つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

皇居外苑の楠木正成像

2012年04月30日 | 日記
                               楠木正成公銅像

暦はゴールデンウイークとなり、東京の観光地も賑わっている。
皇居外苑の楠木正成公の銅像がある。観光バスの駐車場が近いこともあり観光客も多く写真を撮っていた。
外国人観光客も多く、その中でも中国人の姿が多く見られた。

皇居外苑は東京観光コースの定番で、楠木正成公像はそのシンボル。
鎌倉幕府が動員した十万の大軍を相手に千早城で奮戦したことはよく知られている。 
後醍醐天皇の南朝に属して戦った正成は、北朝を擁立した足利幕府にとっては仇敵であり、室町時代には北朝と幕府に反抗した逆賊と呼ばれた。
上洛した織田信長が新政権を築きはじめたことで正成は復権、のちに徳川幕府が開かれると「忠臣」となり、評価が逆転した。

像の完成は明治30年、スポンサーは住友財閥で、住友の別子銅山で産出した銅で鋳造されている。
製作は東京美術学校が担当。
住友から像を寄付された宮内省が台座を設置、そのうえに楠公像を据えつけたのは明治33年のこと。
明治27、28年の日清戦争に勝利したものの三国干渉で山東半島の租借権を放棄させられ、臥薪嘗胆を誓った時期であった。

像は皇居に向けて建立されており、まくれあがった鎧の大袖が躍動感を伝え、全体として優れた作品と言える。甲冑や馬具は南北朝時代の特徴を忠実に捉えている。

像の原型は複数の美術家が部分ごとに分担して作成。顔は高村光雲が担当。

(4月30日記)
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「餃子の王将」池袋東口店が開店

2012年04月29日 | 日記
                        「餃子の王将」池袋東口店

餃子が若い人たちに人気がある。
餃子の王将」池袋東口店が新規オープンした。
一日中、来店客が詰めかけていて繁盛している。

「餃子の王将」として店の名前がついているから餃子は自信を持って提供をしている。
そして安いから二人前を一人で注文をしている人も多くいる。
餃子は6個で231円。美味しくて安い。

期間限定で特別メニューがサービス価格となっている。
天津飯が通常価格462円が380円となっていた。
天津飯と餃子一人前を頼んでも611円だ。
割引クーポン100円引きを使用して511円であった。

新規オープンの店なので一階席も二階席もとてもきれいでスタッフも礼儀正しく応対をしている。
中華料理も全般的に美味しいし価格も安価なので暫くは注目店の一つとなっている。

(4月29日記)
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東京駅丸の内駅舎保存・復原工事

2012年04月28日 | 日記
                       東京駅丸の内駅舎

東京駅に行ったら丸の内駅舎の復原工事が進んで完成まじか(6月の予定)でありました。
駅舎の外観(南北ドームや屋根など)はすでに美しい姿を現していた。

(JR東日本旅客会社のHPより)
東京駅丸の内駅舎保存・復原工事
国の重要文化財である東京駅丸の内駅舎については、2007 年5 月に工事着手して以来、駅の機能を維持しつ
つ、お客さまの安全を確保しながら保存・復原を行ってきました。
完成後の駅舎は、快適性を併せ持つ歴史的建造物として、首都東京の風格ある都市空間の形成に貢献します。
○ 復原後の駅舎は、既存の駅舎同様に、主に駅施設、ホテル、ステーションギャラリーとして使用します。
○ 海外から訪れたお客さま向けにサービスを提供するJR EAST Travel Service Center を設置します。
○ ステーションギャラリーは、展示空間と合わせ設備面の整備を行い、重要文化財である丸の内駅舎を、これ
まで以上に身近に感じながら見学できる快適な展示施設とします。
○ 駅舎内のホテルは、名称を「東京ステーションホテル」とし、重要文化財の中に存する強みを活かし日本を
代表するセントラルステーションに相応しい、歴史と先進性が融合したホテルを目指します。

