つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

ワールドカップトロフィー

2009年08月28日 | スポーツ
                  ワールドカップトロフィー

日本サッカーミュージアムの最後のゾーン10には、FIFA(国際サッカー連盟)に特別依頼して譲り受けたワールドカップトロフィーの貴重なレプリカが展示されていた。

世界各国のサッカー選手が、このトロフィーを手に入れるために日夜練習に励んでいる。そして手にすることのできるのは世界一となったチームだけである。
日本のチームはいつのワールドカップで手にすることができるだろうか。

1Fにはヴァーチャルスタジアムがある。
世界初の大型映像装置メガビジョンを駆使した迫力満点の映像が満載。
日本代表の熱い戦いとスタジアムの臨場感が興奮の渦に巻き込んでくれる。
ワールドカップのサッカー競技場の全体がスクリーンに映し出されている。
全ての選手の動きが分かり、自分が試合場にいて観戦をしている雰囲気を味わえる。

(8月28日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェアプレー賞トロフィー

2009年08月27日 | スポーツ
                 FIFAフェアプレー賞トロフィー

日本サッカーミュージアムのゾーン5にはトロフィーがたくさん並んでいる。
日本代表は1968年のメキシコオリンピックで栄誉ある銅メダルを獲得した。
そのとき、釜本邦茂選手が得点王に輝いた。
その銅メダル以外に日本代表が初受賞した賞が、FIFAフェアプレー賞
初めて創設されたフェアプレー賞を日本が受賞。
また、ユネスコからもフェアプレー賞が贈呈された。

その多くのフェアプレー賞のトロフィーの前で凌也君は考えたようだ。
練習を重ねて選手となり一生懸命にフェアプレーで競技に臨んでいくと誓った。

その他にもメルボルンオリンピックからの日本代表歴代ユニフォームやJリーグの優勝旗、トロフィー等が展示してある。

(8月27日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本サッカーミュージアム

2009年08月26日 | スポーツ
              日本代表イレブンの12人目のメンバーの凌也くん

水道歴史館のすぐ近くに日本サッカーミュージアム(本郷3丁目)がある。
その前の通りはサッカー通りとして呼ばれている。
凌也君は少年サッカーチームに所属して練習に励んでいる。
サッカーに興味があるので、凌也君と入館した。
入口でJリーグスタンプラリーの台紙を渡される。ミュージアムの館内のところどころにJリーグ36のクラブのスタンプが置いてあり、全部集めると景品がもらえるというもの。
子どもたちにとっては、魅力的なスタンプラリーゲームで集め回っていた。

階段を下りて、ゾーン1のところには、日本代表選手のイレブンが円陣をつくって囲んでいるモニュメントがある。一箇所一人分空いてあるところがあり、そこに入って記念写真を撮ろうとの趣向である。

ミュージアムには、日本サッカーの歴史と貴重な展示物が豊富に飾ってある。
「2002FIFAワールドカップ」の記録からはじまり、特殊な映像装置を使った一流選手のテクニック解説、日本代表のロッカールームの再現、そして日本サッカーの激闘の歴史を振り返る展示、また、世界のトップ10入りを目指して戦う各年代の日本代表を紹介している。

(8月26日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神田上水石樋

2009年08月25日 | 歴史
                 神田上水石樋(本郷給水所公苑)

水道歴史館の裏手には、本郷給水所公苑がある。
そこには、神田上水の石樋が復元して展示してある。

神田上水石樋(かんだじょうすいせきひ)
神田上水は、井の頭池の湧水を水源とする神田川に、善福寺川、妙正寺川の水路を合わせ、目白台下の大洗堰に至り、水戸藩邸を通って神田川を懸樋で渡し、神田、日本橋方面の飲み水などに利用していた江戸時代から明治時代はじめの水道である。

上水道が無かった時には、水を売りに来た商売人がいたようだ。
江戸の物売り声の第一人者である宮田章司師匠に聞いたことがある。
それくらい水は貴重な存在であった。

神田上水について、小学校の時にこんな話を聞いたことがある。
三代徳川将軍家光公は郊外に鷹狩りに出かけた。鷹を三羽獲ったことから「三鷹」の名が残った。家光公が休んだところは今では御殿山として井の頭公園の中に存在する。お茶を出されてあまりにも美味しいものだから「どこの水を使っている?」と聞くと「この水は井の頭池の湧き水です」との返事だった。家光公は「このような美味しい水を江戸の市民にも飲ませるように」と命じて、井の頭池の湧水を神田上水としてひいて江戸の街中まで完成させた。その終着地は、今の御茶ノ水である。

