つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

祝嶺正献先生との出会いと躰道を学ぶ息子達(その1)

2007年03月31日 | 躰道
いよいよ4月を迎えました。
私の親しい知人に尾崎健一さんがおります。
躰道では、ともに祝嶺正献先生に指導を受けた同志であります。
躰道師範協議会の役員会では、副会長として長年その運営に携わっておりました。
尾崎健一さんは、ロック歌手として活躍していた尾崎豊氏の父親であります。
躰道も学んでいた尾崎豊さんが亡くなり15年が経過しております。
躰道の創始者である祝嶺正献先生も逝去して6年目を迎えております。
尾崎健一さんが「躰道壮年倶楽部」の講演会の原稿としてまとめた資料があります。
尾崎健一さんの許可を得て、この度私のブログで公開をすることとなりました。
テーマ「祝嶺正献先生との出会いと躰道を学ぶ息子達」(尾崎健一著)です。
暫くの間、連載をさせていただきます。
どうぞご愛読下さい。(池内和彦)

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「祝嶺正献先生との出会いと躰道を学ぶ息子達」(その1) 尾崎健一

1.(前おき)
 実は今、ここに立って私は少し困惑しております。
 先日「思い出話でもしてくれませんか」と池内和彦先生からお電話を頂いた時は、草創当時の祝嶺正献先生との思い出を話させて頂くのは光栄だな、でももっと他にも、例えば横堀登さん亡きあとといえば、峯村千徳さんあり、牧野力さんありですから、そうした方々と十五分づつ位なら、思い出話しをさせて頂きます。とご返事した――つもりだったのですが、送られた予定表ゲラを見ると一時間にわたる私の「講演会」ということになっているので、びっくりした訳です。
躰道についての講演できる人は、宗家・祝嶺正献先生をおいて他にありません。
語の厳密な意味から言えば『講演とは弟子に対して教えさとす』ことだからであります。――と堅苦しくいえば、まァそ-いうことになります。
――だからいって『一諾を重んずる』ことは宗家から教えられてきた、躰道の伝統的徳目でもあります。
そこで、今日の私の話しは年寄りが昔の思い出話しを囲炉裏ばたでボソボソと語る、言うならば『炉返談話』として気楽にお聞き頂ければ幸いと思います。
何しろ半世紀ほど前の話しになる訳ですから記憶に若干の思い違いもあると思いますが、その辺はお許し頂きたいと思う次第であります。(つづく)



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真面目な無責任男が逝ってしまった

2007年03月28日 | 芸能
植木等さん(クレージーキャッツ)が呼吸不全のため80歳で死去した。
三重県のお寺の息子として厳しく育てられた。
東洋大学では陸上競技部に所属していて、中距離の選手だった。
お酒もタバコもやらない真面目な人で、若いタレントやスタッフのことをとても気遣い、多くの人からの信望も厚かったようだ。

私が中学生のときに、フジテレビの「おとなの漫画」が面白いと、学校の仲間たちで話題になった。
高校生の時には、映画では「無責任男シリーズ」が始まっていた。
当時の大人の入場料金は350円であったことを思い出した。
映画が封切りになるとどこも満員の盛況で、観客は笑い転げて観ていた。
昭和の高度成長時代の日本のサラリーマンを風刺した内容が大衆に受けたようだ。

昨年亡くなった青島幸男氏(放送作家)の葬儀に参列した後、体調を崩し入院をしていたが、ついに逝ってしまった。
「延命処置はしない。葬儀は身内でやってほしい」と家族に話していたとのこと。
病院には、同僚達(犬塚弘、谷啓、桜井センリ)が何度も見舞いに駆けつけた。
付き人だった小松政夫は、名古屋での舞台を終えてすぐ駆けつけたが、永眠直後だった。

「新・喜びも悲しみも幾年月」では、助演男優賞(日本アカデミー賞、毎日映画コンクール等)を受賞。
紫綬褒章、勲四等旭日小綬章なども受章している。
大きな実績を残して、真面目なタレント植木等が、ハナ肇、宮川泰、青島幸男のいる天国に旅立った。

「お呼びでない」、「ハイそれまでヨ」、♪チョイト一杯のつもりで飲んでの「スーダラ節」が懐かしく思い出される。
ご冥福をお祈りします。

(3月28日記 池内和彦)



