つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

奨学金授与式

2009年06月30日 | 日記
                  奨学金を授与された学生たち

霞会(東京国際大学同窓会)では、東京国際大学の学生に奨学金を授与している。
学業成績の優秀者ならび課外活動で活躍した学生たちに毎年20万円ずつの奨学金を渡している。
今年は8名の学生が対象者となった。
安藤太郎さん(商学科2年)
吉田順一さん(会計学科2年)
三田愛美さん(情報システム学科2年)
芳賀田悦正さん(経済学科3年)
高橋勇人さん(経済学科3年)
大森舞梨乃さん(英語コミュニケーション学科4年)
服部剛さん(国際関係学科4年)
瀬川友香里さん(福祉心理学科3年)

奨学金を授与された学生たちは、喜びの感想をスピーチしていた。

(6月30日記)
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座談会 古葉監督と前田監督

2009年06月29日 | スポーツ
           前田秀樹監督と古葉竹識監督(東京国際大学にて)

霞会(東京国際大学同窓会)の特別座談会が開催された。
東京国際大学で指導を担当している硬式野球部の古葉竹識監督とサッカー部の前田秀樹監督をゲストに迎えた。
テーマは『上昇志向と強い意志がもたらすもの―それは一流への道』

古葉竹識監督は、父親が高2年のときに亡くなり、母親が苦労して大学へ通わせてくれた。しかし継続していくことができず、飯塚日鉄二瀬の濃人監督の世話でプロ野球の世界に入れた。その時の契約金で母親のために家を建てた。
広島カープ監督時代にはサインを求められると「耐えて勝つ」と書いていた。
プロ野球では、毎年新人を獲得していたが、同じ人数の選手を首にしていかなくてはならないことがとてもつらかった。
東京国際大学野球部出身の石田投手は日産自動車に入り、8月の都市対抗戦に出場するので活躍を見守りたい。と語った。

前田秀樹監督は、父親が俳優であり京都の太秦で育った。サッカーではトップクラスの法政大学に入学したが、最初は選手よりもマネージャーとして務めた。
一生懸命に練習もしたので監督が試合に出してくれた。その試合で活躍したことが大きな運を開いた。
それから練習に励み3年のときに日本代表に選ばれた。
日本のJリーグでは企業名を入れない。企業の経営が破綻するとスポーツ部がまず廃部となっていく。
Jリーグは地域の支えで運営していくことを基本としている。
サッカーの練習は1時間半以上はやらないことにしている。
集中力の練習をしてグランドから何かを持って帰るように選手たちには諭している。
「勝利することと、育成することは同じである」とオシム前ジャパン監督の言葉を伝えて終えた。

(6月29日記)
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埼玉県躰道優勝大会(その2)

2009年06月27日 | 躰道
             最優秀選手賞を獲得した阿部直選手(東京国際大学)

入間武道館で開催された埼玉県躰道優勝大会で、最優秀選手賞に輝いたのは東京国際大学躰道部4年の阿部直選手であった。
出場した全種目で入賞を果たすなど圧倒的な成績を挙げていた。
女子個人実戦競技(優勝)、女子個人法形競技(優勝)、団体女子実戦競技(2位)、団体法形競技(3位)、団体展開競技(3位)
誰もが認める見事な成績を残した。

山形県で躰道を指導している阿部浩子さん(阿部直さんの母親)にメールで連絡すると、すぐに返信があった。
「娘の直が4年生となっての大会なので、ホッとしています。東京国際大学に入って、躰道を続けるかどうかは迷っていましたが、本当に楽しく躰道に関わっていたようです。色々なところで、躰道関係者の皆さんにお世話になり、導いて頂いたお陰だと思っております。埼玉県の皆さん、大学関係の皆さんにも宜しくお伝え頂ければ幸いです。私も元気をもらいました。私も前向きに頑張りたいと思います。今日は、本当に有難うございました」

11月1日の全日本躰道選手権大会では、阿部浩子さんが壮年法形競技、阿部直さんが女子実戦競技、女子法形競技に出場し、同じ会場で出場する。

(6月27日記)
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埼玉県躰道優勝大会(その1)

2009年06月26日 | 躰道
           埼玉県躰道優勝大会の出場者たち(入間武道館)

第34回埼玉県躰道優勝大会が入間武道館で開催された。
出場選手は120名。
東京国際大学、城西大学、防衛医科大学、坂戸市、いるま市、志木市から選出された選手たちで競技が進んでいった。
壮年法形競技は、甲乙つけがたい熱戦が続いた。
日頃から躰道の理念に基づいて鍛錬を続けている精鋭たちであり、格調高い演武が繰り広げられた。
結果は、優勝・芝波田邦博、2位・石川健次、3位・高橋忠美、4位・西雅宏選手であったが、宮本靖弘、五十嵐 昇、北原喜代志、駒澤峰子選手らも健闘した。
なかなか見ごたえのある試合内容であった。

東京国際大学チームが各種目で上位入賞を果たして、総合優勝の栄冠を勝ち得た。
中でも、阿部直選手(4年)の活躍が光っていた。
今大会で上位入賞した選手は、11月1日に開催される全日本躰道選手権大会の出場権が与えられる。

(6月26日記)
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小堀重光さん

2009年06月25日 | 友人
                     小堀重光さんと由貴子と凌也くん

小堀重光さんが烏山ふるさと太鼓を池袋西口広場で演奏することを烏山の真由美さんから電話で聞いた由貴子は凌也君を連れて見に来ていた。
演奏が終わり小堀重光さんが私たちのいるところに来て、烏山の「山あげ祭」について詳しく話してくれました。

山あげ祭」は、450年の伝統を誇る豪壮な日本一の野外劇で、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
毎年7月の第4金、土、日曜に開催される。
山が所作狂言(おどり)の背景で、観客の前に据えられた舞台から道路上約100メートルの間に大山(おおやま)、中山(なかやま)、前山(まえやま)、館(やかた)、橋、波などが配置される。
これらの装置には仕掛けが施され、上演中はその進行に伴い、木頭(指揮者)の拍子木を合図に様々に変化し、観客の目を楽しませてくれる。
炎天下の中、踊り娘達が常磐津の三味線にあわせ美しい舞を披露する姿は一見の価値があるようだ。

(6月25日記)
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烏山ふるさと太鼓

2009年06月24日 | 芸能
                         烏山ふるさと太鼓

栃木県の那須烏山市は人口3万人余りの市です。
市内を那珂川・荒川などの清流が流れ、八溝山地・喜連川丘陵などの豊かな自然が残されているところです。
小堀重光さん率いる烏山ふるさと太鼓保存会の人たちが池袋西口広場で演奏を披露した。
祝典太鼓、山あげ太鼓、祭り太鼓と演奏は続いた。
烏山ふるさと太鼓が池袋で演奏する主たる目的は、7月24日から3日間烏山で開催される国の重要無形民俗文化財である山あげ祭の広報のためであった。
山あげ祭には、10万人の観光客が烏山で開催される夏の祭典に集まり、栃木が熱くなる期間である。
小堀重光さんもこれからの一ヶ月間は、山あげ祭の準備やふるさと太鼓の演奏等で大忙しの毎日が続くと話しておりました。

(6月24日記)
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造幣局を見学

2009年06月23日 | 社会
                     大勲位菊花章顕飾

造幣局東京支局の造幣東京博物館へ行った。
造幣局は貨幣製造を主な業務としている。
日本政府からの依頼で貨幣と勲章などを製造している。
大阪が本局で支局は東京と広島にある。

紙幣は日本銀行の管轄で国立印刷局が製造するとのこと。
貨幣と紙幣が別のところの管轄であることを知った。
博物館には、貨幣にまつわる説明と展示が続く。

大勲位菊花章顕飾が展示されてあった。
これは今では天皇陛下だけがつけている勲章である。
その他は元首相であった故吉田茂、故佐藤栄作の二人のみであるとのこと。
天皇陛下がこの勲章をつけている新聞の写真が飾ってあった。
その他文化勲章や紫綬褒章などもこの造幣局で製作されている。

