板山徳子審判員
躰道の優勝大会では審判員は重要なポジションを司る。審判員は、全ての法形を理解していることは勿論のこと、実戦競技での直視判断と所作を選手や観客から見られている。
審判員の中で特に光り輝く審判をするのが板山徳子審判員であります。板山徳子さんは、秩父女子高校で躰道部を創部させた一期生であり、板山昌司先生の指導を受けて躰道の稽古を重ねてきました。その後、縁があって板山昌司先生と結婚をして、妻として躰道普及の補佐をしてきました。山梨県北杜市長坂町で板山昌司先生が建設した山梨正統館道場では、女子部と少年部の指導を担当しています。板山昌司先生の勤務先である帝京第三高校躰道部の生徒たちの面倒もよくみています。息子の板山宜弘さんも立派な躰道マンとして育成しました。
板山徳子審判員は、実戦競技において、ポイントが入ると素早く的確に所作を施します。判定の場合でも、選手はもとより観客にもはっきりと分かる内容で説明を行います。審判員は、正統なる実技を習得してこそ、選手の競技を導いていくことができます。板山徳子審判員の判定は、誰もが納得する分かりやすい説明が特徴であります。そして、妻として、母として、指導者として躰道の普及に尽力している人です。
(10月31日記)
手前後向きが板山昌司範士
躰道の良き仲間であります板山昌司八段範士の訃報がありました。享年73歳。人生の大半を躰道の指導と普及に尽力されていた方です。多くの弟子たちを育成していて、各種大会での優勝体験者も多数輩出した実績も残してきました。板山昌司範士が祝嶺正献最高師範の墓参りをしていたことを記録に残します。
その日は、祝嶺正献最高師範が逝去してから10年目の命日でありました。(2011年)
◆10年前の11月24日は全日本躰道選手権大会が東京武道館で開催されていました。祝嶺正献最高師範は大会会長として開会式での挨拶は、参加していた選手たちを激励する力強いスピーチであった事がとても印象に残っています。皆で「今日の祝嶺正献最高師範のスピーチは一段と力強くて素晴らしいものであった」と話していました。翌日の25日には伊豆高原の祝嶺正献最高師範の家(岳雲荘)には、全国の指導者たちから多くの電話がかかってきて「昨日の全日本大会は素晴らしい大会でよかったですね!」との称賛の声が多くありました。電話を受けた祝嶺正献最高師範はとても気分が良く一日を過ごしておりました。その翌日の26日早朝に体調を崩してあっという間に天国に召されて逝ってしまいました。その時の伊豆の山々の樹木の葉は紅葉に満たされていました。
祝嶺正献最高師範のお墓の前には、熱海の大川公男先生夫妻と山梨県の板山昌司先生がすでに墓参を終えておりました。祝嶺正献最高師範と一緒に食事をするとのことでバーベキューの準備をしているところでありました。線香を手向けて墓地の最高師範に話しかけて報告をしました。奥様の和子様も一緒に眠っている墓所であります。高台にあるお墓なので、伊東の海がとても良く見えます。板山昌司範士の祝嶺正献最高師範に対する想いを垣間見させてもらった記憶が蘇ります。
(10月30日記)
棚橋淳先生(右)と雨宮康雄さん
「棚橋淳 作陶展」が東武百貨店池袋の美術画廊で開催されていましたので行ってきました。この作陶展は、いつも友人の雨宮康雄さんから案内があります。雨宮さんは東武百貨店美術担当として勤務していた時から、棚橋淳先生とは懇意にしている仲間です。
棚橋淳先生は、伝統の美しさを引き継ぎつつ現代的な感性を活かし、織部、黄瀬戸や古瀬戸などを作陶する精鋭陶芸家です。東武百貨店の作陶展は毎年恒例となっていて、多くの来場者があります。
棚橋淳先生は「山々の緑・木立の緑・草花、葉の緑、緑と言っても様々な緑があり、新緑の緑、深くて濃い緑に人は惹かれると思います。伝統ある織部の魅力はまず第一にその緑の発色にあり、そこに自分なりの感覚を加えた現代織部を目指して作陶しています」とコメントしております。
《棚橋淳先生 略歴》
1959年 岐阜県に生まれる
1990年 岐阜県東拝戸町に築窯
日展 入選多数
日本新工芸展 日本新工芸賞賞受賞
日本新工芸展 中日賞受賞 入選多数
朝日陶芸展 陶芸奨励賞受賞 入選
第20回日本新工芸展出品作品 外務省買上
国際花と緑の博覧会 政府出展花もよう 招待出品
テーブルウェア・フェスティバル2001 招待出品
瀬戸市新世紀工芸館 企画展「素材からの自己表現」
瀬戸市美術館 特別展「瀬戸の現代陶芸」出品
