ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.5.21 雨の水曜日に省みること

2014-05-21 19:38:14 | 日記
 予報通り、昨夜遅くから本降りの雨。
 昨日は、朝のうちは晴れていたものの、どんどん雲が厚くなりお天気が崩れた。その気圧変動のせいか、頭痛と胸部の圧痛があった。眠くてだるくて、早めに就寝した。

 今朝も相変わらず胸部の圧痛と鈍痛が続いている。
 胸元から喉の奥に目がけてじわじわとせり上がってくるような、喉から胸の周りに重い鉄板をゆっくりと押しつけられるような、首周りをタオルのように絞られて締め付けられるような、鈍く重苦しい痛みだ。
 朝食後は、数年来ロキソニンを飲んでいる。幸い今は、昼も夜もと、三度三度欠かさず飲まなければ我慢出来ないほどの酷い痛みが出ていないのが救いだ。が、なんとも鬱陶しい。
 一旦こうなると、通院日以外は病気であることを忘れるほど元気に動き回ってはいても、ああ、やっぱり私って病気だったんだっけ・・・と落ちこんでしまう。ついでに空咳が出たりすれば、ついつい肺転移の悪化だったら・・・、とも考えてしまう。
 ただ、職場では、私より若い方たちも、こういうはっきりしない天候だと、頭痛やら腰痛やら肩の痛みやらが辛いとおっしゃるし、夫は夫で腰と膝と肘と・・・、などと言っているので、不調は単にこの病気のせいだけでもないだろう。
 だからといって、これまでに比べてうんと酷い痛みになっているとか、全く違った感じの痛みが出ているというわけでもないから、いちいち落ち込んで家で安静にしているわけにもいかないのだけれど。
 それでもさすがに今日は、午後から薬なしで仕事が出来るか自信がなく、昼食後にもう一度ロキソニンを飲んだ。

 まあ、いくら副作用がうまくコントロール出来て体調が安定しているとはいえ、あまり調子に乗って無理しなさんな、という身体からの声にはちゃんと耳を傾けなければならないだろう。
 こうして休日のイベントが続く度に、土日のどちらかは休息のために予定を入れない日を確保しよう!と掛け声だけは高らかに・・・なのに、気付けばどちらも埋まっている。
 お呼び頂けるうちが花だろうと思っているし、いつまでこの調子であちこち飛び回れるかもわからない、という怖れにも似た気持ちがどこかに、ある。
 色々なお誘いが有難くもある半面、自分の今の体力を冷静に考えれば、無謀なことを続けているのかもしれない。

 とにかく、これ以上無理は重ねないように自戒しながら、今週の出勤もあと2日。
 折り返し地点で、手抜き出来ることは最大限手抜きをさせて頂き(仕事で手抜きは出来ないから、ここでその迷惑を最大限被るのは他でもない夫なのだけれど)、メリハリをつけながらなんとか持ちこたえなくては・・・。
 かくいう週末はまたも大事な遠出が控えている。

 職場では知事が視察に訪れていた。あいにくの雨模様で、随行の方たちも傘が余計なお荷物だったろうけれど、学内レストランで昼食を召し上がったようである。

 帰宅すると今月2回目のお花が届いていた。ピンクの濃淡の芍薬が2本ずつ、鮮やかな青紫のデルフィニウムが3本、そしてレザーファンが2本。芍薬は季節限定プレミアムなお花。毎年この時期だけのお愉しみだ。花言葉は「はにかみ」と「清明」。立てば芍薬・・・のとおり、大輪の見事な花を咲かせるのに、その花言葉は「はにかみ」とは・・・なんとも奥ゆかしいことではないか。

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2014.5.19 無治療という選択

2014-05-19 20:23:00 | 日記
 夫の職場の方が亡くなった。享年56歳。肺がんだったそうだ。奥様もお子様もいる一家の大黒柱が、50代半ばの働き盛りで亡くなるということ、しかも無治療という選択をされたということに、唸った。
 さすがに亡くなる迄の最期の1年間は休職されていたそうだ。

