つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

年末ご挨拶

2024年12月31日 | 日記
 令和6年(2024年)の大晦日となりました。
 今年も多くの方と交流が出来、いろいろとお世話になりました。
 感謝申し上げます。

 躰道では、第50回東北地区躰道優勝記念大会が9月に宮城県気仙沼市で開催されたので臨席してきました。この大会が第1回を開催することになった経緯について開会式でお話をする機会がありました。1月には全国範士等競技大会、8月には全国社会人躰道優勝大会で若き躰士たちの活躍状況を観戦できました。
 来年は昭和100年、そして躰道創始者である祝嶺正献最高師範の生誕100年となる記念年です。今年も11月26日の命日に伊東のお墓に報告を兼ねてお参りすることが出来ました。

 マジックでは、池袋マジック教室を毎月開催することが出来ました。TAMCでは毎月の実例会と研修会に参加することができ、メンバーとの楽しい交流も出来ました。マジックの出演依頼も多くなってきました。

 健康面では、体力維持として毎朝のウォーキングと大塚トランパル広場で行われているラジオ体操に参加してから体重も減量できて喜んでいるところです。都内の散策もいろいろと季節の行事に合わせて実施してまいりました。

 来年も皆様方との交流が出来ることを願っております。
 良い新年をお迎えください。
 
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一言地蔵(護国寺)

2024年12月30日 | 名所

 一言地蔵尊

 護国寺の長い階段を登り正門をくぐると右側に六地蔵が並んでおります。その六地蔵の前の小道を更に進むと太子堂があり、その横に小さな祠に入った「一言地蔵」が設置されています。

 ここのお地蔵さんは、多くのことは聴かないが「一言だけの願いは聴いてくれる」とのことで、お賽銭を投入してろうそくに火を灯してから願い事をするようです。

 水掛地蔵ともなっていて、お地蔵さんに水を掛けるための水と柄杓は用意してありますが、その横に「お地蔵さまは寒がりです。足元だけに水を掛けてください」と注意書きがしてあります。


 昔から信仰されている「一言地蔵」のお参りに来る人が後を絶たないようです。


 

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懐かしの映画看板

2024年12月29日 | 芸能

 映画「キューポラのある街」

 青梅には懐かしい映画文化が残っております。その一つが映画看板です。昔の映画館は映画のタイトルに合わせた看板を手書きで描いており掲げておりました。

 吉永小百合の「キューポロのある街」、嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」、月形龍之介の「水戸黄門」、片岡千恵蔵の「大菩薩峠」、三船敏郎の「用心棒」など往年のスターたち。

 その他にも「月光仮面」、「赤銅鈴之助」など子供のころに馴染みのあったもの。現代劇の「東京物語」、「新しき土」、「旅路」など・・・。映画ファンにとっては昔の映画を懐かしく思い出します。

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豪徳寺

2024年12月28日 | 名所
 豪徳寺の招き猫

 世田谷区の豪徳寺は「招き猫発祥の地」といわれ、物凄い数の招き猫が並ぶ圧巻の光景を見ることができます。この寺には彦根藩主の井伊家の関係者の墓が沢山設置されております。安政の大獄を起こして桜田門外で水戸浪士に暗殺された井伊直弼大老の墓もあります。

 鷹狩の帰りに通りかかった彦根藩主井伊直孝に対して寺の飼い猫が手招きをしたため、直孝はここで一休みすることにしました。そして寺の住職からお茶の接待を受けている最中に空模様が悪くなり雷雨になってしまったのです。「猫が招いてくれたおかげでずぶ濡れにならずに済んだ。これは縁起がいい」と直孝は喜びました。これが縁でこの寺が井伊家の菩提寺となり、直孝が没すると、直孝の院号「久昌院殿豪徳天英居士」にちなみ寺の名前を「豪徳寺」と改めました。

 豪徳寺は小田急線の駅名となっており、駅前には招き猫の置物が設置されています。招き猫にちなんだ和菓子を販売しているお店もあります。



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「国宝犬山城」を見学

2024年12月27日 | 名所
 国宝犬山城は、室町時代の天文6年(1537年)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守最上階からの眺めはまさに絶景。
 周辺には犬山城下町の古い町並みや、多くの観光施設があります。
 戦国時代には織田信長・豊臣秀吉・徳川家康などが奪い合い、歴史の荒波を生き残った国宝犬山城です。

