つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

大山寺の紅葉

2024年11月30日 | 名所
 天気が良くて寒くなかったので、大山阿夫利神社の紅葉を観てきました。

 小田急線の伊勢原駅からバスに乗って30分で大山ケーブルに到着。そこからはこま参道の階段を登って行きます。途中飲食店や土産物屋があります。旅館の多いことは江戸時代の大山詣りの名残です。

 大山ケーブル駅から阿夫利神社駅まで6分間のケーブルカーに乗車。かなり急な坂を登って行きます。大山阿夫利神社下社へ行くと一段ときれいに紅葉した木々が沢山あり、見事さに圧倒されます。写真を撮るには絶景のところです。

 大山阿夫利益神社にお参りをしてから、振り返ると展望の良い景色が見えます。相模湾の遠方には伊豆大島、江の島が見え、その先には三浦半島と房総半島までも見えました。

 帰りは女坂を下りて大山寺まで行きましたが、この坂がとても急なのでゆっくりと注意をしながら足を運びました。大山寺の紅葉がまた素晴らしく真っ赤に燃えているようで堪能しました。多くの人が写真を撮っていました。

 天候が良かったので、沢山の紅葉、黄葉を楽しんだ一日でした。

  
大山阿夫利神社下社                 伊勢原市街と相模湾
  
大山寺本殿                         大山の紅葉
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六義園の紅葉

2024年11月29日 | 名所
 六義園の紅葉を観に行きました。とてもきれいでした。

 六義園は、五代将軍・徳川綱吉の信任が厚かった川越藩主・柳澤吉保が元禄15年(1702年)に築園した「回遊式築山泉水」の大名庭園です。

 広い庭園のなかで撮影スポットは渡月橋です。石の橋で2枚の大岩の重量感があり、橋を渡る人と紅葉した樹木のコラボが素敵です。

 ささがにの道からつつじ茶屋の周りの樹木の紅葉がまとまっていて目を楽しませてくれます。

 大銀杏の葉は黄葉してダイナミックさを表出しております。
 池に映る出汐湊や中の島の紅葉の景色は素晴らしいものです。
 
 園内を一回りすると多くの紅葉した樹木が観られます。

 夜間はライトアップした紅葉の景色も観ることができます。

  

  
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大室山登山リフト

2024年11月28日 | 名所
 木部満さん(東京国際大学躰道部OB)が伊豆高原別荘地と大室山登山リフトを案内してくれました。

 大室山は、約4000年前の噴火でできたスコリア丘で、強大なプリンのような美しい形は自然の造形です。この噴火は大量の溶岩が流れ出し、でこぼこであった山地をなだらかな高原に変え、伊豆高原が誕生しました。また、溶岩流は4kmほどの範囲で海を埋め立て、城ケ崎海岸をつくりました。

 大室山は標高580mあり、国指定の天然記念物となっています。山頂までは開放感たっぷりのリフトで6分間の空中散歩が出来ます。山頂からは360度のパノラマ展望が広がります。伊豆で人気のスポットとなっている大室山は最近外国人観光客が注目する場所で長い行列が出来るようです。

 年間行事として、1月1日は初日の出、2月第二日曜日は山焼き大会、7月8日は例大祭神事式典が行われます。

 山頂まで行くと伊豆大島が見えます。ゴルフ場などの展望も俯瞰してみることができます。天気が良いと房総半島や富士山まで見えるようです。伊豆高原の別荘地も眼下に広がっております。下りのリフトはとてもスリルがありました。

  
木部満さん(大室山山頂)               大室山のお鉢巡り
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祝嶺正献最高師範のお墓参り

2024年11月27日 | 躰道
 11月26日は、躰道創始者であります祝嶺正献最高師範の命日となり、今年23回忌となります。この日は天候にも恵まれてとても良かったです。伊東市にあるお墓に、齋藤育代さん(祝嶺正献最高師範の長女)と木部満さん(東京国際大学躰道部OB)と一緒にお墓参りをしてきました。

 毎年齋藤育代さんとは同行してお墓参りをしております。今回伊東市に在住している木部満さんから命日にはお墓参りの同行を希望されていましたので連絡をして伊東駅で待合わせをしました。

 墓前に捧げる仏花を花屋で購入してから、お墓のある高台まで登って行きます。お墓を清掃してから花を手向けて、線香を捧げます。躰道の活動報告をします。特に今年9月に東北地区躰道優勝大会が50回記念大会として宮城県の気仙沼市で開催され成功裏に終了したことを報告しました。
 お墓からは伊東市街と相模湾の展望が素晴らしく見えます。

 祝嶺正献最高師範は来年(2025年)には生誕100周年の記念年となります。現在躰道を修練している若い人たちは写真でしか祝嶺正献最高師範のことを知らないので、創始者から直接教わったことの様子などを詳しく伝承していくことを墓前に誓いました。

 木部満さんは、学生時代躰道部の合宿で祝嶺正献最高師範の指導について思い出を語っておりました。今では躰道を修練していたことがとても役に立っていたと話しておりました。

 お墓参りの後には、木部満さんの案内で寿司屋に行き、新鮮で美味しい寿司を食べながら躰道について三人で懇親のひとときを過ごしました。流石に伊東の鮮魚は新鮮で寿司種もしっかりとしています。

 食後にマジックを披露したところ二人からとても喜ばれましたのでお土産にトランプマジックをプレゼントしました。

 
祝嶺家のお墓              お墓から伊東市街が展望できます

木部満さん(東京国際大学躰道OB)
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忠犬ハチ公のお墓

2024年11月26日 | 日記
 渋谷の駅前の忠犬ハチ公の銅像は、海外からくる旅行者の間でも話題となって写真を撮っている人が多くおります。

 青山霊園には上野英三郎博士のお墓のところに忠犬ハチ公の墓があります。

 上野博士が勤務先の東京大学から渋谷駅に帰ってくるときに毎日出迎えているハチ公の姿を多くの人たちが見守っておりました。ある時に上野博士が勤務中に倒れて帰らぬ人となってしまいました。それでもハチ公は夕方になると毎日渋谷駅まで迎えに出ていました。それを見ていた町の人たちは律儀な犬であると「忠犬ハチ公」と呼ぶようになりました。

 その後、渋谷駅前には忠犬ハチ公の銅像ができるようになりました。銅像の竣工式にはハチ公も参加していたようです。

 青山霊園のハチ公のお墓には「忠犬ハチ公の碑」のと案内がしてあります。


忠犬ハチ公の碑


上野英三郎博士のお墓
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湯島聖堂の孔子像

2024年11月25日 | 名所
 湯島聖堂の孔子像

 湯島聖堂の大成殿の前の階段を下りて左に行くと大きな孔子像があります。
 その孔子像のそばには大きな楷の木が立っております。楷書の字体の基となった楷の木の枝は角度をとって伸びていっています。なるほど楷書の字体のようにはっきりとした枝の曲りであります。

 孔子像は手のひらを重ねて高所から見つめている状況は世界の動向を見ているような感じを受けました。

 現在、湯島聖堂構内に飾られている世界最大の孔子像は、1975年(昭和50年)に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものであります。

 孔子像の他、孔子の高弟たち、四賢像(顔子-顔回、曾子、思子-子思、孟子)が安置されています。
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上野の「黒門」

2024年11月24日 | 名所

鳥取藩池田家の「上野の黒門」

    江戸時代、因幡(いなば)・伯耆(ほうき)32万石を治めた大名が、鳥取藩池田家(因州池田家)。徳川家とも姻戚関係にあり、江戸の地でも権勢を振るっていました。

    現在の帝国劇場のところに池田藩の上屋敷があり、江戸城に向かって正面に黒門がありました。上野恩賜公園、東京国立博物館構内に昭和29年に修復修理され屋外展示施設として移築現存するのが旧因州池田屋敷表門。

    東大の赤門(加賀藩・前田家屋敷門)に対して、堂々たる風格から「上野の黒門」と呼ばれています。

 国の重要文化財に指定されています。門番の詰所が左右両方にあるところは珍しく由緒のある名残です。

 池田家の家紋は「揚羽蝶」ですが、黒門の瓦には「菊の紋章」が掲げてあります。

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鬼子母神

2024年11月23日 | 豊島区

 鬼子母神

 雑司が谷にある鬼子母神は、安産・子育(こやす)の神様として広く信仰の対象となっています。
    もともと他人の子供をとらえて食べてしまう神でしたが、釈迦が子を失う母の悲しみを悟らせたことから改心し、子供と安産の守り神になった。鬼子母神では「鬼」の字の上の点がありません。
 

    大イチョウは、非常にバランスがとれた巨樹です。木に触れると子供が授かるということから「子授けイチョウ」と呼ばれています。樹齢600年以上、幹回8m、樹高30m以上。黄葉したときのイチョウがきれいです。
 

 境内にある上川口屋は、創業1781年、243年も続く東京で最も古い駄菓子屋と話題となっています。

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日本国道路元標(日本橋)

2024年11月22日 | 名所
    日本国道路元標(日本橋)

 日本橋は、慶長8年(1603年)に初めて架けられ、その翌年、いわゆる五街道の制が確立されてからは日本の中心、江戸繁栄の象徴となりました。

 明治に入ってからは、この橋の中央が国内諸街道の起点と定められ、今も橋の中央に日本国道路元標が埋め込まれています。

 しかし、今では橋の上を高速道路が走り、日本を代表する橋としては残念な風景となっています。

 現在の橋は、明治44年に開通したアーチ型石橋です。橋の柱には麒麟の翼像が設置されています。

 また、江戸時代、御禁制や公示の掲示をした高札場が南詰にあって、この種の場としては最も有名でした。高札場跡は、高札をかたどった記念碑が建っています。


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芝大門 更科布屋

2024年11月21日 | 飲食店
 芝大門更科布屋に入り、三色そばを堪能しました。

 このお店は、寛政三年(1791年)創業ということで230年の歴史のある蕎麦屋です。店の角には石碑が建っております。店内のすべての椅子には創業者の家紋章が付いているのも老舗のこだわりでしょうか。

 更科布屋は、そば打ち上手として知られた信州の反物商・布屋萬吉が江戸行商の折、領主・保科兵部少輔の助言でそば屋に転向して、東日本橋の薬研堀に「信州更科蕎麦処」を開店、芝大門では大正二年より営業。徳川家の菩提所である増上寺の門前は江戸有数の盛り場であり、芝大神宮の境内は「め組の喧嘩」の舞台でもあります。この地で創業230余年を数え当代で7代目となります。(更科布屋HP)

 (店主の独り言) 季節を感じる要因には「気温」「風景」「植物」「虫」など目で見て、耳で聞いて、肌で感じてと様々あるが、何と言っても食べ物によって季節を感じるのが最も多くの人が自然に体験している事かと思います。和食は世界無形文化遺産としてユネスコに登録されましたが、その和食の特徴は「素材主義」で素材が本来持つ持ち味を活かす事=旬にこだわる事で四季を表現すると言われています。現在、そんな和食の原点である江戸生まれの食文化が広く世界から評価されたといっても良いのではないかと思います。

 江戸の食文化が、今も伝承されていることは喜ばしいことで、特に日本そばを美味しいと感じております。
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著名人の墓巡り

2024年11月20日 | 池さんぽ
 豊島区駒込の染井霊園と隣接する寺院に眠る著名人の墓巡りをしました。
 
 染井霊園は、明治7年東京府が開設しております。幕末から明治に活躍した大名や活動家、学者らが多く眠るところです。染井霊園の事務所で霊園の案内図を貰います。60名の著名人の墓の場所が明示されています。
 
 高村光太郎は、妻・智恵子の死後、詩集「智恵子抄」で国民的人気を博しました。父・光雲は木彫の第一人者で上野公園の西郷隆盛像の作者。
 小説「浮雲」で言文一致の先導者・二葉亭四迷(筆名は父親から「くたばってしまえ」と怒鳴られたことに由来。
 東京美術学校(現東京藝術大学)設立の起動者で日本美術の先駆者・岡倉天心。俳句雑誌「馬酔木(あしび)」を主宰した・水原秋桜子。政治家の幣原喜重郎、若槻礼次郎などの墓所があります。
 
 隣接する慈眼寺には、芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓があります。さらに隣の本妙寺には、江戸町奉行を務めた遠山金四郎(桜吹雪の金さん)、剣豪・千葉周作、囲碁の名人位である本因坊歴代の墓や明暦の大火(振袖火事)の供養塔などもあります。
 
