2017年1月11日(水)
片山先生の名講演のことを先日書いたが、昨日の朝はNHKに登場してノロ対策を解説していらした。引っ張りダコでもあろう。あいかわらず落ち着いて質問にも簡潔に答えておられたが、ゲストらが「菌」という言葉を繰り返すのを、本当なら訂正したいはずだ。ノロはウィルスであってバクテリアではないから「菌」は不正確なのだが、そういう末節にはこだわらず、今必要なことをゆっくりハッキリ繰り返されるあたりが実践の賢者である。
冬休みの介在もあって12月後半から件数が減っているが、1月には必ず再上昇がある。予防については、一にも二にも手洗い励行。親指の付け根と指先、そして手首まで洗うこと。ハンドソープを使う利点は、汚れがよく落ちるばかりでなく、ハンドソープを洗い流そうとするために洗手時間が長くなることだ。ハンドソープ+流水15秒を2回で相当の効果が期待できる由。「アルコールは無効」は昨日は言われませんでしたね。
あれは一ヶ月ほど前だったが、年をまたいだせいかずいぶん前のような気がする。A君のお手伝いに向かいながら少々構えている。今このタイミングでノロを持ち帰る訳にはいかないんだな。
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仮に、たとえばの話である。男の子がいたとしよう。小学生の時、両親が離婚して父親が出ていった。母親は酷薄というわけではないが、次なる男性との交際に忙しくて子どもに手をかけない。住んでいた地域の環境も手伝って、男の子は中学で酒とシンナーを覚えた。高校には行かず、金がなくなればまともなアルバイトやまともでないシノギに出かけ、金があれば働かず悪さをする。18歳で覚醒剤を覚えてからは、やったりやめたりのくり返し。やがて見えない相手の声に脅えるようになり、ベランダで人が暴れていると騒いだり、ふすまの陰から銃で狙われていると脅えたりの末、20歳そこそこで最初の検挙となる。その後10年ほどの間に数か所の刑務所を経験したが、放免されるとやっぱり手が出てしまう。それでも一緒になってくれる女性があり、その助けでここしばらくクスリは止まっているが、覚醒剤の昂揚感が忘れられず空虚を紛らわそうと朝から酒を飲み、今では立派なアルコール依存症である。
念のために重ねて記すが、これは架空の話であっていかなる実在の人物とも関係ない。そう断るのも無意味なぐらい、上記の経過には個性的な情報が何ら含まれていないこと、読めば分かるだろう。今日の日本の社会でありがちのこと、実際あることのツギハギに過ぎず、従って逆に多くの実在の人物の実際の現実でもあるというパラドックス。
医者が役に立たないというのはここのところで、覚醒剤精神病と見れば治療にそれなりの腕を振るい、アルコール依存症に個人精神療法など歯が立たないことを知りつつも、心理教育を試みたり断酒会を紹介したりせっせと汗をかくのだが、それもこれも生まれてこの方しっかり刷り込まれ堅固に築かれた人生パターンの表層を引っ掻いているに過ぎない。何とも申し訳がない。
「上医医国、中医医民、下医医病」という言葉、インターネット上でも出典が詮索されており、どうやら中国は六朝時代、陳延之なる人物の『小品方』に依るらしい(http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000025171)。
『小品方』は稀代の良書で、古代の中・日では医学生必読の教科書だったというが、惜しいことに中国でも日本でも原典が失われている。『千字文』にしても『小品方』にしても、六朝時代にはなかなか大したものが書かれ編まれているようだ。それはともかく・・・
「上医は国をいやし、中医は民(人)をいやし、下医は病をいやす」
これは確か、先に医者になった高校の同級生から教わったのだ。医学を志した魯迅が文学へ転向した背景にも同様の考えがあったと聞いた。せめて下医に落ちず中医たらんとするのが僕らの日常だが、それすら覚束ないのが悔しいのである。
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帰途に『神々の指紋』を読み終わった。ずいぶん前に話題になったらしいが僕は全く知らず、昨秋の慰労の席でS先生から教わったのである。ブログに書いたかどうか忘れたが、珍しくその場でスマホ検索し(普段はキライなのだ、何でもかんでもその場でググるという若者ぶりが)、アマゾン古書に上巻・下巻それぞれ1円で出品されているのを見て、すぐ注文した・・・ところが、酔っ払いは利口なもので、一括注文したつもりが上巻・下巻別々の購入になり、それぞれに送料が加算されるので思ったよりずっと高くつき、おまけに届いた上巻は文庫本、下巻はハードカバーの単行本という落ちである。
けれども中身は抜群に面白い。幼年期にムー大陸だのアトランティス大陸だのの伝説に夢中になり、長じた後も心のどこかで「俺がいつか見つけてやる」とか思ってるのがXY染色体をもつ人類種のおかしな特性というものだが、そんなふうにバラバラに抱えてきたジグゾーのピースが大きな絵柄にぴったりハマった具合である。痛快な落ちをここに書いてしまうと、まだ読んでない人にネタばらしというハラスメントを行うことになるから、ぐっとこらえておく。できれば自分が気づきたかったが、そこがコロンブスの卵というものだ。
あらためて、ピラミッドやらスフィンクスやらの凄さを思い知る。ギザの三大ピラミッドの配列がオリオンの三つ星のそれの忠実な再現になっているという話、どうして報じられた時に気づかなかったのだろう?往古に高度の文明があったというのは、たぶん事実なのだね。となるとあらためて、ナスカの地上絵の謎が気になる。古の文明人が空中飛行の(ひょっとしたら宇宙飛行の)技術をもっていたことの、何よりの証明になるはずだものね。
フロンティアが消滅したかに見えて、地球はまだまだ謎に満ちているのだった。
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