ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2019.10.24 職場婦人科検診無事終了

2019-10-24 20:58:52 | 日記

 今日は午前中に仕事を片付け、午後は婦人科検診だった。
 昨年同様の検診会場。昨年は仕事の都合で当初提示された日程を変更したため、師走になってからの受診だったが、今回は1か月半ほど早い日程で受診出来た。

 昼休みの時間帯に都心まで移動。途中、乗換駅ナカで軽くランチを済ませ、JRに乗り換えて検診機関を目指した。せっかくの電車移動の時間も、持っていた文庫を読むことなくウトウトして過ごしてしまった。
 指定時間の5分ほど前に到着。昨日は汗ばむほどの暖かさだったが、打って変わって今日はまた肌寒い。夜からは雨の予報だ。気圧の変動で胸骨痛はあるし、相変わらず喉が痛い。昨日も眠くてたまらなくて早めに休んだのに、いくら寝ても眠気が取れず身体が重い。ちょっと憂鬱である。

 受付で問診表を渡すと、すぐに番号札が渡されて、「お着替えして待合室へどうぞ」と言われる。お手洗いを済ませ、上下検査着に着替え、待合室で問診に呼ばれるのを待つ。待合い席はほぼ満席で、ざっと40,50人くらいの人が待っている。今日も大分時間がかかりそうだなと雑誌を広げながら待つ。
 20分ほど待って問診室に呼ばれる。あちこちのドアから番号が呼ばれるので、聞き落とすまいと耳を澄ましていると、結構疲れる。

 これまで同様、看護師さんに現在も治療中であることを報告。今回は特に気になる自覚症状はないが、治療中であることに変わりはないので、その旨ご報告。初発、再発の時期、現治療の頻度等を訊かれる。例年通りマンモグラフィは傷口の痛み等を理由にキャンセルでお願いする。

 いつもは婦人科検診が最初なので、そちらのドアばかり気にしていた。ところが、20分ほどして、乳腺の超音波から番号を呼ばれる。一瞬出遅れ、名前を呼ばれてしまう。
 万歳をして背中にクッションをあてて傾斜をつけてまずは術側から。温かいジェルを塗った後、プローブが淡々と動く。暖かいし薄暗いし、画像もろくに視ないで目を瞑る。今度は健側。「この後、診察の時にお話しがありますのでお待ちください。」いうことで、特に何のコメントもなく、ジェルを拭き取るための温かいおしぼりを頂き、無事終了した。再び待合室へ。

 先ほどより大分待ち人が減っているようだ。次はどちらかしらと思いながらぼーっと待っていると、15分ほどして、女性ドクターによる視・触診。術側も健側もあらたなしこりなどもなく、問題なしとのこと。「昨年左にのう胞があると言われたのですが、それはいかがでしょうか。」と訊くと、「超音波でも映っていないようですね。のう胞は小さくなったり消えたりするので、問題なさそうですよ。治療は続けてくださいね。」とのこと。ほっとして御礼を言って、ベッドから降りる。

 待合い室に戻ると、より一層閑散としている。20分ほど待って、婦人科検診に声がかかる。なかなか慣れ難い検診ではあるけれど、ヨガの深い呼吸法を続け、出来るだけリラックスして身体を緩める。女性ドクターによる子宮頸がんの細胞診、超音波、内診、と続いた。この間、目を瞑って瞑想しつつ呼吸を繰り返す。

 カーテン越しに「子宮も卵巣も特に腫れていないし、腫瘍らしきものもありません。子宮脱もなく異常なさそうですね。見た目では問題なさそうですが、通常子宮頸がんは細胞診から見つかるので、結果をご確認ください。」とのコメントがあり、御礼を言って無事終了。同席された看護師さんから「結果は別途郵送されます。乳腺は終わっていますね。今日はこれで終了です。お疲れ様でした。」と言われ、御礼を言って部屋を出た。
 
 待合い室に戻ると、もうお一人しかいなかった。それでも昨年より所要時間は20分ほど短かく、2時間かからなかった。着替えを済ませ、受付で御礼を言って検診会場を出る。
 外はまだ雨は降り出していなかったが、相変わらずの曇天で冷え込んでいる。JRと私鉄を乗り継ぎ、いつもより遅い時間の帰宅となった。出張先から直帰の夫が先に帰っていた。やはり都心往復の検診は疲れる。

 とにかく今年も受けるべきものは受けた。結果が郵送されるまではまだ時間がかかるが、まずは目立った異常がなかったということで、一安心。
 とりあえず明日1日頑張れば土日がやってくる。ここですっかり疲れを取って来週からの治療も滞りなく進みますように、と願いたい。
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2019.10.23 次なる希望は?ギブアップにはまだ早い

2019-10-23 20:58:15 | 日記

 日頃よりお世話になっているがん情報サイト「オンコロ」で嬉しいニュースを見つけた。
 以下、転載させて頂く。

※   ※   ※(転載開始)