(8月25日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京都水道歴史館

2009年08月23日 | 歴史
                 上水井戸(東京都水道歴史館)

夏休みの一日、孫の凌也くんのリクエストで本郷にある東京都水道歴史館(東京都水道局)へ行った。
江戸・東京のくらしを支える水の道。
1階展示室は近現代水道。2階展示室は江戸上水。3階は特別企画展「昭和39年東京大渇水・サバクからオアシスへ」。屋外「本郷給水所公苑・神田上水の石桶」に分かれて展示してある。
受付でわくわく水の探検スタンプラリーで、奥多摩水と緑のふれあい館に続いての入館なので、プチアートボックスを受け取り、ガイド音声の説明を受けて見学をする。

上水井戸は、昭和57年(1982年)、千代田区内幸町で発掘されたもので、原型をよくとどめている。
様々な大きさや形の木樋が継ぎ手により連結され、上水井戸へと給水されていた。木樋には、角形、丸形、三角形があり、角形が最も広く用いられていたようだ。

(8月23日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銭形平次の碑

2009年08月22日 | 日記
                   銭形平次の碑(神田明神境内)

神田明神(神田神社)へ行くと境内の東側の銭形平次の碑を必ず訪れることにしている。
東側は低い土地が続いており、明神下に住んでいた平次親分の時代がよみがえる。
映画では長谷川一夫、テレビでは大川橋蔵、歌と舞台では舟木一夫が平次親分を演じていた。
『銭形平次捕物控』(ぜにがたへいじとりものひかえ)は、野村胡堂による小説、またはこの小説を基にした映画、テレビ時代劇、舞台作品。
なお、映画、テレビ時代劇、舞台作品ではタイトルを『銭形平次』とするものもある。

神田明神下に住む岡っ引の平次(通称:銭形平次)が、子分の八五郎(通称:ガラッ八)と共に卓越した推理力と寛永通宝による「投げ銭」を駆使し、事件を鮮やかに解決していく。

平次は架空の人物であるが、設定から神田明神境内に銭形平次の碑が建立されている。

(8月22日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時上旅人氏の公演

2009年08月19日 | 芸能
                   時上旅人氏の公演「芸農五輪の書」

新宿2丁目のタイニイアリスにて「第2回モンゴル緑の大草原を守ろう2009」
帰国報告会チャリティーライブが開催された。

第一部は、武蔵コンサートVol.7 一人ミュージカル「芸農五輪の書」。
時上旅人氏(本名・迫田孝二)が、宮本武蔵が人生哲学を記した「独行動」を能風にアレンジして剣舞を謡う。
五輪の書から編み出して、地の巻、水の巻、火の巻、風の巻、空の巻を取り入れた楽器の演奏を披露する。
和太鼓の撥、横笛、ケーナ、ギター、ヌンチャクなどを扱う。
時上旅人氏は、40分間を一人で汗びっしょりかきながらミュージカルを演じていた。
一人芝居で思い出すのは、島田正吾のひとり芝居、緒形拳の一人芝居がある。
一人で舞台を構成させて、あたかも相手がいるように演ずるのはとても大変であった。

第二部は、モンゴル報告会「草原の子どもたちとゴミ拾い」
大道芸能家で山形県天童市の出身である源吾朗氏によるモンゴルでの報告会があった。
モンゴルにおける孤児院の子どもたちとの交流や草原でのゴミ拾いエコツアーの様子を話と紙芝居で紹介していた。
源吾朗氏は92年からモンゴルには数回訪れている。
「見渡すばかりの大草原。広大な自然があり、その自然をこよなく愛する素朴な人々に魅せられた」と話す。
06年にモンゴルを訪れた時、急速な経済発展の裏で街や草原にゴミが増えたのに衝撃を受けた。
08年、ゴミ問題を解決しようと仲間を募りモンゴルを訪れ、芸や音楽で交流しながら、孤児院の子供たちと草原でゴミ拾いをした。
あまり日本では報道のされないモンゴルの最新情報を聞くことが出来た良い機会であった。

(8月19日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横浜のトリックアート

2009年08月18日 | 日記
                     横浜像の鼻公園のトリックアートな

横浜は、開港150周年記念イベントで賑わっている。
赤レンガ倉庫を中心に数多くの会場でイベントを開催している。

象の鼻公園では、トリックアートが描かれていた。
大きさはプールほどの広さがある。
近くによっても何が描かれているのかよく分からない。
足の形をしたところに立って見てみると、良く分かった。
港に停泊している帆船を上空から見たもの。
鳥が空を飛んでいる状況から見ている俯瞰図のようだ。

