つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

野球観戦(3) 学生野球について

2009年04月30日 | スポーツ
           流通経済大学戦を終えて挨拶をする東京国際大学チーム(左側)

市営大宮球場での第3試合が終了したのは、午後5時過ぎであった。
まわりも暗闇始めていた。
東京新大学野球連盟の1部リーグでも強豪である流通経済大学に快勝した東京国際大学野球部。

昨年春より東京国際大学硬式野球部の監督に就任した古葉竹識氏(野球殿堂入り、日本シリーズ優勝監督、広島カープ監督)の存在が大きい。
それまでは数十名に足りなかった野球部の部員数も古葉竹識監督が就任することを聞きつけた全国の高校野球児たちが、東京国際大学を受験し入学して、硬式野球部に入部を希望ものが多くなった。
今年は、部員数も4倍となる170名の大所帯となっている。
その中には、広島カープで活躍した炎のストッパーと呼ばれた故・津田恒美投手の息子である津田大毅投手(3年)もいる。
父親が慕っていた古葉竹識監督に自分も指導を受けたいと九州から上京して入学を果たした。
プロ野球界でも実績を残した古葉竹識監督の指導は徹底している。
野球の実技と理論を共に学んで人間性を育成しているところにある。
人の話は良く聞いてくれる人である。
そのような素晴らしい指導者の下で育っていく野球部員は学生時代に身につけたものを社会人となって貢献していくことを祈念している。

(4月30日記)
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野球観戦(2) 伊藤和雄投手の好投

2009年04月29日 | スポーツ
              流通経済大学戦で好投する伊藤和雄投手

東京新大学野球春季リーグ戦の流通経済大学戦は市営大宮球場で行われた。
第2戦は、伊藤和雄投手(坂戸西高出身 184cm 82kg 右投げ 背番号18)が先発した。
1回には、不運な1点を先取されたが、その後は素晴らしいピッチングで三振奪取を重ねていた。
東京国際大学の5回の攻撃は圧巻であった。
無死満塁からショートフライの落球から1点。続いてショートオーバーのタイムリーヒットで1点を加点し逆転した。
その後左中間のタイムリー2塁打がでて走者一掃の3点を加点した。
伊藤投手は投げるテンポがよく、三球三振で次々に料理するほど好投であった。
5対1でリードを保ったが、7回に2ランホームランを浴びて5対3と得点差を縮まられる。
その後3点を加点した。相手チームは1点を返したがそこまでで8点対4点で、東京国際大学は勝利した。
一緒に観戦していた三宅ヨシロウ氏、砂川仁氏とともに喜びを分かち合った。
大学からも教職員、学生たちがたくさん大宮球場に応援に駆けつけていた。

(4月29日記)


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野球観戦(1) 古葉竹識監督の采配

2009年04月28日 | スポーツ
              試合前の練習でノックをする古葉竹識監督

東京国際大学硬式野球部が所属している東京新大学野球連盟の春季リーグ戦を観戦してきた。
1部は6大学でのリーグ戦。
今日の相手は強豪校の流通経済大学チーム。
昨日行われた第1戦では惜敗しているので、今日は雪辱戦となる。
さいたま市営大宮球場は清々しい春の陽光が射して気持ちよい。少し風があり周りの樹木の葉がゆれている。

試合前の練習では古葉竹識監督がノックをしている。
ノックを終えた古葉監督は、すぐ上の観覧席から見ていた自分に対して会釈をしたので返礼の声をかけた。
試合は伊藤和雄投手の先発で始まった。
1回に1点を奪われるものの5回には鬱憤を晴らす集中打で5点得点した。
第2戦は東京国際大学8点対流通経済大学4点で快勝であった。
第3戦は28日に同じく市営大宮球場で開催される。
この試合で勝利すれば勝ち点3を獲得する。

(4月28日記)
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60歳のラブレター(12)

