つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

鳩山会館

2009年12月31日 | 名所
                         鳩山会館にて

今年最後のブログは、鳩山会館。
政権交代して総理大臣となった鳩山由紀夫氏が子供の頃育った家で、今はリニューアルして公開されている。
文京区の音羽通りの正門から、なだらかな坂をS字型に約100メートルほど登っていく。そこに音羽御殿と呼ばれた鳩山会館が存在している。

鳩山会館は、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造の洋館で、各所にハトやミミズクなど鳥をモチーフにした装飾が施されている。

設計者の岡田信一郎は様式建築を得意とし、その手腕は鳩山邸でも発揮されている。アダム・スタイルの応接間などイギリスの邸宅を思わせるが1階部分では部屋の境の扉を大きく開くことで各室を連続して使用することができ、日本家屋のような開放的な空間を作り出している。

◆1階 応接室
3つの応接室が並んでいる。当初は(西側から)応接間、居間、食堂として用いられていた。
サンルーム
建物の南端に位置しており、ここから庭に出ることができる。
◆2階
大広間
修復時に寝室3部屋の間仕切りを撤去し、大広間に改装された。窓からは庭園が一望できる。北側の壁には一郎の書「和為貴」が飾られている。
鳩山一郎記念室
かつて書斎として使用されていた部屋。一郎の残した書簡や軍服、文具などが展示されている。変わったものでは議員時代の給与明細や自動車の運転免許証、デスマスクなどが収められている。
鳩山威一郎記念室
鳩山威一郎は一郎の長男。
大蔵事務次官や外務大臣を務めた。
記念室には威一郎の遺品が展示されている。
鳩山薫記念室
鳩山薫(旧姓・寺田)は鳩山一郎の妻。
共立女子学園理事長を務めた。
客間として使用されていた和室を彼女の記念室としている。

(12月31日記)
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憲政記念館

2009年12月30日 | 政治
                  尾崎行雄の銅像が建つ憲政記念館

前庭公園から憲政記念館へ向かった。
森陽一郎先生の研修会では、よく記念館の会議室を使用されていた。
入場は無料であるので、憲政の勉強をするには資料が豊富にあるところなので利用しやすくなっている。
入口の池の中央には、憲政の父と言われた尾崎行雄氏の銅像が建立してある。

憲政記念館は、1970年(昭和45)にわが国が議会開設80年を迎えたのを記念して、議会制民主主義についての一般の認識を深めることを目的として設立され、1972年(昭和47)3月に開館しました。

憲政記念館のある高台は、江戸時代の初めには加藤清正が屋敷を建て、その後彦根藩の上屋敷となり、幕末には藩主であり、時の大老でもあった井伊直弼が居住し、後に明治時代になってからは参謀本部・陸軍省がおかれました。

1952年(昭和27)にこの土地は衆議院の所管となり、1960年(昭和35)には、憲政の功労者である尾崎行雄を記念して、尾崎記念会館が建設されました。
その後これを吸収して現在の憲政記念館が完成しました。

憲政記念館では、国会の組織や運営などを資料や映像によってわかりやすく紹介するとともに、憲政の歴史や憲政功労者に関係のある資料を収集して常時展示するほか、特別展などを催しています。
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時計塔

2009年12月29日 | 名所
                           時計塔

国会議事堂前庭公園の一角に時計塔が建っている。
ここは憲政記念館に隣接されており、住所は永田町1-1-1である。

■時計塔の説明文より
この時計塔は尾崎記念館(現・憲政記念館)建設時に、施設の一環として塔前面の噴水池、花壇とともに設計され、昭和35年(1960)7月に完成した。
 
三面塔星型は、立法、行政、司法の三権分立を象徴したものである。
また、塔の高さは「百尺竿頭一歩を進む」ということわざの努力の上にさらに努力して向上するの意味から、百尺(30.3メートル)より高くした31.5メートルに設定された。

時計は、時間を厳守した尾崎行雄を称えてスイスから贈られたものであったが、現在は国産のものに改修されている。
チャイムは、10時・13時・17時・22時の4回鳴動する。
これは、衆議院、参議院の会議開会時刻と退庁、就寝時を標準にしたもので、その音響は、静寂時には5キロメートル周囲に響き渡った。
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林家正楽師匠の紙切り芸

2009年12月27日 | 芸能
                  林家正楽師匠による「雪の結晶」

毎年12月25日の池袋演芸場は林家正楽師匠の日となっています。
「正楽のラストクリスマス Ⅹ」(象とサンタと龍生と)は、満席の会場で行なわれました。
林家正楽師匠からの連絡により、今年も池袋演芸場に孫たちと一緒に行きました。

サンタ服で登場した林家正楽師匠は、一番前の席に座っていた私たちに小さな紙切れを渡した。
広げてみると「六角形の雪の結晶」であった。種類も様々ありとても精巧に切ってありました。

2回目の出場となった時は、通常の客からのリクエストによる紙切り芸。
主なリクエストは、宝船、駅伝、虎の親子、虎72歳、雪月花、こたつなどでありました。どれも巧に紙を切っていきました。切り終わり観客に作品を見せると感動の歓声が沸きあがります。

ゲストは手妻マジックの上口龍生氏による奇術でありました。
袴姿の和服で織り成す次から次へと出現してくる傘出しを披露。
その後、突然指名され舞台に呼び上げられました。
紙縒りで上口氏の指を縛り左右の手を固定する。
刀を取り出して、上下に立てて自分が持つように言われる。
その刀の刃に向けて結ばれた両手を差し出すといつの間にか刀を通過していたからビックリである。

最後の林家正楽師匠の出番は、音楽に合わせてのシルエット上映でありました。
美空ひばりの柔、悲しい酒、川の流れるままにの曲に合わせてのシルエットは、爆笑の連続でありました。
林家正楽師匠の紙切り芸により、楽しいクリスマスの一夜でありました。

(12月27日記)
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高道元三朗さんの葬儀

2009年12月26日 | 躰道
                    高道元三朗八段範士の葬儀

躰道の創始者である祝嶺正献最高師範から平成12年に初めて躰道8段位範士の称号を受けた6名のうちの一人である高道元三朗氏が病気療養中のところ逝去し葬儀が盛大に執り行われた。
左官業一筋に仕事を貫いてきた。
その傍ら藤丸英雄師範と中野道場で出会い躰道を修行してきた。

葬儀には躰道関係者も沢山参列していた。
沖縄、広島、富山、青森など遠方から来た人もいた。
生花は全体の3分の2が躰道関係者からのものであった。
藤丸英雄師範は「高道君も左官業だけなら、左官の元さんであったろうが、躰道をやっていたお陰で多くの人たちが最期の別れに集まってくれた」と語っていた。

棺には躰道着と帯が乗せられていた。
躰道の演武の写真が2枚展示してあったが、祝嶺正献最高師範から頂いた「八段位」と「範士称号階位」の賞状は飾られていなかった。
多くの躰道関係者が参列した中で、初めての八段位の昇段は大きな意味があるもの。残念で惜しいことをした。

高道氏は職人気質の持ち主で、頑固一徹なところも持ち合わせていた。多くの人と意見で食い違っていたことこともあった。
躰道において実技の好きな人であった。
足柄山での研修会のときに、高道氏は「実技が一番必要である」と述べたのに対して小林次夫師範は「理念が必要である」と喧々諤々となった時に、祝嶺正献最高師範は「躰道は理念と実技の両方を実践していくことを目標としている」と諭していたことを思い出した。

高道元三朗氏のご冥福を祈ります。

(12月26日記)

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呉越華さんのコンサート(2)

2009年12月25日 | 友人
                 呉越華さんと(東京文化会館大ホールロビー)

呉越華さんの出演している「クリスマススペシャルコンサート」が終了して、ホールのロビーに出ると出演者たちが観客に挨拶をしていた。
呉越華さんも蔵原克治さんと私を快く迎えて来場のお礼を述べられた。
記念の写真を撮影した。

呉越華さんのプロフィール
メゾソプラノ歌手。中国杭州出身。横浜国立大学大学院声楽専攻研究科終了。杭州師範大学音楽学部声楽講師。アジア親善特別大会出演。以降、日本を拠点に毎年リサイタルを開催。05年「覚えておきたい中国語の歌」CD付(中経出版)は紀伊国屋書店ベストセラー語学部門第一位に輝く。06年CCTV出演、日本で活躍する外国人として注目を浴びる。07年恒例のリサイタルの他、各地でのリサイタルは絶賛された。08年四川大地震救援活動のチャリティコンサートで四川省政府から感謝状を授与。日中文化交流協会会員。カナダ在住。

(12月25日記)
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呉越華さんのコンサート

2009年12月24日 | 友人
               呉越華さんのコンサート(東京文化会館大ホール)

上野の東京文化会館大ホールで「クリスマススペシャルコンサート」が開催された。
中国出身のメゾソプラノ歌手である呉越華さんが出演していたので、TAMCのメンバーである蔵原克治さんと鑑賞に出かけた。
呉越華さんとは、森陽一郎先生の研修会で5年前に知り合った。
TAMCの家族会や発表会懇親会で歌を披露してもらったことがある。