横や反対からはよく分からなかったアートも足型のところから見ると立派によく描かれていることが分かる。まさにトリックアートでした。

(8月18日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

谷中の五重塔跡

2009年08月16日 | 名所
                      谷中の天王寺五重塔跡

谷中の天王寺は、道灌山の関小次郎長耀に由来する古刹である。
寛永寺の開祖、天海が死んだ正保元年(1644)に最初の五重塔は完成した。
この塔は明和9年(1771)目黒行人坂の火事で焼失し、19年後の、寛政3年(1791)に近江国高島郡の棟梁八田清兵衛ら48人によって再建された五重塔は幸田露伴の「五重塔」のモデルとしても知られている。
総ケヤキ造りで高さ11丈2尺8寸(34.18メートル)は関東で一番高い塔であった。
明治41年(1908)6月東京市に寄贈され、震災、戦災にも遭遇せず、谷中のランドマークになっていたが、昭和32年7月6日放火により焼失した。
現存する方三尺の中心礎石と四本柱礎石などすべて花崗岩である。
東京都指定史跡となっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長谷川一夫の墓

2009年08月15日 | 日記
               二枚目俳優と称された長谷川一夫の墓(谷中墓地)

谷中墓地の中央には、幸田露伴の小説「五重塔」のモデルとなった谷中の五重塔跡が残っている。

その反対側に映画で活躍した二枚目俳優の長谷川一夫の墓がある。
何時行ってもこの墓所には花が飾られている。

長谷川一夫は、京都伏見の芝居小屋の子として生まれる。
1927年 松竹に入社。芸名を林長二郎と改め『稚児の剣法』で映画デビューする。抜群の美貌と若手時代劇スターを渇望していた松竹の社をあげての宣伝とが奏功し、たちまち、日本を代表するスターになる。
特に、自ら女形出身の衣笠貞之助監督に重用され、特に『雪之丞変化』の演技は、全国民を魅了した。
多数の映画に出演。二枚目の風貌で圧倒的な人気を得た。

1937年に東宝に移る約束をすると松竹が雇った暴力団員に顔を切りつけられ、再起不能といわれたが、芸名を本名の「長谷川一夫」に戻し、山本嘉次郎監督の『藤十郎の恋』で入江たか子と共演し、見事に復活する。
『鶴八鶴次郎』など山田五十鈴との「黄金コンビ」でもヒットを飛ばす。
その後、李香蘭と共演した『白蘭の歌』『支那の夜』など現代劇にも主演しヒットを続けた。

戦後は東宝、新東宝を経て1950年、大映に重役として迎えられ、衣笠貞之助監督の『地獄門』でカンヌ国際映画祭グランプリを受け、海外でも評価を高めた。
1963年に映画界を引退するまで大映のトップスターであり続けた。
時代劇では銭形平次などが当たり役だった。
主演映画が301本と、他に類を見ない本数である。

一方、1955年からは、東宝歌舞伎の舞台に立ち、華やかな「歌舞伎レビュー」で魅了した。
最晩年には、宝塚歌劇の『ベルサイユのばら』の演技指導も手がけた。
テレビにも高額のギャラで迎えられ、1964年には大河ドラマ『赤穂浪士』の大石内蔵助役などの当たり役を得た。

酒が体質的に飲めず、大の甘党であったこともあってか、晩年は糖尿病などの持病に悩まされ、1984年、2月に繁夫人との死別後、後を追うように同年4月6日逝去。享年76。
没後、国民栄誉賞を受賞。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

澤田正二郎の墓

2009年08月14日 | 日記
               新国劇の創設者・澤田正二郎の墓(谷中墓地)

谷中の墓地を通った。
中央通りは櫻の木の葉が覆いかぶさりトンネルとなっていた。
春の開花時期は花見客で多くの人が集まってくる。

新国劇の創設者である澤田正二郎の墓に参拝した。
澤田正二郎は、1910年に早稲田大学在学中に、坪内逍遥代表の文芸協会演劇研究所の第2期生として入所、1912年に舞台デビューを経て、島村抱月が率いる「芸術座」に入団した。
1917年に同劇団を脱退後、「新国劇」を結成した。
通称「澤正」と呼ばれ、「月形半平太」「国定忠治」など高い評価を得た。
1929年、中耳炎により36歳で死去。
「何処かで 囃子の声す 耳の患」この句碑は新橋演舞場に建立されている。
死後は辰巳柳太郎、島田正吾が座長として後を継いだ。
1987年、新国劇は70年の歴史の幕を下ろした。

