つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

BUSINESS BRIEFINGの開催

2011年11月30日 | 日記
               「BUSINESS BRIEFING」で講演をする三愛の和田敬三社長

企業が会社情報を伝える方法としてBUSINESS BRIEFINGを開催することがある。
シーツー株式会社は、鎌田博次社長による新ビジネス本出版による講演会を開催した。
全国各地で巡回開催をしている。
東京は、新宿のハイアットリージェンシー東京においてBUSINESS BRIEFINGを開いた。
200社以上の関係者が集まり、出版記念講演会を開催した。
ゲストとして株式会社三愛の和田敬三社長による講演があった。
アットメールを導入した事例を説明をして、会社全体の売上げが上がった成果を披露していた。
三愛は水着メーカートップシェアの会社であるが、他の事業部である下着と衣料のタイアップにより、リピート客数、来店頻度数、新規客数がいずれも上向き総合的に業績が上がった。と説明があった。

和田社長の理念は「まず顧客を考える(想いを巡らす)事からはじめよう!」と社員に提案したことによりメールマーケティングの効果を発揮した。
最後に、目で買う時代から心で選ぶ時代になってきた。とまとめていた。

商売繁盛講座では、ガレリア大阪の平田久美子店長のMCにより、アットメールユーザーを代表してココチバーガーズの後藤麻里オーナーがメール会員を集めて売上げアップになった状況を分かりやすく説明をしていた。

参加者は有意義な講演会であったそしてアットメールに興味を持った等をアンケート用紙に記入して、新刊本「リピーターづくりのしかけ厳選30」(すばる舎リンケージ出版)を受取っていた。

(11月30日記)
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祝嶺正献最高師範の墓参り

2011年11月29日 | 日記
                 創始者である祝嶺正献最高師範の墓にお参りする関係者

来宮神社で奉納演武を終えた「祝嶺の型研究会」のメンバーは、車に分乗して熱海市から伊東市へ向かった。
良く晴れていたので海上に浮かぶ初島も車中からも近くにはっきりと姿が見えていた。

伊東駅の裏手の坂道を登っていくと松月院を通過するところに墓所の入り口がある。
車を降りて急な坂道を歩いて登っていくと祝嶺家の墓がある。
墓の前は広くなっていて、多数の人たちが集まってもスペースがあるところ。
その日は、祝嶺正献最高師範が逝去してから10年目の命日であった。

◆10年前の11月24日は全日本躰道選手権大会が東京武道館で開催されていた。祝嶺正献最高師範は大会会長として開会式での挨拶は、参加していた選手たちを激励する力強いスピーチであった事がとても印象に残っている。皆で「今日の祝嶺正献最高師範のスピーチは一段と力強くて素晴らしいものであった」と話していた。
翌日の25日には伊豆高原の祝嶺正献最高師範の家(岳雲荘)には、全国の指導者たちから多くの電話がかかってきて「昨日の全日本大会は素晴らしい大会でよかったですね!」との称賛の声が多くあった。電話を受けた祝嶺正献最高師範はとても気分が良く一日を過ごしていた。
その翌日の26日早朝に体調を崩してあっという間に天国に召されて行ってしまった。
その訃報を知った全国の指導者・会員たちは伊豆高原の祝嶺正献家に集まってきた。伊豆の山々の樹木の葉は紅葉に満たされていた。

祝嶺正献最高師範のお墓の前には、熱海の大川公男先生夫妻と山梨県の板山昌司先生らがすでに墓参を終えていた。祝嶺正献最高師範と一緒に食事をするとのことでバーベキューの準備をしているところであった。

それぞれ手渡された線香を手向けて各人各様が墓地の最高師範に話しかけていた。
奥様の和子様も一緒に眠っている墓所である。
高台にあるお墓なので、伊東の海がとても良く見える。
奉納演武を終えて、すぐにお墓参りにはせ参じた人たちは祝嶺正献最高師範とともに過ごした充実した一日であった。

(11月29日記)
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玄制流棒術を披露する

2011年11月28日 | 躰道
              奉納演武で玄制流棒術を披露する祝嶺の型研究会会員(来宮神社)

祝嶺の型研究会のメンバーが演武する種目の中に「玄制流棒術」がある。
坂中利男師範が得意としていた棒術を森田旭師範が受け継ぎ、今では菅野、武田、内野、両角、川合、真野会員らが継承して伝承をしている。

演武会では毎回披露をしている。
観ていてもその演武の素晴らしさが伝わってくる。6尺の棒が俊敏に動いていく姿は迫真の演技として感動を与えている。

躰道では試みる人がいないので、玄制流棒術は正統に伝承していってほしい。

(11月28日記)
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祝嶺の型研究会の奉納演武

2011年11月27日 | 躰道
             谷鐵太郎師範による「延命の法形」奉納演武(来宮神社)