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地獄門の「考える人」

2024年11月19日 | 芸術
 地獄の門の「考える人」

 上野公園内の国立西洋美術館の庭には、ロダンの「考える人」、「カレーの市民」などが設置されている。

 ここの庭は無料なのでいつでも誰でもが入れるので、ちょっと寄ってみたらいいですよ。

 「考える人」は、地獄の門の上から下を見ている状況である。単体の写真が多く見られて有名であるが、地獄の門の一部であると分かる。

 「考える人」は、オーギュスト・ロダンが制作したブロンズ像である。
 思索にふける人物を描写している。当初は“Le Poète”(詩人)と名づけられていたものである。

 ロダンは装飾美術博物館の門を、ダンテの『神曲』に着想を得て制作し、それを『地獄の門』と名づけたが、この『考える人』はその門の頂上に置かれる一部分にあたり、地獄の門の上で熟考するダンテを表そうとしたものであると言う説やロダン本人を表している説などがある。

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柴又帝釈天

2024年11月18日 | 名所

 帝釈堂

 柴又駅からは柴又帝釈天への参道が200mほどあり、今では寅さんの映画の影響もなく通る人は少なく先まで見通せるくらいでした。

 日光の陽明門を模したと言われる二天門は、二階建ての楼門で入母屋造り瓦葺です。二天門を潜り境内に入り正面には帝釈堂があります。帝釈天題経寺の象徴的な建物で、帝釈天板本尊を祀る最大のお堂です。

 帝釈堂の前には「瑞龍の松」(東京都指定文化財)があります。根元に清水が湧いていてここに庵を結ぶようになり帝釈天創建の聖地となっています。

 とても見事な枝ぶりと緑葉の立派さにはビックリしました。
 
 大鐘楼は、毎日、朝6時、正午、夕方6時に鐘が撞かれ、平和に祈りを込めた鐘の音が柴又の町に時を伝えております。

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マジック教室(11月その2)

2024年11月17日 | マジック
 11月2回目のマジック教室は9名が参加しました。

 案内連絡として、12月7日に開催されるマジック教室には、特別ゲストに講師として牧原俊幸氏を迎えて開催することのお知らせがありました。マジック演技披露とマジック教室を担当してもらいます。

 今回は「マジックの演じ方」を研修しました。
 マジックを演ずるときにお客が相手となるときには、ゆっくりと落ち着いて行うことが重要です。演技を早くして進行していくとお客がついてこれないことがあります。お客の状況を見ながらマジックを演じていくと相手側もその進行に合わせられるのでストーリーが術者と一緒に進んでいくことができます。最後に結果が出た時の「不思議さ、驚き」などが表出されます。

 術者はマジックの結論を知っているので、早くゴールをしようと進行しがちですが、お客対応を意識してやると話しながらゆっくりと演じることができます。実例として「27枚カード」、「ピラミッドの謎」、「必ず8に到達」、「残るカードを予言」について実際に演じ方を学んでいきました。
 
 ゆっくりと話しながら進めていくことの意義を理解するとマジックの楽しさが高まっていきます。

  
ピラミッドの謎                   残るカードを予言
 
客が選んだカードを当てる「27枚カード」
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ぐるっと一回り

2024年11月16日 | 日記

 橋本駅

 首都圏をJRでぐるっと一回りしてきました。
 池袋から湘南新宿ライナーで神奈川県の茅ヶ崎まで乗車。そこで相模線に乗り換えます。寒川、厚木、海老名などを通って橋本まで行きます。車窓からは大きな工場が何か所も見えます。穏やかな田園風景もありました。横浜線で八王子へ行くまでは、ニュータウンなどが見えて町の様子が変わって見えます。

 八王子からは八高線に乗り換え、拝島を通ると米軍横田基地の脇を通って高麗川まで行き、川越線に入ると武蔵高萩ではTAMCのメンバーの犬竹一浩さんの屋敷にある大きなケヤキが見えます。的場では東京国際大学第二キャンパスの横を通ります。川越で乗り換え南古谷の鉄橋の下にはゴルフ場でプレーをしているグループいました。新駅の西大宮はスポーツで多くの卒業生を輩出している埼玉栄高校の最寄り駅です。

 大宮から埼京線で池袋まで帰ってきました。ぐるっと一回り電車の旅でした。

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