(8月14日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

技と技の攻防 躰道世界大会

2009年08月13日 | 躰道
       変幻自在な攻防をみせる実戦競技決勝戦(中野選手と金子選手)

(中国新聞より)
4年に1度開かれる沖縄発祥の武道「躰道(たいどう)」の世界選手権大会が9日、広島市東区スポーツセンターで開かれた。
日本、オーストラリアやフランスなど8カ国の122人が技を競い合った。
躰道は琉球王国時代の武術を基に、自在な動きで突きやけりを繰り出す。
型を競う「法形」、組み合う「実戦」、団体戦の「展開」の3部門で攻防を繰り広げた。
広島大会を記念し、地元の書道家北谷翠峰さん(53)が長さ1・8メートル、重さ20キロの熊野筆で、10メートル四方の絹布に「躰」と揮毫(きごう)した。

葛西隆さんからの報告より)
広島での世界躰道大会、噂どおりの蒸し暑さの中、お陰様で滞りなく無事に終えることができました。
北村幸三会長、北里大学OBパワー、また、本部からの委員等それぞれの立場を理解され、協力の下、成功に導き実りある大会でした。
親善大会、世界大会、平和記念公園での献花等内容ある数日になりました。
祝嶺正献最高師範の創始された「躰道」が正当に正確に伝承されていることを知る機会ともなりました。
世界大会では競技終了間際に停電というハプニングがありましたが、とてもよい大会でした。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三遊亭圓朝の法要

2009年08月12日 | 芸能
                 三遊亭圓朝の法要(谷中全生庵)

三遊亭圓朝の命日は8月11日である。
命日に近い日曜日に落語協会主催の圓朝まつりが、菩提寺である谷中全生庵で毎年開催される。

本堂では、圓朝の法要が落語関係者と一般の人も参列して執り行われた。
落語関係者は皆浴衣姿である。
鈴々舎馬風会長、三遊亭小金馬師匠ら落語協会の重鎮たちが焼香をする。

法要に続いて、扇子お焚き上げの儀式が本堂前で行われた。
落語家が高座に上がる時に噺の道具に使用する扇子。
お役ご免ととなった扇子を供養するお焚き上げ儀式が、多くの落語ファンが見守る中行われた。

落語芸術協会の桂歌丸会長のゲスト挨拶により、圓朝まつりはスタートした。
公式グッズ「福扇(ふくおうぎ)」(2,000円)を求める人たちが、本堂の裏手にある墓所の中まで続く長蛇の列となっていた。

境内は、落語家たちが企画した面白い模擬店が30以上も並んでファンサービスに努めていた。
人気のある落語家の前には、サインを求める人たちが長い列をつくっていた。
サインをする落語家の顔からは汗が吹き出ていた。
落語家たちと落語ファンが一体となった圓朝まつりだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

少年野球に励む大樹くん

2009年08月09日 | スポーツ
                   野球の大会で張り切る大樹くん

大樹君(小5年)は、地元の少年野球チームに所属して練習に励んでいる。
好きな野球なので練習も楽しいと話している。
今では長かった髪の毛もばっさりとカットしてスポーツ刈りとなっている。
顔も日焼けして真っ黒な健康色である。
運動を良くするのでお腹も空くらしく、食事の量も大人以上に食べている。

所属チームは、板橋区の梶山レッドスターズ
指導者もたくさんおり、内容も充実している。
毎回の試合戦績などはホームページに掲載している。
ホームページの編集もしっかりしていてスキルの高い人が担当をしている。
所属メンバーの素晴らしいスナップ写真や試合の時のリアルな写真が組み込まれている。

大樹君は大人になったらプロ野球選手になりたいと夢を語っている。
プロ野球選手名鑑を手にしながらテレビで野球中継を見ている。
子どもの時からスポーツを試みていると大人になったときに役立つことがきっとある。
元気に野球の練習を継続していってほしい。

(8月9日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マジックの練習

2009年08月08日 | TAMC
マジックの練習

秋に開催されるマジック発表会の作品の打合せと練習に参加した。
白鳥勝彦さんのイリュージョンマジック「荷造箱変化鑑(にづくりばこへんげかがみ)」の指導を受けた。
箱の上に立っている男性が、一瞬のうちに女性に入れ替わってしまうという摩訶不思議なマジックである。

今年のTAMCの「マジック発表会」は、11月15日(日)に虎ノ門のニッショーホールにて開催される。
観覧希望者は、下記宛に連絡して下さい。
池内和彦 携帯TEL 090-1541-1573 メール ikeuchi@cap.ocn.ne.jp
800名収容の会場ですが、毎回満席となっております。

(8月8日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする