つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

神田明神前の天野屋さんのテレビ中継

2012年01月31日 | 日記
                  NHKテレビ中継をされた天野屋さんのあま酒

NHKテレビの昼に「ひるブラ」という番組がある。
神田明神前の天野屋さんからの中継があった。 
天野屋さんはあま酒を製造して販売している有名なお店です。
店主の天野亀太郎社長があま酒の製造課程を解説して紹介していた。
地下の糀室には天野亀太郎さんがカメラを持ち込み中継をしていた。
ゲストの人が出来立てのあま酒を飲んでとても美味しいと感想を述べていた。

あま酒は美容効果にもよく、栄養補給にも用いられる。
天野屋の女性たちは毎日あま酒を飲んでいるので、肌が白くきれいであると評判である。また、あま酒の季語は夏を表す。昔の人たちは夏バテ防止にあま酒の飲んでいたことから季語は夏となっている。

神田明神前にお店を出してから170年の歴史のある「天野屋」は益々お客の来る店として現在も頑張っている。

(1月31日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風祭ゆきさん出演「6人のイカレる女」公演

2012年01月30日 | 芸能
                      「6人のイカレる女」のポスター

女優の風祭ゆきさんから公演案内がありました。

演題「6人のイカレる女
罪って何さ? 罰って何さ??
女の審判(さばき)を受けてみよ!!!
偶然にも選ばれたのは全員、女だった!
いま女だけの評決審議(パーティー)が始まる。

劇場 中野 劇場MOMO
中野区中野3-22-8 TEL03-5385-9080(公演期間中のみ)
中野駅南口から徒歩5分

【公演日程】 2月8日(水)~2月12日(日)
        8日(水)19:00(初日割引2,000円)
        9日(木)14:00  19:00
       10日(金)14:00  19:00
       11日(土)14:00  19:00
       12日(日)15:00
 ※9日、10日、11日は終演後に女神たちのアフタートークがあります。スペシャルゲスト来演。
【料  金】 全席自由 前売・当日 3,500円 初日割引 2,000円
       学生割り 2,000円※1 シニア割引(65歳以上) 2,000円※1
       身体障害者割 2,000円※2
       ※1 要証明書提示
       ※2 要証明書提示、ただし劇場が2階の為、車椅子は不可です。

◆お問合せ先 劇団染地組 TEL0422-54-5626

(1月30日記)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初場所優勝して天皇賜杯を受ける把瑠都関

2012年01月29日 | スポーツ
                           天皇賜杯を受ける把瑠都関

国技館で熱戦を繰り広げられていた大相撲初場所は、大関の把瑠都が初優勝を果たした。
天皇賜杯を受取る把瑠都関は神妙な顔つきであった。
やっと初優勝をして天皇賜杯を手にする喜びと胸に迫る感激の思いがあったことであろう。
ヨーロッパ出身力士では琴欧州に続いて2人目である。
バルト海に面したエストニア共和国の出身である。
相撲の四股名も「把瑠都」とした意味がここにある。
ソビエト連邦から独立した国である。ラトビア、リトアニアとともにバルチック3国と呼ばれている。
日露戦争のときに日本海戦で日本の海軍に敗れたバルチック艦隊の母港のあった場所であるとも伝えられている。

把瑠都関は背も高く体重も重い大型力士である。
今場所14日までは白星を重ねて連勝街道を突き進んできた。横綱白鵬が13日目に3敗して初優勝が決定した。
エストニアに住んでいる母親を日本に招き、千秋楽の取り組みを美人妻と一緒に観戦していた。千秋楽の横綱白鵬との取り組みでは惜しくも敗れたが、14勝1敗の成績で初優勝を果たした。
ちょっとはにかんだ笑顔がなんともいえない愛らしさがある把瑠都関。
春場所の成績次第では横綱の声も出てくる。

大相撲の殿堂である国技館に掲示されてある32枚の優勝額には日本出身の力士は一人もいなく全て外国人力士である。
日本人力士でも実力を付けている力士も出てきているので大相撲も今後が楽しみである。

(1月29日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帝京大学付属病院からの展望

2012年01月28日 | 日記
                         帝京大学付属病院からの展望

板橋区にある帝京大学付属病院へ行く機会があった。
18階建ての立派な建物である。病院の周りには高層の建物が無いので上階の談話室からの展望は素晴らしい。
池袋や新宿の高層ビル群もよく見える。夕日に浮かぶ富士山もきれいだ。
東京に初雪が降ったときには、雪が上から下へと落ちていく模様が見られた。

病院内の施設も新しくて立派である。ホテルではないかと思うようにきれいになっている。
病院内で勤務している医師や看護師たちも明るく親切に入院患者に接している。

(1月28日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙石線のドアの横にあるボタン

2012年01月27日 | 日記
                            仙石線のドアボタン

仙石線に乗車したときに、ドアの内側と外側に横にボタンがついていた。
駅に停車しているときに冬などは寒いのでドアが開けっ放しであると、電車の中の温かい空気は外に出て行き、寒い外の空気が車内に入り込んでくる。
それを防ぐためにボタンを押すと開閉が出来る手動のドアとなっている。
電車が駅に停車して車掌がドア扉のロックを解除すると降りる人はドアの横のボタンを押す。するとドアが開いて外に出られる。降りる人がいなければそのドアは閉まったままである。ホームで待っている人が電車が到着して乗車しようとすると、外側のドアの横のボタンのランプが点灯してボタンを押すとドアが開いて電車内に入ることが出来る。
出入りする人がいなくなると内側のドア横のボタンを押すとドアが閉まる。
暖かい空気と寒い空気の入れ替えを少しでも少なくする方法である。

仙石線の榴ヶ岡駅から乗車して終点のあおば通り駅で下車をする時に、一番前列にいた人は都会の人だった。ドアが自動で開くものと思い開くまでじっと待っていたが開かない。
後ろの人が「ボタンを押してください!」と言ったが何のことか分からない。
他の人がボタンを押してドアが開いた。他のドアは到着するとすぐにドアを開けて電車内の人がホームに降りていた。
都会で自動扉に慣れている人は、電車のドアは駅に到着すると自然に開くものと思っている。所が変わればその地域の智恵が電車のドアにも工夫されて設置してある。
駅に到着してドアボタンを押してホームに出て行く人は優越感を体で表しているようにも見えた。ドアが開くまで待っていた前列の人は何か気まずい思いをしていた。

電車のドアの横のボタンひとつでも地域の文化の違いが垣間見られた。

(1月27日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒崎正博さんのマジック

2012年01月26日 | TAMC
黒崎正博さん(右)によるマジック披露

TAMCメンバーの三好勲さんと打合せ場所である巣鴨へ行った時に、マジシャンの黒崎正博さんとお会いした。
黒崎正博さんはマジックアーティストとして新たな分野を確立した人です。
マジックBMWの提唱者であります。
B=ボケない M=モテる W=若返る

この日はインドネシアで事業展開している日本人女性とのマジック談義。
マジックの種目は約50万種あるという。
黒崎正博さんはマジックを披露してくれました。
シルクでは、手の中から次々に現れる国旗。
日の丸の時には日本語で普通に話しているが、星条旗が出現すると英語でスピーチを始める。そして中国国旗が出てくると流暢な中国語へと展開をしていく。中国語を話している時に時々日本語が中国語の発音となって出てくるので、聞いている人も思わず笑ってしまう。ユーモラスな演出であります。
トランプマジックでは、世界でも実施することの少ない貴重なものを披露してくれた。
指定したトランプがいつの間にか無くなり別の場所から出現してくるもの。
目の前で見ていたがまったくその現象が理解できないほど鮮やかなものでした。
ゲストの女性経営者はすっかり黒崎正博さんのマジックに魅了されていました。
マジックによるコミュニケーション作りの重要性を認識したようで、満足して帰っていきました。

黒崎正博さんは、たびたびTAMCの例会や懇親会でマジックを披露してくれます。
マジックの術技もさることながら話術も巧みなものでエンターティメントとしてのマジックを確立している黒崎正博さんです。

(1月26日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とげぬき地蔵の賑わい

2012年01月25日 | 日記
                          とげぬき地蔵の洗い観音様

巣鴨のとげぬき地蔵は毎月4のつく4日、14日、24日が縁日となっており、多くの人が集まってきて賑やかな街並みとなる。
年配者が多いので「おばあちゃんの原宿」とも呼ばれている。

高岩寺本尊の地蔵菩薩像(延命地蔵)は秘仏につき非公開である。
本尊の姿を刷った御影(おみかげ、縦4センチメートル、横1.5センチメートルの和紙に地蔵菩薩立像が描かれている)に祈願・またはその札を水などと共に飲むなどしても、病気平癒に効験があるとされる。
巣鴨のお地蔵様」として信仰されている。

境内に立つ石造の聖観音(しょうかんのん)像で「洗い観音」と通称される。
自身の治癒したい部分に相応する観音像の部分を洗う、または濡れタオルで拭くと利益があるという。
かつては像の表面をタオルでなくたわしで擦っていたため、摩耗が激しく、2代目の像が製作された。
現在の像は1992年(平成4年)に奉納されたもので、彫刻家・八柳尚樹の作。

とげぬき地蔵の洗い観音には長い行列が出来ていた。

(1月25日記)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩釜神社の文化灯篭

2012年01月24日 | 日記
                             塩釜神社の文化灯篭

塩釜神社は、陸奥国一宮で東北鎮護を称する。
海上安全・漁業・製塩・安産の神として広く信仰を集め、各地に御分霊が勧請されている。
創建については詳らかではない。
武甕槌神と経津主神が東北を平定した際、その道案内をしてきた塩土老翁神が当地に留まり、人々に塩作りを教えたことに始まるとされる。

