つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

東京国際大学躰道部OB会(その1)

2009年11月30日 | 躰道
                 東京国際大学躰道部OB会記念式典

東京国際大学躰道部OB会総会が開催された。
久し振りのOB会総会であった。
躰道部創立記念式典は、OB会と現役躰道部の共催で開催されてきた。
東京国際大学(前国際商科大学)の創立一年目の昭和40年に躰道部は創部された。
20周年記念式典は、半蔵門会館にて開催された。祝嶺正献最高師範や大学の創立者である金子泰藏学長も参列された。
25周年記念式典は、六本木のジオイドにて開催された。
30周年記念式典は、新宿のホテルセンチュリーハイアットにて開催された。
いずれも200名以上の参列者があり、盛大に行われた。
この時、祝嶺正献最高師範に対して贈呈した感謝状は、伊豆高原の岳雲荘客間に掲げてあった。
40周年記念式典は、OB会だけの集まりであった。
総会では、5代目会長に勝木弘幸氏(1期生)を選出した。

中でも参列者の中には6期生OBなどは、北海道の北川昭雄君、大阪の伊藤日出雄君、富山の高見日出男君、東京の高山君、埼玉の小山正雄君らは、同期で平成15年8月に逝去した森迫親正氏の墓参りをするということで全国からこの日のために集合したのであった。

(11月30日記)
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内藤大助のミヤタジム

2009年11月28日 | スポーツ
             内藤大助チャンピオンの練習ジム(ミヤタジム)

京成立石駅から徒歩3分のところにミヤタボクシングジムがある。
知り合いの佐藤守男さんに案内されてミヤタジムまで行ってみた。
練習生が一生懸命にボクシングに集中して汗を流している。

このミヤタジムは、内藤大助チャンピオンを輩出して脚光を浴びた。
地元立石の住民からの賞賛の声があがり、街は明るい話題で持ち上がった。

WBCライト級ボクシング世界チャンピオンである内藤大助に、同級3位の亀田興毅が挑戦する。
11月29日夜、さいたまスーパーアリーナで開催される。
亀田三兄弟の長男である興毅選手は、挑戦的な発言で話題を広げている。

内藤大助選手(WBC世界フライ級チャンピオン)は防衛5回を達成している。
北海道出身。プロ通算戦績は40戦35勝(22KO)2敗3分。
左右フック主体の右ファイタータイプ。

亀田興毅選手とどのような戦いを展開するのか、立石の人たちは今回も内藤大助の応援に力が入る。
いよいよ決戦の時が迫る。

(11月28日記)
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石巻の和久魚問屋展示ブースにて

2009年11月27日 | 躰道
                   和久魚問屋の展示ブース

今年も恒例の「ニッポン全国物産展」が多くの人を集めて池袋のサンシャインシティで開催された。
このイベントは都道府県ごとにブースが設置されていて、地元の物産を紹介している。会場は3箇所に分かれているがどこの展示場も人が集まっている。

宮城県の展示ブースに行った。
和久魚問屋」では、金華かつおのたたきや昆布締めしめさば、三陸石巻港直送の魚を直売していた。ブースの周りは何重にも人が囲んでいた。

石巻の和久魚問屋なら、阿部和久社長の会社だと直感してブースの人に声をかけた。
「そうです」との返事をした人は名刺を出してきた。
名刺には、株式会社和久魚問屋 代表取締役 阿部幸彦 と明記してあった。
和久社長の長男であり、今では和久社長が会長になり、息子の幸彦氏に社長を任しているを知った。

阿部和久会長とは、石巻の躰道の指導者である志摩制基範士の関係で知り合ってから30年ほど経過する。
石巻の躰道協会の運営を支援してくれる代表者で、自分も石巻に行くと阿部和久ご夫妻には大変お世話になったことがある。

阿部幸彦氏も「志摩制基先生から躰道の指導を受けていたことがある」と話す。
とても礼儀の正しい若き社長である。
池袋の展示会場で、石巻の和久魚問屋の関係者と会えたことを嬉しく感じた。

(11月27日記)
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都築幹彦さんのマジック・マイスター

2009年11月26日 | マジック
          マジックマイスターを終えて来場者と歓談する都築幹彦さん

TAMCのメンバーで都築幹彦さんが、マジックマイスターに出演したので、観覧に出かけた。
マジックマイスターは、マジック界の重鎮である藤山新太郎プロがプロディースするマジック発表会。
会場は、今年完成したばかりの「座・高円寺」。
階段式の座席になっているのでとても見やすくなっている。

出演者は、藤山新太郎プロから直接指導を受けているアマチュアの門下生たち。
かなりレベルの高い奇術を披露している人も沢山いた。
都築幹彦さんも藤山プロの門下生。
TAMCのマジック発表会での作品も藤山プロから指導を受けているものが多くあった。
本日の出し物は「如意独楽」。
かなり練習をしていたようで、見事な演技を披露していた。
プログラムの最後は、藤山新太郎プロとゲストのカズ・カタヤマプロ
流石に鮮やかなプロの奇術であり、テンポも素早いのでとても参考になった。

終了後、都築幹彦さんはロビーで来客に応対していた。
TAMCのメンバーも沢山駆けつけており、都築幹彦さんの奇術を評価していた。
益々磨きがかかってきた都築幹彦さんの出演であった。

(11月26日記)
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花園神社の酉の市

2009年11月25日 | 日記
               新宿花園神社の酉の市風景

新宿の花園神社の酉の市に行きました。
装飾した熊手に商売繁昌と書いてある。
スナック経営者の女の人が2万円の熊手を買い求めていた。
3,000円値切って交渉成立。そしてご祝儀として3,000円を渡してプラマイ0となった。
ご祝儀分は、露天商の関係者とともに杵でシャシャシャンシャンと手打ちが行われて商売繁昌を祈念した。

花園神社の酉の市は、明治時代に始まりました。
酉の市は、大鳥神社の祭神である日本武尊が東夷征伐の戦勝祈願をし、帰還の時にお礼参りをしたことにちなみ、日本武尊の命日である11月の酉の日に行われるようになりました。商売繁盛の熊手を売る露天商のにぎやかな声は、師走を迎える街に欠かせない風物詩。
毎年60万人もの人が訪れる市の日は花園神社名物の見世物小屋を観るチャンスでもあります!
江戸時代から続く年中行事で、開運招福・商売繁盛を願うお酉さまは、鷲神社にその起源があるとされています。
同社のご祭神は日本武尊(ヤマトタケル)で、その昔、東夷討伐の帰路に花又地に立ち寄り、戦勝を祝したことが縁で、尊が伊勢の能褒野(ノボノ)で亡くなった後、神社を作りお祀りしたと伝えられています。
11月の酉の日に、武家は綾瀬川を船で上り、町人は徒歩か馬を使って詣でていました。
しかし、江戸より遠かったため、千住の赤門寺に「中トリ」、浅草竜泉寺で「初トリ」が行われ、吉原を背景とする浅草の大鳥さま、大鷲神社と隣接する鷲在山長国寺が繁昌するようになりました。
「酉の市」は関東特有の行事ですが、静岡県浜松でも行われています。
かつて徳川家康の駿河国の行事だったものが家康江戸入府とともに伝来したという説もあります。
それが前述の起源と結びついて、武神としての信仰から、商人の守り神へと転化されたようです。
日本武尊を祭神とし、尾州徳川家に祀られたと伝わる新宿大鳥神社は、花園神社の境内に鎮座されています。
その社紋(神社における家紋)は、「鳳凰の丸」が用いられています。

酉の市には開運熊手守、福財布、破魔矢(あたり矢)が授与されます。
新宿の街の発展に伴って参拝する人が増え、浅草おトリさまと並んで山の手随一の賑わいを誇っています。

(11月25日記)
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楳図かずおのまことちゃんハウス

2009年11月24日 | 日記
                楳図かずおのまことちゃんハウス

吉祥寺駅と井の頭公園の間にある住宅地は閑静な場所にある。
どこの家も立派で敷地の面積も大きい家が多い。
子供の頃住んでいた場所に近いところなので、よく遊び歩いたところである。

その一角に周辺住民と景観論争で話題となった楳図かずおのまことちゃんハウスがある。
赤と白の縞々の外壁に囲まれた童話に出てくるようなカラフルな家である。
上部にはまことちゃんが設置されてある。

確かに閑静な住宅街の中で突出したカラフルなデザインの家である。
裁判でもまことちゃんハウスは適法であるとの判断が下されている。
テレビで家の中を紹介した番組を観たが、楳図氏のコンセプトに基づいた内容であった。
自分の考えた構想通りに家を建てられるのは幸せなことである。
自分の歩んできた人生の集大成の一環であることだろう。

吉祥寺は新しいものと昔からあるものがミックスされた街である。

(11月24日記)
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井の頭のお茶の水

2009年11月23日 | 日記
                   井の頭池の湧水

井の頭池の水は湧水から流れ出る水により貯められている。
昔、徳川家康が鷹狩りにきて3羽の鷹を打ち落とした。そのことにより三鷹の名称が残っている。
家康公がお休み処でお茶を飲んだところとても美味しいとご満悦であった。
その場所は今でも御殿山として地名で残っている。
湧水の水で沸かした湯を利用して茶を入れたので、その湧水をお茶の水として残した。
家康公が「江戸の市民にこの湧水を飲ませよ」と命令したことが神田上水の始まりであり、今では神田川となって到達したところがJRのお茶の水駅として残った。
この神田上水については、本郷の水道博物館に説明があり、模型も設置してある。
今でも留まることなく水が湧き出ている。そして井の頭池の水が満たされている。

(11月23日記)
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井の頭公園の七井橋

2009年11月22日 | 日記
                   井の頭公園の七井橋

井の頭公園の井の頭池はY字型になっていて中央部分を七井橋が通っている。
三鷹市の牟礼の人が歩いて吉祥寺に来るときに利用する人もいる。
この七井橋はなかなか池との調和があって風情がある。
子供の頃は木橋であった。その頃は名称は付いていなかった。
コンクリート橋にリニューアルした時に「橋の名称」を公募していた。
小学時代の時ではがきで応募したことを思い出した。
今の橋はさらにリニューアルした最新の橋である。

七井橋の由来は、井の頭池は湧水で池の水が満たされている。
池に湧き出す場所が七つあるところから七井橋と命名された。
池の水面すれすれのところに渡してあるので、水鳥や池の中の鯉や魚が近くで見ることが出来る。
七井橋から見る公園の景色は昔とあまり変わっていないところがとてもいい。
そして懐かしく昔の思い出を蘇らせてくれる。

(11月22日記)


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秋の井の頭公園

2009年11月21日 | 日記
                  秋の井の頭公園

吉祥寺駅の南へ5分ほど歩いたところに井の頭公園がある。
公園は秋の様相を表わしていた。
樹木は紅葉して、池には水鳥がスイスイ泳いでいる。
池の周りを高校生の一団がランニングトレーニングをしていた。

中学生まで井の頭公園のそばで生活をしていたので親しみを感じている。
吉祥寺へ行くと足は井の頭公園へと向かうことが多い。
自然が残っている井の頭公園はいつの季節もいいものだ。

(11月21日記)
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板東英二氏の講演

2009年11月20日 | 文化
                     板東英二氏

NTTソフトソリューションフェア2009の展示会が「いまこそ新価値! みらいを新発見!!」のテーマでウェスティンホテル東京で開催されていた。
インターネットで申込をして参加した。
次世代コミュニケーションを支援するソリューションなど参考になる展示がしてあり、スタッフから詳細な説明を受けた。

そのフェアの一環として、板東英二氏(タレント・野球評論家)によるセミナーがあった。
板東氏は「このような立派な会社のセミナー講師として呼ばれるのは場違いではないか」と切り出して、「板東英二のがむしゃら人生」のテーマで1時間の講演を担当していた。
主に、板東氏が歩んできた野球人生と現在のタレント活動についてであった。
1940年に満州生まれ。残留孤児にならず家族とともに引揚者として徳島県の板東収容所跡地に住む。そこは第一次世界大戦後、ドイツ軍の捕虜収容所であったところ。

布切れで作ったグラブとボールで野球を始める。高校時代は早朝から深夜まで学校の授業時間以外は野球の練習に明け暮れていた。高校野球の甲子園球場では魚津高校の村椿投手と投げ合った延長戦は今でも話題となることがある。
当時はプロ野球より高校野球の方が人気があった。卒業して東京六大学で神宮球場で野球することが憧れであった時代でもある。

赤バットの川上、青バットの青田、物干し竿の藤村の活躍を知り、大人の野球を見て育った。
昭和33年に長嶋茂雄が立教大学のスーパースターとして巨人軍に1,800万円の契約で入団し、翌年には王貞治がやはり巨人軍に1,800万円で入団した。当時は100万円と土地があれば一生暮らせる時代だった。
同年、中日ドラゴンズと東海銀行の役員4名が徳島の貧しい我が家に来て、2,000万円の現金を見せられて、中日ドラゴンズに入団を決意したことを覚えている。

ユニフォームを脱いだあとは、今度はボールをマイクにもちかえていた。
テレビのクイズ番組「アップダウンクイズ」「クイズダービー」「世界ふしぎ発見」のエピソードも披露した。
今までのがむしゃらに生きてきた人生を、楽しく、おかしく、飾らない言葉で語っていた板東英二氏の講演でした。

(11月20日記)

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古葉竹識野球部監督

2009年11月19日 | スポーツ
            古葉竹識野球部監督を囲んで(ホテルニューオータニ)

大学公開講演会パーティーには、いろいろと来賓や大学関係者が参列していた。
ミズノ株式会社の水野明人社長秋元司参議院議員、来春ソフトボール部創設に伴い特命教授となって指導を担当する宇津木妙子監督、そして硬式野球部の古葉竹識監督等が来場していた。

衆議院議員の山口和之氏と笠原多見子氏の二人を古葉竹識監督に紹介した。
古葉竹識監督は「今年のプロ野球では、巨人の原辰徳監督は、アジア選手権優勝、WBC優勝、セリーグ優勝、日本シリーズ優勝した。これは立派なことです。原監督がやってなく、自分が達成しているのは日本シリーズ2連覇です」と述べていた。
懇談後、古葉竹識監督を囲んで写真を撮った。

就職関係者のところには、各社企業から参加した担当者が列をつくって挨拶を交わしていた。
なかなか有意義な公開講演会懇親パーティーであった。

(11月19日記)
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東京国際大学公開講演会

2009年11月17日 | 日記
               講師の中嶋嶺雄国際教養大学学長

東京国際大学の公開講演会がホテルニューオータニにおいて開催された。
これは大学の社会貢献の一環としての毎年開催されている講演会である。
卒業生が就職している企業の関係者や大学の教職員、同窓会役員ら800名が出席していた。

第35回となる今年の講演者は、公立大学法人国際教養大学理事長・学長である中嶋嶺雄先生で、演題は「人類に残された最大の南北問題としての中国」であった。
中嶋嶺雄先生の著書には「現代中国論」「中ソ対立と現代」「北京烈烈」「香港 移りゆく都市国家」「アジアの知略」などがある。
中国に対してはかなり研究をしている。

講演は、建国60周年を迎えた日の人民日報には、国家主席の胡錦濤と並んで胡耀邦の写真が掲載されてある。これは何を意味するのか。と人民日報を高く掲げて見せていた。
現在の中国は軍事予算が全体の20%となっている。陸海空軍の他に宇宙空間までも掌握をしようとしている。世界で中国を攻略する国はあるのか。
中国政府は三重の抑圧体制を強いて国民を管理している。
①人民解放軍 ②人民武装警察部隊 ③公安警察の三重組織体制である。
隣保体制の組織により報告制度を強いて行動のおかしい人を密告する制度がある。

マスメディアは、中国の経済的向上をあげているが、一人当たりのGDPは3000ドルである。日本は36000ドル、台湾は20000ドルで大きな開きがある。
地球温暖化の大きな原因を出しているのが中国である。
日本は東京大空襲、広島、長崎の原爆投下等で敗戦後、戦争は一度もしていない。
一方、中国は軍備費を年々増加させて今までに何回も戦争を起こしているにも拘らず自己責任を問うことはない。日本に戦争責任を問うこと自体がおかしな話である。権力闘争に明け暮れているのが現在の中国である。
最後に鳩山政権が東アジア構想を打ち上げているが、中国が中心となっていく可能性が強くある。とまとめられた。

(11月17日記)
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事業仕分けと予算編成

2009年11月16日 | 政治
                    枝野幸男衆議院議員

大宮ソニックシティ国際会議室で開催された「枝野幸男衆議院議員オープンミーティング」に友人の案内で参加した。
テーマは、「事業仕分けと予算編成
政府の行政刷新会議のワーキング事業仕分けが3日間に亘って実施された後だけに、タイミングよく総括担当の枝野幸男氏から直接話を聞くことが出来た。