2009年04月27日 | 社会
                    紫陽花・隅田の花火

●妻から夫へ
「オイッ、もう行くぞ!」お土産選びに夢中になってる私の耳に飛び込んできたのは、同じバスツアー仲間の旦那さんが奥さんを呼ぶ声でした。
「千鶴子さん、何かいいもの見つかった?」
これは私の愛しいひとの声! なんと耳に心地良い声なのでしょう・・・
40年間、貴方の声のトーンは変わりません。
貴方は絶対に私のことを、「オイッ」「チョット」は勿論、「おかあさん」ともお呼びになりませんよね。
何があっても「千鶴子さん」、そう千鶴子じゃなくて千鶴子さん。
長い年月、全く不満がなかったといえばウソになるでしょう。
でも貴方にその声で「千鶴子さん」と呼ばれると、「もうすべて帳消し!」って思ってしまう私。
あと何年一緒にいられるでしょう。
あと何回そう呼んでもらえるでしょう。
私も飛び切りのいい声で「ハイッなあに、まさやさん」ってお返事するね。
                  H.Cさん(和歌山県紀の川市 64歳)
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凌也くんのサッカー

2009年04月25日 | 日記
                    凌也くん(中央)のサッカー

凌也くん(小3年)が少年サッカーチームに入って練習を積んでいる。
下赤塚の小学生のチームで週に3、4日の練習に汗を流している。
土曜日の午前中赤塚小学校のグランドに3チームの少年サッカーチームが集まって試合を行った。
2年生チームは小さくて可愛い。ボールが飛んでいく方へ皆が移動していく。
3、4年生になるとチーム隊形を整えている。
ボールを受けた者が、次にどこへパスをすればいいか考えながら動いている様子が分かる。
ゴールにボールを入れると観戦している父母達から歓声があがる。

小学生サッカーチームの運営には、子供達の親達が協力してサポート役をしている。
サッカーの裾野が広がっていることがよく分かる。
Jリーグを日本の代表的なプロスポーツに育て上げたことの功績は大きい。
自分達が少年の頃は、野球が主なスポーツであった。
プロ野球選手の写真やカードを集めていた。
今では、少年達のスポーツでは、野球とサッカーが二分している。
プロ野球選手やJリーグ選手の活躍は、少年達に夢を与える重要なポジションにいる。

(4月25日記)
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JTB時刻表:1000号に

2009年04月23日 | 経済
                    JTB時刻表:1000号

(読売新聞より)
鉄道・バス・飛行機など国内交通機関のダイヤを掲載する「JTB時刻表」が20日発売の5月号で、通算1000号を迎えた。
同誌の創刊は1925年で、現在刊行されている時刻表の中では最も古い。
鉄道省が編纂(へんさん)した「汽車時間表附汽船自動車発着表」が前身で、42年に「時間表」から「時刻表」に改称された。
発行部数は86年11月号が過去最高の200万部に達したが、現在はインターネットの普及などで約15万部にまで落ち込んでいる。

「時刻表」はそれぞれの時代の世相を映す鏡としても評価されてきた。
75年3月号には、東京発着の寝台特急が10往復(現在は2往復)も掲載されており、航空機が高根の花だった時代の遠距離交通の実態を知ることができる。
また、航空機に関しては、昭和初期に国内線ダイヤ、87年には国際線ダイヤを掲載。
鉄道にこだわらず、交通機関の変遷にいち早く対応した。

「時刻表」を用いたトリックとして、松本清張の推理小説「点と線」(58年)はあまりに有名。
だが、「当時の時刻表には東京駅の入線時刻が記されていないので、時刻表だけであのトリックは成り立たないはずですが……」と打ち明ける。

     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

パソコンやケータイを使用していないときには、毎月のように時刻表を購入していた。
今では、ケータイでいつでも、どこでも全国の時刻表を無料で検索できる。
鉄道の時刻が改正されても即座に対応してくれる。
書籍の時刻表では、印刷されているので時刻が改正されると買い換えなければならない。
インターネットの普及で産業の片隅に追いやられた時刻表。
印刷数も少なくなり、輸送するトラックの運搬業も減少している。
最盛期(200万部)の7%(15万部)にまで減少してしまった本による時刻表の時代は終焉を迎えている。