塩釜神社境内に文化灯篭がある。
立派な灯篭である。

(1月24日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩釜神社の石階段

2012年01月23日 | 日記
                          塩釜神社の202段の石階段

塩釜神社へ行った。
この塩釜神社の石階段は長くてとてもきついと聞いていた。
鳥居から本殿までの間にある石階段は202段あるとの事。
少年野球のユニフォームを着た子供たちが元気よく階段を登っていくトレーニングをしていた。
正月の練習初めには塩釜神社の石階段を登る訓練をするようだ。
階段上では父母たちが駆け上がってくる少年たちを見守っている。
歩いて石階段を登るのも一気には登れない。
途中で何回も休んでゆっくりと登っていく。
他のスポーツグループも階段登りを始めていた。

塩釜神社の本殿は正月の初詣の人でかなり混雑をしていた。

(1月23日記)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩釜魚卸市場

2012年01月22日 | 日記
                              塩釜魚卸市場

仙石線の東塩釜駅から歩いて15分ほど行くと、塩釜魚卸市場がある。
中には100店舗ほどの店が営業をしている。
多くの買い物客で賑わっていた。

市場の一角に食事の出来るテーブル席があった。
市場内のお店で購入した魚の刺身やうになどをおかずにして食事をしていた。
ご飯は専門に出しているお店があり、そこに注文する。
300円で、きざみ海苔が振りかけられている白いご飯と沢庵の漬物、味噌汁は海苔が主体である。
買ったきたおかずをご飯の入ったどんぶりに乗せて、自分の好みの魚丼を作って食している。
とろマグロの刺身を乗せて食べたどんぶりがとても美味しかった。

(1月22日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津波避難の看板

2012年01月21日 | 日記
                       津波発生時に避難を呼びかける看板

塩釜港の近辺の道路には真新しい津波発生時に避難を呼びかける看板を多く見られた。
東日本大震災の発生後に設置されたようだ。
真新しさが津波の恐ろしさをよみがえらせている。

道路のいたるところに設置されている。
看板の誘導通りに早めに進めば身の安全を確保できる。
津波が大きな被害をもたらす状況が、多くの津波避難看板の設置となった。

(1月21日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩釜港の崩壊

2012年01月20日 | 日記
                              塩釜港の崩壊岸壁

東日本大震災の津波で被災した塩釜港の岸壁はかなり崩壊していた。
ガードレールは曲がりくねり、岸壁を覆っているコンクリートも崩落していた。
自然災害の恐ろしさを目の当たりに見た。

被災された場所はまだまだ修復の手も入っていない状況であった。
早い復旧復興を願うものだ。

(1月20日記)   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

塩釜港の瓦礫の山

2012年01月19日 | 日記
                      塩釜港には多くの瓦礫の山が見られた

塩釜港の中埠頭に行くと、東日本大震災の津波によって被害をもたらされた残骸の瓦礫の山がいたるところにあった。
瓦礫を収納する場所に一時的に山積みされている多くの瓦礫。

岸壁の土台も崩れたままで修復はされていない。
まだまだ東日本大震災の被災は露呈している状態が多く見られた。

(1月19日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

復旧中の貨物線路

2012年01月18日 | 日記
                      地震で破壊され復旧中の貨物線路

仙台港の近くには貨物の引込み線が多くある。
そのほとんどが東日本大震災で被災していた。
液状化現象で浮き上がった線路や曲がりくねった線路等々・・・

線路の復旧が続いているがまだ完成をしていない。
復旧中の線路が多くみられた。

(1月18日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙台港に入港する大型船

2012年01月17日 | 日記
                   仙台港に入港する大型自動車運搬船

仙台に行った折に東日本大震災で被災した地域を視察して廻った。
仙石線で多賀城まで行った。
40年前に建設会社に就職していたときに、3年間仙台に赴任して仕事をしていた。
余暇を活用して、東北学院大学工学部の学生たちに躰道部を創設してもらい、毎週指導していたことがある。
大学のキャンパスの横に多賀城跡公園があり、そこで躰道の練習風景を東北放送の取材を受けたことも思い出した。

多賀城駅からは仙台港方面に歩いていった。
途中の歩道では地震の影響で崩れていてまだ補修が出来ていないところが多数あった。
工場に引き込まれた貨物列車用の線路も途中で寸断しているところが多くあった。
駅から仙台港までは約5キロほどあり、歩くには十分な距離である。

仙台港に到着すると津波で被災した瓦礫の山が見られた。
大型の自動車運搬船が入港してきた。
目の前を通過するときには、10階建てほどの大きさもあり、ジャンボな大きさにはビックリした。
船上からはロープを岸壁に放り投げてきた、下で受取った作業員が岸壁の石の杭にロープをかけていた。

仙台港からの帰途も地震で火災が発生して屋根が曲がりくねっている倉庫の残骸や、液状化現象で道路が整備されていないところもかなりあった。

(1月17日記)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする