昨夜、夫は夕食後気持ち良さそうにうたた寝をし、お風呂には行かずじまい。私は300人も入浴できるというローマ風呂を堪能して、ちょっと湯疲れ気味。
そして、今朝。真東に向いている部屋はカーテンが閉まっていても明るくなり、日の出前に一度目覚める。時計を見ると4時半。お風呂は5時からだった、ともう一度ウトウトしてから、そーっと一人で露天風呂に出かけた。
既に何人も入浴中だったが、真正面の海の上をどんどん太陽が高く昇って行く。本日も晴天なり。いいお天気で気温が上がりそうな気配だ。
朝からいい感じにふやけて私が戻ると、お風呂嫌いの夫も目覚めたようで、入浴を進めるも丁重(?)に辞退されてしまった。
そして、ゆるゆると朝食会場へ移動。さすがに目覚めて3時間近く経つとお腹もペコペコ。あれもこれもと目が卑しく、ちょっとずつ色々盛り付ける。しっかり完食してエネルギーチャージを済ませ、部屋に戻って食休み方々荷物のパッキング。持ってきた文庫を小一時間読んでから、目の前の港から出る遊覧船乗り場へ向かった。
姉妹都市であるサンレモ市に因んでつけられたという船は、赤と黒の船体にイタリア三色旗を模したお洒落なデザイン。船内の階段を下りると海中が見えるガラス窓があり、出航前には自由に泳ぎ回るお魚たちとご対面。そういえば、1月に旅行した時もグラスボートに乗ったっけと思い出す。約30分の遊覧だったが、お天気が良く青い海に浮かぶ半島や島も見渡せる。潮風が心地よい。船は苦手な筈なのに、不思議なほど観光気分が盛り上がった。
海岸通りから少し街中に入ってランチ場所を探しつつ散策しながら、一旦ホテルに戻った。
チェックアウトして、荷物を預け、創業1947年だという海を一望出来るオープンテラス席のある老舗レストランを目指した。けれど、あいにく今日は予約で一杯とのこと。
では仕方ない、と地元の方たちに人気の隠れ家的存在、限定10食のランチがお勧めという茶房に行ってみた。カウンター5席と4人がけテーブル1つの小さなお店を奥様お一人で切り盛りされている。カウンターには常連さんがいらしており、私達はテーブル席に。ちょうどお昼時ということで、集まってきた雀や鳩にもお米のランチが供されていた。奥様の毎日の日課のようで、今日のような温かいお天気の良い日はエサに事欠かないので、他所で食べる鳥もいて3,4羽だけれど、雨の日や寒い日には30羽も集まってくるという。
さて、このお店のランチが大当たりで大満足。どれも丁寧な手作りメニューで、デザートと珈琲・紅茶まで全く手抜きがない。すっかり豊かな気持ちになって奥様と話し込み、一緒に写真まで撮ってきてしまった。一人息子さんが日本画家だそうで、その作品だという一筆箋と絵葉書も買い求めてきた。次回は息子も連れて必ず来ようと思えるお店に出遭えたのはとても幸運なことだ。すっかりのんびりしてしまったが、帰りのバスの時間までまだ若干時間があったので、気になっていた建物に足を延ばした。
ここは大正・昭和の浪漫溢れる、この温泉地の三大別荘と賞賛された名邸が基だそうだ。戦後、旅館として生まれ変わり、志賀、太宰、谷崎等文豪たちに愛されたという。市街地とは思えない緑豊かな庭園は、昭和の“鉄道王”の異名を持つ実業家である根津氏により整えられたという。日本家屋の美しさを留める本館と、離れや日中欧の装飾や様式を融合させた独特な雰囲気を持つ洋館に溜息の連続。僅か30分ほどで回るにはあまりに惜しい場所だった。
お天気が良く、痛みも収まっており、短い時間で観光も食事も、と充実した半日を過ごし、ホテルから帰りのバスに乗り込んだ。
帰途の休憩は往路で立ち寄った蒲鉾店に再び。昨日は時間がなく断念したが、夫が狙っていたというおはぎとお茶のセットをペロリと平らげ、更にはジェラートまで欲張って小一時間の休憩時間を美味しく過ごす。奮発して上等な蒲鉾もお土産に買い込んだ。
さすがに草臥れて、バスの中ではあっという間に夫ともどもこっくりこっくり、である。順調なら1時間で出発駅到着の筈だったが、途中事故渋滞のため高速がノロノロ運転。一体何時になることやら・・・とハラハラしたが、その後復調して思いのほか早く到着した。それでも予定時間より30分の遅延。
そのまま脇目も振らずまっすぐ帰宅したが、到着はいつも仕事が引けて帰るのとほぼ同じ時間。まだ明るいので、勢いがあるうちに荷物を片付け洗濯機を回し、干し終えてから、市議選の投票場所である中学校へと出向いた。最後の1時間を切っていたがこの時点での投票率は26%とのこと、うーん、こんなんでいいのかな、と思いながら帰宅。