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地下鉄副都心線の開通前に

2007年03月27日 | 社会
地下鉄「副都心線」が、2008年6月に開通する予定で工事が進んでいる。
池袋から新宿を通って渋谷まで、ほぼ明治通りの地下に設置される。
池袋から先は、東武東上線、西武池袋線と乗り入れ、渋谷から先は、東急東横線と乗り入れる計画となっている。
埼玉の川越市や所沢市から横浜のみなとみらい21地区や中華街までがつながる構想にもなっている。

そこで、池袋、新宿、渋谷の百貨店は、お客誘導の作戦を開始した。
店内のリニューアルをして準備に入ったところもある。
新宿の伊勢丹は、渋谷の東急百貨店と業務提携をして、顧客獲得の強化を打ち出した。
副都心地区の百貨店戦争が勃発している。

大企業は、合併・提携しながら生き残り作戦に出てきている。
海外の投資家グループによる日本企業の買収計画が着々と進んでいる。
経済関連の報道では、毎日のように伝えられている。

何事も、基本・基礎がしっかりしていないと母体・母屋がいずれか崩れていく。
現代社会の変転と将来の展望をよく見極めることが必要である。

(3月27日記 池内和彦)
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ノンフィクション作家・坂口拓史氏との再会

2007年03月24日 | 友人
ノンフィクション作家の坂口拓史さんと久し振りに再会しました。
坂口拓史さんは、父は歌人の坂口花山氏、母は作家の坂口禮子さんの長男であります。
母親である坂口禮子さんは3回芥川賞候補になった人です。

坂口拓史さんとは、45年前に茅ヶ崎の文化人保養所で出会ったのが始めであり、その後の青春時代も付き合いが続いていました。
幾たびか所在が分らなくなり連絡が途絶えておりましたが、今回は母上様の訃報の記事が新聞に掲載されたのを読んだことにより所在が判明して、すぐに葉書を出しました。
すると、私のケータイに電話があり、「会おうよ」ということとなり高田馬場の家に伺いました。

坂口拓史さんは、社会の裏側を鋭く取材して出版しているノンフィクション作家として活躍しております。
代表作に「万引」、「ザ・シゴキ」、「さらばサラ金の魔手」、「トリカブト事件」など多数の作品を出版しています。
最新作は、パチンコ産業30兆円に群がる魑魅魍魎「なぜ梁山泊は潰されるのか」(幻冬舎)を出版しました。
全国制覇を成し遂げた梁山泊とパチンコ業界、国家権力との熾烈極まる生き残り戦争を克明に記した渾身の一冊の本です。
私にも恵存していただきました。
本に署名をしていただき、その中に「酔 知粋」(酔いは粋を知ることなり)と記載されておりました。

坂口拓史さんは、昔のことを鮮明に記憶しております。
画家の阪口茂雄さんご一家との交流のこと、吉田広告社のアドバルーンの仕事をしていたアルバイトの頃、セコムでの警備員時代、英国の歌手・トムジョーンズ日本公演の警備のこと等々。

今ではサラ金地獄で苦しんでいる人たちを救済する活動をしているようです。
今回は20年ぶりに再会しましたが、以前と同じように笑顔の中の目が優しく私を見つめていました。

(3月24日記 池内和彦)

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ポケベルが終了

2007年03月22日 | インターネット
1968年からスタートした日本電信電話公社(現NTTドコモ)の「ポケットベル」のサービスが3月で終了することとなった。
最盛期の1990年代には1000万件の契約件数を超えたポケベルも、ケータイの普及に追越されて、今年の1月の契約数は44万件まで激変したようだ。
ここにも、時代の流れに呑み込まれてしまった産業があった。
これからも、多くの産業がインターネット革命の波に呑み込まれて消滅していくものが出てくるだろう。
時代の先を見越して行動をした人が生き残れる社会が構築されてきている。

(3月22日記 池内和彦)
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劇団若獅子のこと

2007年03月21日 | 芸能
劇団若獅子ってご存知ですか?
新国劇が解散した後、若手の劇団員がその精神を継承していこうと旗揚げした劇団です。今年で結成20周年を迎えました。