(4月23日記)
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楽屋の緒形幹太さん

2009年04月22日 | 芸能
               緒形幹太さんと(国立劇場の楽屋)

国立大劇場で劇団若獅子の「王将」を観劇した後、楽屋の緒形幹太さんを訪れた。
その目的の一つに、先日緒形典江さん(故緒形拳夫人)から電話を頂いた時に、新国劇に入る前の竹早高校時代の緒形拳さんの情報を聞かれたからであった。
緒形拳さんとは高校時代の同期生である諸石一彦さんから在学当時のことを詳しく聞いていたので、その時の模様を紙に記述しておき楽屋の緒形幹太さんへ渡すことであった。
その時の模様を記述した内容を届けて、簡単に説明しておいた。
幹太さんの楽屋を出ると、ばったりと緒形典江夫人と出会った。
ここでも高校時代の緒形拳さんのことを説明した。
そして送別会の時に「王将」を演じたことが評判となり卒業式の謝恩会(昭和32年3月)では、父母たちの強い要望により「芝の料亭紅葉館の場」で坂田三吉を演じた。
5月3日には、NHKテレビにて「緒形拳さんについて」の放送があることを聞いた。
私の携帯電話の待ち受け画面が花に囲まれた緒形拳さんの写真であることを見せたら、典江夫人は「この花は好評でありました」と笑顔で話していました。

(4月22日記)
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両陛下ご成婚パレード馬車

2009年04月20日 | 日記
                両陛下ご成婚でパレードした馬車

両陛下が50年前にご成婚したときにパレードした馬車が展示されていた。
日本橋の三越本店1階。天女像の前。

年配の女性が多く長蛇の列をなしていた。
ほとんどの人がケータイでその馬車を撮影していた。
50年前には想像できなかったことが現実に目の前でおきていた。

馬車は、ガラス張りの中に展示されていた。
保管管理がしっかりしているのだろう。
黄金色に輝いている。
50年前にモノクロテレビで見ていたご成婚パレード馬車をしっかり拝見した。

(4月20日記)
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両陛下と旅

2009年04月19日 | 報道
           天皇皇后両陛下記念写真展「両陛下と旅」の案内ポスター

天皇皇后両陛下のご成婚50年・ご即位20年記念写真展「両陛下と旅」を観覧した。
会場の日本橋三越本店ギャラリーは、多数の婦人たちで混雑していた。
両陛下は、即位から16年で47都道府県すべてを回った。
日本地図の中には、両陛下が訪れた場所がピンで刺して表示していた。
かなりの数でその訪問地の多さにはビックリする。
この20年間に23ヵ国を公式訪問して国内外の多くの人々と触れ合われてきた。
こちらは世界地図の中に同じくピンで訪問先を表していた。
その多さにも驚きをもたらす。
両陛下はよく活動していることが理解できた。
写真展には、沿道の歓呼に応えられる馬車パレード、国内外の旅先でのスナップ、福祉施設などの激励、サイパン島での慰霊など、アルバムから選んだ思い出の写真が120点展示されている。

即位礼正殿の儀で着用した装束(黄櫨染御袍)、(御五衣・御唐衣)や、皇后さまのドレス、海外で贈られた品々も展示されていた。

(4月19日記)
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人形町の「いな福」

2009年04月15日 | 日記
                「いな福」のご主人と女将さん

人形町の交差点からすぐそばの横道を入ったところに味づくし「いな福」があった。
池田浮袴さんの馴染みの店であり、その日はいな福の主人である鈴木政憲さんの還暦誕生日であった。
いな福は、ご主人と女将さんの鈴木好江さん(通称おほほ女将)で経営しており、座席数は25席。
カウンター席と座席部屋が2部屋。
山海旬料理と名乗っているだけに、カウンターには、旬の食材が大皿に盛り付けられていた。
おまかせコース専門の料理店なので、何が出てくるか楽しみである。
冬の間はふぐ料理専門店となっている。