EAST&WEST CLAY WORKS EXHIBITION 2006 SEOUL 出品
日展会友 日本新工芸家連盟会員 瀬戸陶芸協会会員
(10月24日記)
浜離宮庭園のコスモス
特別史跡・浜離宮恩賜庭園は、海水を引き入れた潮入りの池と、二つの鴨場を伝え、江戸時代には、江戸城の「出城」としての機能を果たしていた徳川将軍家の庭園です。入口のすぐそばには、大改修をしたときの偉業をたたえて植えられたといわれている「三百年の松」があり、太い枝が低く張り出し、今もなお堂々たる姿を誇っています。
お花畑では、秋桜の花が咲いていて見ごろとなっていました。このエリアは春は黄色の菜の花が咲き誇るところであります。
鴨場は二つあります。鴨場池には引き堀を設けて、小覗きから鴨の様子をうかがいながらおとりのアヒルで引き堀におびき寄せて網で捕る猟を行っていました。
築地川の一角には、水上バス発着場があり、隅田川を登っていき浅草まで行楽が楽しめます。
(10月23日記)
キノコ入りクリームパスタ
池袋駅西口から徒歩5分のところにあるイタリアンレストラン「オステリアサンテ義」でランチをしました。キノコ入りのクリームパスタ、野菜サラダ、パン、デザート、コーヒー付きでした。とてもボリュームもあり美味しく頂きました。
店内は、カウンター6席、テーブル9卓で落ち着いた雰囲気があります。客の多くは女性のグループで食事をしながら、話に花を咲かせている人がほとんどです。
開店十周年の時には、祝い花には洒落たものが飾ってありました。テレビドラマで話題となった「半沢直樹」からのものです。
パスタやハンバーグなど美味しいメニューで気楽に入れる話題の店「オステリアサンテ義」です。
(10月22日記)
東京国際大学躰道部OB会記念式典
東京国際大学躰道部OB会総会が開催された。 久し振りのOB会総会であった。
躰道部創立記念式典は、OB会と現役躰道部の共催で開催されてきた。東京国際大学(前国際商科大学)の創立一年目の昭和40年に躰道部は創部された。
20周年記念式典は、半蔵門会館にて開催された。祝嶺正献最高師範や大学の創立者である金子泰藏学長も参列された。
25周年記念式典は、六本木のジオイドにて開催された。
30周年記念式典は、新宿のホテルセンチュリーハイアットにて開催された。いずれも200名以上の参列者があり、盛大に行われた。 この時、祝嶺正献最高師範に対して贈呈した感謝状は、伊豆高原の岳雲荘客間に掲げてあった。
40周年記念式典は、OB会だけの集まりであった。総会では、5代目会長に勝木弘幸氏(1期生)を選出した。
参列者の中には6期生OBなどは、北海道の北川昭雄君、大阪の伊藤日出雄君、富山の高見日出男君、東京の高山君、埼玉の小山正雄君らは、同期で平成15年8月に逝去した森迫親正氏の墓参りをするということで全国からこの日のために集合したのでありました。
(10月20日記)
「ヘップバーンの予言」
10月の「マジック教室」は、前半は、多湖 輝先生の著作本「頭の体操」からの問題を研修しました。
栓をしてある葡萄酒瓶の中身飲むのはどうしたらよいか。1リットルの桝を半分にする方法。二人の父親から二人の息子に小遣いを与えた内容。マスト一本の船でもっとも多くの距離を動いたもの。24人の人間を6列に並べて、各列5人ずつにする方法。通常の慣習ではなかなか解けないところが面白い問題です。
後半は、「ヘップバーンの予言」を研修しました。この作品は2007年にTAMC所属の氣賀康夫氏と私が共同で開発をしたQRコードを活用したオリジナル作品です。
観客が一組のカードから一枚のカードを選んでもらい、スマホのバーコードリーダーを使用してヘップバーンの写真を撮影すると、ディスプレイ上にカードの名前を予言する文章が現れてくるという摩訶不思議な作品でした。参加者もとてもビックリしておりました。
(10月18日記)
池内和彦
ついに、池内和彦のブログ「つれづれなるままに」を開設してから、5000日を超えました。ほぼ毎日掲載してきました。その間のトータル閲覧数は、5,476,000pvとなっております。閲覧して頂き感謝申し上げます。
カテゴリーランキングでは、1位 日記、2位 マジック、3位 躰道、4位 友人、5位スポーツ となっています。その他には、池さんぽ、名所、芸能、演芸、芸術、文化、インターネット、豊島区、神田祭、飲食店、店舗、社会、政治、経済、報道等があります。