面白い機械があった。
「こんにちはコインくんです」
持参したコインを機械に入れると、そのおかねを診断してくれる機械である。
直径、厚さ、重さ、材質などを診察してプリントが出てくる。
500円玉を入れてみたら、「健康です」との診断であった。
使いすぎる貨幣では「働きすぎです」と診断される。
小学生たちはコインを出して機械に入れて楽しんでいた。

(6月23日記)
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映画「ハゲタカ」

2009年06月22日 | 芸能
                    映画「ハゲタカ」

映画「ハゲタカ」を鑑賞した。
制作はNHKエンタープライズ。
NHKテレビでドラマ化されていたものを映画化したもの。
“企業買収”という斬新なテーマと誰も見たことのないストーリー、厚みと深みのあるスタイリッシュな映像、骨太な人間ドラマであった。

かつて瀕死の日本企業を次々と買い叩きながらも、日本のマーケットに絶望した鷲津(大森南朋)。
海外生活を送っていた彼の元へ、大手自動車メーカー「アカマ自動車」を、中国系巨大ファンドによる買収危機から救って欲しいと、かつての盟友・芝野(柴田恭兵)が頼みに訪れる。
名門「アカマ」の前に突然現れたのは、“赤いハゲタカ”こと劉一華(玉山鉄二)。
巨額の資金を背景に鷲津を圧倒し続ける劉。
彼の本当の狙いとは何か?世界金融危機前夜に幕を開けた“ハゲタカVS赤いハゲタカ”の壮絶な買収戦争。
「日本が中国に買い叩かれる!?」という未曾有の危機に、鷲津はどう立ち向かうのか?

映画はノンストップで話が展開していく。
現実にも起きている現代の日本の企業の買収劇。
外資系ファンドが日本企業を狙っている。
現実味があるので、スクリーンに吸い込まれていく。
久し振りに興奮をした映画だった。

(6月22日記)
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映画「真夏のオリオン」

2009年06月21日 | 芸能
                  映画「真夏のオリオン」

映画「真夏のオリオン」を鑑賞した。
太平洋戦争末期、77名の戦員を乗せた日本軍の潜水艦「イー77」は、海上のアメリカ駆逐艦の巡航を阻止するために沖縄東南沖の海上にいた。
海上の米駆逐艦と海中の日本軍の潜水艦という互いに顔を合わすことのない状況の中、シーマン・シップで闘い抜こうとする男たちの姿を描く。
真夏に冬の星座であるオリオンの星を見ることが出来るのは、水平線すれすれに夜明けのほんのわずかな時間だけだった。

終戦から60年を経過した時に敵艦の船長が保持していた有沢志津子(北川景子)の描いた楽譜「真夏のオリオン」がなぜ戻ってきたのかから物語は始まる。
イー77潜水艦の倉本艦長(玉木宏)の繊細な戦略頭脳と船員を思いやる気持が対比して描かれる。
最後は、事故により海中200メートルまで沈んでいったが、人間魚雷回天を取り外すことで、浮上することが出来たイー77は海面に浮上すると再び潜ることは出来ない。
眼前には、米駆逐艦が浮上した潜水艦に狙いを定めて待機している。

突如、米駆逐艦の船員が甲板で歓喜の表情を表わしている。
日本軍の敗戦の報が届いた時であった。

(6月21日記)
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映画「サガン」

2009年06月20日 | 芸能

映画「サガン」を鑑賞した。女性の年配者の観客が多かった。
映画は、フランスの作家フランソワーズ・サガンの物語。
デビュー作「悲しみよこんにちは」が大ヒット。18歳の時だった。
22カ国で翻訳され印税が365億円。
名声と富を得たが浪費も破格の額であった。
交流した人も文化人、映画関係者、政治家と広範囲にわたっていた。
2度の結婚に破れ、孤独な生活を送っていく。
薬物依存症となって、最後は悲しい病死となった。

主演は、シルビィ・テスティが演ずる。「エディット・ピアフ~愛の賛歌~」に出演。
監督・脚本は、デァアーヌ・キュルス。他に「年下のひと」の作品がある。
サガンの小説が今も人気が高いのは、孤独、絶望、裏切り、そんな人生の悲しい側面を、軽やかに描いているからだろう。
波乱万丈の生涯を駆け抜けたサガンがよく描かれている映画であった。

(6月20日記)
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「おくりびと」受賞トロフィー

2009年06月19日 | 芸能
                映画「おくりびと」の受賞トロフィー

赤坂のTBSのロビーに映画「おくりびと」受賞トロフィーが展示してある。
「おくりびと」は、映画賞88冠の偉業を成し遂げた。
その代表的なものが、アメリカアカデミー賞外国語部門グランプリ、日本アカデミー賞最優秀作品賞。
日本アカデミー賞最優秀作品賞のトロフィーが、多くの他のトロフィーに囲まれて最前列に陳列されていた。

映画「おくりびと」の撮影地となった山形県酒田市、鶴岡市では観光ブームとなっている。
取り壊し寸前であったロケ現場が記念館として残り、観光客を集めている。

(6月19日記)
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二人の道玄坂

2009年06月18日 | 芸能
              「二人の道玄坂」の木田Q太さんと金子久繁さん

木田Q太さんから小包が届いた。
木田Q太さんは司会業が本職である。
歌手の松村和子さんやロスプリモスの専属司会を担当している。

小包の中にはCD「二人の道玄坂」と手紙が入っていた。
手紙には「CDが出来ましたので送らせて戴きます。昨年「二人の道玄坂」の詩を戴き多くの月日を掛け年配の方にも唄って戴ける曲として作曲に頑張ってみました。デュエットの歌を唄っている歌手をかなぶんとしました。かなぶんは黄金虫の仲間で黄金虫がメジャーならば、かなぶんはインディーズという訳です。今日までの歌謡界は作詞家、作曲家、歌手まで全て黄金虫に終始してきましたが、今日の歌謡界の低迷は全てここにあります。変わっていかないのです!ニューミュージックやロックは変わっているのに歌謡界は変わっていかない!これからこの曲を全国に届く様に有線に入れるための作業中です。ゆっくりとお逢いしたいと思っています」
との内容であった。

曲を聴くととても唄いやすいデュエット曲になっている。
一 渋谷雨降る 二人出逢った 道玄坂
二 男(女)らしくて 離れられない 道玄坂
三 夜明けまじかの 愛もさかせる 道玄坂

カラオケなどで多くヒットすることを祈念している。
木田Q太さんとキャッツ企画社長である金子久繁さんと渋谷の道玄坂の喫茶店で打合せを行った。

(6月18日記)

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追悼 墨童 緒形拳書画展

2009年06月15日 | 芸能
                   緒形拳書画展にて

赤坂游ギャラリーにて「追悼 墨童 緒形拳書画展」が開催されていた。
娘の由貴子の希望で一緒に鑑賞してきた。
2月6日に赤坂プリンスホテルにて開催された「緒形拳さんを偲ぶ会」に参列したときに「ありがとう○緒形拳」の記念誌を貰った。
その中には、緒形拳さんが出演した映画、テレビ、舞台の記録や写真集、得意とした書画、そして関係者からの追悼文が記載されていた。
偲ぶ会会場にも多数の書画が展示されていた。

緒形拳さんが本格的に書画に入れ込んだのは1991年からだった。
「緒形といいます。作品を観ていただけますか。」と游ギャラリーにかかってきた一本の電話からはじまった。
「ごつごつして力がある。書き手の匂いがする。但し書道ではないね」と語った編集者の言葉に「わが意を得た評」だと緒形さんは話した。
その後、定期的に緒形拳書画展が游ギャラリーで開催されてきた。
游ギャラリーはそんなに広い場所ではないが、婦人たちが多く来場していた。
かなりの書画には売約済の赤いマークが付いていた。
游ギャラリーの若い女性職員が声をかけてきた。
「緒形拳さんの関係者の方ですか?」の問いに、しばし緒形拳さんとの交流の経緯についてお話をした。
主演した映画「長い散歩」の奥田瑛二監督は初日に来場したとのこと。
お会いしたかった奥様の緒形典江夫人は本日はまだ見えていなかった。

島田正吾先生95歳の誕生日祝いパーティーで一緒した時の写真を緒形拳さん宛に
送付したときに、礼状の葉書が届いた。
「お禮 ○」とだけ書かれた自筆の書であった。
その字と同じ書体の緒形拳さんの書画が目の前にたくさん展示されていた。

(6月15日記)
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ルーヴル美術館展

2009年06月14日 | 歴史
               ルーヴル美術館展が開催されている国立西洋美術館

上野の国立西洋美術館で開催されている「ルーヴル美術館展―17世紀ヨーロッパ絵画」を鑑賞した。
9時30分からの開館前に到着したので、敷地内にあるモニュメント「考える人」、「カレーの市民」、「地獄門」などを見てから美術館の中に入った。
入り口で音声ガイドを500円で借りる。音声ガイドは美術の造詣が深い中尾彬のナレーションによるものであった。
ガイド番号が貼ってある作品のところで音声ガイドの番号を入れると詳しい解説が耳に伝わってくる。
日本では江戸時代初期にあたる17世紀ヨーロッパ絵画を3つの大きなテーマ①「“黄金世紀”とその陰の領域」、②「旅行と“科学革命”」、③「“聖人の世紀”、古代の継承者?」で分類されていた。
川から救われるモーセ、縁なし帽を被り、金の鎖を付けた自画像、レースを編む女、トロイアを逃れる人々を導くアイネイアス、アイネイアスの傷口にディクタムヌスの薬液を注ぐウェヌス、ユノに欺かれるイクシオン、6人の人物の前に現われる無原罪の聖母、ペテロの涙などが印象に残った。

常設展を鑑賞して美術館の外に出ると、たくさんの人が並んで入場まで整然と列を作っていた。最後尾にはここから入場まで80分と記載されていた。
並んでいる列には中年の婦人たちが多かった。
やはり早くから美術館に来ていてよかった。
中に入ってもゆったりとルーヴル美術館の世界を鑑賞もでき、まるでパリにいる感じを醸し出していた。

(6月12日記)
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マジック家族会(3)

2009年06月09日 | TAMC
軽妙洒脱なスピーチをする春日三球さん

家族会には多湖輝先生の案内で漫談家として活躍している春日三球師匠も参加していた。
夫人である春日照代さんと組んでの夫婦漫才の「地下鉄漫才」が大ブレークした。

三球「…しかし、地下鉄の車両は一体どうやって入れるんでしょうねぇ。それ考えると夜も眠れないの」
照代「あなたも面白いこと言うわね」
三球「あらじめ電車を地下に埋めておいてトンネル掘りながら『確かこの辺だったよなー』『あったぞあったぞ、電車が』なんて」
照代「そんな訳ないじゃないの」
三球「じゃ、あなた知ってるんですか?」
照代「当たり前じゃない。地下鉄の改札口から運び入れるのよ」
三球「え、そうなんですか?」
照代「常識よ」
三球「そうなんですか。でもどうやって改札口から通すんだろう。それ考えると、また眠れなくなっちゃう」
といったものがあった。

その後照代夫人が急逝され、若手の女性とコンビを組んだが解消して今は漫談家として活躍している。

演芸界にもたくさんのマジシャンがいるので、その人たちの裏話などをしてTAMCメンバーとの共通のテーマを引き出して軽妙洒脱に語っていた。

(6月9日記)
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