友人の曽雌安雄さんが仕事の合間に池袋へ来るとの連絡がありましたのでお会いしました。
2時間ほどでしたので、カラオケルーム「歌広場」に入ります。個室となっているので打合せをしたりするときに利用します。ドリンク類も料金の中に入っているので喫茶店に行くよりか良いといつも行っております。
曽雌安雄さんは仕事での活躍も素晴らしい実績を挙げております。その他に趣味も多く楽しんでいるようです。
社交ダンス、水泳、テニス、健康体操、無線ハムの他にも地域のボランティア活動も積極的に活動しております。この度、防災士の資格も取得して地域の人たちに指導をしているとのこと。また移動には自転車を利用していることが多く健康に役立っていると話しておりました。
インターネットシステムにも詳しく、演歌などの歌謡曲も好みのものをスマホで楽しんでいます。カラオケでは「うしろ姿」や「ありがとう、感謝」などを披露して聴かせてくれました。
曽雌安雄さんとは定期的に会って情報交換をしている良き仲間です。
常設の展示コーナーには千代田区のゆかりある資料があります。その中に千代田区の外神田で活動をしている「天野屋の糀室」のコーナーがあります。
糀室の絵図面や甘酒を製造するときの道具などが展示されております。日比谷図書文化館へ行ったときは立ち寄ると参考になります。
大崎啓博さんと懇談のひとときを過ごしました。会場は池袋ホテルメトロポリタン25階のレストラン「オーヴェスト」です。
大崎啓博さんは東京国際大学の同窓生です。私が東京国際大学同窓会事務局を60歳で勇退した後、後任の2代目事務局長として勤務してくれた方です。
在学中はESSクラブに所属していてとても英語が堪能な方です。ある時ハワイへ行ったとき、教会を見た時にとても衝撃を覚えて以来、絵を描くことに興味を示しております。絵画はハワイの風景を主に描いております。何回もハワイへ行き第二の故郷と感じています。ハワイの風景を描いた作品は定期的に絵画展として発表をしております。私も何回か展覧会場へ足を運びました。
同窓会事務局を勇退した後も銀行等の仕事を体験してきましたが、この度任務期間が終了して自由の身となったことで時間ができたので、自宅のリニューアルを手掛けています。家の中が奇麗になっていくことで気持ちも清々しくなっていくとコメントしておりました。
今後も機会があるときに二人で懇談のひとときを持って情報交換をすることとしました。
東京でもその美味しさを知ってもらおうと浅草に10年前に店を開店しました。現在は二代目が継承しております。お店の女性スタッフの対応がとても良かったです。
刺身や白身のまま食べられるあなごは臭みがなく、甘みと弾力のある歯ごたえが特徴的です。すき焼き風の野菜たっぷり入った出汁にしゃぶしゃぶとして食べるあなごは絶品でした。
テレビ「ぶらり途中下車の旅」では舞の海さんが訪れて、あなご専門料理店として紹介しておりました。
オープニングは東京音楽大学ACTプロジェクトによるファンファーレ演奏から始まり柳田好史代表の開会宣言、藤田力豊島区民部長の開会挨拶からスタートしました。
各出展グループは、A~Fまでの6つのブースに分かれて活動内容を広報をしています。どこの団体も来場者に対して積極的に呼び掛け活動内容を説明をしております。展示スペースには、各団体の活動状況のパネルが趣向を凝らして展示してありました。
この社会貢献活動見本市は、毎回柳田好史代表が中心となって企画運営をして実行されており、豊島区の活性化と発展の為に尽力している姿がよく理解できます。参加団体は各自の活動をPRする良い機会であると喜んでおりました。 会場には、豊島区の社会活動に多大なる貢献している城所信英さんと知久晴美さんも来場しておりました。