TAMC(東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ)では、クラブに関係する内容をピックアップして文集にまとめて、例会で披露しました。そしてその文集をクラブに贈呈しております。
躰道では、現在活動している人たちに対して、躰道の創始者である祝嶺正献最高師範や草創期の頃に活躍されていた指導者のことを記載して参考にしてもらいたいと伝承してきました。
ブログ「つれづれなるままに」については、毎日Facebookにも共有して掲載しております。その間、いろいろとエピソードがありました。マジックの友人である白鳥勝彦さんについて掲載したところ、テレビ局の関係者の目にとまり、テレビに出演することが多くなりました。「ぶらり途中下車の旅」「加山雄三のゆうゆう散歩」「モヤモヤさま~ず」「凄ワザ」等の番組に出演しました。インターネット情報の凄さも感じました。
ブログ「つれづれなるままに」を楽しみにしている人が多くおりますので、今後も「吾 動く故に 吾在り」の精神で記載していくことを継続してまいります。
池内和彦ブログ「つれづれなるままに」⇒ http://blog.goo.ne.jp/ikeuchi_1945
(10月14日記)
魚一の「魚膳」
埼京線の十条駅を降りると駅前は都市開発のマンション建設の現場となっています。
十条銀座は、戸越銀座、砂町銀座と並ぶ東京の賑わう商店街です。
十条銀座で、街の情報に詳しい人に「美味しい料理店はどこですか?」と尋ねてみたら、すぐに魚料理のうまい「魚一」と言って、場所を書いた地図を渡してくれました。
駅から帝京大学方面へ5分ほど行ったところに「魚一」はありました。ランチ時に店の前では女性のグループが並んでおりました。人気の店でいつも繁盛をしています。ランチでは日替わり定食の「魚膳」を注文すると、刺身セット、ささみの天麩羅、ホタテのフライ、おでんが盛られたメニューでした。魚料理が自慢でお刺身が美味しくご飯によく合います。
店内はカウンター4席、テーブル4卓であまり広くないですが、プロの料理人も来店するという話題の店で、スタッフも笑顔で対応しており気持ちよく過ごせて、女性にも人気のあることが分かる美味しい料理店「魚一」でした。
(10月12日記)
個人女子法形競技決勝戦の平山愛子選手(左)と瀬藤有希選手
全日本躰道選手権大会の会場へ向かうために東京メトロ有楽町線の終点の新木場駅に降りた。改札口のところで、瀬藤有希さん(和歌山)と平山愛子さん(東京城南)の二人に会った。二人はとても仲の良い友達である。躰道の修練も継続しており、今大会にも出場する選手である。
会場となるBumB東京スポーツ文化館までは駅から徒歩10分ほどかかる。二人に近況を聞きながら会場へ向かう。平山さんは大会の前には毎回和歌山県まで行って小西美智子先生と小西愛先生の指導を受けている。瀬藤さんは上京すると平山さんと会って交流を積み重ねている。歩いている途中、平山さんが近道のルートを教えてくれた。広い駐車場を横切って会場に着くと全国から集まった選手たちが待機していた。
個人女子法形競技は、二人とも選手出場していた。出場選手は26名で前大会の実績により二人はシードされて二回戦からの出場である。
平山愛子選手は東京城南地区選出となる。北里大学を卒業後専門である眼科医院に勤務をしている。躰道の練習は浜町にある中央区立体育館の武道場を利用している。2回戦は力丸選手(福島)を3対0で勝利し、3回戦は岸選手(山形)に3対0で勝利、4回戦準決勝は佐藤選手(山形)を2対1で勝利して決勝戦に進んだ。
瀬藤有希選手は和歌山県選出である。和歌山県海南市で小西美智子先生と小西愛先生の指導を小学生の頃から受けて成長してきた。2回戦は橋本選手(沖縄)を3対0で勝利し、3回戦は佐藤選手(福島)に3対0で勝利し、4回戦準決勝は佐藤選手(山形)を3対0で勝利して決勝戦に進んだ。
平山愛子選手と瀬藤有希選手は、全国社会人躰道優勝大会でも決勝戦での試合を体験している。
決勝戦は、互角の戦いであった。武道的な演武では瀬藤有希選手がややリードしていた。平山愛子選手は前転技が高く飛び上がりアピールをしていた。審判員は2対1で割れて体育的な要素の平山愛子選手が勝利した。「躰道は武道である。心、技、体を重視する躰道本来の観点から判定をすることが必要である」と祝嶺正献最高師範が述べていたことを思い出した。