 日本で国宝に指定されている城は5つあります。犬山城、姫路城、松本城、彦根城、松江城です。犬山城の天守閣は500年ほど前に建設され現存するもので、中に入ると古を感じます。各層に昇る階段がとても急勾配になっており、手すりを利用しないと昇っていけません。天守閣から見える景観はとても素晴らしいものです。木曽川と接する山の上に築城されているので攻めることは困難であっただろう。

 小牧長久手合戦の際には豊臣秀吉は大軍を率いて犬山城に入り、小牧山に陣を張っていた徳川家康と戦いました。江戸時代になり成瀬正成が城主となってからは成瀬家が代々受け継いできました。国宝には昭和10年(1935年)に指定されています。

 東京国際大学の同期生で同じゼミの成瀬智仁君は犬山城の城主成瀬家の末裔に当たると話しておりました。


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神楽坂界隈

2024年12月26日 | 池さんぽ

 神楽坂・毘沙門天

 神楽坂は、大久保通りの神楽坂上から外堀通りの神楽坂下までの早稲田通りの坂道を表しております。

 神楽坂は、全国的にも稀な逆転式一方通行となっており、自動車などの進行方向が午前と午後で逆転する。午前中は「坂上→坂下」(早稲田側から飯田橋側へ)であるが、午後は「坂下→坂上」となります。

 飯田橋駅から神楽坂の坂を登っていくと、ユニークなお店に出会います。
日本でただ一ヵ所のペコちゃん焼き、鳥すきの鳥茶屋、肉まんの五十番、毘沙せんべいなど老舗のお店が多い。

 明治期に尾崎紅葉・泉鏡花などが住み、尾崎紅葉旧居跡は新宿区指定史跡、泉鏡花の旧居跡は新宿区登録史跡になっています。また、坂の周辺には毘沙門天をはじめ、若宮八幡や赤城神社など多くの寺社が散在しています。


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幸崎智行さんと望年懇親会

2024年12月25日 | 友人
 浅草公会堂の前にはスターの広場があります。大衆芸能の振興に貢献した芸能人の功績をたたえ、その業績を後世に伝えるために昭和54年より手形とサインを「スターの広場」に設置したものです。
 令和5年度の手形被顕彰者の三代目林家正楽師匠(紙切り)まで348名となっています。新国劇の島田正吾・辰巳柳太郎、緒形拳のもあります。

 そのスターの広場で幸崎智行さんと待ち合わせをして、浅草公会堂で開催されている「浅草大宴会」公演を観劇しました。大川良太郎主催による大衆演劇の光り輝く9人の星達によるスペシャル舞台です。観客の95%が女性客で大衆演劇の常連客です。前半は殺陣の立ち回りもあるスペクタル芝居です。後半は踊りのステージでカラフルな衣装でダイナミックにダンスをする者や女形の着物姿での踊りは色気をたっぷりと出して観客を魅了させていました。踊りが終わると観客たちがステージに寄り付き万札を扇形にして役者の襟や胸元にピンで挟み込んでいきます。次々に何人もいるので何十万円ものご祝儀となっています。大衆演劇ならではの醍醐味を魅せております。

 終演後、幸崎智行さんと浅草仲見世を通り、浅草寺本堂でお参りをしてから六区の方へ行きました。外国人観光客の多いことは東京を代表する観光地が浅草であると実感できます。

 洋食レストラン「ヨシカミ」に入り、食事をしながら懇談のひとときを過ごしました。やはり不弁会会長の森陽一郎先生の様子が話の中心となりました。二人が共通しているグループ仲間なので盛り上がりました。幸崎智行さんはTAMCのマジック発表会には毎回観覧しています。たくさんの観客を集めることができるTAMCは大会の運営も素晴らしく、クラブの歴史も91年続いていて長いこともあり、メンバーも優秀な人たちが多くいると語っておりました。

 いつも親しくしている幸崎智行さんとの望年会はとても楽しいものでした。

   
スターの広場                  紙切りの林家正楽師匠

  
大衆演劇「浅草大宴会」            洋食レストラン「ヨシカミ」
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珍しい苗字