第二部は、豊島区あるあるクイズが行われました。回答者は高際みゆき豊島区長、河村賢治立教大学教授、落語家の春風亭昇羊の3名が出演しました。
◎問題「次の4つの飲食店で豊島区が発祥でないところはどこ?」
高際区長(ときわ食堂)、河村教授(大戸屋)、春風亭昇羊(タカセ)と回答したが、正解は大勝軒(中野区が発祥)でした。3名とも不正解でした。
その後東京音楽大学ミニコンサート、交流会、パネル展示優秀団体表彰などが行われ、柳田好史代表の中締め挨拶で成功裡に終了しました。





豊島区あるあるクイズ
川尻家は、大正の一時期、池上門前で温室園芸と料理屋を営み、その一角にこの離れ家を建てました。
その後、マンション建設が計画され、保存運動が起こり、保存に尽力された大田区在住の華道・茶道家、中島恭名氏が買い取り大田区へ寄付されました。
また庭園内には、和室もあり池と竹林に囲まれており、静かな催し物には利用することができます。
政治家の藤山愛一郎氏所有の茶室でしたが、昭和58年に藤友倶楽部から大田区に寄贈されました。
藤山愛一郎の芝白金の自宅には三棟の茶室があり、海外の来賓を招くなど民間外交の実をあげた所でもあります。
戦時中の昭和19年には、東条内閣打倒密議が岡田啓介・米内光政・末次信正らを集めて聴雨庵の中で行われました。
聴雨庵の名前の由来は、藤山雷太翁の号を「雨田」と称したところからとも言われています 。
「左利き」の漫才
漫才の「左利き」が東京コミック寄席に出演するとのことなので観覧に行きました。会場は健康プラザとしま7Fの上池袋コミュニティセンター和室です。
この日は18組の演芸人がお笑いを披露してくれました。浅草の東洋館にも出場しているぼっけもん、きんぷらも参加しておりました。
左利きの二人は漫才協会に所属しており、浅草の東洋館を主に出演をしている常連です。その他にも豊島区民ひろば駒込や上池袋コミュニティセンターなど豊島区やその他の地域での出演も多くなっております。
左利きの二人はネタの数も多くなってきており漫才界でも中堅の位置におりベテランの兄弟子「宮田陽・昇」の背中を追っている状況です。
海老民の「天せいろ」
目黒不動尊参りをした後、不動門前通りのそば店「海老民」に入りました。
「海老民」は昭和3年創業の老舗の蕎麦店。テレビ番組の「アド街ック!天国」でも採りあげられたそば店です。
かつてエビの卸問屋だった頃の屋号をそのまま受け継いでいる。蕎麦は長野県飯島町の契約農家から直送。玄蕎麦の状態で仕入れ、毎日、自家製粉している。一番人気は、車エビの一本揚げがのった天ぷらそば。
この日は「天せいろ」を注文。流石に海老の天ぷらは大きくて美味しかったです。そば好きの者にとってはたまらないです。
お店の入口も風情があってとても良いお店です。
川越へ行くと必ず立ち寄るのが「時の鐘」です。
川越のシンボル「時の鐘」は情緒あふれる蔵造りの町並みにひときわ高くそびえています。蔵造りの町並みと同様に、城下の頃の面影を残す建造物で、江戸時代初頭から城下の町に時を告げ、庶民に親しまれてきた鐘つき堂です。
今から約400年前、当時の川越藩主だった酒井忠勝によって創建されたといわれる。以来度重なる火災で鐘楼や銅鐘が焼失したが江戸時代を通じて度々建て替えられた。現在建っているのは4代目に当たり、明治26年に起きた川越大火直後に再建されたもの。 町の3分の1が焼失した中で、暮らしに欠かせない「時」を告げる時計台は、いち早く建て直された。
時代が変わり鐘つきの方法が鐘つき守りから機械仕掛けへと変化しても、昔と変わらず今も蔵造りの町並みに時を告げている。また、その響きの良い音色は平成 8年、環境省の「残したい“日本の音風景100選”」に認定された。
木造で3層のやぐらで高さは約16メートル。
午前6時・正午・午後3時・午後6時の1日4回鳴る鐘の音は、小江戸川越の情緒をたっぷりと味合わせてくれます。
「ドローイングとは何か」について富山恵美子先生が説明をしてくれました。11年に亘るスペインに滞在中に、鉛筆や木炭、墨などほとんど色みのない作品の存在を知り衝撃を受けました。Dibujoと呼ばれる濃厚なドローイング作品は表現の密度が高く、油彩や水彩の作品と同列に並んでいました。紙と鉛筆さえあれば、静謐と躍動を同時に、そして軽やかで素直に表現できるのが鉛筆ドローイングの醍醐味だと思います。
絵画館には、富山恵美子作品が13点、磯崎式子作品が10点展示されていました。制作中に使用した鉛筆の多くが飾られていました。作品を完成するまでの熱量さが伝わってきます。
今回の二人展は、横浜本牧絵画館第6回作家・研究者支援プログラムに入選した展示会となっており2年前に企画されたものの本開催となったものです。
どの作品もダイナミックで素晴らしいもので感動しました。


富山恵美子先生の作品 磯崎式子先生の作品


研修は前回に続いて「指」のマジックを行いました。
①左手を開いて5つ動いてから自分の名前分を2回動かし最後に小指の方へ2つ移動させると必ず薬指を指している。薬指は心臓に繋がっている大切な指であります。指輪をするときに薬指にすることの意義について説明がありました。
②指のドッグを研修しました。指がテーブルから離れれば異常なしの健診結果です。両足、両目、両耳、鼻、頭と順番に診ていきます。薬指を曲げてテーブルに接着した時には、他の指はすべて離れることができます。今度は中指を曲げて他の指先をテーブルに接着した時には、頭の診断をする薬指だけがテーブルから離れません。頭が異常ですね。とユーモラスに話す。
③左手の中指と人差し指にゴムバンドを掛ける。他のゴムバンドは4本の指に絡めて柵を作る。手を握り再びに開くとゴムバンドは薬指と小指に移動している。
④輪ゴムを2本利用して4段の列を作る。一番上の輪ゴムに紙を引っ掛ける。両手を開きながら人差し指から輪ゴムを外すと紙は2段目に移動、中指を外すと3段目に、薬指を外すと4段目の一番下まで移動している。
⑤3枚の同じカードを4枚に見せる指先のテクニックを用いたトランプマジックを学ぶ。
最後に、トランプカードマジックで「4枚のエース」を研修しました。これはなかなか面白い演出がありますので継続して研修をしていきます。
平成25年5月18日に完成した「すがも鴨台観音堂(おうだいかんのんどう)」は八角・三匝(さんそう)の階堂で、堂内の回廊は往路と復路が交わることのない二重螺旋構造になっています。その構造を巻き貝のサザエ(栄螺)に例えて「鴨台さざえ堂」とも称します。
仏さまは白毫から智慧と慈悲による救いの光明を放つことから、これを大正大学の建学の理念である「智慧と慈悲の実践」に重ねて具象化したものでもあります。
文京区関口の胸突坂の横に「芭蕉庵」の入り口があります。
江戸時代を代表する俳人松尾芭蕉(1644~1694)が、2度目の江戸入りの後、1677年から3年間この地に住んだと言われております。
芭蕉は「奥の細道」へ出かける前には、神田上水の改修工事の現場管理人として従事しており、水番屋に住んだといわれる。後に芭蕉を慕う人々により「龍隠庵」という家を建てたが、これが現在の芭蕉庵につながる。その後焼失し、現在のものは第2次世界大戦後の建築であります。
芭蕉庵の池泉は湧水により作られたもので、隣接する「椿山荘」の庭園の水源もこの芭蕉庵の湧水から流れ込んでいたという。