そして、あっという間に土日も終了。今日は早めに休んで明日に備えなくては。火曜日はまた治療日である。
そして、今朝。真東に向いている部屋はカーテンが閉まっていても明るくなり、日の出前に一度目覚める。時計を見ると4時半。お風呂は5時からだった、ともう一度ウトウトしてから、そーっと一人で露天風呂に出かけた。
既に何人も入浴中だったが、真正面の海の上をどんどん太陽が高く昇って行く。本日も晴天なり。いいお天気で気温が上がりそうな気配だ。
朝からいい感じにふやけて私が戻ると、お風呂嫌いの夫も目覚めたようで、入浴を進めるも丁重(?)に辞退されてしまった。
そして、ゆるゆると朝食会場へ移動。さすがに目覚めて3時間近く経つとお腹もペコペコ。あれもこれもと目が卑しく、ちょっとずつ色々盛り付ける。しっかり完食してエネルギーチャージを済ませ、部屋に戻って食休み方々荷物のパッキング。持ってきた文庫を小一時間読んでから、目の前の港から出る遊覧船乗り場へ向かった。
姉妹都市であるサンレモ市に因んでつけられたという船は、赤と黒の船体にイタリア三色旗を模したお洒落なデザイン。船内の階段を下りると海中が見えるガラス窓があり、出航前には自由に泳ぎ回るお魚たちとご対面。そういえば、1月に旅行した時もグラスボートに乗ったっけと思い出す。約30分の遊覧だったが、お天気が良く青い海に浮かぶ半島や島も見渡せる。潮風が心地よい。船は苦手な筈なのに、不思議なほど観光気分が盛り上がった。
海岸通りから少し街中に入ってランチ場所を探しつつ散策しながら、一旦ホテルに戻った。
チェックアウトして、荷物を預け、創業1947年だという海を一望出来るオープンテラス席のある老舗レストランを目指した。けれど、あいにく今日は予約で一杯とのこと。
では仕方ない、と地元の方たちに人気の隠れ家的存在、限定10食のランチがお勧めという茶房に行ってみた。カウンター5席と4人がけテーブル1つの小さなお店を奥様お一人で切り盛りされている。カウンターには常連さんがいらしており、私達はテーブル席に。ちょうどお昼時ということで、集まってきた雀や鳩にもお米のランチが供されていた。奥様の毎日の日課のようで、今日のような温かいお天気の良い日はエサに事欠かないので、他所で食べる鳥もいて3,4羽だけれど、雨の日や寒い日には30羽も集まってくるという。
さて、このお店のランチが大当たりで大満足。どれも丁寧な手作りメニューで、デザートと珈琲・紅茶まで全く手抜きがない。すっかり豊かな気持ちになって奥様と話し込み、一緒に写真まで撮ってきてしまった。一人息子さんが日本画家だそうで、その作品だという一筆箋と絵葉書も買い求めてきた。次回は息子も連れて必ず来ようと思えるお店に出遭えたのはとても幸運なことだ。すっかりのんびりしてしまったが、帰りのバスの時間までまだ若干時間があったので、気になっていた建物に足を延ばした。
ここは大正・昭和の浪漫溢れる、この温泉地の三大別荘と賞賛された名邸が基だそうだ。戦後、旅館として生まれ変わり、志賀、太宰、谷崎等文豪たちに愛されたという。市街地とは思えない緑豊かな庭園は、昭和の“鉄道王”の異名を持つ実業家である根津氏により整えられたという。日本家屋の美しさを留める本館と、離れや日中欧の装飾や様式を融合させた独特な雰囲気を持つ洋館に溜息の連続。僅か30分ほどで回るにはあまりに惜しい場所だった。
お天気が良く、痛みも収まっており、短い時間で観光も食事も、と充実した半日を過ごし、ホテルから帰りのバスに乗り込んだ。
帰途の休憩は往路で立ち寄った蒲鉾店に再び。昨日は時間がなく断念したが、夫が狙っていたというおはぎとお茶のセットをペロリと平らげ、更にはジェラートまで欲張って小一時間の休憩時間を美味しく過ごす。奮発して上等な蒲鉾もお土産に買い込んだ。
さすがに草臥れて、バスの中ではあっという間に夫ともどもこっくりこっくり、である。順調なら1時間で出発駅到着の筈だったが、途中事故渋滞のため高速がノロノロ運転。一体何時になることやら・・・とハラハラしたが、その後復調して思いのほか早く到着した。それでも予定時間より30分の遅延。
そのまま脇目も振らずまっすぐ帰宅したが、到着はいつも仕事が引けて帰るのとほぼ同じ時間。まだ明るいので、勢いがあるうちに荷物を片付け洗濯機を回し、干し終えてから、市議選の投票場所である中学校へと出向いた。最後の1時間を切っていたがこの時点での投票率は26%とのこと、うーん、こんなんでいいのかな、と思いながら帰宅。
そして、あっという間に土日も終了。今日は早めに休んで明日に備えなくては。火曜日はまた治療日である。