 1日60本というヘビースモーカーだったという。かつて、我が夫も喫煙者だったから(おかげさまで禁煙から丸3年が過ぎようとしている。何を食べても美味しいようで、チョイ太にはなったけれど、何よりだと思っている。)、その方とは喫煙場所でよく顔を合わせたそうだけれど、まあ1日60本というと、仮に1日16時間を活動時間として、1時間に4本弱。単純に割っても15分に1本の割合になるから、殆どいつ行ってもそこにおられるということだったらしい(そんなに席を外していて果たして仕事になるのだろうか?と非禁煙者の私は不思議に思う。)。
 そして、病気が分かってからも禁煙どころか、減らす事すらしなかったという。積極治療をしなかったのも、“自然に任せる”というその人の哲学であったそうだ。

 ここまで徹底していれば、非喫煙者の私としては、天晴れ・・・としか言いようがないけれど、遺されたご家族の心中やいかに、と思うと言葉が、ない。

 明らかに辛い症状が出ているわけではなく抗がん剤治療を行うと、副作用で却って体調が悪くなるように感じる時がある。そうした辛い治療を長く続けていると、ああ、次回は治療を休んでしまいたい、もう止めてしまいたい、と思うことがある(実際、軟弱な私は、毎回のようにそう思った。)。
 “知らぬが仏”で、最初の治療はなんとかガッツでやり過ごせても、2度目以降になるとそうはいかない。程度の差こそあれ、抗がん剤治療の副作用は似たり寄ったり。ああ、また、あの身の置き所のないような倦怠感、吐き気、便秘や下痢、爪や皮膚のトラブル、はたまた極めつけの脱毛か・・・と気持ちが萎えていくのも確かである。
 一般的には、一番奏功するのは最初に投与する抗がん剤だという(最初に死滅することのなかったがん細胞は回を追うごとに強くしぶとく変化していくし、身体自体が抗がん剤そのものに耐性を持ってくるというのは主治医も認めるところだ。)。
 初発治療なら完治を目指して徹底的に叩く。けれど、こと、私のような再発・進行がん患者になってしまえば、目指すところは完治ではなく、なるべくQOLを落とさずに、少しでも長く延命するということが治療の主目的になる。だから、あくまで身体と相談しながら、角を矯めて牛を殺すことのないように、身体を痛めつけ過ぎないように減薬したり休薬をしたり、ということが必要になってくるのだ。

 が、この減薬や休薬も曲者だろうと思う。
 長く治療を続けていれば、自分の身体の中の様子はなんとなく分かるようになって来る。今だったら少しの間休んでもいいのか、今だけは我慢してでも踏ん張った方が良いのか、ということだ。

 もちろん、必要以上にCT検査やMRI検査等をする必要は(特に再発治療中、症状が出ずに安定している場合)ないだろうけれど、明らかに自覚症状が続いている状態で、それを放置しておくのは絶対に良くないことだろうと思う。取り返しがつかないことになっても、泣くに泣けないからだ。
 そして、それが分かっていて敢えてそうするならば、その結果も全て自分で負う、病の進行ひいては命にかかわる事態になっても、それを受け容れるということだと思う。

 それが出来るなら、そして、その厳しい未来が予測出来てもなお、今、自分がやりたいことをやる方が自分にとって大事なことだと言えるのであれば-遺していかなければならない大切な人たちのことを想ってもなお、そうすることで決して後悔しないと言い切れるならば-、それはその方としての筋の通った生き方なのだと思う。

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2014.5.18 爪囲炎その後、抗生剤卒業とPiNK Beauty Party 参加

2014-05-18 22:34:35 | Ruban Rose
 今日は、朝一番の皮膚科クリニックに間に合うように起床、と目覚ましをかけたものの、その2時間以上前に目覚めてしまい、その後ベッドの中でうだうだ。さすがに、昨日3回洗濯機を回したお蔭で洗うものもなく、もったいないほどの五月晴れではあったけれど、洗濯は止め。

 そして皮膚科へ。9時オープンの10分近く前に行ったのに、既に6番目。薬だけという方もいらして、15分ほどで診察室に入ることが出来た。両足とも診て頂くと、「うーん、もう少し軟膏は塗り続けた方がいいでしょう。」ということに。良くはなっているけれど、今後もタイケルブを飲み続けるのであれば、また爪囲炎がぶり返すことは十分有り得る、と主治医に言われていることも踏まえてのご判断だ。とりあえず、内服の抗生剤フロモックスは卒業。バラマイシン軟膏をお風呂上りに一度塗り、塗り切ったらもう一度来院すればいいとのこと。「おかげさまで、どうもありがとうございました。」とクリニックを後にした。