武道をやっている人たちは日頃の稽古の成果を神社に奉納演武をすることがある。
祝嶺正献最高師範の残した型を正統に伝承していこうと活動をしている組織が「祝嶺の型研究会(代表祝嶺育代最高師範)」である。

静岡県熱海市の来宮神社において「第5回奉納演武会」が開催された。
本殿での神事儀式のあと、演武会は本殿前で始められた。
森田旭師範の進行で全員が本殿に向かって礼をする。
演武内容は、基本業技として全員で四方五段受けと四方猿臂当てを行った。
基本型として、人位の型の団体演武を斎藤、川合、真野、上保の4名で披露。
三才の型の団体演武は菅野、武田、内野、両角の4名が披露する。
王冠の型を川合美貴子さんが演武した。川合(高橋美貴子)は白梅短大躰道部に所属していたときに第11回全日本躰道選手権大会の女子個人法形競技で優勝している。
棒術(組棒含む)の天龍の棍は、菅野、武田、内野、両角、川合、真野の6名が演じた。
古流の型では、バッサイ(抜塞)の型は森田旭師範の個人演武。クーシャンクー(公相君)の型は会員による団体演武。
躰道の延命の法形を谷鐵太郎師範が披露した。
最後は祝嶺育代最高師範による特別演武「地制の法形」の披露があった。

祝嶺正献最高師範が亡くなって10年目となるその日に奉納演武が行われた。
天気が良く晴れていて天空から奉納演武を見ている祝嶺正献最高師範の姿が見えるようだった。

祝嶺正献最高師範は道着を着用して稽古を続けるところに意義があると常々語っていたことを思い出した。

奉納演武を終えた一行は、伊東市の祝嶺正献最高師範のお墓参りへと向かった。

(11月27日記)                          
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ゴールドクリスマスツリー

2011年11月26日 | 日記
               銀座田中貴金属本店の「ゴールドクリスマスツリー」

12月になるとクリスマスの月となり、華やいだ雰囲気が街に流れてウキウキとする人が多くなる。多くの施設ではすでにクリスマスツリーや光のページェントやイルミネーションなどで飾っているところもある。

東京メトロ有楽町線の銀座一丁目駅の7番出口の階段を昇っていくと銀座中央通りに出る。その前に銀座田中貴金属本店がある。
その店の中に「ゴールドクリスマスツリー」が飾られた。

GINZATANAKAのゴールドクリスマスをテーマに、華道家の假屋崎省吾氏がプロデュースしたクリスマスツリー、純金製の胡蝶蘭50個と純金製ハート型プレート60枚が、純金製のリボンとともに、クリスマスツリーを飾ります。
ツリーのトップに欠かせない星も純金製で、約20cm四方のの大きなオブジェです。
金色に染められたポインセチアを敷きつめた中に輝くクリスマスツリーは、イルミネーションで華やぐ銀座の街の中でも、ワンランク上の特別な輝きを放ちます。
高さ約2.4m 純金約12kg(総重量) 参考価格約1億5千万円と、説明書きが掲示してあった。

銀座通りを歩いている女性たちが店の中に入って、ケータイのカメラで写真を撮っていた。

(11月26日記)
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東京スカイツリー(11月)

2011年11月25日 | 日記
                       東京スカイツリー(西巣鴨橋より)

山の手線の池袋と大塚の間に西巣鴨橋という跨線橋がある。
橋の下には、山の手線と湘南新宿ライナー線が通っている。
線路の東側前方に東京スカイツリーがよく見える。

東京スカイツリーは高さ634メートルで電波塔としては世界一に認定された。
完成は来月の12月となっている。

一般の人のためのスカイツリー展望室開業は来年の5月22日からと発表されている。
すでに展望入場券は旅行業者などを通して予約販売がされたようだ。

開業当初は、メディアがスカイツリーについての情報を連日テレビで放送したり、新聞や雑誌でも報道をするだろうから、当分の間スカイツリーブームが続きそうだ。
東京スカイツリーがオープンして展望室へ登れるのはかなりの日数がかかるようだ。

(11月25日記)
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池上本門寺

2011年11月23日 | 日記
                           池上本門寺の大堂

東急池上線の池上駅から徒歩10分ほどに池上本門寺がある。
96段の石階段を登ると青空の中にそびえる27メートルの高さの大堂がある。

大堂「祖師」すなわち日蓮を祀ることから「祖師堂」ともいう。
旧大堂は、本門寺14世日詔の時代の1606年(慶長11年)加藤清正が母の七回忌追善供養のため建立したが、1710年(宝永7年)焼失。
本門寺24世日等時代の1723年(享保8年)8代将軍徳川吉宗の用材寄進により、規模を縮小の上再建された。
この2代目の大堂は、1945年(昭和20年)4月の空襲により焼失。
1948年(昭和23年)仮祖師堂と宗祖奉安塔を建設。

その後、本門寺79世伊藤日定が中心となり全国檀信徒の寄進を受け、1964年(昭和39年)現在の大堂を再建した。
現在の大堂は、鉄筋コンクリート造で屋根は入母屋造。
高さ27メートルの大建築である。
再建後は本門寺80世金子日威が揮毫した「大堂」の扁額がかかる。
堂内中央の厨子には、日蓮聖人坐像、右には日輪聖人坐像、左には日朗聖人坐像を安置する。
1966年(昭和41年)川端龍子による天井画「未完の龍」が描かれている。
2005年(平成17年)4月から屋根瓦修復及び雨水漏水対策、耐震補強・防火対策等の工事が行なわれ、建物全体が足場で覆われていたが2006年(平成18年)4月に工事が完了した。

(11月23日記)

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勝鬨橋について

2011年11月22日 | 日記
                       勝鬨橋の欄干に飾られた模様

天気の晴れた錦秋の日和、築地に行った折勝鬨橋まで足を伸ばしてみた。
橋の欄干に飾られた可動している模様が往時を偲ばせる。
小学校の遠足で勝鬨橋が真ん中から左右に大きく跳開する模様を見学したことを鮮明に覚えている。

勝鬨橋は1933年に着工し、1940年6月14日に完成。
勝鬨橋は無事完成し「東洋一の可動橋」と呼ばれるほどの評判を得た。
当初から路面電車用のレールが敷設されており、1947年から1968年まで橋上を都電が通行していた。

設置当初は1日に5回、1回につき20分程度跳開していた。
この頻度はほぼ1953年頃まで続いたが、船舶通航量の減少と高度経済成長の進展で道路交通量が増大したことで次第に跳開する回数は減少し、上流に佃大橋(開閉機構を持たず桁高も両岸堤防ぎりぎり)が建設された1964年以降、船舶通航の需要は乾倉庫にほぼ限定され、開閉回数は年間100回を下回るようになった。
1967年には通航のための最後の跳開が行われた。
その後は年に一度ほど試験のため跳開されていたが、航行する大型船舶がなくなったことや交通量の著しい増加などの理由で1970年11月29日を最後に開閉が停止となり、1980年には電力供給も停止された。

(11月22日記)
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マジックでボランティア活動

2011年11月21日 | TAMC
大田区立徳持高齢者在宅サービスセンターでのボランテイア活動

TAMC(東京アマチュアマジシャンズクラブ)によるボランティア活動に参加した。
メンバーの川崎利秋さん三好勲さん近藤誠さんと私の4人。
東急池上線の「池上駅」に迎えの車が来ていた。

池上駅から5分ほどのところにある大田区立徳持高齢者在宅サービスセンターが会場で約40名ほどの人がホールに集まっていた。
1時間の予定時間のなかで4名がそれぞれ自分の得意とするマジックを披露していく。
高齢者でも分かりやすいカラーシルクの変化や動物当てマジック、ロープマジックなどが次から次へと披露される。
お札の変化には多くの人が関心を示していた。
職員も含んでマジックを見ている人はとても楽しんだようで笑い声と驚きの歓声が終始していた。

好評であったようで、近いうちにまた出演をしてほしいと職員から要望されて施設を後にした。

池上駅前の店に4人で入り、コーヒーを飲みながらマジックの話やTAMCの歴史や昔のメンバーの活躍状況などもでて盛り上がっていき、長い時間が過ぎていった。
川崎利秋さんは血液型による性格判断の研究もしていて、以前は会社の顧問として活用をしていた。との話も面白かった。

(11月21日記)
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全日本躰道選手権大会(3)