トラスツズマブ デルクステカン(DS-8201) 米国におけるHER2陽性乳がんの承認申請が受理

 2019年10月17日、第一三共株式会社と英アストラゼネカ社は、トラスツズマブ デルクステカン(DS-8201、HER2に対する抗体薬物複合体(ADC)*1)について、HER2陽性乳がんに係る生物学的製剤承認申請が米国食品医薬品局(以下FDA)にて受理され、また優先審査*2の指定を受けたことを発表した。
 FDAによる審査終了目標日(PDUFA date)は、2020年度第1四半期に設定された。
 同申請は、T-DM1治療を受けたHER2陽性の再発・転移性乳がん患者を対象に北米、欧州および日本を含むアジアで実施されたグローバル第2相臨床試験(DESTINY-Breast01)および日米共同第1相臨床試験の結果に基づくものである。
 トラスツズマブ デルクステカンについては、現在、HER2陽性乳がんに加え、HER2低発現乳がん、HER2発現の胃がん、大腸がんおよび非小細胞肺がん等を対象とした臨床試験を実施中。

 *1 抗体薬物複合体(ADC)とは、抗体と薬物(低分子化合物)を適切なリンカーを介して結合させた薬剤で、がん細胞に発現している標的因子に結合する抗体を介して薬物をがん細胞へ直接届けることで、薬物の全身曝露を抑えつつがん細胞への攻撃力を高めている。
 *2 FDAの優先審査とは、治療上重要な進歩をもたらす薬剤や、現在適切な治療法がない疾患への治療法を提供する薬剤に対して指定されるもので、通常審査期間(10ケ月目標)に比べ審査期間の短縮(6ケ月目標)が見込まれる。

 HER2陽性の乳がんについて
 乳がんは、世界において2018年に約210万人/年の新規患者が報告されており、女性において主要ながん死亡原因となっている。乳がん患者の約20%は、がん細胞表面にHER2というタンパク質が過剰発現しているHER2陽性乳がん。抗HER2療法の登場によりHER2陽性乳がん患者の生存率は改善しているが、既存薬による治療後に再発・転移したHER2陽性乳がんにおいては治療の選択肢が限られており、依然として高いアンメット・メディカル・ニーズがある。

(転載終了)※   ※   ※

 今の治療薬が使えなくなったら、次なる治療は・・・、そして標準治療薬を使い尽くした時は・・・と先の事を憂いすぎてナーバスにはなるのは、日頃から大事にしているヨーガの智慧に反している。と同時に、今ある多くの薬を使い尽くせるほど長期間にわたって治療を続けられる体調がキープされているのだとしたら、そのことに素直に頭を垂れて感謝しなければならないのも事実だ。皆が皆、そんなに沢山の薬を使えるわけではないのだから。

 そうはいっても一つの薬が特効薬になって永遠に使えるわけでない。耐性が出来て効かなくなるか、効いてはいても身体の方が副作用で持たなくなるか、どちらかである。
 分子標的治療薬に比べると、いわゆる狭義の抗がん剤はどうしても身体へのダメージ、つまり副作用が厳しいものが多い。そして長く治療を続けていれば、当然身体の老化とポンコツ化が同時進行していく。12年近く休まず化学療法を続けてきて、がんの治療というものはつくづく老化促進治療だと実感している。

 悪い細胞だけでなく、新陳代謝の早い元気な細胞までもやっつけてしまうのだから、当然だ。私のような年代の健康な女性たちはアンチエイジングを目指すのだろうけれど、こと再発進行がん患者はその対極をなすことを日々実行している、というかそれによって命を繋いでいるという実に皮肉なことを行っているわけだ。

 数年前、夢の薬と言われたカドサイラ(T-DM1)が現れた。単独ではとても使えないほど強力な抗がん剤(エムタンシン)とハーセプチン(トラスツズマブ)をドッキングさせて、HER2陽性の悪い細胞に届いたら、そこで初めて抗がん剤エムタンシンがカプセルを破って発動して、がん細胞だけを狙い撃ちしてくれる、というものだった。

 確かに効いた。身体に優しいといいつつ、だんだん蓄積するにつれて副作用も発現したが、減量しながら2年間も粘ることが出来た。
 だが、既にその薬を使ってしまった私は、まだ使うことの出来る“身体にマイルドだけれど悪い細胞を強力に叩ける薬”の手持ちは残っていない。残るはかなりハードな副作用が見込まれる狭義の抗がん剤ばかり・・・。

 今は抗がん剤ハラヴェンをギブアップしてハーセプチンとパージェタの2剤併用である。
 再発治療を始めた頃には抗HER2治療薬はハーセプチンしかなかった。それが、この間の目まぐるしい医療の進歩でタイケルブ、パージェタ、カドサイラの恩恵に預かってきて、今の私がある。これは感謝以外の何物でもない。
 もちろん当時ハーセプチンがなかったら、どれほどの期間、働くことの出来る程度のQOL を維持しながら(これが大事!)生きていられたのかと思うと、心底恐ろしい。
 とはいえ、その結果、分子標的薬はハーセプチン、タイケルブ、パージェタ、カドサイラ、全て使用済み(もしくは使用中)となってしまった。

 そんな折に、このニュースである。
 抗HER2治療薬で期待が持てる薬があるという話題は記事で読んでいたし、話も漏れ聞いていた。治験の該当にはならないこともわかったから、標準治療で使えるようになるまで待たなければならなかった。それがこの薬である。
 治験でも効かない人がいないくらいだ、と医師が感じるほどの手応え、高い奏効率と漏れ聞いた。

 体調管理をしっかり続けながら、細く長くしぶとく粘っていれば、また次なる希望を持ち続けることが許されるかもしれない。新たな恩恵に預かることが出来るかもしれない。
 我ながら呆れるほど欲深なことだ。けれど、ギブアップするにはまだ早い。
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2019.10.21-22 宴の後の出勤日、メンテと母詣での祝日

2019-10-22 20:47:27 | 日記

 月曜日。
 昨日の超人的ハードスケジュール(私としては、であるが)を思えば、とにかく無事に出勤出来ただけで及第点。朝から色々面倒な仕事が続いたが、何とか凌いで1日をやり過ごす。いきなり寒くなって何を着たらよいものやら・・・。なんとなく唾を飲みこむと喉が痛いので、朝から葛根湯を飲み始める。

 定時に帰ったところで辺りはもう暗い。例年のことだが、暗くなるのが早まるとついつい気が急くのが良くない。母に「明日午後にご機嫌伺いに行くけれど、何か困ったことはない?欲しいものはある?」等電話で御用聞き。入所当日、せっかく届けた痛み止めが、母のもとに届いていなかったことが分かり、確認してもらうように言う。「明日は雨だし、疲れているのだから来なくても良い」と強がり(?)を言う。

 帰宅後は夕食の支度を淡々と。雨が酷くなる。夫と夕食を済ませた後は、ビデオを観たりしながらのんびり過ごすが、気づけばウトウトウトウト。やはり疲れている。明日の祝日が本当に有難い。

 火曜日。「即位の礼」中心儀式の祝日。
 明け方お手洗いに起きた後、再びうつらうつら。ベッドの中で、朝の連続テレビ小説を視る。今日は「即位礼正殿の儀」の特別番組編成で15分時間が繰り上がっていた。のろのろ起きて朝食の支度。今週は今日の祝日がなければ、週末まで走り続けるのは体力的にかなり難しかっただろう。本当に有難いことだ。週末の土曜日も母の退所等で一日頑張ることになるので、ここでしっかり休息をしておかねば。

 ということで、今日はWさんサロンで月1回のお楽しみマッサージを予約しておいた。「台風で雨風が酷ければどうぞご無理されませんように」と昨日のうちにLINEを頂いたけれど、「ここのところのハードスケジュールでかなり疲れが溜まっているので、よほどのことがなければ伺います。」と返信した。
 朝から本降りの雨ではあったけれど、幸い、電車が止まるということもなく通常通り伺う。肌寒い。

 Wさんには母もお世話になっているので、母の退院等今の様子も含めて、この1か月のご報告。顔が何やらかなり硬くなっていて、マッサージされながら痛いのでびっくり。喋り疲れてウトウト。指先まで丁寧に解して頂き、スッキリする。施術後は、来月から3か月後(もう来年である!鬼が笑うではないか。)までの予約を確認して、サロンを後にする。

 実家最寄り駅の改札で夫と待ち合わせをしていたので、30分に1本しかないバスに乗り遅れるわけにはいかず、駅ナカカフェで急いでランチを摂る。相変わらずお腹が心配。お手洗いには先着がいて、ハラハラ。なんとかバスに間に合って実家最寄り駅を目指す。

 その間、合唱団の仲間たちから一昨日の写真や動画が複数送られてくる。本当に便利な世の中になったことだ。車内であれこれ転送して忙しく過ごす。舞台に乗った皆は、今日も頭の中でメロディが鳴り続けているらしい。私もしかり、である。
 定刻通りにバスが到着し、夫と無事合流。母がショートステイ中の施設を目指す。夫と2人で行くのは初めてのことである。雨も小止みになっていて、ほっとする。

 入所施設のエントランスで面会受付用紙に記入し、母の入っているユニットまでエレベーターで上がる。先週火曜日に入所した時は、女性ばかりだったが、今では3人ほど男性がおられるそうな。皆さん杖を突いたり、お身体が不自由な方が多い。奥様が重病で入院中で、ご自身はこちらに入所という方もいるようだ。母曰く、自分が一番手がかからないので、なんとなく後回しにされるそうな。まあ、自分で何でも出来ることが何よりだ。今朝もゆっくりお風呂に入れたとのこと。母の居室の前にちょうどソファとテーブルが置いてあり、そこで3人で暫しお喋り。

 リクエストでまだ今年柿を食べていないというので、シャインマスカットとともに差し入れ。夫が剥いて紙皿とともに持ってきてくれる。美味しそうに食べていたので安心する。そして、一昨日の第九等の写真を見せながら説明、報告する。

 次回の訪問は早くも退所日になる。お見送りの車を出して頂けるそうで、「片付けもスタッフにお任せください。お迎えにいらっしゃらなくてもお家でお待ち頂ければ大丈夫ですよ。」と言われたが、ご挨拶もあるので「ひとまず伺います。」とお願いする。思ったより遅い時間に伺えばよいようだ。有難いことだ。全部自分で片付けるつもりでいたので。

