11月になった。寒さがぐっと加速度をつけた気がする。今朝も冷たい雨の霜月初めであった。昼過ぎからようやく陽射しが出てきてちょっとほっとした。
以前もご紹介したことのある毎日新聞連載中の香山リカさんのコラム最新号に膝を打った。
以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
香山リカのココロの万華鏡 どうやって「完全オフ」に /東京(毎日新聞2016年11月1日 地方版)
私の職業は精神科医だが、家族や友人といるときは、ほとんど仕事のことを忘れている。というより、病院を離れると自動的に頭が切り替わる習慣がついているようで、昔の級友との食事会などで突然、「夫がうつ病でこの薬を飲んでいるんだけど」などと相談されても、すぐにその薬が思い出せないことさえある。「え、あなたプロなんでしょ」とあきれられるが、自分としてはそうやって完璧に仕事のことを忘れる時間は、ストレスを減らすためにも必要なのだと考えている。
一方、亡くなった私の父親は自宅に隣接した小さな産婦人科医院の院長で、大げさに言えば24時間、仕事から離れることができなかった。自宅と医院はドア1枚で隔てられているだけなので、居間にようやく戻ってきても、すぐにドアの向こうから「発熱している患者さんがいるので来てください」などと呼ばれる。もちろん父は不平ひとつ言うことなく「お茶を一杯飲んでからすぐ行く」と、母のいれたお茶で急いでのどを潤して、またドアの向こうに戻って行く。おそらく相当なストレスを受け続けていたことだろう。
他にも、お寺の隣に住宅があるお坊さん、礼拝堂の隣に住む牧師さんなども同じ。時間が来たから店じまいというわけにはいかないし、職場を完全に離れることもできない。本人の心身の健康にとっては決して良い生活スタイルとは思えない。
そんなことを考えていたら、ある知人が「私も24時間労働のようなもの」と話してくれた。その人が勤める企業は外資系なので残業時間などは抑えられ、朝も好きな時間にゆっくり出社することもできるのだそうだ。「いいね、うらやましい」と言うと、その人は首を横に振った。「でも結局、どこでも仕事をしていいということは、いつでも仕事をしなさいということなんだよね」。知人はパソコンひとつ抱えて深夜でも休日でも自宅や出先で仕事のメールなどをチェックする、という生活にすっかり疲れきっているのだそうだ。
そうか、職場から離れさえすれば仕事から離れられる、という時代ではないのだ。たとえ職場にいなくてもIT技術の発展により常に仕事に縛られながら暮らしている、という人が増えているとしたら深刻な問題だ。人は一体どうやって「完全にオフ」という時間を作ればよいのだろう。パソコンもスマホも持たずネットもつながらない、という状況を作り出すしかないのかすしかないのか。なんともやっかいな話だ。(精神科医)
(転載終了) ※ ※ ※
私ごとき凡人がもろもろの対応でオフの時間がないなどと言ったら罰が当たりそうだけれど、最近とみに感じていることである。
私は電話(特に携帯電話)が余り好きではない。というよりむしろ嫌いと言ってしまった方が正しい。もちろん電話が便利な道具であることを疑う由もない。けれど、やむを得ず、という時を除いて電話はしない。もちろん長電話はしない。どうしても長電話になりそうな電話を掛ける時には、態勢を整えて(その後、何もしなくていいくらいに環境整備して)から電話に挑む。
とはいえ、いつもいつもこちらの都合の良い時に掛けられるわけではないし、こちらの状態がどうあろうと先方のタイミングでいきなり掛かってくることもある。仕事は別ではあるけれど、電話はやはりとてもストレスである。最近は仕事もメールがメインになっている。
そんなわけで、携帯の番号やアドレスは本当にごくごく親しい人と、どうしても必要な相手にしか伝えてこないできた。
それが、昨秋の母の病気やら、今夏父が亡くなって以降、実家関係で連絡を取らなければならない相手がとても増えている。母が提出するような書類には全て、私の自宅だけでなく携帯番号まで当然のように書かされる。
だから、平日仕事中でも通院中の病院でも、おかまいなしに(というかビジネスアワーでないと先方も困るのだろう。)掛かってくる。仕事をしている間は私用の携帯は取れないし、病院内でも携帯は取れないから、気付いたら昼休み等休憩時間や、院外に出て掛け直すということになる。
当然自由に使えるオフの時間は減少する。いつも何やかんや電話やメールで追われている。精神的にオフになる時間がなくて、ちょっと顎が出ている。
といってイマドキ、携帯は持っていませんでは済まない。メールでやりとりし、どうしてもニュアンスが必要な時には電話で、さらにはフェイストゥフェイスで、というパターンが一番有難いのだけれど、それはこちらの勝手な言い分ということだろう。
自分の心を縛り付けているのは自分だけ。先日ヨーガのクラスで言われたばかりの言葉である。今月もなるべく心穏やかに過ごしたい、と思いつつまだまだ修行中の身を痛感する夜。明日はまた通院日である。
以前もご紹介したことのある毎日新聞連載中の香山リカさんのコラム最新号に膝を打った。
以下、転載させて頂く。
※ ※ ※(転載開始)
香山リカのココロの万華鏡 どうやって「完全オフ」に /東京(毎日新聞2016年11月1日 地方版)
私の職業は精神科医だが、家族や友人といるときは、ほとんど仕事のことを忘れている。というより、病院を離れると自動的に頭が切り替わる習慣がついているようで、昔の級友との食事会などで突然、「夫がうつ病でこの薬を飲んでいるんだけど」などと相談されても、すぐにその薬が思い出せないことさえある。「え、あなたプロなんでしょ」とあきれられるが、自分としてはそうやって完璧に仕事のことを忘れる時間は、ストレスを減らすためにも必要なのだと考えている。
一方、亡くなった私の父親は自宅に隣接した小さな産婦人科医院の院長で、大げさに言えば24時間、仕事から離れることができなかった。自宅と医院はドア1枚で隔てられているだけなので、居間にようやく戻ってきても、すぐにドアの向こうから「発熱している患者さんがいるので来てください」などと呼ばれる。もちろん父は不平ひとつ言うことなく「お茶を一杯飲んでからすぐ行く」と、母のいれたお茶で急いでのどを潤して、またドアの向こうに戻って行く。おそらく相当なストレスを受け続けていたことだろう。
他にも、お寺の隣に住宅があるお坊さん、礼拝堂の隣に住む牧師さんなども同じ。時間が来たから店じまいというわけにはいかないし、職場を完全に離れることもできない。本人の心身の健康にとっては決して良い生活スタイルとは思えない。
そんなことを考えていたら、ある知人が「私も24時間労働のようなもの」と話してくれた。その人が勤める企業は外資系なので残業時間などは抑えられ、朝も好きな時間にゆっくり出社することもできるのだそうだ。「いいね、うらやましい」と言うと、その人は首を横に振った。「でも結局、どこでも仕事をしていいということは、いつでも仕事をしなさいということなんだよね」。知人はパソコンひとつ抱えて深夜でも休日でも自宅や出先で仕事のメールなどをチェックする、という生活にすっかり疲れきっているのだそうだ。
そうか、職場から離れさえすれば仕事から離れられる、という時代ではないのだ。たとえ職場にいなくてもIT技術の発展により常に仕事に縛られながら暮らしている、という人が増えているとしたら深刻な問題だ。人は一体どうやって「完全にオフ」という時間を作ればよいのだろう。パソコンもスマホも持たずネットもつながらない、という状況を作り出すしかないのかすしかないのか。なんともやっかいな話だ。(精神科医)
(転載終了) ※ ※ ※
私ごとき凡人がもろもろの対応でオフの時間がないなどと言ったら罰が当たりそうだけれど、最近とみに感じていることである。
私は電話(特に携帯電話)が余り好きではない。というよりむしろ嫌いと言ってしまった方が正しい。もちろん電話が便利な道具であることを疑う由もない。けれど、やむを得ず、という時を除いて電話はしない。もちろん長電話はしない。どうしても長電話になりそうな電話を掛ける時には、態勢を整えて(その後、何もしなくていいくらいに環境整備して)から電話に挑む。
とはいえ、いつもいつもこちらの都合の良い時に掛けられるわけではないし、こちらの状態がどうあろうと先方のタイミングでいきなり掛かってくることもある。仕事は別ではあるけれど、電話はやはりとてもストレスである。最近は仕事もメールがメインになっている。
そんなわけで、携帯の番号やアドレスは本当にごくごく親しい人と、どうしても必要な相手にしか伝えてこないできた。
それが、昨秋の母の病気やら、今夏父が亡くなって以降、実家関係で連絡を取らなければならない相手がとても増えている。母が提出するような書類には全て、私の自宅だけでなく携帯番号まで当然のように書かされる。
だから、平日仕事中でも通院中の病院でも、おかまいなしに(というかビジネスアワーでないと先方も困るのだろう。)掛かってくる。仕事をしている間は私用の携帯は取れないし、病院内でも携帯は取れないから、気付いたら昼休み等休憩時間や、院外に出て掛け直すということになる。
当然自由に使えるオフの時間は減少する。いつも何やかんや電話やメールで追われている。精神的にオフになる時間がなくて、ちょっと顎が出ている。
といってイマドキ、携帯は持っていませんでは済まない。メールでやりとりし、どうしてもニュアンスが必要な時には電話で、さらにはフェイストゥフェイスで、というパターンが一番有難いのだけれど、それはこちらの勝手な言い分ということだろう。
自分の心を縛り付けているのは自分だけ。先日ヨーガのクラスで言われたばかりの言葉である。今月もなるべく心穏やかに過ごしたい、と思いつつまだまだ修行中の身を痛感する夜。明日はまた通院日である。