【開業予定時期等】
時期
①駅施設(一部) 開業 2012 年 6 月
②JR EAST Travel Service Center 開業 2012 年10 月1 日(月)
③東京ステーションギャラリー 開館 2012 年10 月1 日(月)
④東京ステーションホテル 開業 2012 年10 月3 日(水)
※復原された駅舎の外観(南北ドーム・3階外壁・屋根等)は、2012年3月末にご覧いただけるようになります。
※外観ライトアップについては、2012年10月開始を予定しております。

(4月28日記)
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渋谷ヒカリエがオープン

2012年04月27日 | 日記
                         渋谷ヒカリエがオープン

渋谷の東急文化会館の跡地に建設されていた「渋谷ヒカリエ」がオープンした。
ハチ公のある西口とは反対側となる東口である。
東横百貨店側からは2階連絡通路で結ばれている。
地下鉄副都心駅とは地下で連絡されている。

渋谷といえば、若者の街のイメージが大きい。
「渋谷ヒカリエ」は20代~40代の女性をターゲットとしたコンセプトで進められているようだ。
購買力のある女性を取り組むことで、渋谷の街を新たな展開をしていくようだ。
今後も街づくりは継続してリニューアルしていくようだ。

六本木や有楽町、銀座、台場などに流れた女性客をどのくらい引き戻せるか。
今後の渋谷の街の行方が楽しみである。

(4月27日記)
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乗車したバスが衝突事故

2012年04月25日 | 日記
                       乗用車と衝突した都バス

王子駅から池袋行の都バスに乗車しました。
明治通りを順調に進行していて最後部の座席に座っていました。
豊島区役所前停留所に近づいたときに、バリ、バリ、バリ、という音がした。
横から出てきた乗用車がバスの左の側面に衝突をした。
乗客には負傷者が出なかったが、運転手は乗客を降ろして後ろから来たバスに振替乗車するように案内をしていた。それからバス会社の本部に連絡をして事故の発生を報告をしていた。

バスを降りてみると、乗用車のボンネット前方部が都バスの側面に衝突をして覆っていたカバーは飛び跳ねて、側面は長く引っ込んでしまっていた。
明治通りは渋滞となり、後続のバスと車が長い列をなっていた。

交通事故は、ほんの少しの注意不足で起こることが多い。
乗車していたバスが事故に遭遇したのは初めてであった。

(4月25日記)
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TAMC湘南合宿研修会に参加

2012年04月24日 | TAMC
マジック演技を発表する膳場昭さん

TAMC(東京アマチュアマジシャンズクラブ)の湘南合宿研修会に参加しました。
一泊二日で開催された研修内容はとても充実をしていました。

(第一日プログラム)
1.分科会研修 参加者が4つのグループに分かれて講師から術技の指導を受ける。
 小永井暹さんから「コインの行方」の指導を受けました。ハンカチの上に置いたコインが消えるという神秘的なマジックでした。また古賀輝行さんからは何もないところから何枚ものシルクが出現をする作品でした。
2.坂本圭史会長の開会の言葉 マジックの評価はどう行われているか?について解説がありました。
3.ボランティアマジックを行うときの心得、演技、意見交換 TAMCのボランティア委員よりボランティア活動を行うときの体験談やポイントについて詳しい説明がありました。
4.懇親会 参加者のコミュニケーションを図る懇親の場のひととき。かなり盛り上がり、二次会、三次会は夜遅くまで情報交換が楽しく行われました。

(第二日プログラム)
1.分科会研修成果発表 分科会で指導を受けたものの発表をしました。
2.5月27日(日)に開催されるマジック発表会に出場する人たちによる演技披露がありました。多くのアドバイスを受けて参考になりました。