お通しが小鉢にそれぞれ分けられて8鉢並べられた。
カウンター席に座ると目の前で調理している様子が伺えるのも楽しみである。
お造りはホタテの刺身。
天ぷらは旬の山菜であった。あっさりカラッと揚がっているのはこだわりの胡麻油を使用している。江戸時代中期より続く「玉締め絞り」と言われる琥珀色に輝く最高級の関根の胡麻油だ。
焼き魚、伊勢海老も堪能した。締めは稲庭うどん。結構お腹がいっぱいになった。

店が一段落したところで、ご主人の還暦誕生日を祝い皆で乾杯をする。
そしてお祝いにマジックをプレゼントしたらとても喜ばれた。

美味しい日本料理がおまかせコースで、只今30周年の感謝価格の5,000円。
要予約 TEL03-3666-1729 中央区日本橋人形町1-4-13

(4月15日記)
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幸運招福酒

2009年04月13日 | 日記
                    “和彦盛”と“幸運招福酒”

蒲義尚さんから手紙が添えられて日本酒と焼酎のセットが送られてきた。
百年に一度の幸運招福酒」が出来ました。
ご飲食して頂ければ幸いでございます。
と手紙に記されていた。
そして焼酎のラベルには「池内自慢 和彦盛」と記載してあった。

日本酒に添えられていた解説文が面白い。
岐阜県中津川市蛭川1119番地の有限会社大橋酒造「創業百年蛭子正宗」
創業百年記念・地域活性化ユビキタス酒
日本初・モバイルQRコードくじ【エビスメール】企画

ラベルの真ん中にQRコードと抽選番号を配し、ケータイで読み取ると会社のホームページにアクセスする。
富くじエビスメールに応募ができる。
空メールを送信して会員登録をすると当選番号の発表がメールで知らせてくる。
健康・長寿関連商品がたくさん当たるようだ。
新しい宣伝方法の一つとして一石を投じたものである。

百年に一度の大チャンス! 大不況なんかぶっ飛ばせ!
百年あればいろいろあるさ 笑顔のときも 怒りのときも 涙のときも
みんなみんな百年感謝! 百年に一度の未曾有の経済金融危機もなんのその
この酒飲んでふっ飛ばせ! 明日は百年に一度の大チャンス!
未来は幸運招福大繁盛! 幸福日本列島!
不景気なんか気の病! 元気を出して勇気を出して活気をとりもどそう!

全く元気を出してくれる文章である。
これも蒲義尚さんのアイディアである。
●問い合わせ先 TEL0573-45-2018 有限会社大橋酒造

(4月13日記)
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蒲義尚さんについて

2009年04月12日 | 友人
                 アイディアマンである蒲義尚さん

とてもアイディアマンである蒲義尚さんがいます。
愛知県長久手町に所在するエコバンク株式会社の専務取締役です。
全国各地を奔走して活動をしている。
「もったいない」をテーマに健康・美容・環境を考えている。
名刺がとてもユニークでした。
天然植物抽出緑色素材で出来ていて、この名刺の半分は茶殻からできています。と明記してあった。名刺は緑色でお茶の匂いがついていました。

蒲義尚さんの夢の一つは、映画製作であると言います。
以前「蔵」という映画の製作に関わり、出演をしていました。
多くの賛同者を集めて映画を製作する構想はもう出来上がっているとのこと。

何しろ元気で明るくアイディアマンであり、人脈を広く持っている人です。
一緒に話しているとこちらまで元気をもらえます。

(4月12日記)

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天皇陛下と美智子皇后の金婚式

2009年04月10日 | 歴史
                  結婚式の馬車でのパレード

4月10日は、天皇陛下と美智子皇后の金婚式です。
50年前(昭和34年)の13歳のときを思い出します。
家にはテレビがなかったので、中学校の恩師である貝塚斌先生の家に友達と一緒に訪れました。
貝塚先生の家にはテレビがあって、快く私たちを迎え入れてくれました。

