のあり方、地域との関わり方へのモデルを示す、異色のビジネス現場報告となっている。

重田辰弥氏は、後輩達の参考になる経験談や事例をまとめて報告してほしいとの依頼により、沖縄県内外の新聞や雑誌にエッセイやコラムを書き、個人ブログでもコラムを重ねてきたが、今後につづく沖縄の若者や進路指導の先生がたへのなにがしかの参考になればと、一冊の本にまとめました。と述べております。

内容は、
第一部 おきなわ就職最前線
1.沖縄出身者はどう見られるか? 2.雇用データあれこれ 3.父兄の影響力 4.高校生の職業実習 5.入社・退社
第二部 私の就職・転職・独立
1.私の生い立ち(満州・奄美・沖縄) 2.わが青春の懊悩 3.会社創業 4.よりよき沖縄ベンチャー育成のために

重田辰弥氏は、“挫折”は飛躍へのスプリングボード!たとえ第2志望の道でもいい。
と記述されています。

新宿書房刊 定価(本体1800円+税)

とても解りやすい内容であり、著者自身の体験談も記述されているので読みやすい本となっています。

(10月18日記)
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学生躰道大会観戦記

2010年10月17日 | 躰道
               学生躰道大会の来賓席(東京武道館)

全国学生躰道優勝大会が東京武道館で開催された。
開会式の選手入場は昨年度総合優勝チームの東京大学を先頭に北から南へと各大学の選手達が威風堂々の入場である。
2階席の観客は200名ほどでほとんどが大学の関係者で占められていた。
一般の観客は少ない。寂しい限りだ。
プログラムには日本武藝躰道三代宗家の挨拶に工藤依子さんの写真が掲載されているが氏名が記入されていない。
NPO法人日本躰道協会会長である中村正弘大会会長挨拶は、声は大きいもののメモを読み上げることに終始しており、そのために話している内容が観客に伝わってこないスピーチであった。

競技では、決勝戦にも拘らず正面の来賓席にいる人の数は少ない。
選手達は一生懸命に稽古を積み重ねて研鑽して臨んだ競技大会である。
多くの来賓や観客の前で競技を披露したいものだ。
誰のための大会運営であるのか再考を要するようだ。

競技の戦績は、3年連続で東京大学が総合優勝を果たした。
各種目ごとに優勝10点、2位6点、3位3点、4位1点が得点される。
東京大学は、総合得点62点で2位の福島県立医科大学の得点35点、3位の北里大学十和田の得点31点を大きく引き離しての優勝であった。
優勝種目は、男子個人法形、男子団体実践、男子団体法形、男子展開競技、女子団体実戦の5種目を獲得した。
そして男子個人法形で優勝した東京大学の清水貴浩選手には最優秀選手賞が授与された。
目覚しい東京大学チームの躍進の立役者は、安部幸史郎監督の存在がある。学生達からは兄貴的な人格で尊敬されている。その結果、毎年の躰道部に入部する人の数も20名を超えている。総部員数も70名近くが所属している。
学生大会では団体競技での得点が大きく貢献する。
東京大学は4種目の団体戦で優勝を獲得していることが総合優勝へ導いた。

一方、躰道の学生大会では多くの入賞記録のあった老舗大学の低迷が露呈している。
東京医科歯科大学、東京国際大学、東海大学、東北学院大学、東北福祉大学などは一種目も4位以上の入賞が無く、獲得得点は0点であった。
そこには、躰道の正統な実技と理念の指導の欠如があるようだ。
躰道部員数の少ない大学は、再度創始者祝嶺正献先生の躰道理念を学ぶことが必要であろう。

(10月17日記)

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ワークライフバランス現実のための仕事術

2010年10月16日 | 日記
                    佐々木常夫氏

独立行政法人都市再生機構主催による「URビジネスロケーション・フォーラム2010」に参加した。

 基調講演は、一橋大学イノベーション研究センター長・教授である米倉誠一郎氏による「グローバル社会における企業イノベーション」イノベーションの構造を概観したうえで、世界的大不況を乗り越え、ますます進化するグローバル化や高齢化社会に適応するこれからの資本主義と企業の在り方についての講演であった。
 日本の中での割合と世界的に見た場合の格差を認識する。携帯端末機や液晶テレビ等の日本の割合は、世界的な観点から見れば、需要が少ないことを知るべきである。などデータ資料を明示して解説を行っていた。

 特別講演は、株式会社東レ経営研究所特別顧問である佐々木常夫氏による「ワークライフバランス実現のための仕事術」障害の子とうつ病の妻を抱え家族とはなにか仕事とはなにかを問う一方、究極の状況の中で効率的仕事を成し遂げ、ワークライフバランスを実現した仕事術についての話であった。
◆佐々木常夫氏プロフィール
 東京大学経済学部卒業。東レ株式会社入社後、取締役・経営企画室長、株式会社東レ経営研究所社長を経て、現在、株式会社東レ経営研究所特別顧問。
 育児や介護に追われるなかで、破綻会社の再建やさまざまな事業改革に取り組んだ半生を綴った著書『ビッグツリーー私は仕事も家族も決してあきらめない』が反響を呼び、さまざまなメディアに取り上げられる。その後限られた時間の中でいかに効率的に仕事をするかを説いた『部下を定時に帰す仕事術』、戦略的リーダーのあり方を語る『そうか君は課長になったか』を出版。
 現在、週間東洋経済および毎日新聞にコラムを連載中。また、独特の経営観を持ち経営者研修などの講師を務めている。

 講演内容は、自己の体験談から始まった。
 長男は自閉症の障害があり、学校生活はトラブル続き、いじめに会い不登校となり、毎日本を読んでいて部屋中は本だらけである。そのような状況の中で妻は重荷を担いでしまいうつ病となり病院へ入院すること40数回。佐々木氏は毎日5時半起床。朝食と弁当作り後、8時に出社し仕事は18時まで。日曜は一週間分の家事をこなす。仕事については、計画性効率性の徹底、会議の半減、資料の簡素化を実行した。
 人は皆自分の時間を求めているが、それができないのは長時間労働と非効率労働である。悩みやハンディを抱えている人は意外に多いものだ。
 仕事の進め方の基本の解説と自己の体験から偏見を含めたアドバイス説明があった。最後の本題のテーマである「ワークライフバランス実現のための仕事術」の解説があった。タイムマネジメントは最も大事なことは何かを正しく掴むこと。タイムマネジメントとは時間の管理ではなく仕事の管理である。よい習慣は才能を超える。
①計画選考・戦略仕事術 ②時間節約・効率的仕事術 ③時間増大・広角的仕事術としては、タイムマネジメントの実践、残業・休日出勤問題、個人も会社も成長するワークライフバランスである。そして最後にワークライフバランスではなくワークライフマネジメントであるとまとめた。
 
 佐々木常夫氏のお話は、実体験での内容であるので身に迫るものがあった。

(10月16日記)
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ハービー・山口 写真展

2010年10月15日 | 日記
           ハービー・山口 写真展(キャノンギャラリーS)

品川駅の東側はオフィスビルがたくさん建設され一大タウンを形成している。
その一角にキャノンSタワーがあり、1FのキャノンギャラリーSでは、「ハービー・山口 写真展 1970年、二十歳の憧憬」が開催されていた。
期間は、9月24日(金)~11月2日(火)

◆ハービー・山口氏プロフィール
1950年、東京生まれ。中学2年生の時写真部に入る。高校、大学と写真部で過ごし、片時もカメラを放さなかった。
1973年、ロンドンに行き10年を過ごす。ロンドンでは、劇団に入り役者として100回の舞台を踏む。街の人々にカメラを向ける一方、ミュージシャンの写真を撮るようになる。
1980年に帰国して、日本のミュージシャンの写真を撮るかたわら、若者から老人たちの素顔に迫ったポートレイトが高く評価されるようになった。

◆ハービー・山口氏の談話
この写真展に展示した写真は、1969年から1973年、19歳から23歳にかけて撮影された、およそ40年前の未発表写真です。
写真の専門学校には行っていなかった僕は、素人ながらに、写真家になりたいという意志だけは、誰にも負けないくらい強く心に抱いていて、毎日写真を撮っていました。
自分自身、そして写真を見た人が、ポジティブになれるような写真を撮りたいという思いが根底にありました。
幼少より病弱だった僕は、写真によって生きる希望を探していたのだと思います。
被写体となったのは、僕の憧れや、人間への共感、生きるエネルギー、そして、まだ見ぬ土地への好奇心でした。
これらの写真は、プロの写真家になる前の僕の原点を示すものとして、興味が尽きません。この40年間で、知らず知らずに我々が失ってしまった、「人を信じる、人間のこころ」というものが写っているように思われます。
是非、40年前の、日々を感じて頂きたいと願っております。

この写真展は、全てモノクロでカラー写真はひとつも無い。それだけに臨場感も出ていて、そのときの様子が見事に描き出されている。

(10月15日記)
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