枝野幸男総括の話によると、事業仕分けの聞き取りにおいて「一時間で何が出来るのか」との意見があった。3日間の聞き取りの前には、行政からヒアリングを重ね、また予算に計上されている現場へ行って生の声を聞いてきている。とのこと。
今までは予算案は、各省庁と財務省が密室で議論をして決めてきた。公開の場で予算編成をすることははじめての試みである。

事業仕分けは法的な権限を持たない。あくまでも予算案は内閣で決めるもの。
事業仕分けの内容は、理屈に合わない予算をチェックしている。
新たな事業提案を検討することにしている。継続事業は行政の担当者に説明をしてもらい無駄がないかチェックをしている。
廃止とした場合、もし復活するには立証する必要がある。ひっくり返すには高いハードルとなるだろう。

役所の発言内容にはピントのずれがある。
独立行政法人国立女性教育会館の白髪の女性理事長が仕分けチームの質問に対して「私にも発言させろ」と噛み付いていた様子がメディアで報道されていた。
行政側は事業のメリット説明をするが、事業仕分けは無理無駄を省くことを目的としている。

例えば、基金と称するものが山ほどある。いわゆる埋蔵金である。今までのやり方を廃止して毎年の出金にすれば3,000億円が浮いてくる。
国が直接担当をしなくても、その分市町村に交付してやればいいことが沢山ある。
天下りのいるところの一社入札もかなりある。
例えば、国営公園(昭和国営記念公園、沖縄万博跡国営公園)は財団法人一社で運営している。
また、同じような事業を各省庁ごとに同じような補助金を出しているのが現状。
脱官僚依存の意味を考慮して政治的指導の予算を編成していくと話はまとめていた。

後半は、参加者からの質問に枝野幸男議員が応答する時間に割り当てられている。
枝野議員の選挙区である埼玉5区以外の場所からの参加者も多くいた。
またメディア関係者もいたようだ。

(11月16日記)
 
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マンモスの骨を利用した住居

2009年11月15日 | 日記
                マンモスの骨を利用した住居(国立科学博物館)

国立科学博物館に面白いものが展示してあった。

「マンモスの骨を利用した住居」
機能的な住居の建設技術は、寒冷地へ本格的に進出するための必要条件であった。
とくに草原の広がる東ヨーロッパ地域では寒い冬に避難できる洞窟や岩陰が少ないのでなおさらである。
ウクライナを中心に、マンモスの骨を利用した3万~1万年前の住居跡が数多く見つかっている。
なかでも圧巻なのはメジリチ遺跡第1号住居(1万5千年前)で、95個の下顎骨をはじめ400にものぼる骨が使用されていた。
この展示では、メジリチ遺跡の例をモデルに当時の住居を部分的に復元した。
(展示解説より)

(11月15日記)
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阿部康一さんのこと

2009年11月14日 | 友人
                        阿部康一さん

阿部康一さんは、大学時代の同じ西山忠三会計ゼミの一期生の仲間です。
先日開催された同期会には欠席したので、その報告を兼ねて会社を訪れました。

学生時代の卒業旅行(昭和44年3月)には、阿部康一さんの自家用車に乗って九州一周旅行をしました。
同じゼミの成瀬智仁さんと岩谷雅夫さんの4名での楽しい旅でした。
鹿児島では、ボウリング部同期で天文館商店街でカバン店を経営している樋口弘文さんのお世話になったことが昨日のように思い出されます。

阿部康一さんは、大学時代にボウリング部を仲間とともに創部して活動していました。
今ではボウリング部の後輩で関根直子さんは女子プロボウラーとして活躍しております。

阿部康一さんは、今は阿部パイプ店の二代目社長として仕事に尽力しております。
墨田区亀沢で生まれ育ったチャキチャキの江戸っ子気質を持った人です。
とても明るく大きな声で話し、いつも笑顔が絶えません。
墨田区の牛島神社の氏子として人の面倒を多くみております。
また商工会の仲間も多く沢山の会合を通しての交流の広さもあります。

会社の後継者も息子さんに決定していますが、元気な体のうちは一生懸命に働いていきたいと話しておりました。
人の話をよく聞く姿勢が多くの人から信頼される人柄なのでしょう。

(11月14日記)
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