2011年11月20日 | 躰道
              壮年法形競技決勝戦、刀禰伯彬選手(左)と芝波田邦博選手

全国から出場した壮年法形競技のエントリーは15名。
1、2回戦は勢命の法形の前半での競技。
ベスト4に進出したのは芝波田邦博選手(埼玉)、阿部浩子選手(山形)、刀禰伯彬選手(大阪摂津)、島宮満選手(東京城北)の4選手。
3回戦からは命の法形からの選択によるもの。
芝波田邦博選手は3対0で阿部浩子選手に勝利して決勝戦に進出した。
刀禰伯彬選手は2対1で島宮満選手に勝利して決勝戦に進出した。
決勝戦は、芝波田邦博選手は活命の法形、刀禰伯彬選手は延命の法形で挑んだ。
互いに優勝経験の豊富な二人であり、演武は甲乙つけがたい試合であった。
結果は、芝波田邦博選手が3対0で勝利して、この壮年法形競技で3連覇を果たした。
今大会では7回連続入賞を果たした浜崎六三選手(埼玉)が出場しなかったのが残念であった。
3位決定戦は、島宮満選手が延命の法形で挑み、阿部浩子選手は活命の法形を演じたところ3対0で島宮選手が3位となった。

壮年法形競技に出場する選手も全国から選出されてきた。
命の法形競技の審判はかなり難しいとの認識があるので、選手出場した経験のある人や命の法形を真剣に探求した人が審判を担当してほしいと選手たちは希望していた。

(11月20日記)
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全日本躰道選手権大会(2)

2011年11月19日 | 躰道
              個人女子法形競技決勝戦の平山愛子選手(左)と瀬藤有希選手

全日本躰道選手権大会の会場へ向かうために東京メトロ有楽町線の終点の新木場駅に降りた。
改札口のところで、瀬藤有希さん(和歌山)と平山愛子さん(東京城南)の二人に会った。
二人はとても仲の良い友達である。
躰道の修練も継続しており、今大会にも出場する選手である。
会場となるBumB東京スポーツ文化館までは駅から徒歩10分ほどかかる。
二人に近況を聞きながら会場へ向かう。
平山さんは大会の前には毎回和歌山県まで行って小西美智子先生と小西愛先生の指導を受けている。
瀬藤さんは上京すると平山さんと会って交流を積み重ねている。
歩いている途中、平山さんが近道のルートを教えてくれた。広い駐車場を横切って会場に着くと全国から集まった選手たちが待機していた。

個人女子法形競技競技は、二人とも選手出場していた。出場選手は26名で前大会の実績により二人はシード選手で二回戦からの出場である。
平山愛子選手は東京城南地区選出となる。北里大学を卒業後専門である眼科医院に勤務をしている。躰道の練習は浜町にある中央区立体育館の武道場を利用している。
2回戦は力丸選手(福島)を3対0で勝利し、3回戦は岸選手(山形)に3対0で勝利、4回戦準決勝は佐藤選手(山形)を2対1で勝利して決勝戦に進んだ。

瀬藤有希選手は和歌山県選出である。和歌山県海南市で小西美智子先生と小西愛先生の指導を小学生の頃から受けて成長してきた。
2回戦は橋本選手(沖縄)を3対0で勝利し、3回戦は佐藤選手(福島)に3対0で勝利し、4回戦準決勝は佐藤選手(山形)を3対0で勝利して決勝戦に進んだ。
平山愛子選手と瀬藤有希選手は、全国社会人躰道優勝大会でも決勝戦で試合を体験しておる。

決勝戦は、互角の戦いであった。武道的な演武では瀬藤有希選手がややリードしていた。平山愛子選手は前転技が高く飛び上がりアピールをしていた。
審判員は2対1で割れて体育的な要素の平山愛子選手が勝利した。
躰道は武道である。心、技、体を重視する躰道本来の観点から判定をすることが必要である。と祝嶺正献最高師範が述べていたことを思い出した。

(11月19日記)
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全日本躰道選手権大会(1)

2011年11月18日 | 躰道
                     選手宣誓をする宮城県の岩間桂信選手

躰道の一年の納めの大会といえば全日本躰道選手権大会である。
第45回全日本躰道選手権大会」は新木場駅近くの夢の島公園内にあるBumB東京スポーツ文化館で実施された。

開会式では、野田佳彦総理の代理者がコメントを読み上げたが政府の方針ばかりを述べるばかりで躰道の選手たちへの応援メッセージはなかった。

選手宣誓は、前年男子個人法形競技で優勝をした宮城県の岩間桂信選手であった。
3月に発生した東日本大震災により宮城県、岩手県、福島県で被災した人に対しての温かい支援に対する感謝の言葉があり、「心、技、体を基にして正々堂々と競技します」と力強く宣誓した。

躰道五条訓の指揮は、前年女子個人実戦競技で優勝した東京城南地区の山際真穂選手が担当をした。
今までにない大きな声ではっきりとした口調で五条訓を指揮していた。
躰道の五条訓の意味と意義が多くの人に伝わるような素晴らしい出来であった。