皇室の結婚式は、初めて遭遇した祝辞でありました。
馬車によるパレードに感動してテレビに見入っていました。
なんと優雅に進行していく馬車パレード。
戦後の混乱期を過ごしてきた日本の時代に明るい話題を提供してくれました。

軽井沢のテニスが取り持つ縁となり、ミッチーブームとテニスブームが到来しました。
テニスをする若い人が多くなる社会現象が起きたのです。

結婚50周年を健康に迎えられることは喜ばしいことです。
いつまでも健康に過ごしてほしいと祈念しています。

(4月10日記)
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三浦照雄さんのこと

2009年04月08日 | 日記
              上部頚椎中心療法(無象観)の三浦照雄さん

宮城県で躰道をしていた時に知り合った友人に三浦照雄さんがいる。
もう40年来の付き合いである。
三浦照雄さんは、東京に出てきてから専門学校に通って勉強し、あん摩マッサージ指圧師免許を取得して治療院を開業して30年になる。

治療院は、南武線の稲城長沼駅から徒歩5分。
看板は「上部頚椎専門 無象観」としている。
上部頚椎療法について聞いてみた。
現在は薬では治せない病気が増えています。精力減退、自律神経失調症などは病気の原因となる細菌があるわけでもなく、云わば体質の変化の積み重ねによって進行してゆくもので、例えば不健康な生活、過度のストレス、誤った食生活、環境ホルモンなど、まさに現代生活そのものからくる病気で人間が本来持っている自然治癒力の衰えが大きな要因となっています。言い換えれば生態機能がどんどん損なわれていく過程で起こる病気と言って良いでしょう。
上部頚椎中心療法とは、これを改善するためのものでもう一度自分自身の自然治癒力を体内に復活させる療法なのです。
頚椎の第一、第二の変位は背骨全体の歪みとなって波及し、多くの不調症状は神経圧迫による脳からの命令エネルギーの妨害から心身の不調を起こすことをつきとめたのです。
その頚の変位を手によって調整し人間が生まれながら備わっている自然治癒能力で、背骨全体のバランスをとり、不調を取り除くよう導きます。

三浦照雄さんの説明を聞いて、納得した。
自分も見てもらったら、第二頚椎が少しずれているとのこと。そのために神経が通りにくくなって眠くなったり、だるくなる症状が出てくる。
調整をしてもらったら頭の中がすっきりしたようだ。
上部頚椎の大切さを再認識した。

無象観は予約の客で繁盛しているようだ。
勉強をして、開業して30年間。よく頑張ってきた三浦照雄さん。
独特の哲学と自然に向き合う姿勢を感じた。

無象観の連絡先 TEL042-377-0516

(4月8日記)
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白鳥勝彦さんのイリュージョンマジック

2009年04月07日 | マジック
                    白鳥勝彦さんのイリュージョンマジック

TAMCのメンバーの白鳥勝彦さんはイリュージョンマジックを得意としている。
北区マジック友の会主催の奇術発表会に出演していたので観にいってきた。
会場は王子駅近くの北とぴあ・つつじホール。
会場は満員の盛況であった。

白鳥勝彦さんのマジックは最大で最高の出し物であった。
箱の中に女性を入れて蓋を閉める。
横から八本の槍を箱にめがけて差し込む。
箱を開けると女性はいない。
大きな布を覆いかぶせて、その布を取ると女性が箱のところに出現している。
再び布を覆い、その布を取ると今度は2人の女の子が出現していた。

そのイリュージョンを観ていた会場の観客たちからは大きな驚きと歓声そして拍手が湧き上がっていた。
素晴らしいマジックである。
白鳥勝彦さんは、イリュージョンの作品は自分で考案して、自分で道具を製作するようだ。
これからも益々高度なマジックを見せてほしい。

(4月7日記)
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