宿泊しての研修会は、時間に制約をされることもなく中身の濃い情報が交換できるので参加者には大きな意義があり、成果があったので喜んでおります。

(4月24日記)
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書店「LIBRO」の閉店

2012年04月23日 | 日記
                          LIBROの閉店

池袋の西武百貨店にLIBRO(リブロ)という大きな書店がある。
池袋ではジュンク堂と双璧を争うほどの本屋である。
そのLIBRO支店が東池袋にある。
東急ハンズとは交差点を挟んで向かい側に位置している。
毎日多くの人が利用する交差点。その脇にあるので立地はいいはず。

そのLIBRO店がこの度閉店をした。
なんでだろうと考えてみた。
よく利用する書店であり、フロアーの横には喫茶店もあり本を購入した人がお茶を飲みながら読んでいた。
店の入り口近くは、雑誌や旅ガイドなど多くの人が立ち読みをしている。
しかし、奥の方にある文庫本や専門書のところはほとんど客は立ち止まっていない。

喫茶店の利用者も減ってきていた。
あれもこれも考えてみると閉店をしなくてはならない意味も分かってきた。

池袋の業務店の変転の速さが最近多いようだ。
昔からの老舗の店が閉店をして、その後に大手チェーン店のお店が進出している。
安い料金で若者が利用しやすい店が多くなってきた。

昔からの馴染みの人生横丁は日本生命の高層ビルに変転をした。
光町は区画整理されてボウリング場のラウンド1の進出となって12月にオープンする。

(4月23日記)
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王子装束稲荷神社

2012年04月22日 | 日記
                        王子装束稲荷神社

王子界隈を散策していた時に小さな神社に出会いました。
掲示板の説明には次のように書かれてありました。

王子の狐火と装束榎
かつてこの辺りは一面の田畑で、その中に榎の木がそびえていました。
毎年大晦日の夜、関東各地から集まってきた狐たちがこの榎の下で衣装を改めて王子稲荷神社に参詣したといういいつたえがあることから、木は装束榎と呼ばれていました。
狐たちがともす狐火によって、地元の人々は翌年の田畑の豊凶を占ったそうです。
江戸の人々は、商売繁昌の神様として稲荷を厚く信仰しており、王子稲荷神社への参詣も盛んになっていました。
やがて、王子稲荷神社の名とともに王子の狐火と装束榎のいいつたえも広く知られるようになり、左の広重が描いた絵のように錦絵の題材にもなりました。
昭和4年(1929)、装束榎は道路拡張に際して切り倒され、装束榎の碑が現在地に移されました。
後にこの榎を記念して装束稲荷神社が設けられました。
平成5年(1993)からは、王子の狐火の話を再現しようと、地元の人々によって、王子「狐の行列」が始められました。
毎年大晦日から元日にかけての深夜に、狐のお面をかぶった裃姿の人々が、装束稲荷から王子稲荷神社までの道のりをお囃子と一緒に練り歩く光景が繰り広げられます。(北区教育委員会掲示より)

(4月22日記)
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飛行船広告

2012年04月21日 | 日記
                     電源開発の電波塔の上空をゆっくりと浮遊する飛行船

銀座を歩いていたら、快晴の空に飛行船が飛んでいた。
楕円形の飛行船はゆっくりと東京の空を回遊していた。

飛行船の機体の大部分を占めるガス袋(気嚢)には水素もしくはヘリウムがつめられている。
通常、ガス袋は空気抵抗を低減させるため細長い形状をしており、乗務員や旅客を乗せるゴンドラや、エンジンおよびプロペラなどの推進装置が外部に取り付けられている。
また、機体後部には尾翼があり、方向安定を得るとともに、取り付けられた舵面を動かして機首の方向を変えることができる。

20世紀前半には、大西洋横断航路などに就航していたが、1937年に発生した「ヒンデンブルク号」の墜落事故を契機に水素利用の飛行船の信頼性は失墜し、航空輸送の担い手としての役割を終えた。
その後、広告宣伝用や大気圏の観測用等として、不燃性のヘリウムガスを利用した飛行船が小規模に使われている。

