このブログを書き始めてまもなく2,000日、だそうだ。親切にもブログにログインすると毎日それを教えてくれるシステムになっている。
先日、購読している(夫と息子の贔屓の球団の記事が多いというのが購読理由)新聞が50,000号を迎えたという記事を目にした。
40,000号が1987年のことだという。今回50,000号迄におよそ27年半かかっている。私が働き始めたのが1985年4月だから、社会人になって優に10,000日を超えているわけだ。
今迄53年生きてきたけれど、いまだ生存日数は20,000日にも満たないということだ。ブログを綴っている期間はその1割に過ぎない。
女性の平均寿命を85歳とすれば31,000日を超える。100歳まで元気に生きられる人はそうそう多くはないだろうが、100年生きたところで36,500余日。
となれば、この10年以上闘病生活を続け、特に7年余の再発治療を振り返り、思えば遠くに来たもんだ、と思っていたけれど、日にちにすれば3,000日にも満たないのである。
そんなものか・・・という気持ちと、そんなにか・・・という気持ちが交錯する。
このブログは、初めての抗がん剤ということもあって心身ともに一番しんどかったタキソテール治療が終わり、休職明けから半年近く経って立ち上げた。このため、再発してから1年余りの治療については、リアルタイムの記事にはなっていない。
思えばこのブログを通じて、随分沢山の交流に恵まれた。
けれど、ふと見回すと、こと、再発治療をしていた方たちが殆ど皆逝ってしまった・・・と唇を噛む。
初期の頃、コメントを寄せてくださっていた方も、お互いのブログを通じてネット上のやりとりに飽き足らず、リアルにお付き合いさせて頂くことになった複数のお友達も、相次いで天に召されてしまった。そして誰もいなくなった・・・・ということか。
遺されたご主人が、沢山の読者を抱えたそのブログを継いで続けているケースもある。けれど、当たり前のことだが、残念ながら彼女たちのブログとは全く違うものになっていることも少なくない。また、そのまま更新されずに、その時のままで、というケースもある。
今の私には、新しいブログを探して定期的に読ませて頂こうという時間もないし、コメントを寄せてみようかなと思うようなブログもない。というより、そういう気持ちになれない。
次は自分なのでは、という怖れもある。もちろん、生きている限り死んでいかなければならないから、それは早かれ遅かれ誰もが平等に迎える日ではある。とはいえ、健康な方たちと比べれば、ずっと早くにその日を迎えることにおそらく疑う余地がない。
発売から1年も経過していない新薬カドサイラ(T-DM1)を使っているということは、もう既に色々な薬を使い尽くしてきましたよ、ということでもある。
ひとつの薬が長く効くといっても5年10年効くわけではないし、平均して1年効いてくれれば長く効いたと言える世界である。効いていても副作用と天秤にかけて休薬となるケースもあるし、効かないことだってある。
となれば、今の薬が1年効いてくれて、次に考えているパージェタとハーセプチンで1年繋ぎ、その次は・・・?と思うとやはり間違いなく砂時計は落ち始めている、と思わざるを得ない。
いつもこんなネガティブなことを考えているわけではない。けれど、いくら能天気な私ではあっても、冷静に考えればそうそう楽観もしていられない。
ではどうするかと言われても、結局は自分らしく、大切に日々を重ねるしか術はないのだけれど。
先日、購読している(夫と息子の贔屓の球団の記事が多いというのが購読理由)新聞が50,000号を迎えたという記事を目にした。
40,000号が1987年のことだという。今回50,000号迄におよそ27年半かかっている。私が働き始めたのが1985年4月だから、社会人になって優に10,000日を超えているわけだ。
今迄53年生きてきたけれど、いまだ生存日数は20,000日にも満たないということだ。ブログを綴っている期間はその1割に過ぎない。
女性の平均寿命を85歳とすれば31,000日を超える。100歳まで元気に生きられる人はそうそう多くはないだろうが、100年生きたところで36,500余日。
となれば、この10年以上闘病生活を続け、特に7年余の再発治療を振り返り、思えば遠くに来たもんだ、と思っていたけれど、日にちにすれば3,000日にも満たないのである。
そんなものか・・・という気持ちと、そんなにか・・・という気持ちが交錯する。
このブログは、初めての抗がん剤ということもあって心身ともに一番しんどかったタキソテール治療が終わり、休職明けから半年近く経って立ち上げた。このため、再発してから1年余りの治療については、リアルタイムの記事にはなっていない。
思えばこのブログを通じて、随分沢山の交流に恵まれた。
けれど、ふと見回すと、こと、再発治療をしていた方たちが殆ど皆逝ってしまった・・・と唇を噛む。
初期の頃、コメントを寄せてくださっていた方も、お互いのブログを通じてネット上のやりとりに飽き足らず、リアルにお付き合いさせて頂くことになった複数のお友達も、相次いで天に召されてしまった。そして誰もいなくなった・・・・ということか。
遺されたご主人が、沢山の読者を抱えたそのブログを継いで続けているケースもある。けれど、当たり前のことだが、残念ながら彼女たちのブログとは全く違うものになっていることも少なくない。また、そのまま更新されずに、その時のままで、というケースもある。
今の私には、新しいブログを探して定期的に読ませて頂こうという時間もないし、コメントを寄せてみようかなと思うようなブログもない。というより、そういう気持ちになれない。
次は自分なのでは、という怖れもある。もちろん、生きている限り死んでいかなければならないから、それは早かれ遅かれ誰もが平等に迎える日ではある。とはいえ、健康な方たちと比べれば、ずっと早くにその日を迎えることにおそらく疑う余地がない。
発売から1年も経過していない新薬カドサイラ(T-DM1)を使っているということは、もう既に色々な薬を使い尽くしてきましたよ、ということでもある。
ひとつの薬が長く効くといっても5年10年効くわけではないし、平均して1年効いてくれれば長く効いたと言える世界である。効いていても副作用と天秤にかけて休薬となるケースもあるし、効かないことだってある。
となれば、今の薬が1年効いてくれて、次に考えているパージェタとハーセプチンで1年繋ぎ、その次は・・・?と思うとやはり間違いなく砂時計は落ち始めている、と思わざるを得ない。
いつもこんなネガティブなことを考えているわけではない。けれど、いくら能天気な私ではあっても、冷静に考えればそうそう楽観もしていられない。
ではどうするかと言われても、結局は自分らしく、大切に日々を重ねるしか術はないのだけれど。