呉越華さんは、長尾博子さんのピアノ演奏により素晴らしい声で歌を披露した。
曲目は、
カッチーニのアヴェ・マリア
ヴェルディの歌劇「トロヴァトーレ」より炎は燃えて
ビゼーの歌劇「カルメン」よりババネラ 他

呉越華さんのメゾソプラノの歌唱は、マイクなどは使用せずに生の声で会場いっぱいに響き渡る声量で迫力がある。
また、背が高いし純白のドレスで華がある。
いつ聴いても感動を与えてくれる呉越華さんのコンサートであった。

(12月24日記)
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鈴木正人会長について

2009年12月23日 | 躰道
                  鈴木正人志木市躰道協会会長

志木市躰道協会の鈴木正人会長は、とても明るくいつも元気印の人です。
現在は埼玉県議会議員として活躍しております。
政治の世界に入った切っ掛けは、河村たかし名古屋市長が衆議院議員時代に秘書として活動したことが大きな要因となっています。
その後、埼玉県の上田きよし知事が衆議院議員時代に秘書の経験を生かして、志木市議会選挙に立候補して当選。その後の改選選挙では2期連続トップ当選という偉業を成し遂げた。
その後、埼玉県議会議員選挙に立候補して当選して、現在も現職として活躍しております。

この日は、志木市躰道協会の忘年会に参加しました。
躰道の会員募集については、率先して学校関係者に話をしていく。山田重幸代表や指導者たちにスピーチしておりました。
趣味は、野球で現在もユニホームを着てゲームに出場することもあるとのこと。
150キロの超高速ボールもバットで打ち返す実力の持ち主です。
高校時代からはじめたロックバンドも楽しんでいます。
ロック歌手であった尾崎豊の歌が愛唱歌となっています。
尾崎豊が朝霞市で躰道をやっていたことを知り、因縁を感じています。

40代の活躍盛りです。
多くの人との出会いがあり、交流が広まっております。
一般人の幸せな生活の構築のために奮闘している鈴木正人会長です。
益々のご活躍を祈念しております。

(12月23日記)
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TBSテレビイブニングワイド

2009年12月22日 | 日記
               TBSテレビドラマ「JIN仁」のポスター

赤坂サカスに公開スタジオがある。
平日の夕方はTBSテレビ報道番組「イブニングワイド
堀尾正明キャスター、長峰由紀アナウンサーをメインに4時53分から6時40分まで放送している。

ゲストコーナーでは、人気のテレビドラマ「JIN仁」に出演している大沢たかお 綾瀬はるかの二人が生出演で「江戸の医療をホリおこし」を行なった。
スタジオの前には、大沢たかおファンである女性たちが多く集まっていた。

(12月22日記)
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赤坂のスケートリンク

2009年12月21日 | 日記
                 赤坂サカスのスケートリンク

赤坂のTBSテレビの赤坂サカスの広場にアイススケートリンクが登場していた。
冬季期間の限定開催である。

子供たちも楽しんでいる。親子でコミュニケーションを図っている姿も見られる。若いカップルも歓声を上げている。

夜になるとイルミネーションがきれいに輝いている。
ショップ街には、人気グループのSMAPの限定ショップに若い女性たちの行列が出来ていた。

公開スタジオでは、夕方のニュース番組「イブニングワイド」の生番組をやっていた。

(12月21日記)
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正田千鶴モダンダンスフラグメント公演

2009年12月20日 | 文化
              宮本舞さんら出演者たち(草月ホール)

正田千鶴モダンダンスフラグメントから公演の案内を頂き、鑑賞してきました。
モダンダンスのグループとして多角的に活動している組織です。
以前、宮本舞さんより踊りの中に武道的要素を採り入れたいとの要請により、グループ研修の時に躰道の基本実技の指導を担当してから公演の案内が毎回ありました。

宮本舞さんは、指導者としても活躍しています。
その舞さんも出演するということで、赤坂の草月ホールへ出掛けていきました。

今公演は、「地下室」(スクリーンに囲まれた何もない部屋)のテーマで進められた。
9名のダンサーが7つのユニットに分かれた創作モダンダンスを披露していました。
90分間の超大作の作品でありました。
舞さんは、ソロをはじめ全体の半分ほどに出演をしていました。
肢体を柔軟に動かし表現して演じています。手の指先までも神経を張り巡らせている踊っている姿を見ていると、相当の稽古を積み重ねた模様が伝わってきます。

