つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

神田散策の旅~竹むらの粟ぜんざい~

2025年01月18日 | 飲食店
 竹むらの堀田喜久雄社長から「池波正太郎の話」がありました。
 トラベルキャスターの津田令子さんが案内する「神田散策の旅」を実施しました。

 ◆池波正太郎が通った街を歩く
 神田の連雀町という町名は、昭和のはじめに消えてしまったという。
 今の千代田区神田須田町一丁目と淡路町二丁目の間が、連雀町ということになる。町すじが、むかしの東京の匂いをただよわせている、と池波正太郎が表現している通り。

 美味しいお店が、軒を連ねる。そば屋のまつや、鳥鍋のぼたん、粟ぜんざいの竹むらは、あんこう鍋のいせ源は、むかしの店構えのままである。戦前の東京が、ポツンと残っているわけだ。

 古いもの懐かしいものは、何でもかんでも、壊し、スマートを是とする風潮。戦災を逃れただけでも大変なことなのに、 そういう風潮にも耐え、池波が、愛し、通った店は、旧態をとどめている。これほど、ありがたいことはない。そういう街を、みなさんと歩き、甘味をいただける。池波をたどる小さな旅そのもではないだろうか。(トラベルキャスター 津田令子さん記)

 「竹むら」で、名物の粟ぜんざいと揚げまんじゅうを美味しく賞味し、堀田喜久雄社長から「池波正太郎と竹むらについて」のお話を詳細に聴きとても参考になりました。(2014年1月20日記)



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クールカフェの「ハンバーグ」

2025年01月12日 | 飲食店
 都電荒川線(東京さくらトラム)の荒川車庫前停留所の前に「クールカフェ」があります。ハンバーグが美味しいと話題のお店です。店内はこじんまりとしてアンティークな時計や掛け電話などで装飾をしております。テーブルクロスも洒落たものでした。すぐ目の前を通過していく都電の電車を見ながらひとときを過ごしました。

 好物である「ハンバーグ」を注文する。10分ほどして熱々の鉄板に乗せられたハンバーグは海に浮かぶ島のように見えました。海はデミグラスソースで島は特製のハンバーグです。ライスとサラダは別のお皿に盛られています。ハンバーグを一口食べてみると肉汁に満たされた美味しさが口の中ではじけるようでした。とても美味しく絶品のハンバーグを堪能しました。

 東京には6000店ほどのハンバーグを提供するお店がある中で上位4位にもなったことのあるクールカフェです。ハンバーグで表彰された盾が飾ってありました。美味しいハンバーグを提供する工夫が見られた逸品です。
 
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うなぎ専門店「駒形前川本店」

2025年01月08日 | 飲食店
前川のうな重

    隅田川の駒形橋のそばに創業200年の歴史のあるうなぎ専門店「前川」があります。店員のすみずみまでわたるおもてなしが気持ちをよくします。

    3階の和室に案内をされました。隅田川を望む部屋から、屋形船を眺めながら幻想的な情景の中で200年の歴史を持つ天然うなぎ料理を味わいました。とても美味しく頂きました。

    前川のうなぎを食べれば病みつきになります。養殖にはない香りが天然の魅力です。うなぎの養殖がはじまったのは明治12年とのこと。以降、天然うなぎの漁穫量は減少を続け、今ではめったにお目にかかれません。天然うなぎの美味しさを堪能しました。


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うなぎの「伊豆榮本店」

2024年12月19日 | 飲食店
 上野不忍池端にある伊豆榮本店は老舗のうなぎ料理店です。
 江戸時代中期に開店した上野池の端本店は昭和59年にビル建物として改築して面目一新しています。

 うなぎ料理については鰻そのもの。そしてタレ、ごはんのよしあしも大事です。また、「裂き」「串」「焼き」が重大三要素といえ、その三要素の中でもとくに決定的なのが「焼き」です。俗に「裂き三年、串八年、焼き一生」ということばがあるほどで、微妙な味の差が「焼き」一つで出てくるといってもいいほど難しいとされています。

 伊豆榮の「焼き」の技術は、二百数十年の伝統をふまえた上に、代々、名人芸ともいえる腕をもった職人に恵まれ、今日まで“のれん”に輝きを付加しています。炭の具合と、火の通し方の間(マ)と、それに、煙のまわし方と、そうした秘伝的技法をカン一つで見事にこなし、あのふっくらと香ばしい蒲焼ができ上がるという。

 最近うなぎ屋には外国人旅行者が多く見受けます。寿司、天ぷらと並び称される日本料理に代表されるうなぎ料理です。


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南国酒家

2024年12月17日 | 飲食店

 南国酒家ランチ

 原宿駅そばに美味しい中国料理レストラン「南国酒家」があります。ランチをするためにお店に入りました。1961年創業の原宿本店は、本館と迎賓館があります。

 四季折々の旬の食材を使用した「日本(にっぽん)の、美味しい中国料理」をテーマに広東料理をベースにした伝統的な味に、オリジナリティ溢れる中華料理を提供してくれます。

 五目あんかけ焼きそばも人気がありますが、この日は南国酒家ランチを注文しました。バラエティに富んだ九品が出てきました。とても美味しくいただきました。スタッフの人たちの対応もとても良く気持ちよく過ごすことが出来ました。

 原宿駅より表参道沿いにアクセスの良さと、豊富な席数で、様々なニーズに合わせて利用できるお店です。

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芝大門 更科布屋

2024年11月21日 | 飲食店
 芝大門更科布屋に入り、三色そばを堪能しました。

 このお店は、寛政三年(1791年)創業ということで230年の歴史のある蕎麦屋です。店の角には石碑が建っております。店内のすべての椅子には創業者の家紋章が付いているのも老舗のこだわりでしょうか。

 更科布屋は、そば打ち上手として知られた信州の反物商・布屋萬吉が江戸行商の折、領主・保科兵部少輔の助言でそば屋に転向して、東日本橋の薬研堀に「信州更科蕎麦処」を開店、芝大門では大正二年より営業。徳川家の菩提所である増上寺の門前は江戸有数の盛り場であり、芝大神宮の境内は「め組の喧嘩」の舞台でもあります。この地で創業230余年を数え当代で7代目となります。(更科布屋HP)

 (店主の独り言) 季節を感じる要因には「気温」「風景」「植物」「虫」など目で見て、耳で聞いて、肌で感じてと様々あるが、何と言っても食べ物によって季節を感じるのが最も多くの人が自然に体験している事かと思います。和食は世界無形文化遺産としてユネスコに登録されましたが、その和食の特徴は「素材主義」で素材が本来持つ持ち味を活かす事=旬にこだわる事で四季を表現すると言われています。現在、そんな和食の原点である江戸生まれの食文化が広く世界から評価されたといっても良いのではないかと思います。

 江戸の食文化が、今も伝承されていることは喜ばしいことで、特に日本そばを美味しいと感じております。
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鈴波「東京ミッドタウン店」

2024年11月11日 | 飲食店
 鈴波の銀ダラ西京焼き

 六本木のミッドタウン内に「鈴波」があります。
 守口漬・奈良漬ののれんを守って100有余年大和屋が伝統の”漬ける技”を魚に生かした「魚介味淋粕漬」。
 酒粕・味淋粕にこだわり、漬ける素材にこだわり、納得のいくものだけを提供する鈴波の味。

 鈴波は、豊かな自然の恵みの中から、旬の素材のみを厳選し、その持ち味と鮮度をそこなうことなく新しい味を創り上げています。
 魚介味淋粕漬をはじめ、産地の素材を使った海山の珍味など、本物にこだわった味の数々を取り揃えており、心のこもった贈り物として喜ばれています。

 六本木のミッドタウン店には商品販売もしていますが、鈴波の商品を一番おいしい状態で食べさせてくれる奥のスペースがあり、それが膳処「鈴波」です。魚介味淋粕漬、赤出し、お漬物、一品、ご飯などすべて原材料から吟味したものばかりを用意しているので嬉しいものです。
 この日は銀ダラ西京焼き定食をオーダーしました。とても美味しかったです。


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三定の天ぷら

2024年11月02日 | 飲食店

 三定の「天ぷら料理」

 浅草の雷門の横には、天ぷら料理の老舗「三定」があります。「一に浅草、二に観音様、三に三定」のキャッチフレーズで馴染みのお店です。

 お店に入り「天ぷらご飯」を注文。魚の白身のキス、大きな海老、小エビと貝柱のかき揚げなどが盛られております。天ぷらは軽く揚げられているので美味しさが増します。
 

 霞会散策会で「三定」を訪問した時に、真田優七代目会長(TIU同窓生)から天ぷらの歴史と知識について聞いたことがありました。とても参考になりました。また、天ぷら料理では油を使用するので、絶対に火事を起こしてはならないと、いつも緊張感をもってお店のビル上階に家族とともに生活をしているとのことです。

 老舗の理念とこだわりが、料理の天ぷらにも伝わっておりとても美味しく味わいました。

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小田原市風祭の「友栄のうな重」

2024年10月29日 | 飲食店
 うなぎ料理店「友栄」

 小田原市風祭にあるうなぎ料理店「友栄」に行きました。友人の長谷川毅さんが推奨するうなぎ屋なので気に留めておりました。予約しないと入れないこともあると聴いていたので電話で予約をしました。

 お店は駐車場も広く多くの車が駐車していました。風祭駅から徒歩5分のところなので小田原行のバスで風祭停留場で下車して歩いて行きました。電話で予約していたのですぐに席に案内をしてくれました。受付から席まで案内する女性の担当者の心配りの良い行動には感心をしました。

 うな重のメニューは一つだけ明示されていました。この店でうな重を注文するのはみんな同じであるということです。ご飯は注文時に普通盛り、大盛りを聴いていました。箸置きはウナギの形です。配膳されてきた「うな重」は、下のご飯が見えないほどお重にいっぱい重なっておりました。

 流石に美味しい「うな重」で満足をしました。
 長谷川毅さんにはとてもいいお店を教えて頂き感謝しております。


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浅草の大黒家の天丼

2024年10月21日 | 飲食店

 大黒家の「天丼」

 浅草へ行ったときに伝法院通りにある大黒家の「天丼」を食べました。店の前には入店を待つ人が並んではいましたが、通常の行列より少なくてすぐにお店に入ることができました。店内のテーブル席は使用していない部分もありゆったりとした感じです。

 大黒家は1887年(明治20年)、浅草にそば屋として開業しました。1910年頃(明治末)頃に、そば屋から天ぷら屋となり、屋号が「大黒屋」から「大黒家」に改称したようです。現在は五代目の店主が務めています。浅草の老舗の飲食店で人気のあるお店です。


 天丼は、海老2本とかき揚げを注文。この店の天麩羅は、ごま油だけ使ってキツネ色に揚げたものが特徴です。創業以来、変わらず守ってきた甘辛く濃厚な独特のタレが特徴です。


 浅草には、美味しいメニューのある伝統のお店がたくさんあります。




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髙木屋の草だんご

2024年10月18日 | 飲食店

 髙木屋老舗の草だんご

 柴又駅から帝釈天参道に入ると髙木屋老舗の看板が両側に向かい合っています。このお店は、山田洋次監督が映画「男はつらいよ」の舞台にしたモデルとなっただんご屋です。

    髙木屋の店主が亡くなり、女将さんは店の売上げも減り困難な状況を知った山田監督は寅さんの脚本を書いて映画化をしました。映画のヒットと共に髙木屋にもお客が来て、売上げも上がり順調に発展していきました。
 

 髙木屋は、「男はつらいよ」の映画のロケが帝釈天参道であると出演者やスタッフの休憩場所としてお店を提供していました。予約席は渥美清が来た時の場所として今でも確保してあります。店内には山田洋次監督や出演者と一緒に写した女将さんの写真がたくさん掲示してあります。
 

 山田洋次監督はだんご屋を「とらや」と設定して映画を撮っておりましたが、映画がヒットすると髙木屋の3軒先に「とらや」という名の店を出した人がいて、松竹が映画の関係で名前を変えてもらえないかと打診したが、受け入れられず、その後の映画では車寅次郎からだんご屋は「くるまや」として撮影をしておりました。 

 髙木屋老舗の草だんごはとても美味しかったです。


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田むら銀かつ亭

2024年10月12日 | 飲食店
 箱根強羅駅の近くに「田むら銀かつ亭」があり、豆腐カツ煮が好評で多くの人が並ぶ人気店となっております。

 ランチ時など受付で予約整理券を取得して入店の順番を待ちます。お店の駐車場には各地のナンバープレートが並んでおり遠くから来店している人たちが多くいることが分かります。

 豆腐カツ煮の誕生までは、田村店主が親しくしている「銀豆腐」にて世間話をしていた時、厚揚げ用の豆腐が目に止まり、「豆腐かつ」を献立に加えるが、あまり評判は良くなかった。

 当時、母は年のせいもあり歯を悪くしており、毎日おじやおかゆの生活を強いられていた。そこで、「豆腐かつ」をカツ丼風にして母に出すと、大変喜びメニューに加える事になった。とのエピソードがあります。
 
 メインのメニューは、「豆腐かつ煮定食」「豆腐かつ煮御膳」「ロースかつ御膳」で、ほとんどの来店客がこれらを注文しております。




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神田「やぶそば」

2024年10月09日 | 飲食店
神田の「藪蕎麦」

神田「やぶそば」は開店の午前11時30分には行列ができていました。
開店と同時に入店できました。店の中はすぐに満席となっています。
「藪そば」というのは「更科」「砂場」と並び蕎麦御三家の一つに数えられています。

品書きにより注文をすると女将さんが独特の高い声で厨房へ連絡をします。
流石に老舗のお蕎麦はのど越しも良くとても美味しく賞味できました。
蕎麦湯で割るそばつゆを味わうのもいいものです。

ざるは漆塗りで裏側には干支の文字が記されています。
自分のには「未 藪」と記載されていました。
店を出たら、ランチ時の長い列ができておりました。


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「駒形どぜう」について

2024年09月07日 | 飲食店

 駒形「どぜう」

◆200余年の歴史
 「駒形どぜう」の創業は1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代です。初代越後屋助七は武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。
 当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大勢のお客様で繁盛したと言います。

 初代が始めたどぜう鍋・どぜう汁に加え、二代目助七がくじら鍋を売り出すなど、商売はその後も順調に続きました。嘉永元年(1848年)に出された当時のグルメガイド『江戸名物酒飯手引草』には、当店の名が記されております。

 やがて時代は明治・大正・昭和と移り変わり、関東大震災、第二次世界大戦では店の全焼という被害を受けます。しかし多くのお客様のご支援と先代の努力もあって、江戸の味と建物は現在の六代目へと引き継がれております。

◆のれんの由来
 仮名遣いでは「どじょう」。もともとは「どぢやう」もしくは「どじやう」と書くのが正しい表記です。それを「どぜう」としたのは初代越後屋助七の発案です。
 文化3年(1806年)の江戸の大火によって店が類焼した際に、「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと当時の有名な看板書き「撞木屋仙吉」に頼み込み、奇数文字の「どぜう」と書いてもらったのです。これが評判を呼んで店は繁盛。
江戸末期には他の店も真似て、看板を「どぜう」に書き換えたといいます。
200余年の歴史を刻む、店の大事なのれんです。


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サイボクハム

2024年07月25日 | 飲食店

 サイボクハム(埼玉県日高市)の温泉館「花鳥風月」に行きました。

 先ず、和風レストラン「花鳥風月」で食事をしました。ハムやソーセージが付け出しで出ておりました。

 ゆっくりと食事をした後は、天然温泉です。地下2000メートルから湧き出る温泉は温まりの湯、美肌の湯として人気があり、露天風呂もあります。

 サイボクは自社ブランド豚肉のほか、隣接する工場で作られたハムやウインナーなどを直販しています。多くの人が買い物をしています。また新鮮野菜直売所「楽農ひろば」、屋内のバーベキューレストランなどゆっくりと一日楽しめる場所です。ひょうたん池の庭園もきれいです。

 カフェテリアのソフトクリームがとても美味しいです。

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