(4月21日記)
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投扇競技会

2012年04月20日 | 日記
                             投扇競技会の模様(伝法院)

投扇競技会に遭遇した。珍しい競技である。
浅草の伝法院の庭園を拝観した時にやっていた。
芸者さんたちが団体チームで競技に臨んでいた。

中国で発祥し、平安貴族も好んだ「投壺」(とうこ)という遊びがあったが 規則が難しすぎるので後世廃れてしまった。
この「投壺」(とうこ)がもととなって投扇興が生まれたといわれている。
木枕に蝶が休んでいる所に扇を投げつけた所その蝶と扇が舞い、木枕に乗る様子がおもしろいと投扇興が「投壺」に取って代わるようになったともいう。

江戸時代にお座敷芸として開発され明治初期まで頻繁に行われた。
投扇興は大人の男女の遊びであった。
お座敷では投扇興の勝負により、野球拳のように、着衣を一枚ずつ脱いだり、 また、一人の芸者を二人の男性が指名した時に投扇興で勝負をつけて、勝った方が一夜をともに過ごすなど、芸者お座敷での大人の遊技として行われた。

(4月20日記)

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浅草六区通りの予約済看板

2012年04月19日 | 日記
                  予約済看板(浅草六区通り)

浅草六区通りの電燈柱に芸能人の看板がかかっている。
浅草に馴染みの芸人たち。
榎本健一、古川ロッパ、渥美清などお笑い芸人が多い。

その中に一枚「予約済」となっている一枚の看板を見つけた。
浅草から輩出した大物芸人であり、亡くなった時に掲げるように予約をしていると噂されている。

その人は、「ビートたけし」らしい。
今や、お笑い芸人、映画監督、絵描き芸術家等多彩な才能を表している。
顔写真が表示される時が楽しみである。

(4月19日記)

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マジックを披露

2012年04月18日 | マジック
                       マイライフ徳丸にてマジックを披露する

トラベルキャスターの津田令子先生の「旅のトークショー」でマジックを披露する機会がありました。
旅の映像の合間の時間を利用して、参加者にマジックを見てもらいました。

(1)白い紙がいつの間にか千円札に変身する。
(2)ロープに気合をかけると硬直をしてしまうもの。
(3)三色のロープを輪で結び色の位置が移動して変化をしてしまうもの。
(4)普通のハンカチの中から赤色の小さなハンカチが出現したり消えたりしてしまう現象。
(5)三枚のトランプカードのうち真ん中のカードを抜きだしてもらうと別のものになっているもの。
(6)指に絡めた輪ゴムがいつも間にか別の指に移っているもの。
(7)ロープに結びつけた3枚の色つきのハンカチが掛け声とともに空中に放されてロープから分離しているもの。
(8)最後は新聞紙を使用して一瞬に竹のこの形に変化するもの。

マジックも観客に喜んでもらいました。
間に笑いの小話なども入れたら、反応がよくみんなが笑っておりました。
とても良い体験をしました。
津田令子先生とのコラボレーションでマジック出演も5回目となりました。

(4月18日記)
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トラベルキャスター津田令子先生とのコラボレーション

2012年04月17日 | 日記
                        津田令子先生による旅のトークショー

トラベルキャスターである津田令子先生が板橋区のマイライフ徳丸で「旅のトークショー」を開催しました。
津田令子先生はNHKテレビの「いっとろっけん」という番組に長年出演をしていた旅のエキスパートです。
同番組では、野菜果物情報コーナーで友人の関根雄二氏も出演をしておりました。

この日は、津田令子先生が目白界隈を散策したときのビデオを映写して参加者に観てもらっていました。
東京で唯一走っている路面電車荒川線の都電が走っている映像から、鬼子母神、雑司ケ谷墓地にある夏目漱石のお墓、雑司ケ谷旧宣教師宅、カテドラル教会、講談社、鳩山会館など目白界隈の散策ポイントを案内していました。

