ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2014.5.15 まさにGOOD JOB!!(グッジョブ!!)~ WOOD JOB!(ウッジョブ!)神去なあなあ日常~

2014-05-15 20:03:08 | 映画
 夫を誘って矢口史靖監督の表題・最新作を観た。
 思えば矢口監督の出世作「ウォーターボーイズ」も「スウィングガールズ」も、まだ息子が小さかったから、いくら近いとはいえ映画館にも今のように頻繁には行けず、結局、ビデオで観た。
 そして「ハッピーフライト」は夫と2人で、「ロボジー」は1人でこっそり。
 毎回のように大笑いして免疫力をアップさせて頂いている。

 そして今回は監督オリジナル脚本ではなく、三浦しをんさんの「神去なあなあ日常」が原作。林業をテーマにしたお話だ。原作は読んでいないのだけれど、三浦さんの作品にはいつもその取材力、観察力にいたく感心させられることが多い。今回の台詞もいかにも・・・という部分がそこかしこにあった。文庫化もされているようなので、是非、原作を読んでおきたい!と思う。

 主人公は都会育ちのチャランポランなお気楽18歳・男子だ。大学受験に失敗し、彼女には振られ、高校の卒業式を終えたものの1年間の浪人もかったるい・・・と、ふと目にしたパンフレットで微笑む美女に誘われて“緑の研修生(1年間の林業研修プログラム)”に応募する。
 電車を乗り継ぎ乗り継ぎ、着いた先は無人駅。途端に嫌になって帰ろうと思っても次の電車は6時間後。
 携帯も圏外、コンビニもない、町まで車で2時間という森の中。1か月の集団研修の後、それぞれが受け入れ先で働くことになる。
 このイマドキ一人っ子の主人公が情けなくて、なんとも息子に重なってしまう。

 ネタバレになってしまうので、後はご覧頂きたいのだけれど、もう最初から最後までどれほど笑ったかわからない。
 2か月にわたるロケ撮影をしたという自然満載の山の中のシーンは圧巻だった。そして、脇をガッチリ固める研修先の山村の、粗野だけれど魅力的な住人たちとの心の交流、林業を通じて大自然と共存している自らの“いのち”を感じ、100年単位の長いスパンの仕事をする上での“神”へのリスペクト等、じーんとする台詞もてんこ盛り、主人公の表情がどんどん変わっていくところは見ものだ。

 恥ずかしながら、林業に関する知識等殆ど皆無の私だったけれど、あっという間に引きずり込まれ抱腹絶倒。クライマックスにはとてつもない見せ場が怒涛の迫力で迫り、最後は胸キュン、ちょっぴりホロリの2時間弱。
 いつもは綺麗でスタイリッシュな女優さんたちも、何とも凄いセンスの“普段着”で登場して、いやはや大変なことだ。
 そしてこの人って、こんなにワイルドで凶暴だったの!?と思うほどハマリ役だった主人公の受け入れ先の“林業の天才”を演じた伊藤英明さんもまさしくグッジョブ!

 いやはや、ここのところ笑ってなんぼの映画ばかりのご紹介になっていますが、必ず元気になります。目を閉じれば土や木の匂いが嗅ぎたくなります。お薦めです。是非、どうぞ。


 
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2014.5.14 採血レントゲン後、診察とポートフラッシュ マーカーは上昇するもタイケルブ続行

2014-05-14 21:17:58 | 治療日記
 今日は5週間ぶりの通院。
 朝起きるとあまりに良いお天気なので、急遽洗濯機を回す。ドタバタと干し終えてからなんとか予定どおりの時間に家を出る。今日は今年最高気温になりそうという予報で、最寄駅に着く迄にすっかり夏の装いの方達を沢山見る。乗換駅でも電車は順調。始発電車に滑り込み、無事席も確保して、読書タイム。今日は敬愛する柳田邦男さんの「僕は9歳のときから死と向きあってきた」(新潮文庫)からスタート。

 いつもながら、柳田さんの本を読み出すと、あっという間にその語り口に惹き込まれる。ふと顔を上げるともう病院最寄駅だ。既に強烈な陽射しが照り付けており、予報通りぐんぐんと気温が上がりそうな気配だ。
 自動再来受付機前では列を作っていた。まずは採血受付へ直行。受付ではそれほど混雑していないように見えたが、隣の採血室前の椅子は満席だ。電光掲示板には待ち時間11分と出ているが、15分ほど待っただろうか。今日は初めて見る男性の臨床検査技師さん。とても丁寧で、テープかぶれの確認もあったけれど、針を刺す時も抜く時も結構痛みがあったのがちょっと残念。今日も腫瘍マーカー等全て測定の日なので3本の採取。
 止血部分を押さえながら、エスカレーターで2階に上がってレントゲン受付へ。最近は殆ど待つことなく、スムーズに撮影して頂いていたのだが、今日は廊下の待合椅子が溢れている。案の定呼ばれるまでに30分近く待った。珍しいことだ。無事終了後、再び1階に降りて腫瘍内科受付へ移動。
 先週の連休明けだったら相当な混雑だったのだろうけれど、1週間遅らせて頂いて良かった、と思う。受付では殆ど待たずに、スムーズに保険証チェック等を済ませる。待合椅子はそこそこ席が埋まっている。

 採血結果が出るまで最短でも1時間はかかる。再び読書を続けながら待つ。自動血圧測定機で計測した結果は86-59、脈は73。ちょっと低めという感じだ。
 その後“中待合へどうぞ”のランプが点くまでに1時間かかった。中待合に入ってからも読書を続ける。今日は、遊軍でこの辺りにいらっしゃる筈の針刺し名人・Oさんの姿が見えない。化学療法室OGの化学療法認定看護師のKさんのお声は聞こえたが、姿は見えない。
 今日はKさんとお話しをする暇もなく、30分ほどして先生が診察室からお顔を出された。

 5週間ぶりなので、本当にお久しぶりです、という感じだ。副作用の下痢も悪化せずに快便が続いていること、胸部の鈍痛・圧痛もそれほどでないこと、薄くなった手指の皮膚の切れ等も暖かくなってきて大分軽減してきていること、足指の爪囲炎は大分良くなったものの、先月の中旬以降再び膿んだり、右足指まで腫れ始めたため、以降4回受診をし、今週末迄の予定で抗生剤フロモックスを飲み続けており、引き続きバラマイシン軟膏を塗っていることをご報告し、診て頂く。
 「そうですか、やっぱり薬を増やすのはやめましょう。増やしたところで、結局、副作用が酷くなってお休みすることになるでしょうからね。」と言われる。それなら私のモットー通り“細く長くしぶとく”今の量を飲み続けられる方が良いわけだ。「湿疹はどうですか?」と問われ、「(顔の湿疹は)出たり治ったりしていますが、それほど長く出続けているわけではなく、気になるほどではありません。手足もポツンポツン程度です。」と応ずる。診察室での検温は6度5分。
 「増やさないでよいということは、効いているのでしょうか?」と問うと、PCに先月と今月の2枚の肺のレントゲン画像を並べてくださる。採血の結果、白血球が3,900。これで私の平常値だ。先月(6,000台あった。)は爪の周りの炎症の所為だったのでしょうね、とのこと。
 腫瘍マーカーCA15-3は先月に比べて1割上昇。けれど、依然として正常範囲内だ。「(マーカーは)下がり続けてゼロになるということはないのです。健康な人が測ってもゼロにはならないので。若干の上下はあっても、均せば概ね横ばいというのが理想的なのです。」と言って頂き、ほっとする。規定量4割で効いているなら、このままの量で続けられるということだ。なんたる幸せ!有難いことだ。レントゲン画像で右の腫瘍茎の影も左の丸い影もやや薄く小さくなっているように見える、とのこと。ということで、無事来月まで同じ4割減量で続行出来ることになった。

 次回も5週間後に診察前採血、レントゲンと診察後のポートフラッシュの予約が入った。
 何度も繰り返し書いているけれど、5週間に1度の通院がこれほど続いているのは、この病院に通い始めて以来初めてのことだ。気付けばなんとなく顔が緩んでいる。
 湿疹対策として保湿のヒルドイドローション、タイケルブ1日2錠、下痢対策に毎食前の小建中湯・毎食後のラックビー各々5週間分、痛み止めのロキソニンを処方して頂いた。
 「今日もこの後、ポートフラッシュしてもらうので、廊下でお待ちください。」と言われ、ご挨拶して診察室を出る。 

 中廊下でポートフラッシュに呼んで頂くまで待つ。
 10分程待つと、化学療法室にいらしたHさんから化学療法室のベッドに案内される。「お久しぶりです。化学療法室内でも結構異動があったと伺いましたが・・・」と言うと、「私も変わったんですよ。この辺のエリア(腫瘍内科、血液内科等)をまとめてカバーすることになって。」とのこと。なんと、針刺し名人のOさんも5月から呼吸器内科に異動になったらしい。認定看護師のKさんは水曜日だけ患者さんのフォローに来て下さっていたが、今日は少し顔を出して病棟に戻られたとのこと。
 化学療法室にご無沙汰出来ることは有難いけれど、長いこと通わないと、また通うことになった時に「初めまして・・・」になってしまうのが、ちょっと心配なことではある。

 ベッドに横になってポートチェックのため生理食塩水を流す。Hさんの針刺しは早技だったけれど、刺すのも抜くのもちょっと顔をしかめてしまう。けれど、5週間に1度、この程度の痛みで済むのだから、そんな贅沢を言っている場合ではない。止血するほどのこともなく、小さい絆創膏を貼って頂いて無事終了。

 会計が出来るまで15分ほど待ちながら、夫や友人に報告メール。そして自動支払機で支払を済ませる。今回も5,000円弱。
 外は既に夏の陽射しで、日傘を差してもジリジリとする。院外薬局へ移動すると、座る椅子がないほどごった返している。不安になって「大分かかりますか?」と訊くと、「40分くらいかかるかもしれません。」と言われる。かといって出直してくるわけにもいかず、読みかけの本を取り出して待つ。皆さん相当待っている様子で「あとどのくらいかかりますか」と何人もの方が訊き、「ちょっと外へ出てきます」という方も続出。1時間以上待っても薬が多い所為かなかなか呼ばれない。いつものように番号が逆転する。結局1時間半近く待ち、エコバックを取り出して袋一杯の薬を受け取る。今日の支払も前回同様4万円弱。先にランチでも良かったかしらと思うけれど後の祭。

 今日は病院が順調だったわりには薬局が混んでいたため、結局のところ病院と薬局を含めた滞在時間は4時間。そのままJRに乗り、乗り換え駅で遅い昼食をゆっくり摂って読みかけだった本を読み終わる。
 夫からは急遽宴会で夕食が要らないとのメールがあり、なぁんだ、とブラブラ買い物をしながら帰宅した。

 今週もあと2日。夕方からすっかりお天気が悪くなった。カラリと乾いている筈の洗濯物がなんとなく冷たくてがっかり。明日は朝から崩れる予報で、気温も10度近く下がるという。
 週末のイベントに備えて体調管理をしっかりしておかなくては・・・。
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2014.5.13 終活は出来るときに

2014-05-13 20:30:37 | 日記
 先週末、母と昼食を摂った時に話したこと。
 私は一人娘で、実家は後期高齢者となった両親が2人で暮らす平屋の一軒家。建坪が30坪あまり、別に納戸やガレージもあるから団地暮らしの我が家と違って収納スペースには特に問題がない。そのせいで、信じ難いことだけれど、私が生まれて実家に暮らした四半世紀分のありとあらゆるもの-幼稚園の時の作品などというものさえ!?-が全て保管されている・・・ようだ。

 今年の誕生日を迎えれば父が86歳、母は81歳になる。
 実家の断捨離については、いずれ真剣に考えないと・・・と思っていた。が、いざ、となると両親ないしは自分の死後という話になるのでなかなか切り出しにくいことでもある。
 夫には「もう、そうなったら業者に頼んでブルドーザーで処分するしかないよね。」と言われていた。けれど、それはちょっと切ない・・・というのが本音でもある。

 その時、母の方から「あなたの、棚にびっしり並んだ本やらを・・・」との話があったので、これ幸いに、とホイホイ乗っかってお願いすることにした。

 先日も、自分の体重より重い本を処分したばかりなのだけれど、実家にもかなりの本が死蔵されている。
 実家を出て以来、読みたいから・・・と取りに行ったこともないし、絶対捨てないで、とお願いしていたわけでもないが、何分貧乏性の一家である。本は大切なものであり、本を処分する-捨てる-ということがなかなか出来ない。
 今回処分していいかしら、と言われたので、どうぞよろしく、と答えた。
 ふと、あ、中学時代の恩師に贈られたあの全集だけは・・・と思ったのだが、そう言い始めたらまた話はややこしくなるので、一刀両断、全て処分してもらうことにした。

 そして次になんと、レコードやカセットテープどうする、ときた。レコードにカセットテープ・・・、これは既に死語と化した代物である。
 夫が「もはや聴くためのレコードプレーヤーを手に入れるのが困難だし(いや、実家にはもう40年以上前に買ったステレオがあるのだけれど、これについても一緒に処分になるだろう。)・・・」と説明し、これもお手数ですが・・・とお願いする。

 少しほっとした。
 この後、私が一体何回実家に出向いて整理出来るか。そんなこと、全くもって当てにならない。日々の生活と自宅の断捨離だけで手一杯だというのに。
 そして、今だからこそ日々家にいる両親が、細々とでもそういう終活が出来るのだ。

 いつかも書いたけれど、がんという病気は最期の経過が早い。今はおかげさまでごくごく普通の生活が出来ている私だけれど、いつかは使える薬が尽き、長年のきつい治療のために体力は落ち、本当にあと3カ月となった時には、あっという間なのだろう。
 そして、今読んでいるホスピス医が書いている本(佐藤健さん著「ホスピスという希望~緩和ケアでがんと共に生きる」新潮文庫)によれば、皆さん、わかってはいてもいざ、あと何か月くらいと余命が言われる段階になると、嫌な現実を見つめたくなくて、なるべく辛い現実への対処を先送りして、考えないようにする傾向がある。例えばあと3カ月、と言われればもうそれしか時間がないと辛い気持ちになりながらも、やるべきことを先延ばしにして、残りの1か月になるまで何もせずに過ごしがちである。けれど、3カ月と思っていたことが実際に1カ月だったりすると、それが予想外のことで対処出来ずに慌てることになる。そう、3カ月という余命の予想期間はあくまで不確実な予想であるから、それより早く亡くなってしまう場合だって少なくない、という。
 冷静に考えれば、あと3カ月ですよ、と言われて、はい。では!と目一杯張り切って整理を始められる強靭な精神力の持ち主はそうは多くないだろう。だからこそ、である。今、元気で動き回れるうちになるべく身軽になっておきたい、と思うのだ。

 なのに気付けば、なかなか進まない断捨離。
 そして、どこに行ってもモノが溢れている中で、働いているのだし、治療も頑張っているのだからまだお買い物したい、お洒落もして綺麗にしていたい、という物欲との狭間にある俗物の私。なんとも情けないことなのであるけれど・・・。

 今日は、朝は雨模様、午前中は肌寒いくらいの曇り空、そして昼すぎには汗ばむほどの強い陽射しの忙しい一日だった。
 明日は通院日。また気温が上がるという。しっかり水分補給をして乗り切らなくては。

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2014.5.12 やはり希望は捨てずにいよう

2014-05-12 20:21:18 | 日記
 これまでも何度となくご紹介させて頂いている、朝日新聞静岡版に連載中の渡辺先生のコラム。
 最新号からもまた希望のチカラを頂いたので、以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

がん内科医の独り言(2014年5月10日)
 治療の設計図その3
 ■延命努力で治癒することも
 「多くの固形がんで他臓器に転移再発した場合の治療目標は、症状緩和、症状予防、延命であり、治癒は含まれない」
 これは、腫瘍(しゅよう)内科学を学ぶ研修医に、まず理解させることであり、患者、家族への情報提供や、治療計画を立てる場合には覚えていなければいけません。
 20年近く前のこと。研修医が肝転移のある乳がん患者に「治癒することは絶対にありません」と強調しすぎたため、患者は激しく落ち込みました。「あまりに冷たい説明だ」とご主人が私に涙ながらに訴えてきました。
 診療グループで対応策を話し合い、治癒しないというのは本当かどうかを、過去の患者データで調べてみることになりました。
 勤務していた国立がんセンター(当時)中央病院の転移再発した乳がん患者カルテを調べ、同じ抗がん剤治療を受けた患者約300人のデータを解析しました。すると再発後10年以上経過して、がんが完全に消え、治療も必要としない患者が8%いることがわかりました。
 同じ頃、米国から再発乳がん患者の5%程度は10年以上延命し、おそらく治癒したと思われるという趣旨の論文が発表されました。
 私の経験でも、乳がん肝転移を何回も繰り返し、ホルモン剤、抗がん剤治療をするうちに転移が消えた例があります。「仕事が忙しいので、また具合が悪くなったら来ます」と言ったきり外来に来なくなった患者に20年ぶりに東京駅で出会いました。
 骨転移で痛みが強く、抗がん剤治療をして後任の医師に後を頼んだ患者に、家電量販店で「先生、お久しぶりです。わたし生きています」と声をかけられ、15年ぶりに喜びと驚きの再会をしたこともあります。
 すべての患者に治癒を約束できれば、「治癒します」と言えます。でもどの患者が治癒するかは、治療前に言い当てられません。精いっぱい治療すると、中に治癒する患者もいるということなのです。(浜松オンコロジーセンター・渡辺亨)

(転載終了)※   ※   ※

 なるほど、確かに再発後、治療10年を超えてお元気な方もおられる。
 「あら、あなた、まだ生きていたの?」とびっくりされる、と笑っておっしゃる方とお目にかかって、(天晴れ、希望の星!)と驚いたこともある。

 かつて、再発すれば10年生存率は5%と言われていた。つまり20人に1人、である。
 が、今では続々と新薬の登場があり、その割合はもっと増えている、と聞く。
 まあ、確率論は意味をなさない、5%の生存などあり得ない、我が身に置き換えてみれば、生きていれば生存率100%、亡くなってしまえば0%。1かゼロ、all or nothingなのだ、と常日頃から思っている私が、この生存率の話に固執するのは自己矛盾であるには違いないのだけれど。

 もちろん、転移が消えて無治療で過ごすことが出来るようになる、ということが一般的には病気の完治を意味するところだから、医療が目指す理想といえば理想なのだろう。
 けれど、そこまで欲張らずに今の治療が奏功し続けてくれさえすれば、この病と共存していくことは十分可能だな、とも思う。
 そして、治るのが“善”ないしは“勝ち”、治らないのは“悪”ないしは“負け”、という線の引き方をしてしまうと、自分がこれから生きていく上でとても辛くなる、というのも頭では理解している。

 何度も書いているけれど、経過は本当に百人百様。
 他人(ひと)様と比べて、(私の病状の方がまだマシだ・・・)と喜んでみたり、(なぜあの人は予後が良いのに私だけがこんな・・・)と落ち込んだりすることはまったくもって無意味なことだ。
 他でもないがん細胞も自分の細胞の一部、自分の身体の一部である。他人様のものと全く同じものであるわけがない。

 それでも、もう駄目だ・・・と絶望することは、ないのだと思う。
 もちろん、一旦再発すれば完治は望めない、ないしは非常に厳しい、という前提条件は十分理解しているつもりだから、治癒をしっかと約束してもらおう、とまでは思わない。
 けれど、主治医をはじめ、チーム医療をしてくださっている看護師さんたち、薬剤師さんたちとタッグを組んで、自分はこれからどう生きていきたいのか、という希望を明確に伝えながら、QOLを下げないように、少しでも今の生活を続けられるように、その時に行いうる最善の治療を精一杯続けることが出来れば、神様は治癒というプラチナチケットを発行してくださることもあり得るのだ。

 その希望を胸に、これからも細く長くしぶとく、治療を続けていくしかないのだな、と改めて思うのである。



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2014.5.11 母の日は、娘になって

2014-05-11 19:40:41 | 日記
 今日も少し汗ばむくらいの陽射し溢れるお天気だった。
 ここのところ日曜日は出かけているか、さもなくば寝坊をしてしまい、すっかりご無沙汰していた朝一番のホットピラティスのクラスを予約してみた。うーん、やっぱりまだ寝ていたいな、とちょっと迷った末、思い切って起き出して、朝食を済ませ、スタジオに向かう。いつものことだけれど、ここでちょっとだけ頑張って出かけてしまえば、気持ち良く汗が流せてその後、一日が充実した気分で過ごせるのは判っているのだけれど。

 クラスが終わってシャワーでサッパリした後、最寄駅で夫と合流して2つ先の駅にある美容院にカットに向かう。3月末、息子の引っ越しの前々日の夜に来て以来である。息子は、夏に帰省するまで伸び放題というわけにもいかないので、自分でバリカンを買ってきて刈ろうかな、などと恐ろしいことを言うので、修復不可能になったら困るから、せめて大学内にある床屋さんにでも行くように、と言い置いたのだけれど・・・。

 今日は前回よりも時間に余裕があったので、久々にヘッドスパをお願いする。新しいアロマの香りが加わっていたので、それをチョイス。すっかり頭が軽くなり、肩や背中のマッサージもしてもらって、スッキリ。
 美容院が終わる時間を見計らって待ち合わせた実家の母と3人でランチ。昨日の昼食会が延期になった代わりに今日、母だけ一人で出てきてくれた。来月、息子の下宿を見てみたいというので、私と訪れることになっている。その事前打ち合わせである。

 今日は5月第2日曜日。母の日ということで、駅前や美容院やレストランが入っている百貨店のビルのフラワーショップは長蛇の列、どこもカーネーションの花で溢れている。
 実家にはカーネーションとお菓子のセットを送るように手配していたが、来週の日曜日が父の誕生日でもあり、その贈り物とともに母に用意していたブラウスを渡すことが出来た。
 ゆっくり和食を頂いてから母と別れ、夫と買い物をしながら帰宅。

 まだまだ日が高かったので、洗濯、掃除と家事も一通りこなすことが出来た。
 息子は、今日も今日とてお昼まで寝ていた模様。母の日なんて忘れているのだろうな、とブツブツ独りごちながら、今日は母ではなく娘として過ごした1日であった。

 そしてまた、明日からは新しい1週間が始まる。
 早くも5月も半ば。来週は5週間ぶりの通院日でもある。今のところタイケルブ2錠(規定量の4割)で奏功していることを信じて疑っていないのだけれど(実際、またロキソニンを朝1度飲むだけで済んでいるのだ。)、今月のレントゲンも血液検査も大過なく済みますように、と願っている。

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