 この1週間で2回ほどスタッフの方と一緒に施設の周りを散歩したそうな。雨でなければ気分転換がてら近くのレストランまでお茶に連れ出そうと思ったが、寒いし、雨模様なのでやめておいた。ここで転んだりしたら洒落にならない。
 1時間ほどいて、「では土曜日にね。」と施設を後にした。母は、1階エントランスまで降りてきたのは初めて、とスタッフのSさんと一緒にエレベーターに乗って見送ってくれた。

 そこから実家へ移動して、郵便物等のチェックを済ませ、父の仏壇に報告をして帰途に就いた。
 夫が「甘いものが食べたい」と言うので、ショッピングモール内レストランでお茶とスイーツタイム。曇り空で寒いけれど、雨が止んでくれて助かった。夫はタクシーに乗りたがったが、地味にJRと私鉄を乗り継ぎ、最寄り駅のスーパーで食料品を買って帰宅した。結局今日も1日仕事になった。

 駅から自宅まで続く歩道のカツラの街路樹はすっかり紅葉している。ススキも見事である。この1か月は本当に忙しく、毎年愛でている大学内の彼岸花の群生を見ることもなく、気づけば散っていた。いつの間にか秋もすっかり深まっている。

 帰宅後、夕飯は簡単に水炊きにした。鍋が恋しい、そんな季節になった。今年も残すところ70日余りである。
 今日は早めに休み、明日から3日間粛々と仕事をしよう。そして週末、母を無事に実家に送り届けたら、この秋の大きな山場は乗り越えたことになる。
 来週、10月最終週は治療週である。疲れを取り普段のペースに戻して治療に臨みたいと思う。
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2019.10.20 第九、校友会音楽祭…終日合唱三昧

2019-10-21 21:49:04 | 合唱

 昨夜遅めの夕食を摂ったのはベトナム料理のレストラン。夫と息子は地ビールやカクテルを楽しみ、皆で生春巻やお腹に優しいマイルドな味の温かいフォー、スパイシーな料理の数々に舌鼓を打った。息子は顔に汗を浮かべながら相変わらずよく食べよく飲み、見ていて気持ちが良い。

 部屋に戻ったら楽譜を見ながら自主練習するつもりだったが、どうにも疲れて眠くてたまらず。さっさとバスタブにお湯を張り、一人で先にベッドに入ってしまった。お湯を張り直すと、次に夫が、最後に息子が入浴したようだが、息子がベッドに入ったのには気づかず。

 お手洗いに起きて寝ぼけ眼で時計を見ると6時間近く連続して眠れたようだった。だが、夫と息子が交互に鼾をかくわ、息子は相変わらず酷い寝相で、何度も布団をかけ直してやったりしているうちに再び眠れなくなり、そのまま朝を迎えた。3人でホテルの同室に泊まることも今後そうはないだろうとトリプルにしたのだけれど、やっぱり私だけシングルにするのだった、と痛く後悔する。
 20階の部屋からは遠くにスカイツリーが見える。昨夜は紫色のグラデーションにライトアップされていた。

 お天気はまずまず。雲の合間から青空が見え隠れしている。時間があるので足湯でリラックス。夫や息子にも勧めて、皆で少しほっこり気分になる。
寝坊助の息子が一緒だし、レストランでバイキングの朝食を摂る時間を節約して、朝食は部屋でコンビニ調達のサンドイッチ等で簡単に済ませる。相変わらず食後はお腹の調子が悪く、お手洗いを往復。

 例年通り路面電車の駅まで2人が送ってくれる。一両しかない車内は日曜朝だというのにやけに混んでいて、席は確保出来ず。短い時間だけれど、結構揺れるので痺れた足で荷物を持って踏ん張っているのが辛い。集合時間の10分ほど前にOBOG合唱団の控室である教室に到着。ここもエレベーターがない建物なので、ふうふう言いながら3階を上がる。既に同期のNさん、A先輩たちが到着している。三々五々先輩たちが集まってくる。

 その場でロングスカートと黒い靴に着替え、隣の男性控室に移ってK先輩による準備体操と発声練習。今日は現役が10人ほど助っ人に来てくれている。これまで一度も一緒に歌って合わせたことがないので、ちょっと心配・・・。簡単に曲をさらって第九の会場まで移動する。ステージオーダーすらまだ決めていない。全員で何人になるのかさえ・・・ああ。

 ロングスカートでキャンパス内を歩くのはまだしも、一般道路を歩くのはちょっと恥ずかしい。関係者の名札を下げて”赤信号みんなで渡れば怖くない”のノリである。交差点に差し掛かった時、急に日差しが強くなり、日傘を置いてきたことをちょっと後悔する。
 なるべく階段の上り下りをしない動線を探しながらアリーナの控えエリアに入る。2階席に着くように言われ、スカートを踏んで転ばないように慎重に席に着く。
 ちょうどホームカミングデーの式典中である。ブロックごとに卒業年次で分けられているが、自由席エリア以外はほぼ満席である。講演の後、応援団が壇上に上がり、全員でこぶしを振り上げて(このポーズがなかなか凄い)校歌を歌い、エール。

 思えば初めてホームカミングデーに参加したのは卒業25年の10年前のこと。
 その前年、11年前には既に再発治療をスタートして8か月ほど経過していた。「練習に参加できなくても大丈夫だからせめて校歌だけでも歌いにいらっしゃい」と幹事のK先輩からOB・OG合唱のお誘いを頂いた。けれど、復職はしたもののタキソテールを終えてそれほど時間が経っておらず、体調が優れないことも多く、とても都心まで練習に行ける状況ではなかった。

 翌年少し落ち着いたところで、これが最後かもしれないし、と思い切って参加したところ、意外にも頑張れてとても楽しく励みになることが分かった。以降、母の手術や父の急逝により2015,16年の両年を泣く泣く欠席した以外は毎年参加させて頂き、これまで歳を重ねてきた。まさかここまで命を繋ぎ、続けられるとは思わなかった。感無量である。卒業後25年なんてまだまだ若造と言われる中、当時卒業後35年のお元気そうなお姿を拝見し、果たして私にこの日は来るだろうか、と思ったのが昨日のことのようである。

 定刻通りに式典が終わり、第九を歌う立ち位置まで移動する。式典会場の一角にオーケストラのスペースが誂えられる。ここで合唱指揮者Y氏による準備体操と発声練習。時間が押してきている。オケのメンバーが席に着く。
 いよいよ校友会音楽祭の開会である。

 例年古い講堂で満席の中行っていたが、収容人員が全く違う巨大なアリーナのこけら落としイベントなので、さすがに席は満席とはいえないまでも、皆の宣伝のおかげか、そこそこの入りである。
 OB・OGである2人の民放現役アナウンサーの司会でスタートし、実行委員長であるマラソンのS選手が登場して開会宣言。ファンファーレがなぜか宣言のタイミングと合わずにやり直しで、2回というおまけつき。
 これまでは講堂の深紅幕の後ろから司会者のシルエットを見ながら声だけを聴いてきた。幕が上がり、オープニングの校歌に至るのだけれど、今日は二階席から各会場の司会を受け持つ大御所アナウンサーたちの姿をナマで見ることが出来た。

 客席を見下ろすと、オケの間近で夫や息子の姿も見える。身体を横向きにしながら聴いてくださる皆さんには申し訳ない。同期や先輩等の姿も見える。
 まずはグリークラブOBによる校歌、応援歌、カレッジソングの三部作の合唱。
 続いてオケによるワーグナーのマイスタジンガー前奏曲、そしていよいよ第九の演奏である。ここまでで20分ほど時間が押していた。指揮者のN氏は穏やかで微笑みながらとても良い指揮をされる。大学卒業後、音大に入りなおして指揮を学ばれたという。

 指揮が振り下ろされたら40分、最後までノンストップだ。オケ150人、合唱350人という500人の校友老若男女(10代の現役から80代(!)の合唱団員まで)による演奏の心意気は皆さんに無事届いたようである。ソリストも4人中3人は私たちの合唱団のOB・OGである。その隣でリアルなブレスを感じながら、舞台の上でなく2階席から歌う機会など今後二度とないだろう。人生3度目、9年半ぶりの第九は母校で、旧友たちとともに無事歌い終えることが出来た。これぞFreude!

 夕方の本番(?)合唱ステージもあるので、冷静に考えればあまり全力で喉を使い過ぎないようにセーブしながら・・・と思うが、実際始まってしまうとそううまく立ち回れるわけもなく。本当なら精魂使い果たしてダウンというレベルだろうけれど、気が張っているのか不思議と元気である。今日は夕方までの演奏、そして夕方からは同期とのパーティが控えている。アドレナリンが出ているのだろう。

 昨日のゲネプロで、アリーナでの急な階段の上り下りが相当堪えたので、今日は出来れば階段は使いたくないというのが本音。申し訳ないが、一人皆と離れてエレベーターを使わせて頂いた。ここで思いもかけなかった遭遇があった。

 予備校時代の友人で、学部は違えど同窓だったDさんがお嬢さん2人と乗っていらしたのだ。夏の中欧旅行中にお葉書を頂き、会いたいなということだったが、私は今日の一連行事が終わるまでは土日が全部埋まっており、母の入院・手術もあり、申し訳ないというお返事をしていた。卒業後も年賀状のやりとりだけは続けてきたが、お互いの結婚式以来実際にお目にかかることもなく30年近くが過ぎていた。

 Dさんはやはり治療中で白血球が下がっていて・・・、とマスクをしていて、車椅子をお嬢さんが押してこられていた。人出が凄いし、会えないかもしれないと思っていたので、まさかここでこのタイミングで会えるとは、本当にラッキー。まさしく神様のなせる業だと思った。入口でお嬢さんたちからツーショットの写真を撮って頂き、握手を交わして皆が待っていてくれるアリーナのエントランスに向かった。

 そこかしこで指揮者やソリストとの写真撮影をする人たちの姿が賑やかである。集合写真に何とか間に合った。時計を見れば、既に昼休み開始予定時間より30分経過している。第九だけに参加したメンバーはこれにてフリータイムだが、Nさんと私は30分後には本部キャンパスでのフラッシュモブに入らなければならない。お昼をどこかで摂っている時間はないので、途中のコンビニでサンドイッチ等を調達し、荷物を置いてある控室に戻った。残り時間20分弱である。

 ここで、35年近く前、新任研修の1か月を一緒に過ごした職場同期のSさんからのメールに気づく。彼女には昨年合唱団の70周年記念演奏会にも足を運んで頂いていたのだけれど、折悪く台風到来。早めにお帰りになりロビーでご挨拶すら出来なかったという不義理をしている。
 今年こそ、お互いなんとか探せるとよいのだけれど・・・と連絡しあっていたのだけれど、時間切れで私がアリーナを離れざるを得なかった。アリーナのカフェにいますが、ということだったが、今から戻る時間はない。本当に申し訳なくも今の状況を連絡した。

 10分ほどで薬を飲んで、サンドイッチをお腹に入れ、会場前で校歌と応援歌2曲のフラッシュモブ。同期のNさんのご主人が来てくださっていて、ご挨拶が叶った。
 そしてY氏の指揮による最後の練習が始まる。第九で使って緊張しまくった喉を、普通の合唱の柔らかく開かれた喉に戻していかなければならない。現役メンバーを含めて初めて合わさなければならない。時間は45分と限られている。

 最終的にセカンドソプラノは4名で、トップの半分以下の人数になった。喉が疲れているせいか音がどうしても下がり気味になってしまう。萎縮するとますます声が思うように出ない。だんだん心配になってくるが、同期のNさんがセカンドに戻ってくることになり、A先輩の「いつもどおりでいいのよ」という言葉に支えられて本番を待つ。

 昨年も聴きに来てくださった職場の先輩であるOさんが「今、会場に到着しました」という連絡をくださる。夫と息子は第九の後、庭園に並んだ模擬店で飲んで食べてすっかり出来上がった様子。「合唱に合わせて手拍子してしまうかも・・・」などという怖い連絡をしてくる。

 一旦時間通りに舞台袖に降りかけたが、20分の遅れ。再び控室に戻って出番を待つ。
 毎年思うのだけれど、本番はいったん始まれば瞬く間に終わってしまう。僅か20分の持ち時間のために、これまで3か月練習をしてきた。マドリガルの2曲はOB・OGのみで、バッハのモテットⅢからの5曲は現役が加わって、最後にさくらももこさん作詞、相澤直人さん作曲の「ぜんぶ」の計8曲である。

 ステージオーダーも直前に俄かに決め、とにかくステージに上がる。ライトがかなり明るい。もろに明かりを浴びる角度で、眩しくて指揮者の顔が全く見えず、シルエットのみ。
 終わってみれば練習した以上のことは出来ず、言葉が思い切って喋れない部分もあり、反省点は多々あった。けれど、最後の曲では色々な思いが錯綜して胸が一杯になり、目の前が曇った。とにかく先輩や同期とともに本番を無事歌い終えることが出来てほっとするとともに、有難かった。
 これで今年の私の合唱の季節も終わりである。また、来年も励みにしようと思う。

 同期のNさんが幹事を買って出てくれて、本当は休業日なのに貸し切りで開けてもらったというお勧めのワイン処・イタリアンで同期会がセットされている。当初は、舞台が終わって30分ほどで出発すれば余裕をもって到着出来る、ということだったが、20分遅れは取り戻せず。慌てて着替えて荷物をまとめて、皆さんにご挨拶をしてNさんとともに出口へ急ぐ。
 外では第九を歌った同期や聴きに来てくれた同期や後輩たちが写真撮影中。

 Oさんにお会い出来たが、この後一緒にお茶することも出来ず、申し訳ない限り。夫と息子も外で待っていてくれたので、まずは要らない荷物を持ち帰ってもらうために引き渡し。2人ともお酒が入ってご機嫌な様子である。息子は相変わらずお調子者でお喋り全開。皆さんに紹介すると、なんら物おじせず皆さんにご挨拶している。

 既にキャンパスは暮れなずんでいる。今日は舞台がトリから2番目だったため、こんなに遅い時間までいたのは初めてである。
 そのまま皆とパーティ会場に向かうつもりだったが、ふと、夫に預けていた長財布等を返してもらっていないことに気づく。慌てて携帯を鳴らすが、全然出てくれない。結局、息子に繋げて戻ってきてもらうことにした。その間同期のRさんにお待ち頂く。トホホの忘れ物大王一家である。真っ先に失礼した筈なのに、後から控室から出てこられた先輩たちが「どうしたの」と通り過ぎていかれる。ああ・・・。
 フィナーレで応援団が講堂のライトアップされた時計台をバックに校歌を歌っている。せっかくなので、と一緒に歌ってしまった。

 そして地下鉄の駅へ。Rさんが、私が階段の上り下りをなるべくしないようにと気を遣ってくださったのに、お互い積もる話をするのに夢中で、注意力散漫だったのか別方向のホームに入ってしまう。再び引き返す。JRの乗り換えも階段とエスカレーターでホームに上がったところ、ここでまた確認せずに(2人とも単独行動なら必ず確認するであろうに)あろうことか逆方向に乗ってしまったことに次の駅で気づく。

 東京出身の2人がなんということか。ああ・・・。会場最寄り駅では心配している旨のLINEが届く。なんと申し訳ないことよ。
 結局、予定開始時間より20分以上遅れて駅に到着。待ってくれていた幹事のNさんや関西から駆けつけてくれたSさんたちにかくかくしかじかと事情を説明しつつ、平謝り。駅からすぐとはいっても、やはり連れて行っていただけないとわからない場所だったので本当に申し訳なかった。

 会場に入ると、既に座る席を空けてくれており、言われるがままテーブルに着く。思えば病を得て以来、夜の会合はすべて失礼するようになっている。同期は仲が良く、海外赴任中のメンバーが帰国したとか折に触れて同期会が開催されていた。何分職住近接の職場で仕事を終えてから、都心まで出向く体力も気力もなく、すっかりご無沙汰していたわけで、今回の参加は10数年ぶりのことだ。

 それでも不思議、すぐに学生時代に戻り、話が弾む。2組のカップルもいて、なかなか楽しい。20人が集っているが、皆子供たちがほぼ巣立ち、結婚話も出て、こうして集まりやすくなってきているということもリユニオンに拍車をかけているのだろう。

 飲み放題3時間ということで皆思い思いに好きなお酒やソフトドリンク片手に語り合っている。数十年前の写真が回り、当時の思い出に花が咲く。今だから言える話もあれこれ。
 途中で席を変わり、皆入り乱れる。会いたかったMさん、Tさんたちとも話が出来て本当に良かった。一番年長は来年還暦というI氏。一足先に退場されたが、確か彼もサバイバー。3度目の成人式を迎えるまで生きてきて、それはみんな色々あるよね、というセリフに頷くことしきり。

 皆で記念写真を撮り、彼を見送った。お料理はどれも手が込んでおり、目も舌も美味しく、デザートまで大満足の3時間弱だった。帰りのライナーを予約していたので、ちょっとハラハラだったが、最後はまたまた校歌とカレッジソングを歌って〆。

 隣県といっても遠方に住むTさんとともに会費を払い終え、ドタバタと会場を後にし、JRの駅まで向かった。乗り換えが結構ギリギリでドキドキだったが、無事乗り換え、車内ではあれこれ繋がったLINE等でお礼の連絡をしながら瞬く間に最寄り駅に到着と相成った。

 一方、夫と息子は私と別れた後、ホテルに荷物をピックアップに戻り、東京駅ナカで夕食を摂り、息子は新幹線に乗り、夫は私より1台前のライナーで帰宅する、との連絡があった。
 帰宅すると夫が洗濯機を回したのがちょうど終わったところ。一緒に干しあげた。

 もろもろ最低限の片づけを済ませると、さすがにブログを書く元気がなく断念。夫が合唱の様子を撮影してくれていた動画を見せてもらってから入浴・就寝した。夫からは「それにしても貴方たちOB・OGは皆大学の名前を何かにつけて連呼して、大学が好きなんだね~」と揶揄われたが・・・。
 長い一日、朝から晩までよくよく歌った幸せな日だった。

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2019.10.19 第九ゲネプロ無事終了、明日に備えて今日は前泊

2019-10-19 18:14:11 | 合唱

 昨夕は定時に帰宅し、夕食の支度を終えて夫を待つ。今朝の出発が早いので、朝一番のライナーを予約し、早めに入浴してベッドに入った。外は雨。お天気が気になる。
 若干残業をしたという息子が家に辿り着いたのは、日付が変わる頃。夫との話し声が聞こえたけれど、これで起きるとまた眠れなくなるとぐっと我慢して、そのままベッドに張り付いているうちに眠りに落ちた。

 明け方お手洗いに起きて、そのまま夫の鼾で眠れず。いつもより30分早起きして、朝食の支度を終え、夫を起こす。案の定息子の話に付き合って眠ったのは2時だったそうだ。付き合わなくて良かった・・・。そろそろ出かけるというところで息子を起こして、家を出た。お腹が緩くて、何度もお手洗いを往復。道中長いので不安である。

 予報ではかなり強い雨ということだったが、それほどの降りでもなくほっとする。今日のゲネプロは本番会場である大きなアリーナ。底冷えがして風邪でも引いたら大変なので、ニットにタイツ、レインコートを羽織る厚着で出かけた。
 ライナーの中で今日のスケジュールや楽譜に目を通す。同期の友人たちとのグループLINEが賑やかだ。早めに到着して場所取りをしてくれるというMちゃん、Sちゃん、ありがとう。どうも先着順に本番立ち位置が決まる模様。

 順調にターミナル駅に到着し、JRと地下鉄を乗り継いで、大学最寄り駅へ。すっかり様子が変わっていて、去年もそうだったけれどちょっとキョロキョロする。なんとか人の流れに乗って会場アリーナ入り口に到着したのは集合の20分前。そこからの勝手が分からないので前の人について地下二階まで急な階段を降りる。オケの演奏エリアはB2だったが、合唱エリアはB1だったので、エレベーターも見つけられず、結局長い急な階段を降りたり上ったり。息が上がってゼイゼイ。

 幹事のSさんの姿を見つけ挨拶する。ソプラノはこちら、と言われて見ると、最前列にソプラノ同期の数人を見つけた。今回同期ソプラノは8人が参加する。有り難く2列目に座らせてもらった。どんどん人が増えてくるが、ソリストの場所を確定するのに席を詰めたり、あれこれ調整しているうちになんとソリストの傍になってしまった。こんなロケーションで歌うことになるとは思いもよらず・・・。

 定刻にオケの前奏曲の練習が始まり、20分ほど鑑賞させて頂く。生の演奏はやはりいいなあ、と愉しむ。続いて合唱指揮Y氏による10分間の指導。メガホンを持ち準備体操と発声だけで時間切れ。集合から1時間経過したところで合唱付きの第九の練習がスタートした。
 ソリストの近くなので、指揮者が良く見えてとても歌いやすい。上からオケを眺める形なので弦楽器の動きも実によく分かる。迫力満載のソリストの声を傍らでたっぷり体感しながら1時間ほどほぼ通しで歌う。子音を早めに準備して拍前で食いついてから、母音が拍の頭でオケの音と合うように、その響きを感じながら歌う。思いっきり歌い終えた後は心地よく疲れていた。続いて15分ほどオープニングの3部作をグリークラブOBが指揮をして歌う。

 これにて本日の練習は終了。舞台ではファンファーレの練習が始まった。最新式のアリーナには大スクリーンがいくつも下がって、カメラの映像が映し出されている。寒かったら大変だと厚着をしたけれど、皆の熱気もあり空調も効いていて、汗ばむほどだった。
 それぞれが必ず明日の控え室からアリーナまでの動線を確認してから帰ってください、という事務連絡があって解散した。

 私と同期のNさんは、明日の第九合唱の後、夕方からOBOG合唱のステージがある。そのため控え室は別のキャンパス会場で、こちらの控え室を使わない。わざわざ確認に出向く必要もないので、入り口で皆が戻ってくるのを待った。今回、同期はソプラノの他、ベースが4人で12名の参加だ。近い期の先輩や後輩たちが三々五々帰っていくのを挨拶し、同期9人でランチしようとレストランに向かった。

 さすがに学生の街、ボリューム満点、お値段もお手頃なカレーショップに入り、お腹を満たした。皆アラ還なのに気づけばニックネームで呼び合っている。話題は親の介護だのなんだの・・・であるが。
 バスに乗る人、歩く人たちに別れ、私は同じ方向の2人と再び地下鉄に乗り、JRを乗り継ぎターミナル駅に戻った。

 一方、夫と息子は午前中ショートステイ中の母のご機嫌伺いに行ってくれた。LINEで息子と母のツーショットが送られてきたが、母は元気そうにしていてほっとする。うまく繋がらなかった携帯も夫がチェックしてくれて問題なし。そこから実家の風通しをしてくれた模様。有り難いことである。
 昼食後、ターミナル駅で合流して息子の買い物に付き合う予定だったので、こちらの状況を知らせると、なんとまた忘れ物大王父子が事件を起こしてくれていた。あろうことか、実家の最寄り駅のロッカーに預けたキャリーケースの存在をすっかり忘れて、そのまま一番早い特快に乗車してしまったらしい。今日はお泊まりだということをどちらも気にもせず、乗った後も30分間の乗車時間中2人が雁首揃えて全く気づかず、私と待ち合わせするターミナル駅に到着して、さて改札を出ようとしたところで、はたと気がついたのだそうだ。なんともはや・・・。

 代表して責任を取った夫が再びJRを往復し、息子はターミナル駅界隈の関西にはないお気に入りラーメン屋さんで昼食を摂り、ほぼ約束の時間に百貨店の待ち合わせサロンに現れた。夫はその頃、ようやく実家最寄り駅に到着し、駅の立ち食いそばという可哀想なお昼を終えて、こちらに向かっているという連絡があった。ああ、お疲れ様、である。

 息子が「今はリュックを背負っているが、クールビズが終わってスーツを着るので、ビジネスバッグが欲しい。」というのでそれを見繕って、本人が選んだものを購入する。ちょうどそこで夫が百貨店に到着。

 何やらとても疲れていて、お腹もいまいち調子が悪いし(朝から何度もお手洗いに行き続けている。練習中はなんとか緊張していて大丈夫だったが・・・)気圧のせいで胸痛も出ているので、そのままJRに乗って毎年OBOG合唱の際に前泊しているホテルに向かった。

 チェックイン後、お茶を淹れてベッドに横になったら3人揃ってお昼寝してしまった。やはり皆寝不足で疲れているのは否めない。
 そろそろ息子を起こして、夕飯に出かけよう。今日は喉を大事にたっぷり眠って明日の本番に備えたい。
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