私は、竹早高校の先輩である緒形拳さんが新国劇に入団したときから応援しておりますから、もう45年以上のお付き合いとなります。

その劇団若獅子の代表である笠原章さんが、3月20日付けの日本経済新聞の文化欄に大きく寄稿しておりました。
「新国劇 志継いだ結晶」
◇「劇団若獅子」率いて20年、「国定忠治」記念上演へ◇
新国劇に憧れ、辰巳柳太郎先生に師事して役者修行を習得していった。新国劇の解散の時のエピソード、劇団若獅子の設立と経緯について等々を綴っています。

今年は劇団若獅子結成20周年記念公演として新国劇の財産演目「国定忠治」を通し上演します。
3月24日に大阪松竹座で開幕して、6月24日まで全国での巡回公演が続きます。
東京公演は、4月7日(土)、8日(日)の二日間、三宅坂の国立大劇場にて上演されます。今から「国定忠治」観劇を楽しみにしています。

今回、高校の先輩の緒形拳さんも山形屋藤造役で特別出演しています。
緒形拳さんと笠原章さんの二人は辰巳柳太郎先生の直弟子なので、「山形屋の場」でのがっぷり四つに組んだ芝居が楽しみであります。
辰巳柳太郎先生もその二人の弟子たちの芝居を天国から観ていることでしょう。

(3月21日記 池内和彦)
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ついに大勝軒は閉店です

2007年03月20日 | 社会
3月20日(火) つけ麺の元祖である東池袋の「大勝軒」は本日で閉店です。
店の周りは長蛇の列が並んでいました。テレビ局の取材も沢山来ておりました。
店主へ感謝の気持ちの花束が沢山展示されておりました。

(3月20日記 池内和彦)
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ラーメンの大勝軒が閉店

2007年03月16日 | 社会
東池袋にラーメン専門店「大勝軒」がある。
サンシャインシティの南側にあって、45年間ラーメン一筋に営業をしてきた。
TVのランキング番組のラーメン部門では、いつも上位に入る人気店である。
その大勝軒のある地域が、この度区画整理再開発地区となり、立ち退きすることとなった。
3月20日が最終日の閉店となり、その長い歴史の幕を下ろす。
閉店を惜しむ客が連日大勝軒に出向き長蛇の列を作っている。
列は150メートルも並ぶときがあり、店に入るには3時間余りの時間を要する。
それでも一杯のラーメンを求めて黙々と行列に並んでいる。

店の横に一枚の告知の張り紙があった。
「お客様各位 
 このたび、東池袋大勝軒は、3月20日をもって閉店致します。昭和36年の開店から45年間、大変長い間ご愛顧頂き、誠にありがとうございました。 
 東池袋大勝軒 店主 山岸一雄」

私もよく行った大勝軒の閉店を惜しむとともに長い間の営業に対して敬意を表します。有難うございました。


(3月16日記 池内和彦)
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友、遠方より来たる!

2007年03月14日 | 友人
大学時代の親しかった友人・高橋久君が私の事務所を訪れてくれました。
遠方で勤務していた時期が長かったので30年ぶりの再会でした。
学生時代の温かい笑顔がそのまま残っており、時の経過を感じさせません。

高橋君は学生時代から、学友のことを観察することにとても長けていました。
同期会(40年会)の資料や写真を見ながら、この人はこうであった、あんなこともあった。と、学生時代のことやその後の就職先についても鮮明に次から次へと話していました。今でも昔のことを記憶している能力は凄いと感心します。
こんなことがありました。香川県から上京して学生生活をスタートした昭和40年頃は、東京のことを知ろうと地図を片手に持ちながら、都電や都バスを利用してあらゆる所に出かけて自分の目と足で確かめていました。

高橋君は、大学卒業後、山崎製パンに就職した。
千葉、香川、岡山、東京、岡山、東京と転勤して昨年定年退職をした。今は嘱託として会社の勤務を続けています。
私の友人で、卒業後一つの会社で定年まで通してきた人はそんなには多くはいない。