2024年12月24日 | 文化

 珍しい苗字を解説する犬竹一浩さん

 TAMCのメンバーに犬竹一浩さんがおります。いつも笑顔を絶やさず明るく人に対してとても温厚でありそして知識人であります。
 その犬竹一浩さんから「珍しい苗字」について説明を受けました。全国各地を訪問した時に珍しい名前の人を見つけて苗字の由来を聞くことにしているようです。その一例をあげて解説をしてくれました。

 一一(にのまえはじめ)、二三郎(したながさぶろう)、十(つなし)、九十(いちぢくつなし)、十花子(よこだてはなこ)、祖母井(うばがい)、い(かながしら)、小鳥遊(たかなし)、祝幸寿(ほうりゆきよし)、四月一日(わたぬき)、八月一日(ほづみ)、月見里(やまなし)、薬袋(みない)、九十九(つくも)、五月十日(つゆり)、栗花落(つゆり)、計良(けら)、一二三四五六(ひふみしごろく)、一二(ひふ、いちに、いちじ)、二三(ふたみ)、四十九(しじゅうく)、四十九院(つるしいん)等々。
 
 日本には珍しい苗字が沢山あることを知りました。

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明治8年開局の日高郵便局

2024年12月23日 | 歴史
 明治8年開局の「日高郵便局」

 武蔵高萩の犬竹一浩さん(TAMCのメンバー)の家を訪問しました。 広大な土地に蔵造りの土蔵もあり、樹齢400年の欅の大木もある由緒ある犬竹家であります。

 通りに面したところに「日高郵便局」があったとのこと。
 今は営業をしていませんが、明治8年建設されたものであるという。郵便制度がスタートしたのが明治5年であるので、かなり早い時期に開局した郵便局であります。当時は高萩村であったため、「高萩郵便局」として営業しており、昭和30年代まで開局していたという。
 高萩村が日高市と合併してからは、名称を「日高郵便局」として現在まで残してあります。このことは最近埼玉新聞でも紹介されていました。

 武蔵高萩には、清水の次郎長、山県有朋、山岡鉄舟も滞在したようである。犬竹家にも滞在したというから歴史のある家柄であります。

 武蔵高萩駅は天皇陛下が利用したということで東京駅と同格にあるという。当時の写真と満開の桜に囲まれた駅舎の絵が構内に飾ってありました。とても品格のある駅に見えてきました。
 犬竹一浩さんのお陰で、新たな土地と歴史を垣間見ることが出来ました。


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お楽しみ会マジック出演

2024年12月22日 | TAMC
 池袋本町一丁目町会「きずなサロン」お楽しみ会でTAMCの牧原俊幸さんと一緒にマジック出演をしてきました。会場は池袋本町第二区民集会室です。

 牧原俊幸さんは、フラワートレイ、口から出るテープ、ペーパーハットサンタの帽子、メキシカンロープ、ブルーミングローズリング、新聞からシルクそしてボールなど面白いものが次々に披露されました。後半はおしゃべりマジックとして、ウサギとアヒル 昭和・平成・令和 魔法の手、おじいさんの帽子、フライングサンタカード、フライングシルクとクリスマスリースなど観客を引き付けておりました。

 自分は、オリーブの首飾りの曲に乗せてサムチップ演技、宝くじが100万円、空の袋から花かご出現、トランプ3枚カード、ロープとシルクの神田祭を演じてから、観客と一緒に楽しむものとして、何て読む?(昭和、平成、令和?)1~9の好きな場所から移動していくと必ず8に集まる、選んだのはあなたですクイズ、電卓を使用した逆さま予言などを行いました。

 観客は25名で、なかには豊島区役所の高齢者福祉課の職員や豊島区社会福祉協議会の方も観覧しており、皆さんとても楽しんでいました。

  
フラワー出しの演技             新聞紙からシルクが出る演技

  
電卓を活用した逆さま予言          空袋から花かごが出てきます

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果肉が赤いりんご

2024年12月21日 | 日記
 「なかののきらめき」という名前のりんごを頂きました。

 皮が黄色の玉林と果肉の赤いいろどりを交配して誕生したりんごです。
 2018年(平成30年)に新品種として登録されました。
 長野県中野市の生産者・吉家一雄さんが育成された品種で、最大の特徴は果肉が赤いことです。

 香りが強くほどよく果汁があり、サクランボのようなさわやかな酸味があります。甘みもじゅうぶん感じられ酸味と調和して濃厚な味わいを堪能しました。

 いろいろの果物の新品種が出てきておりますが、果肉の赤いりんごは初めて食することが出来ました。とても美味しかったです。


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雑司ヶ谷霊園を散策

2024年12月20日 | 池さんぽ
 夏目漱石の墓(雑司ヶ谷霊園)

