このブログを通じて沢山の方たちとの交流を得たことは以前にも幾度か書いたとおりだ。かけがえのない複数のお友達との出会いにも恵まれた。
ブログを綴ると同時に、ひとりの読者として別の方のブログを読みながら、どんな方だろうか、と想いを巡らせることがある。そしてお逢いしてみたいな・・・と思うのは、その文章から伝わってくるその方の生き方や佇まいに共感したり、惹かれるからである。いわゆるランキングで人気ブロガーと称される方には、そういう意味で魅力的な方が多いのだろうと思う。
それにしても、日々沢山の方たちからコメントを頂くのは嬉しいことであるが、お返事するのは本当に大変だろうな、と思う。一人ひとりに対して、その方がどんなプロフィールを持つ方だったか、などと考えながらトンチンカンな答えにならないようにするのは生半可なことではないだろう。
割り切ってリコメはしません、と宣言してしまう手もあるわけだ。コメントを事前承認制にすれば、実際に公開しないものもあるのだろうけれど、その中には攻撃的なものもあるだろうから、それを目にするストレスたるや想像に難くない。私の場合は、これ迄に公開しなかったものは殆どないけれど、それでも明らかに傷つけようとしているのだろうな、というコメントには、正直凹む。
実際、先輩ブロガーのお友達からは、世の中には本当に色々な人がいるのだから、悪意のあるコメントにその都度落ち込んでいたら始まらない。だからコメントは事前承認制が絶対条件だし、そういうものはスルーするかデリートに限るのよ、と賢い身の処し方を教えて頂いたこともあった。
まあ、そういうことが嫌だというのなら、そもそもブログなど始めなければ良いし、ある種の鈍感力が必須なのだろう。清濁併せ飲む強さがなければ発信などするなということか。
一方、読み手は、日々、書き手の生活が事細かにアップされればアップされていくほど、どんどんイメージを膨らませ、書き手を美化していく、あるいは悪い感情を募らせていくものなのかもしれない。
けれど、ブログ上の顔と実際の顔が必ずしも一致しないケースもあるだろうとも思う。実際に逢ってお話してみたら、なんだか違うイメージだった、とガッカリすることも稀ではないのではないか。逆もまたしかり、である。ブログ上ではなんだかお高くとまっていそうな雰囲気だったり、いかにも気難しそうであった方が、実はとても気さくでフレンドリーだったりもする。
もちろん、読み手が一方的に自分でイメージを膨らませてしまったということもあるし、書き手が一枚上手だったということでもあるだろう。ある程度の筆力があれば、実際の自分そのまんまではなく、ちょっぴり脚色して綴ることは可能かもしれない。
普段の私はちょっと神経質だけれど、ここでは天然の線でいってみよう、ちょっとお茶目な感じでいこう、などなど。そのあたりがネット上の愉しみといえば愉しみ。それを否定することも出来ない。とはいえ、文章にはその人の人となりが出る、とよく言われるから、そうそう別人になり切って書き続けられるわけではないだろう。だからこそ、自分らしく素直に書き続けることが、急がば回れの王道なのかもしれない。
さて、帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。
赤白黄色♪でチューリップ・・・ではないが、それに濃淡4段階のピンクが加わって7本のガーベラ、橙色のオーニソガラムが2本、薄紫のデルフィニウムが2本、そしてミスカンサスの葉が数本。
春らしい鮮やかな花束になった。花言葉はそれぞれ「神秘」、「潔白」、「清明」だという。
ブログを綴ると同時に、ひとりの読者として別の方のブログを読みながら、どんな方だろうか、と想いを巡らせることがある。そしてお逢いしてみたいな・・・と思うのは、その文章から伝わってくるその方の生き方や佇まいに共感したり、惹かれるからである。いわゆるランキングで人気ブロガーと称される方には、そういう意味で魅力的な方が多いのだろうと思う。
それにしても、日々沢山の方たちからコメントを頂くのは嬉しいことであるが、お返事するのは本当に大変だろうな、と思う。一人ひとりに対して、その方がどんなプロフィールを持つ方だったか、などと考えながらトンチンカンな答えにならないようにするのは生半可なことではないだろう。
割り切ってリコメはしません、と宣言してしまう手もあるわけだ。コメントを事前承認制にすれば、実際に公開しないものもあるのだろうけれど、その中には攻撃的なものもあるだろうから、それを目にするストレスたるや想像に難くない。私の場合は、これ迄に公開しなかったものは殆どないけれど、それでも明らかに傷つけようとしているのだろうな、というコメントには、正直凹む。
実際、先輩ブロガーのお友達からは、世の中には本当に色々な人がいるのだから、悪意のあるコメントにその都度落ち込んでいたら始まらない。だからコメントは事前承認制が絶対条件だし、そういうものはスルーするかデリートに限るのよ、と賢い身の処し方を教えて頂いたこともあった。
まあ、そういうことが嫌だというのなら、そもそもブログなど始めなければ良いし、ある種の鈍感力が必須なのだろう。清濁併せ飲む強さがなければ発信などするなということか。
一方、読み手は、日々、書き手の生活が事細かにアップされればアップされていくほど、どんどんイメージを膨らませ、書き手を美化していく、あるいは悪い感情を募らせていくものなのかもしれない。
けれど、ブログ上の顔と実際の顔が必ずしも一致しないケースもあるだろうとも思う。実際に逢ってお話してみたら、なんだか違うイメージだった、とガッカリすることも稀ではないのではないか。逆もまたしかり、である。ブログ上ではなんだかお高くとまっていそうな雰囲気だったり、いかにも気難しそうであった方が、実はとても気さくでフレンドリーだったりもする。
もちろん、読み手が一方的に自分でイメージを膨らませてしまったということもあるし、書き手が一枚上手だったということでもあるだろう。ある程度の筆力があれば、実際の自分そのまんまではなく、ちょっぴり脚色して綴ることは可能かもしれない。
普段の私はちょっと神経質だけれど、ここでは天然の線でいってみよう、ちょっとお茶目な感じでいこう、などなど。そのあたりがネット上の愉しみといえば愉しみ。それを否定することも出来ない。とはいえ、文章にはその人の人となりが出る、とよく言われるから、そうそう別人になり切って書き続けられるわけではないだろう。だからこそ、自分らしく素直に書き続けることが、急がば回れの王道なのかもしれない。
さて、帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。
赤白黄色♪でチューリップ・・・ではないが、それに濃淡4段階のピンクが加わって7本のガーベラ、橙色のオーニソガラムが2本、薄紫のデルフィニウムが2本、そしてミスカンサスの葉が数本。
春らしい鮮やかな花束になった。花言葉はそれぞれ「神秘」、「潔白」、「清明」だという。