(11月18日記)
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畠山記念館

2011年11月17日 | 日記
                     桃山志野現代に焼く「藤田登太郎茶陶展」

土井慈功住職を東銀座から都営浅草線で高輪台まで案内した。
そこから歩いて5分ほどで畠山記念館に着いた。
途中の道は、北側が港区で南側が品川区となっている区境のところを通る。

大きな樹木が覆い繁っている一角が畠山記念館の敷地である。
荏原製作所の創業者である畠山一清(号・即翁 1881~1971)は、実業家として活躍した。
同時に裏千家流の茶の湯や宝生流の能楽に親しみ、茶人としても造詣を深め、茶道具を中心とする東洋の古美術品を蒐集するなど、独自の美の世界を築く。

畠山記念館の敷地の中に茶室 翠庵・明月軒がある。
そこの茶室で、桃山志野現代に焼く「藤田登太郎茶陶展」が開催されていた。
志野とその周辺の茶碗たち
志野茶碗を中心に井戸、唐津、萩、瀬戸黒などの各種お茶碗を展示。
お茶碗は手にとってご覧ください。と案内されている。

一般的には、茶陶展などでは自由に作品に手を触れることが出来ないのが普通であるが、ここでは自由に触ることが出来た。

(11月17日記)
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土井慈功住職と歓談

2011年11月16日 | 躰道
                       土井慈功住職(三越銀座店にて)

茨城県土浦市の土井慈功住職と銀座でお会いしました。
銀座四丁目の銀座三越前で待ち合わせて、店内に入りお茶を飲みながら歓談をしました。

土井功さんは建設省に勤務したときに躰道と出会い稽古を続けておりました。
勢命の法形の指導に行ったときに土井さんと出会い以来交流が続いています。
土井さんは建設省を退職後、コンサルタント業をしておりましたが仏教の道を求めて今では億萬山七福尊真延寺の住職となっています。

歓談は、躰道のこと、行政のこと、政府のこと、社会一般のこと、インターネットのことなどについて多岐にわたり情報を交換しました。

土井慈功住職の観点は、よく観察している角度からの話でとても為になります。
先日封書を頂き内容を読みましたがよく社会の状況を見ていることが分かります。

毎朝3時に起床して、体を動かしてから本堂に入り読経を6時まで毎日実施している。
今は11月23日の例大祭の開催準備で忙しいとの事。

今回は畠山記念館の茶室で開催されている桃山志野現代に焼く「藤田登太郎茶陶展」を鑑賞するのが目的。藤田登太郎氏とは親しい仲であるとのこと。

(11月16日記)
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友「樋口弘文氏」遠方より来たる!

2011年11月14日 | 友人
                    鹿児島から上京した樋口弘文氏(レストラン奏)

友、遠方より来たる!
大学の同期生である樋口弘文氏から電話があった。
「今、仕事で東京に来ているので連絡をした」とのこと。
浅草橋の問屋街を廻っているとの事なので、昼食を一緒にすることにして浅草橋駅前のイタリア料理店「レストラン奏」へ案内をした。
この店の店主の牧田淳氏も大学の同窓生なので、樋口弘文氏を紹介をした。

樋口弘文氏は、東京国際大学の第1期生として入学した良き仲間である。
今は鹿児島市の天文館商店街で「カバンのヒグチ」としてお店を経営して社長です。
鹿児島では、ラジオや雑誌等に宣伝をしているので多くの人が知っているカバンの老舗店である。鉄道沿線にはお店の名前の看板を多くの場所で見かける。

樋口弘文氏は、地域商店街の活性化の為に貢献をしている。
現在、天文館本通商店街振興組合理事長をはじめ鹿児島県商店街振興組合連合会副理事長など多くの組織団体の役員をしている。
鹿児島市の天文館商店街といえば、鹿児島では多くの人が来て賑わいのある街で有名であったが、イオンが進出してからは人の流れが変わってきた。
また九州新幹線の全線開通とともに鹿児島中央駅の駅ビルにも多くの人が集中しているようだ。その駅ビルにも新たに出店をして売上げを伸ばしている。

年に数回、東京の問屋の展示会のときに上京してくる。
毎年開催される同期会(昭和40年会)に出席を希望しているが、展示会と日程が合わないので出席が叶わないとのこと。
息子さんはパソコンでお店のホームページを活用してネット販売等に力を入れている。
娘さんは東京まで同行して仕入れを担当している。
対面販売が基本となっているカバンショップもこれからの時代を考慮するとインターネット活用も頭に入れておかなければならないと話していた。

今も体は健康であり、近くの山に登ったり、ゴルフを楽しんだりして鍛えている。
久しぶりに会った樋口弘文氏が元気であったことがとても嬉しく感じました。

(11月14日記)
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