2022年8月21日(日)
だから…
「宗教的寛容」と「政治的異議申し立て」は一事の両面、歴史的にも理論的にも不可分に結びついている。
両者をもろともに根絶やしにした点で、徳川レジームの罪はきわめて重い。
そのアンチテーゼを鼓吹して登場した明治の新体制は、この点ではほとんど見るところなく、徳川スタイルの近代版を提示するに終始した。
「押しつけ憲法」と(ある面では正しくも)非難される基本法を奉じて出発した戦後民主主義、その最大の歴史的役割はこの点の刷新にあったはずだが、残念ながら器は用意されたもののこちらのアタマがついていっていない。
それやこれやで、周回遅れの現状があいかわらず続いている、ように見える。
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