つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

日本国道路元標(日本橋)

2024年11月22日 | 名所
    日本国道路元標(日本橋)

 日本橋は、慶長8年(1603年)に初めて架けられ、その翌年、いわゆる五街道の制が確立されてからは日本の中心、江戸繁栄の象徴となりました。

 明治に入ってからは、この橋の中央が国内諸街道の起点と定められ、今も橋の中央に日本国道路元標が埋め込まれています。

 しかし、今では橋の上を高速道路が走り、日本を代表する橋としては残念な風景となっています。

 現在の橋は、明治44年に開通したアーチ型石橋です。橋の柱には麒麟の翼像が設置されています。

 また、江戸時代、御禁制や公示の掲示をした高札場が南詰にあって、この種の場としては最も有名でした。高札場跡は、高札をかたどった記念碑が建っています。


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芝大門 更科布屋

2024年11月21日 | 飲食店
 芝大門更科布屋に入り、三色そばを堪能しました。

 このお店は、寛政三年(1791年)創業ということで230年の歴史のある蕎麦屋です。店の角には石碑が建っております。店内のすべての椅子には創業者の家紋章が付いているのも老舗のこだわりでしょうか。

 更科布屋は、そば打ち上手として知られた信州の反物商・布屋萬吉が江戸行商の折、領主・保科兵部少輔の助言でそば屋に転向して、東日本橋の薬研堀に「信州更科蕎麦処」を開店、芝大門では大正二年より営業。徳川家の菩提所である増上寺の門前は江戸有数の盛り場であり、芝大神宮の境内は「め組の喧嘩」の舞台でもあります。この地で創業230余年を数え当代で7代目となります。(更科布屋HP)

 (店主の独り言) 季節を感じる要因には「気温」「風景」「植物」「虫」など目で見て、耳で聞いて、肌で感じてと様々あるが、何と言っても食べ物によって季節を感じるのが最も多くの人が自然に体験している事かと思います。和食は世界無形文化遺産としてユネスコに登録されましたが、その和食の特徴は「素材主義」で素材が本来持つ持ち味を活かす事=旬にこだわる事で四季を表現すると言われています。現在、そんな和食の原点である江戸生まれの食文化が広く世界から評価されたといっても良いのではないかと思います。

 江戸の食文化が、今も伝承されていることは喜ばしいことで、特に日本そばを美味しいと感じております。
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著名人の墓巡り

2024年11月20日 | 池さんぽ
 豊島区駒込の染井霊園と隣接する寺院に眠る著名人の墓巡りをしました。
 
 染井霊園は、明治7年東京府が開設しております。幕末から明治に活躍した大名や活動家、学者らが多く眠るところです。染井霊園の事務所で霊園の案内図を貰います。60名の著名人の墓の場所が明示されています。
 
 高村光太郎は、妻・智恵子の死後、詩集「智恵子抄」で国民的人気を博しました。父・光雲は木彫の第一人者で上野公園の西郷隆盛像の作者。
 小説「浮雲」で言文一致の先導者・二葉亭四迷(筆名は父親から「くたばってしまえ」と怒鳴られたことに由来。
 東京美術学校(現東京藝術大学)設立の起動者で日本美術の先駆者・岡倉天心。俳句雑誌「馬酔木(あしび)」を主宰した・水原秋桜子。政治家の幣原喜重郎、若槻礼次郎などの墓所があります。
 
 隣接する慈眼寺には、芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓があります。さらに隣の本妙寺には、江戸町奉行を務めた遠山金四郎(桜吹雪の金さん)、剣豪・千葉周作、囲碁の名人位である本因坊歴代の墓や明暦の大火(振袖火事)の供養塔などもあります。
 
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地獄門の「考える人」

2024年11月19日 | 芸術
 地獄の門の「考える人」

 上野公園内の国立西洋美術館の庭には、ロダンの「考える人」、「カレーの市民」などが設置されている。

 ここの庭は無料なのでいつでも誰でもが入れるので、ちょっと寄ってみたらいいですよ。

 「考える人」は、地獄の門の上から下を見ている状況である。単体の写真が多く見られて有名であるが、地獄の門の一部であると分かる。

 「考える人」は、オーギュスト・ロダンが制作したブロンズ像である。
 思索にふける人物を描写している。当初は“Le Poète”(詩人)と名づけられていたものである。

