散日拾遺

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寒い土曜日にTVで見る世間

2017-01-14 21:51:02 | 日記

2017年1月14日(土)

 寒波が週末を狙い撃ちし、50万人を超える全国の受験生たちはさぞ緊張したことだろうが、大きな混乱はなかったようである。首都圏では早朝に京浜東北線がストップして当方も一瞬かまえたが、三男が出かける頃にはダイヤはほぼ正常化していた。悄然となったのは夕方にかかってからである。京浜東北線を止めた蕨駅の人身事故は、またしても全盲の男性がホームから転落して起きたものだった。ホームドアが未設置(設置予定)であったというが、周囲に人はいなかったのかと考えてしまう。たまたまホームに駅員がおらず、早朝のことで他に客もいなかったというのが実情らしい。

 意図してかさらでか転落の瞬間に男性は盲導犬のハーネスを手放し、犬は巻き添えになることなくホームに残された。「巻き添え」は言葉が間違っているね。いつでもどこでも一心同体、行住坐臥を共にして飼い主を守るのが盲導犬の使命なのだから。その刹那の飼い主の気もち、犬の心が思われてならない。

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 日中も気温が上がらず、自宅に逼塞。大相撲中継のゲストにさだまさしが来ている。特にファンという訳でもないが、僕らの5歳ほど年上で兄貴のような懐かしさがある。穏やかな口調ながら旗幟鮮明なそのコメント、「日本出身力士をことさら強調し応援するのは個人的には共感しないが、(モンゴル出身であれ日本出身であれ)優れた力士にはどんどん出世してほしい、そのような意味で稀勢の里関に期待している。」「相撲にガッツポーズはふさわしくないと思うし、自分自身はプロ野球でもガッツポーズは見たくない。」等々、こんな風に考え語る人とは知らなかった。

 コメントにいちいち同感、それも何か主義主張として考え出されたものというより、素朴な実感としてそのようであるらしいのが興味深い。何でも世代論に落とし込もうとするのは精神の怠惰だけれど、育った時代の影響の拭い難いことも事実である。そうした影響を懐かしく確認する感じが、聞いていて残った。以前にも書いたかと思うが、これだけテクノロジーや情報の展開が速い時代に、世代のあり方はどう動くのだろうか。感覚なり反応様式なりを共有できる年代の幅が狭くなっているとも考えられるし、世代で括ることの意味が薄れているようにも思われる。「ゆとり世代」「ロスジェネ」などは何かを共有するというよりも、愚劣な制度や不幸な社会状況に基づいて押しつけられたある種のスティグマであっただろう。

 世代論が意味を失いつつある(かもしれない)時代の若者たち、センター試験二日目の明日は今日よりさらに冷え込むらしい。

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 特急しおかぜで香川を西へ抜けるたびに、昔そのあたり一面にあった塩田のことを想像する。香川は製塩業のメッカだった。イオン交換樹脂の登場と共にあっという間に塩田が消えたのは、僕らが中学・高校の頃だったろうか。労働の苛酷さを考えても生産性の面から見ても、昔ながらの塩田が主役の座から退くのは余儀ないことだったが、惜しい面もあるのだ。塩田で作られた塩には特有の味わいがあったという。歴史保存や観光の意味もあり、小規模でも残せば良いのにと思っていたところ、宇多津(うたづ)町にちゃんと残っていることを今夜知った。「ぶらたもり」である。

 宇多津町産業資料館の復元塩田で作られた塩を舐めたタモリ氏、「カドの取れた、まろやかな辛み」と表現した。端的に「甘い」と言った人もある。どんな味だろうか、一度宇多津駅で下車して訪ねてみようかな。「カルシウムやカリウムをたっぷり含む風味満点の自然塩」を、200g、500円で販売するとある。塩キャラメルも人気だそうだ。海のある国で良かった。

  http://town.utazu.kagawa.jp/town/shio/shio-1/

Ω