(10月5日記)
柳川鍋(駒形どぜう)
駒形の「どぜう」に入り、今回は柳川鍋を食べました。
入り口では、検温と手指を消毒します。専用の靴番係がおり手際よく案内をしております。1階の座敷の大広間では間隔を空けて座布団が敷かれております。客は半分ほどの入りでした。
柳川鍋(やながわなべ)は、どじょうを使った江戸生まれの鍋料理です。どぜう鍋と同じくどじょうの鍋料理でありますが、開いたドジョウを予め割下で煮こみ卵とじにしている点で一般的などぜう鍋と区別されています。
柳川鍋を食べると、栄養がついて元気になった気がしてきました。
(10月6日記)
昭和天皇帰朝記念絵葉書
昭和天皇記念館は、国営昭和記念公園の「花みどり文化センター」内に設置され、昭和天皇のゆかりの資料を展示してあります。
昭和天皇87年の生涯を写真、映像、貴重な資料を展示してある常設コーナーと期間限定で公開している企画展があります。現在は「昭和天皇とヨーロッパの旅」展が一年間開催され、4期に分けて展示する企画展です。
TAMCのメンバーであり、私と同期入会した梶田明宏さんが記念館の副館長として就任しています。梶田明宏さんは名門岐阜高校卒業後、東京大学に入学して大学院を修了すると宮内庁に就職しました。書陵部に配属となり、昭和天皇の生涯の記録である『昭和天皇実録』の編修に携わってきました。30年間の長きにわたる編修事業が終了して、『昭和天皇実録』の出版の完了とともに、宮内庁を定年退職となり、昭和天皇記念館に再就職となりました。
昭和天皇記念館を訪問すると、梶田明宏副館長がおり、館内の展示物に関する資料の説明を詳しくしてくれました。特に企画展の「天皇への学びの旅」のコーナーは、梶田副館長が担当していたとのことです。ヨーロッパの旅の「帰朝記念の絵葉書」は素晴らしいものでした。また昭和天皇が全国各地を訪れた時の植樹祭の写真も良かったです。昭和天皇は生物学についての研究にも熱心に取り組んでおり、皇居内の生物学研究所の一部も復元されて紹介されておりました。
尚、館内は撮影禁止となっておりました。帰朝記念絵葉書の写真は梶田明宏副館長のもので特別に使用許可がありましたので掲載いたしました。
とても良い機会に「昭和天皇記念館」を訪れることができ、梶田明宏副館長とも懇談することが出来ました。
(10月4日記)
キバナコスモス
国営昭和記念公園は、「昭和天皇ご在位五十年記念事業」の一環として、立川基地の跡地に昭和58年、昭和天皇臨席のもとに開園しました。平成17年にはみどりの文化ゾーンが共用され、同時に昭和天皇記念館が開館しました。
秋となり気候の良い日に昭和記念公園に行ってきました。公園の中央にあるみんなの原っぱ東花畑では、キバナコスモスがとてもきれいに咲き誇っていました。澄み切った秋の青空にレモン色に輝く花畑を散歩するには気持ち良いものです。
広い公園内にはいろいろの花が咲いています。曼殊沙華の群生が赤い色を揃えて見事に咲いていました。
広い原っぱの真ん中にある大ケヤキの木が公園を象徴している風格があります。
春の桜の花の時も良いですが、秋も素晴らしい憩いの場所となっている昭和記念公園です。
(10月2日記)
八木政明先生と(さとらんど)
北海道札幌市へ行って八木政明先生にお会いしてきました。さとらんどでゆっくりとお話を聴きました。サッポロさとらんどは、札幌市東区にある施設。正式名称は札幌市農業体験交流施設。「さとらんど」の名称は一般公募によってふる里の「さと」とランドの「らんど」を合わせた造語であり、市民に愛される里づくりを願って名づけられたものです。広大な土地に多くの施設が整っております。
内容は八木政明先生が東京医科歯科大学在学中に「玄制流空手道部」に所属して、祝嶺正献最高師範から指導を受けた時の模様を話していただきました。祝嶺正献最高師範が亡くなって17年が経過しております。その肉体は亡くなっても、精神は語り繋いでいくことで活かされるものです。
祝嶺正献最高師範についての資料を見せて頂きました。仁雄会(東京医科歯科大学躰道部OB会)の創設45周年記念誌です。躰道創設前の玄制流空手時代から躰道創設後の状況が詳しく記録されています。
八木政明先生とは二日目には「楽々亭」という北海道料理のおいしいお店でいろいろと懇談しました。空手から躰道へ移行した理由やその異なる点などの話を聴きました。とても参考になる話を聴けるひとときを過ごすことが出来ました。
(10月1日記)