後半は、日本の有名な温泉地を巡った時のもの。
湯河原温泉、伊香保温泉、乳頭温泉郷などを説明をしていました。
参加者は行ったことのある温泉地が出てくると歓声を出して見入っていました。
とても喜ばれて楽しんでいる人が多くおりました。

私は、コレボレーション出演をして「マジック」を披露しました。

(4月17日記)
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日下部綾子さんについて

2012年04月16日 | 躰道
                    気仙沼のカキ養殖業者の小松さんを訪ねた日下部綾子さん

東京国際大学躰道部出身の小松武さん、奥さんの万里子さん、日下部綾子さんは同期生であります。
小松さんは昨年の東日本大震災による津波でカキ養殖いかだと自宅が被災しました。
今は復興のためにカキの養殖いかだを作り、再出発をしているところです。
日下部綾子さんは、卒業後アメリカにわたり、今はテキサス州で過ごしております。
テキサス州には、日本のプロ野球から大リーグのレンジャーズに移ったダルビッシュ有投手が入団をして話題となっているところ。日本から多くのファンが訪れて来ていた。その時期にテキサス州から日下部綾子さんは被災した小松さんの気仙沼を訪れていた。

facebookで小松さんのところに来ている日下部綾子さんのことを知った。
コメントを送信したら、早速、日下部さんから便りが届きました。

ご無沙汰しております。おかげさまで、テキサスで元気に過ごしております。
今回、短期間ですが、一時帰国ができましたので、小松夫妻の震災後の様子を、会って、見て(観て)、聞きたいと思っておりました。
加えまして、日本への海外からの観光が、昨年の3月11日の東日本大震災後、80% 近く落ち込んだとのことをCNNのニュースで聞いていましたので、0.001%での貢献できればいいなとも考えておりました。
無事日本に来れましたので、うれしさと、そして、感謝でいっぱいです。今回、気仙沼大島で見た限りでは、一歩一歩という感じで、前に前進している姿を目の当たりにし、うれしくなった次第です。
明るい無職の同輩たちに、苦笑もいたしましたが、メディアで伝え聞いていました現地の様子とには、多少違いがあることもわかり、百聞は一見にしかずだなぁと、痛感した次第です。
自分が出来ることを出来る形で、ですが。末永く、被災地に心を寄せていきたいと思っております。
日下部綾子より

小松さん夫妻は、「友遠方より来たる!」と喜んでおりました。

(4月16日記)
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お花見散策(7)

2012年04月15日 | 日記
                          飛鳥山の桜と都電

王子駅に隣接する飛鳥山公園の桜の東京の名所の一つである。
江戸時代からお花見の名所として人気があった。
飛鳥山公園といえば「さくら」が有名です。
この地を桜の名所に仕立て上げたのは、八代将軍徳川吉宗でした。
約280年前、吉宗が享保の改革の施策のひとつとして、江戸っ子たちの行楽の地とするため、飛鳥山を桜の名所にしたのです。
こうして江戸の新しいお花見の名所として誕生した飛鳥山は、当時、桜の名所地では禁止されていた「酒宴」や「仮装」が容認されていたため、江戸っ子たちは様々な趣向を凝らして楽しみました。
飛鳥山は、明治6年、上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定され、平成の現在も「憩いと出会い」の場として親しまれています。

落語のなかに、長屋のお花見として飛鳥山の桜が出てくる。
長屋の住民は貧乏なので宴会料理も満足なものが準備できないで、卵焼きはたくあん、かまぼこは大根の漬物、お酒はお茶で濁している。

都内でただ一つ残っている都電が一般道路を併走する場所が飛鳥山の交差点付近。
都電が走る光景と飛鳥山の桜のコラボがとてもいい撮影スポットとなっている。
多くのカメラ愛好者が横断歩道橋の上から都電と桜のショットを撮影をしていた。

(4月15日記)

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