不二家を支援することで山崎製パンは話題になっています。
いろいろと話を聴いてみたが、食品業は製造過程と流通過程および賞味期限等で特に注意をしているようだ。
彼岸が近づいていますが、季節の行事があると忙しくなるという。
3月のひな祭り、彼岸、卒業関連。4月の入学関連、花見等々。5月の端午の節句等。
生産工場から出荷して小売店に届けるが、最近はコンビニが多くなり、時間帯や配送数も多くなり仕事量が多くなっているらしい。
生産工場では、休み無く仕事を続けていて、消費者の満足する製品を速く届けるように日夜努力している。とのこと。

高橋君と池袋のサンシャインシティのレストランで食事をしてから、銀座まで行ってある勉強会に参加してきました。
勉強会は、日本の経済の過去、現在、未来についての話でした。今後の私たちの生活に関わる貴重な話で、高橋君もとても参考になったと満足していました。
“友、遠方より来たる”楽しい一日を過ごしました。

(3月14日記 池内和彦)

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QRコード付き名刺

2007年03月10日 | インターネット
自分に関する情報を満載した「QRコード」付きの名刺が出来てきました。
QRコードの中には、ホームページアドレス、携帯メール、PCメール、携帯電話番号、メール会員募集のお知らせ等々を入れました。
名刺にこれだけの情報をすべて印刷したら真っ黒になる位です。
ですから、名刺の面に印刷するのは氏名と住所だけのシンプルにしました。
後は、QRコードをケータイで読み取ってもらい私の情報を得てもらいます。
また、お馴染みの紙切りで作られた私の横顔も好評に付き入れました。
どうぞ、今度お会いしたら私の名刺を受取って下さい。

私の事務所に、8日には午後に松本誠さんが、そして夜には山下太郎さんがお越しになりました。
いろいろとお話ができ交流を深めました。
お二人とも「QRコード」には、興味を持ったようです。
パソコンを利用して早速、自分のQRコードを作成しておりました。
お二人とも「QRコード」を身近に感じたようです。

(3月10日記 池内和彦)
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不戦の誓いと艦艇模型

2007年03月08日 | 日記
私の武蔵野第三中学校の美術の恩師に武藤忠春先生がいます。
修学旅行に行く前の授業では、京都の神社仏閣等の絵を黒板に綺麗に画いて説明してくれたことを思い出します。

武藤先生は、絵画制作とは別に、旧日本海軍の艦艇模型の調査、研究、制作を趣味としております。「艦艇模型展」の開催案内を頂き、会場へ出かけました。
会場は、お台場の船の科学館の隣にある羊蹄丸(かつて青函連絡船として活躍していた)。
武藤先生は、この展示について、「戦争を肯定するものではなく、日本造船技術の一端を代表する「大和」や艦船模型を通して、造船技術の発展に対する理解や興味を深めていただきたい。さらに不戦の誓いとして太平洋戦争で軍艦とともに戦没された数多くの英霊に対する鎮魂の祈りにつながることを切望しながら制作をしました」と語っていました。

10分の1の戦艦“大和”の模型製作図面を3年間にわたり作図しておりました。
その図面はとても精密に詳細に描かれておりました。
そして、100分の1の戦艦“大和”の精密模型が展示してありました。
また、武藤先生作の「航空母艦“瑞鶴”、巡洋艦“利根”、潜水艦“伊180”」がかなりのスペースをとって展示されていました。
自宅でその艦艇模型を収納するのには一部屋占領されていたとのこと。
その艦艇模型は、展示会終了後は、船の科学館に永久展示されることとなっています。

(3月8日記 池内和彦)

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躰道を紹介する

2007年03月02日 | 躰道
TAMCの例会が開催された。
今月から「講話」の時間が復活した。
第1回目は私・池内和彦が担当することとなった。
メンバーの中には3名の方が躰道の全日本選手権大会を観戦にきてくれましたが、その他の方は躰道についてはほとんど知りませんでした。

講話は、躰道の歴史から入った。
創始者の祝嶺正献先生のこと。躰道の動きの特徴。自分が歩んだ躰道の足跡。
躰道の仲間として横山秀夫氏(小説家)と尾崎豊氏(歌手)を紹介。
躰道の実技と競技の説明をした。
最後に、躰道の基本技と法形を演武して観てもらった。
護身術の解説をしたら、皆さん興味をもったようです。

多くの方に「躰道」を知ってもらう機会が得られたことは喜ばしいことです。

(3月2日記 池内和彦)
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