染井霊園は、明治7年東京府が開設しております。幕末から明治に活躍した大名や活動家、学者らが多く眠るところです。染井霊園の事務所で霊園の案内図を貰います。60名の著名人の墓の場所が明示されています。
高村光太郎は、妻・智恵子の死後、詩集「智恵子抄」で国民的人気を博しました。父・光雲は木彫の第一人者で上野公園の西郷隆盛像の作者。
小説「浮雲」で言文一致の先導者・二葉亭四迷(筆名は父親から「くたばってしまえ」と怒鳴られたことに由来。
東京美術学校(現東京藝術大学)設立の起動者で日本美術の先駆者・岡倉天心。俳句雑誌「馬酔木(あしび)」を主宰した・水原秋桜子。政治家の幣原喜重郎、若槻礼次郎などの墓所があります。
隣接する慈眼寺には、芥川龍之介、谷崎潤一郎の墓があります。さらに隣の本妙寺には、江戸町奉行を務めた遠山金四郎(桜吹雪の金さん)、剣豪・千葉周作、囲碁の名人位である本因坊歴代の墓や明暦の大火(振袖火事)の供養塔などもあります。