 そして帰宅後、拭き掃除を済ませ、昼過ぎに、昨日の患者会の会場のすぐ近くで行われる「PiNK Beauty Party Vol.3」に出かけた。Ruban Rose代表のIさんからのご紹介である。Iさんとお目にかかるのは昨年の11月、アロマの講習会でお宅にお邪魔して以来。
 その後、年明けに私の治療薬変更、息子の受験・引越し等ですっかりご無沙汰していた。どうされているか、と気になっていたタイミングでのお誘いだった。ふと手帳を見れば、またしても土日連続の都心お出かけにはなってしまったが、とても素敵な企画と伺ってまだお席があるなら、と申込みをさせて頂いていた。
 
 ラン・フォー・ザ・キュア・ファンデーション主催のこの催しは今回で3回目。内容はネイルとメイクの体験だ。その間のティーブレイクには、エンターテイメント付き。サバイバーとその家族・友人を無料招待し、QOL向上に役立つ「美と癒し」のビューティメニューを通じて、相互交流、親睦を深める機会を提供してくださるという何とも有難い催しだ。
 ネイルサロン&スクールから十数人のネイリストの方々が、そして化粧品の製造販売と教室の企画運営会社から講師の方々が数名、かつら会社の方、その他会場を提供してくださったスタジオの方に加え、多くのスタッフの方たちを合わせると、参加者の私たちより多いくらいだ。実に壮観な眺めである。そんな恵まれた環境の中で、私達参加者は2グループに分かれて、時間差でその両方を体験することが出来るわけだ。

 私を含め、Ruban Roseのスタッフの方たちは、概ねグループB。まず2階のメイン会場から1階のネイルサロンに移動して、ネイル体験。それぞれのネイリストが、オリジナルデザインで参加者の一人ひとりの手指を美しく仕上げていく。私を担当してくださった方は、ピンクリボンをイメージして、淡いピンクのグラデーションに白いリボンシールを両方の薬指にデコレーションしてくださった。皆、とても幸せそうに、自分の指先がどうなっていくのか興味津々に見つめている。
 私もネイルケアはずっとご無沙汰状態だった。特に年明けからは、ゼローダ・タイケルブの手足症候群や爪囲炎の副作用でネイルケアどころではなかった。優に半年ぶりに綺麗にケアして頂き、思わずうっとり。本当に指先を美しく整えて頂くと不思議なほどテンションが上がる。

 会場に戻ってお茶とお菓子を頂きながら、皆、美しくなった手指を見せ合ったり、写真を撮ったり、と賑やかだ。バリトンソリストによるスペシャルコンサートは、キーボードの伴奏が付いて3曲のお披露目。昨日のチェロとピアノのデュオに続き、生の演奏を聴く機会に恵まれて、本当に贅沢な気分になった。

 そして後半は2階に残ってメイク体験。一人ひとり大きな鏡の前に座らせて頂き、まずはお化粧落としから丁寧な指導がされる。今回目指すのは個性を生かしたナチュラルメイク。30代以降今まで、殆ど変わらない自己流のチョイチョイ5分間メイクしかしたことのない私には目から鱗のことばかり。下地もチークの入れ方も、そうなんだ!と感心することしきりだ。眉を整え、アイシャドウを入れてもらい、普段はしないアイラインやマスカラもちょっぴり施して頂き、いろいろ学ぶところがあった。

 そしてあっという間に3時間が経過した。アンケートに記入し、沢山のお土産まで頂戴して、スタッフの方に御礼のご挨拶をして、大満足で帰宅の途についた。
 
 こうしてまた土日が終わってしまった。今日も夫が夕食当番を引き受けてくれたからこそ、の有難い日曜日。 まあ、妻が綺麗(ずうずうしい!)でご機嫌がいいことは夫にとっても決して悪いことではないだろう、と自分に都合よく考える現金な私である。
 しっかりリフレッシュして、また、明日から新しい1週間のスタートである。
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2014.5.17 あけぼの会春の大会 「自立する患者たち」参加

2014-05-17 23:01:34 | あけぼの会
 朝から雲一つない良いお天気だ。お天気の休日!というと単純に大量の洗濯がしたくなる私は、今日も目いっぱい3回洗濯機を回す。そうこうしているうちに、早くも出かける時間になった。慌てて家を出たものの、坂道を少し歩き出したところで携帯を忘れてきたことに気づく。泣く泣く戻って出直す羽目に。予定していた20分に一本の特急に乗り損ねてしまい、朝からトホホ・・・である。

 私鉄と地下鉄を乗り継いで会場最寄駅に到着。夏のような陽射しの中、日傘が強風で飛ばされそうだったが、なんとか集合時間の5分前に会場に滑り込むことが出来て、胸をなでおろす。

 今日は患者会・あけぼの会初めての春の大会だ。会場は昨年8月に「乳がん・再発を生きる」の講演会が開かれた時と同じだ。控室に案内され、会長さんやお世話になる事務局の方たち、今日ご一緒するパネリスト、三重県から来られたNさんご夫妻にご挨拶。パネルディスカッションの打ち合わせの後、軽食を頂く。本番で急にお腹の調子が悪くなどなりませんように、と祈る。

 そうこうしているうちに開会の時間となり、ホールへ移動。まずは会長さんのご挨拶の後、第一部は癒しのクラシックアワー。昨秋の全国大会の時にとても好評だったチェロとピアノのミニコンサートだ。今日は関係者席に座らせて頂き、演奏者の息遣いが聞こえるほどの前列で、一時間弱にわたりアンコール曲を含め6曲を堪能する。

 休憩時間には、出張先から直行してくれた夫が到着。
 第二部の前半は国立がん研究センター中央病院 乳腺・腫瘍内科の清水千佳子先生による講演「乳がん治療―誰に、いつ、どの薬を、どう使うか」だ。
 治療のいわゆる5W1Hについて、とてもわかりやすくお話し頂いた。あらためてこの10年の乳がん治療の著しい変化を実感する。そして、最近相次いで使えるようになっている新薬がいかに高価なのかも(冗談でなく1年多剤併用すれば家が買えそうだ!)一覧表で目の当たりにすると、やはりため息が出てしまう。
 そして、「治療を続けていくうえで、自分にとって何が重要であるか-自分は各々の治療によってどのメリットが享受したいのか、どのデメリットなら受容出来るのか、をきちんと心に決めて治療を受けることが大切だ」という先生のお話しに共感する。また、「決して医師任せにせず、常に対話をしながら納得して治療を続けていくのがベストである」というお話しを伺い、自分がこれまで選択しながら続けてきた治療は決して間違っていなかったな、ととても心強く思う。

 そして、後半。パネルディスカッション「再発治療を続けながら、仕事も続ける」に登壇させて頂いた。
 冒頭、少しリラックスするために・・・と、恒例となっている、会長さんによる日本全国からの出席者のお名前がご披露される。その中に、なんと昨夏、花火大会でお世話になった新潟県のYさんもいらした。思いがけないことに驚くとともに、舞台の上から会釈させて頂いた。
 そしていよいよ会長さん、清水先生、会員のNさん、Hさんと私の5人でのパネルディスカッションのスタートである。会長さんから、私のこのブログのご紹介をして頂き、お読み頂いている沢山の方々が挙手をしてくださり、くすぐったいけれど、とても嬉しく、自然と御礼の言葉が出る。

 それぞれ長く治療を続けているわけで、3人とも、語りたいことを沢山持っている。私も普段から思っていること、感じていることを自然にお話し出来たら、と思っていたが、うまく伝わったかどうか。
 もしも、再発して仕事を辞めようかしらと思っている方がいらっしゃるなら、どうか踏みとどまって欲しい。なぜなら治療は長丁場になり、治療費もかかるから。こうして6年半近く、再発治療を続けながら仕事にしがみついている私は、職場の理解、制度、家族の支えによって今がある。このことについて感謝したい。
 自立する、というのは決して治療費を自分で払って経済的に自立するということだけではく、治療について、自分で考えて決める、自分で動ける、これを含めての自立である、という会長さんの閉めのお言葉に心から賛同した。
 そして、これからも決して諦めず、新薬の恩恵に被ることが出来るように“細く長くしぶとく”をモットーに、自立した賢い患者でありたいと思う、と最後のメッセージを言わせて頂いた。
 気付けば終了予定時間となり、ご挨拶して無事閉会。

 その後、いつものプチ虹のサロンのメンバーとお茶をして今月の月例会に。夫も特別参加させて頂き、お開きの後は最寄駅までSさん、Kさんと一緒にブラブラ歩き。帰りは夫とターミナル駅で買い物し、夕食を摂り、先ほど遅い帰宅となった。
 なんとかお役目が果たせただろうか。

 会長さんをはじめ事務局の方々、ご一緒したパネリストのNさん、Hさん、清水先生、大変お世話になりました。
 かつて取材を受けたことのあるライターのSさんにも、4年ぶりで再会することが出来ました。記事のコピーをくださったUさん、お名刺を頂いたMさん、本をくださったKさん、遠路はるばるお運び頂いた方々、そして、何より、私達の話に熱心に耳を傾けて下さった皆様、本当にどうもありがとうございました。


 
 
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2014.5.16 生きた証なんて出さなくていい?

2014-05-16 19:44:57 | 日記
 闘病記ブログが書籍になって世に出ることがある。
 ランキングに参加していて上位を続けていたりすると、出版社の方をはじめ報道関係者の眼にとまり、インタビュー等を受ける機会もあるのだろう。
 これは闘病記に限らず、今時、どの分野でも共通のようだ。受験ブログしかり、お料理ブログしかり。

 子どもの頃から書くことが好きだった私は、物を書くことを仕事に出来たら、と思ったこともあるけれど、早々とその才能のなさに気付き、今に至る。
 が、もし生涯一度でも自分の書いたものが大好きな“本”という形になったらどんなに幸せだろう、と心の片隅で思い続けてきたのも事実だ。
 ちなみに夫は既にその幸せな経験をしている。もちろん、夫が書いたのは闘病記ではなく、仕事関係の著書だ。当時も(ああ、羨ましいなあ・・・)と指をくわえて見ていたのだっけ。この辺りのことは語れば長くなるのだけれど、30年近く仕事をしてきて-私の52年の人生で30年近く続けられているものは唯一仕事だけだ。学校というものに通ったのは小学校から全て含めても17年だし、母歴も18年ちょっとだし、妻歴も25年弱。-仕事に関する本は書けそうにない。そしてまだ10年に満たない闘病についての方がずっと書きたいネタがある、というのも、仕事をしている人間の端くれとして、内心忸怩たるものがある。

 一方、こうしてブログを書き続けている私のことを買い被ってくれている友人は、「絶対本を出すべきよ。」などと言ってもくれる。「出したら絶対買うからね。」とも。

 先月旅立たれたたぁさんが書かれたものが書籍化される話があると伺い、「そんなことが叶うなら、それこそ生きた証だな。こうして書き貯めたものが本にしてもらえるなんて、凄いことよね。」と夫に言ったところ、「そんなこと、ちっともいいことじゃないんだよ。」とちょっと淋しそうな返事が返ってきた。

 なるほど、確かにこうした闘病記ブログが本になるのは、殆どが、その方が天に召されてしまってからだ。
 出版することを生きる励みとして、編集までは病を押してご本人が関わっても、その後病状が進み、最終的に出版を見届けることがなかったとか、出版されてすぐに力尽きて亡くなったとか、一般の方たちの手元に届く時には、既に著者は亡くなっている-そういうお話は枚挙にいとまがない。
 あるいは、亡くなられたということが切っ掛けになって編集者の心が動く、ということもあるだろう。

 私が記憶する限り、そうした闘病記本を書かれた後も現役第一線で活躍されておられるのは、“39歳、働き盛りの銀行員としてNY駐在中に大腸がんを発症した著者。肝臓や肺への転移を繰り返し、6回の手術に加え、心臓バイパス手術も受ける。すべてを乗り越え、「奇跡の患者」として64歳を迎えられた理由とは。16年の闘病記に、その後の心臓疾患、がん患者たちとの交流や、日本の対がん活動などについて加筆。”という書籍紹介の「がん六回人生全快 現役バンカー16年の闘病記」の関原健夫さんくらいではないだろうか。

 まあ、どうしても、ということなら自己満足かもしれないけれど、生きているうちに自費出版することだって出来ないことはない。
 けれど、それより何より、こうして友人知人(今や夫の友人知人まで含めて)をはじめ、沢山のお顔も存じ上げない読者の方々に、少しでも長く生存確認をしてもらえるように、“生き続けて”細く長くしぶとく、日々のことを書き綴っていけることこそ、今の私にとって本当の幸せなのだろうと思う。

 今日から夫は1泊の出張。1人悠々自適な金曜日の夜だ。そして、明日は羽田から直接イベント会場に駆けつけてくれるという。有難いことである。


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