 ロダンは装飾美術博物館の門を、ダンテの『神曲』に着想を得て制作し、それを『地獄の門』と名づけたが、この『考える人』はその門の頂上に置かれる一部分にあたり、地獄の門の上で熟考するダンテを表そうとしたものであると言う説やロダン本人を表している説などがある。

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柴又帝釈天

2024年11月18日 | 名所

 帝釈堂

 柴又駅からは柴又帝釈天への参道が200mほどあり、今では寅さんの映画の影響もなく通る人は少なく先まで見通せるくらいでした。

 日光の陽明門を模したと言われる二天門は、二階建ての楼門で入母屋造り瓦葺です。二天門を潜り境内に入り正面には帝釈堂があります。帝釈天題経寺の象徴的な建物で、帝釈天板本尊を祀る最大のお堂です。

 帝釈堂の前には「瑞龍の松」(東京都指定文化財)があります。根元に清水が湧いていてここに庵を結ぶようになり帝釈天創建の聖地となっています。

 とても見事な枝ぶりと緑葉の立派さにはビックリしました。
 
 大鐘楼は、毎日、朝6時、正午、夕方6時に鐘が撞かれ、平和に祈りを込めた鐘の音が柴又の町に時を伝えております。

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マジック教室(11月その2)

2024年11月17日 | マジック
 11月2回目のマジック教室は9名が参加しました。

 案内連絡として、12月7日に開催されるマジック教室には、特別ゲストに講師として牧原俊幸氏を迎えて開催することのお知らせがありました。マジック演技披露とマジック教室を担当してもらいます。

 今回は「マジックの演じ方」を研修しました。
 マジックを演ずるときにお客が相手となるときには、ゆっくりと落ち着いて行うことが重要です。演技を早くして進行していくとお客がついてこれないことがあります。お客の状況を見ながらマジックを演じていくと相手側もその進行に合わせられるのでストーリーが術者と一緒に進んでいくことができます。最後に結果が出た時の「不思議さ、驚き」などが表出されます。

 術者はマジックの結論を知っているので、早くゴールをしようと進行しがちですが、お客対応を意識してやると話しながらゆっくりと演じることができます。実例として「27枚カード」、「ピラミッドの謎」、「必ず8に到達」、「残るカードを予言」について実際に演じ方を学んでいきました。
 
 ゆっくりと話しながら進めていくことの意義を理解するとマジックの楽しさが高まっていきます。

  
ピラミッドの謎                   残るカードを予言
 
客が選んだカードを当てる「27枚カード」
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ぐるっと一回り

2024年11月16日 | 日記

 橋本駅

 首都圏をJRでぐるっと一回りしてきました。
 池袋から湘南新宿ライナーで神奈川県の茅ヶ崎まで乗車。そこで相模線に乗り換えます。寒川、厚木、海老名などを通って橋本まで行きます。車窓からは大きな工場が何か所も見えます。穏やかな田園風景もありました。横浜線で八王子へ行くまでは、ニュータウンなどが見えて町の様子が変わって見えます。

 八王子からは八高線に乗り換え、拝島を通ると米軍横田基地の脇を通って高麗川まで行き、川越線に入ると武蔵高萩ではTAMCのメンバーの犬竹一浩さんの屋敷にある大きなケヤキが見えます。的場では東京国際大学第二キャンパスの横を通ります。川越で乗り換え南古谷の鉄橋の下にはゴルフ場でプレーをしているグループいました。新駅の西大宮はスポーツで多くの卒業生を輩出している埼玉栄高校の最寄り駅です。

 大宮から埼京線で池袋まで帰ってきました。ぐるっと一回り電車の旅でした。

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渋谷駅前の忠犬ハチ公銅像

2024年11月15日 | 名所
渋谷駅前の忠犬ハチ公銅像

    渋谷駅は一日に320万人が利用するターミナル駅で、新宿駅、池袋駅に次いで3番目の乗降客で賑わっています。若者が多く集まり活気ある街です。駅前の「忠犬ハチ公の銅像」前でよく人と待ち合わせをする場所となっています。

 渋谷の駅前の銅像で知らない人はいない忠犬ハチ公は大正12年秋田県大館市で生まれました。その頃東京帝国大学(現東京大学)農学部の上野英三郎教授が秋田犬の子犬を飼いたいと思って探していました。その話が知り合いから知り合いへと伝わり、大正13年に子犬が博士のもとに届けられました。博士はこの子犬に「ハチ」という名前を付け、とても可愛いがりました。

 上野博士は渋谷区松濤町に住んでおり、渋谷駅まで歩いてそこから本郷の農学部の試験場なり駒場のキャンパスなりに電車で通勤していました。ハチは、渋谷駅まで一緒に付いていき、博士が帰るころの時刻になると、渋谷駅まで迎えに行くようになっていました。

 ところが上野博士は大正14年5月21日に大学校内で急逝。ハチ公と博士のわずか17ヶ月の付き合いは終わりました。しかしそれ以降、そのハチ公がちょうど上野博士が帰宅していたくらいの時間帯にまた渋谷駅に来て誰かを待っている風な様子がしばしば目撃されました。

 これを見た人たちは「可哀想に。ご主人が亡くなっても、ちゃんとお迎えに来てるんだ、忠義な犬だ」ということで話題となり、昭和7年には新聞にまで載り、昭和11年には小学校の修身の教科書に掲載され、昭和9年4月21日には、銅像まで建ってしまいました。銅像を制作したのは帝展審査委員の安藤照氏です。この銅像の除幕式にはハチ公も出席しています。

 そしてハチ公はこの翌年、亡くなりました。享年11歳。毛皮は剥製にされて上野の国立科学博物館に保存され、遺骨は青山墓地の上野博士の墓のそばに葬られました。

 アメリカの俳優であるリチャードギア主演の「HACHI」は、この忠犬ハチ公をリメークした映画であります。日本でも映画やドラマで多く披露されています。

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とげぬき地蔵縁日

2024年11月14日 | 豊島区
 とげぬき地蔵の「洗い観音」には多くの人が並んでおります(高岩寺境内)

 巣鴨のとげぬき地蔵尊には毎月4の日(4日、14日、24日)の縁日には、多く人が来拝しにきます。
 自分の不調な体の部分を観音様の体を洗うことにより直そうとする願をかけに来ます。

 高岩寺に通じる商店街通りにはたくさんの露店が出て賑わいをみせております。飲食店にも長い行列ができます。

 カレーうどんの古奈屋、食事処のときわ食堂、うなぎ屋などは人気があるようです。衣料品店は、老人用の安い商品を揃えており賑わっていました。

 縁日にはメディア関係のクルーもよく来ています。話題性のあるお店やおばあちゃんたちを取材しております。80歳の元気なおばあちゃんがマジックを演じて取材を受けていたこともありました。
 元気なおばあちゃんたちがたくさん集まる巣鴨のとげぬき地蔵尊です。



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漱石山房記念館

2024年11月13日 | 名所

 漱石山房記念館(新宿区早稲田南町)

 夏目漱石が晩年の九年間を過ごした早稲田南町の旧居は「漱石山房」と呼ばれ、今は「新宿区立・漱石山房記念館」として、漱石に関する詳細な資料を展示してあります。館内の展示順路標識は「吾輩は猫である」から猫が案内しております。 
 

 展示物の資料の中には、執筆原稿の実物や出版本などの他、幅広い交流人物についての説明があります。漱石の実寸大の模型のところは撮影ができます。
 

 漱石山房記念館は、新宿区が建設したものです。建物の前の道はきれいに整備されており、周りは珍しい植物が植えられております。裏手には漱石公園となっており落ち着いた雰囲気が醸し出されていました。

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夏目漱石生誕地

2024年11月12日 | 文化

 夏目漱石生誕地(新宿区喜久井町)

 夏目漱石は、慶應3年(1867年)新宿区喜久井町で生まれました。

 裕福な家庭で父親は前を通る坂道を夏目坂と付けました。
 17歳のときに正岡子規と出会い文学的影響を受け、23歳で東京帝国大学英文科へ進み、卒業後は英語教師となり、英国留学後、同大学の講師となっております。
 執筆作品には「吾輩は猫である」が評判となり、作家としての道を歩みはじめ「坊ちゃん」「三四郎」「それから」などがあります。

 その漱石の生誕地は、今は定食食堂となっていて、店の前に生誕碑と漱石の句碑があり、脇には説明書が建っていました。


 その生誕地から10分ほどのところに夏目漱石がその生涯を閉じた場所には、漱石山房記念館があります。

 

 

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鈴波「東京ミッドタウン店」

2024年11月11日 | 飲食店
 鈴波の銀ダラ西京焼き

 六本木のミッドタウン内に「鈴波」があります。
 守口漬・奈良漬ののれんを守って100有余年大和屋が伝統の”漬ける技”を魚に生かした「魚介味淋粕漬」。
 酒粕・味淋粕にこだわり、漬ける素材にこだわり、納得のいくものだけを提供する鈴波の味。

 鈴波は、豊かな自然の恵みの中から、旬の素材のみを厳選し、その持ち味と鮮度をそこなうことなく新しい味を創り上げています。
 魚介味淋粕漬をはじめ、産地の素材を使った海山の珍味など、本物にこだわった味の数々を取り揃えており、心のこもった贈り物として喜ばれています。

 六本木のミッドタウン店には商品販売もしていますが、鈴波の商品を一番おいしい状態で食べさせてくれる奥のスペースがあり、それが膳処「鈴波」です。魚介味淋粕漬、赤出し、お漬物、一品、ご飯などすべて原材料から吟味したものばかりを用意しているので嬉しいものです。
 この日は銀ダラ西京焼き定食をオーダーしました。とても美味しかったです。


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としまミュージックキャラバン

2024年11月10日 | 豊島区
 イケバス5周年記念「としまミュージックキャラバン」を観賞してきました。
 イケバスを活用して豊島区内の4ヶ所(池袋駅西口えんちゃん広場、目白駅前広場、サンシャインシティ南入口、大塚駅南口トランパル広場)を巡回しました。

 司会はお馴染みの城所信英さんです。音楽をはじめ幅広く知識を持っている方なので説明がとても分かりやすいです。

 出演者は、ケン・カタヤマ(テノールアーティスト)、知久晴美(ソプラノ・ハモローザ)、下澤明夜(ソプラノ・ハモローザ)、シェーンパトウ(サックス)、宇津木あい(ヴァイオリン)、高梨雄太郎(シャンソン)の皆さんです。

 演目は、フニクラフニクリ、未来、パリの空の下で、オーソレミオ、銀河鉄道999、オーシャンゼリゼです。素晴らしい歌唱を堪能しました。

 電気仕様のイケバスを活用して、マイク、音楽スピーカー等の電源を接続しています。災害時でも活躍するイケバスはとても機能的な電気バスとなっております。

 
ケン・カタヤマ氏とハモローザの二人   司会はお馴染みの城所信英さん
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天成園の玉簾の瀧

2024年11月09日 | 名所
 玉簾の瀧(天成園庭園)

 箱根湯本の天成園の庭園には二つの瀧が流れている。幾筋にも分かれた水が、玉すだれのように美しく散って落ちる玉簾(たまだれ)の瀧は、清涼感たっぷり。
 庭園に流れる瀧の源流となっている湧水は、古くから「延命の水」として親しまれ、昨今はパワースポットとして注目されている。新緑、紅葉の時期はひときわ見事な景観が見られる。

 美しい水音を響かせる瀧を 「瀧は玉簾れの天女しらぶる琴を聞く」と萩原井泉水の句にも詠まれた。
 歌人・与謝野晶子もこの瀧の風情にふれ、「山荘へ 玉簾の瀧流れ入り 客房の灯をもてあそぶかな」と歌に残している。


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山本亭

2024年11月08日 | 名所

 山本亭の庭園

 柴又にある山本亭(東京都選定歴史的建造物・葛飾区登録文化財)の特徴は、近代和風建築と純和風庭園が見事に調和しているところです。

 庭は、面積こそ著名な庭園に比べ小さいものの、その狭さを、奥に滝を配して奥行きを持たせ、池の岸にアクセントをつけて広がりを持たせルなど、日本の伝統的な庭造りの工夫が見られます。米国の日本庭園ランキングでは、3年連続第3位に選ばれています。
 
 和室の花の間から見る庭園が一番美しく、抹茶やコーヒーを飲みながら懇談しているグループがおりました。この日は、庭園では雪つりの準備をしているところでした。雪の積もった庭園もまた趣があることでしょう。

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