公演終了時のカーテンコールでは、やり遂げたという充実感がダンサーの笑顔に表れていた。

◆宮本舞さん
2000年文化庁芸術インターンシップ研修生、'04年文化庁新進芸術家在外研修員に選ばれ、ニューヨークにて2年間研修。'06年Contemporary Dance Unit ZERO to INFINITYを立ち上げD.U.M.B.O Arts Festivalなどに出品、同年秋にはニュ-ヨークで初の自主公演を成功させる。'09年なかの国際ダンスコンペティション創作部門第1位ほか多数受賞。

(12月20日記)
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白鳥勝彦家の懇親会

2009年12月19日 | マジック
                 山田重幸さん(中)と白鳥勝彦ご夫妻

TAMCメンバーの白鳥勝彦さんと、経営する会社(箕輪ヘラ絞り製作所)の記念式典のビデオ撮影を担当した山田重幸さんとの交流は続いている。

この日は、マジック発表会の出演をビデオで鑑賞するとのことで、山田重幸さんは池内和彦と一緒に川口市の白鳥勝彦さんの家を訪ねた。
白鳥勝彦さんのイリュージョンマジックのビデオを堪能したときに、山田重幸さんがこの映像をDVDに編集してあげることとなり資料を預かった。

テレビ番組に「ぶらり、途中下車の旅」という人気番組がある。
白鳥勝彦さんのマジックと会社を取上げようとテレビ局で企画に持ち上がっているようだ。
番組担当者は、インターネットで白鳥勝彦さんの会社の内容と趣味のマジックを探し出して連絡をしてきた。
番組の収録が進めば、また白鳥勝彦さんのマジックが広く報道されることとなる。

(12月19日記)
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行列が出来る吉祥寺の小笹

2009年12月18日 | 日記
                 吉祥寺の小笹にはいつも行列ができる

中央線の吉祥寺の商店街は活気がある。
東急チェリー通りに「小笹」という店がある。
ようかんが美味しいと夜明け前から整理券を求めて行列が出来る。
一日500本のようかんを生産するがいつも完売状態。
その他に最中を販売している。
吉祥寺に行くと土産に買ってくる。
その「小笹」には、いつも行列が出来ている。
その隣の「肉のサトウ」も行列が絶えない。
こちらはメンチカツが人気商品。
吉祥寺は、ハモニカ横丁など消費者に人気のある店が多い。

(12月18日記)
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吉祥寺の吉田畳店

2009年12月16日 | 友人
                 吉田畳店の店主・吉田一敏さん

武蔵野第3小学校の同期生に吉田一敏君がいる。
とても快活な元気な人である。
吉祥寺の町内会の祭りの神輿巡行を取り仕切っているメンバーである。

吉田一敏君は、畳店を長年経営している畳職人である。
友人たちの店の畳や家の畳張替えなどを多く担当してきており、貢献が多い人であります。

小学校の恩師である辻田晴子先生をとても尊敬している。
卒業後も辻田晴子先生の出席する同期会には、欠かさず参加している。
しかし、12月11日の同期会には、師走の繁忙期と昼間のために参加することが出来なかった。
辻田晴子先生には、吉田一敏君が元気に活動をしている様子と写真を見せたところとても喜んで話を聞いていた。

吉田一敏君は、畳製造と祭りの神輿巡行を主に吉祥寺の街の中で活動している元気印の人です。

(12月16日記)
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辻田晴子先生について

2009年12月15日 | 日記
                 89歳の恩師・辻田晴子先生

武蔵野3小時代の恩師・辻田晴子先生は誰からも慕われています。
女性たちは母親のように親しみを持って先生に接しています。

辻田晴子先生は、
「皆さんとお会いできて嬉しい。皆さんから元気を頂きました。私は世界一幸せ者です」と何回も口に出して言います。
絵を描くこととハイキングが趣味であるという辻田晴子先生は、現役を勇退後は趣味の活動を楽しんでいました。
定期的に銀座の画廊を貸し切って、絵画の展示会を開催していました。そして教え子たちは展示会場に参集していました。

一時、ハイキング中に転んで体調を悪くしたが、見事回復して今回の同期会に出席できることとなったのです。

今回の同期会は、平日の昼間であったので参加できない人も多くいましたが、コメントが寄せられて辻田晴子先生との絆を確認したようです。

現在89歳、年が明けて3月には90歳となります。卒寿であります。
来年も同期会を開催して、辻田晴子先生を囲む懇親会を開催したいと皆の意見が一致したのです。

(12月15日記)
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