 東京都立雑司ヶ谷霊園に行きました。都心部の霊園ではありますが広い土地のゆとりある設計で、多くの方に親しまれている。

 池袋駅からの徒歩圏で霊園内を通行する方も多く、園内に入ると緑が多く静かに感じられますが、目線を上に向け見渡すと池袋サンシャイン60ビルや豊島区役所新庁舎などの高層ビルが視界に入り、都心にある希少墓地であることを再確認できます。

 夏目漱石の墓は、安楽椅子を模している。とても立派な大きな墓でいつも花が絶えないです。
 その他著名人の墓も多くあり、グループで墓めぐりをしている人たちも多くおります。
 泉鏡花、いずみたく、大川橋蔵、金田一京助、小泉八雲、サトウハチロー、島村抱月、ジョン万次郎、竹久夢二、東郷青児、永井荷風等の墓があります。

 墓地の中央にある案内図には著名人の墓の位置が明記されております。


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うなぎの「伊豆榮本店」

2024年12月19日 | 飲食店
 上野不忍池端にある伊豆榮本店は老舗のうなぎ料理店です。
 江戸時代中期に開店した上野池の端本店は昭和59年にビル建物として改築して面目一新しています。

 うなぎ料理については鰻そのもの。そしてタレ、ごはんのよしあしも大事です。また、「裂き」「串」「焼き」が重大三要素といえ、その三要素の中でもとくに決定的なのが「焼き」です。俗に「裂き三年、串八年、焼き一生」ということばがあるほどで、微妙な味の差が「焼き」一つで出てくるといってもいいほど難しいとされています。

 伊豆榮の「焼き」の技術は、二百数十年の伝統をふまえた上に、代々、名人芸ともいえる腕をもった職人に恵まれ、今日まで“のれん”に輝きを付加しています。炭の具合と、火の通し方の間(マ)と、それに、煙のまわし方と、そうした秘伝的技法をカン一つで見事にこなし、あのふっくらと香ばしい蒲焼ができ上がるという。

 最近うなぎ屋には外国人旅行者が多く見受けます。寿司、天ぷらと並び称される日本料理に代表されるうなぎ料理です。


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浅草の雷門

2024年12月18日 | 名所
 浅草の雷門

 浅草寺の仲見世通りの入り口に「雷門」があります。松下電器工業から進呈された大きな提灯が名物としてぶら下がっている。
 この提灯には、表に「雷門」、裏には「風神雷神」と明記されている。雷門の両脇には、風神像と雷神像が建立されています。

 浅草を見物する人は、まず雷門で記念写真を撮り、提灯の下を通って仲見世を散策して浅草観音様に詣でる。浅草は江戸時代を彷彿とさせる雰囲気があります。本当の日本を感じるときでもある。

 観音様から奥山を抜けて、六区の歓楽街へと進む。多くの芸人を輩出した劇場や演芸場が並んでいる。昭和時代には、この六区の通りは多くの人で賑わっていた。小学生の時に伯母に連れられて大江美智子一座を観劇したことがありました。女剣劇もあれば、早変りにはビックリしたものです。

 榎本健一、田谷力三、大宮デンスケ、渥美清、ビートたけし、三波伸介、由利徹、八波むと志、関敬六などは浅草で育った芸人である。
 やはり浅草は芸人の故郷であります。

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南国酒家

2024年12月17日 | 飲食店

 南国酒家ランチ

 原宿駅そばに美味しい中国料理レストラン「南国酒家」があります。ランチをするためにお店に入りました。1961年創業の原宿本店は、本館と迎賓館があります。

 四季折々の旬の食材を使用した「日本(にっぽん)の、美味しい中国料理」をテーマに広東料理をベースにした伝統的な味に、オリジナリティ溢れる中華料理を提供してくれます。

 五目あんかけ焼きそばも人気がありますが、この日は南国酒家ランチを注文しました。バラエティに富んだ九品が出てきました。とても美味しくいただきました。スタッフの人たちの対応もとても良く気持ちよく過ごすことが出来ました。

 原宿駅より表参道沿いにアクセスの良さと、豊富な席数で、様々なニーズに合わせて利用できるお店です。

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