散日拾遺

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ペーロン祭と能面と茨木童子

2015-08-19 16:59:12 | 日記

2015年8月19日(水)

 車で帰省する際の楽しみに、県境・市境に建てられた標識を眺めて行くというのがある。土地の言われや名物を絵や図案で描きこんであり、けっこう楽しいのだ。次の機会には、順に写真に撮っていったら面白いだろう。(と思ったら、少なくとも東海道に関しては先行サイトあり。「Todo sobre los sinos municipales ~ アバウト・カントリーサイン http://ameblo.jp/por-la-manya-na/)

  何が描かれているか大概は見当がつき、こういうものは年長者が風を吹かす出番だから、高槻市に入れば高山右近、赤穂市にさしかかれば『忠臣蔵』についてウンチクを垂れる。思いやり深い息子たちは「へええ」と感心して聞いてくれるが、すぐ抜けるから1年後にはまた同じ話をするわけで、こちらの役割も当分終わらない。

 けれども中には、見当のつかないものもあるんだね。帰京後に調べて初めて知ったものを、3つ記載しておく。

① 兵庫県相生市 ~ 「ペーロン祭」

 ペーロンの語源は「白龍」か、異説もあるがいずれ中国語起源であるのは間違いない。長崎のペーロン競争(下記)はよく知られている。これがなぜか相生市の標識に描かれているのだ。

「我が国へは1655年に伝来したといわれています。その当時数隻の中国船が長崎港を訪れた際、強風のため出航できなくなったので、海神を慰めて風波を鎮めるためにこの「ペーロン」競漕を港内で行いました。
 これを長崎の人達がとりいれて競漕を行うようになり、同地の年中行事の一つとなって今日に及んでいます。」(http://www.city.aioi.lg.jp/site/pe-ron/peronrekishi.html)

 そのペーロン祭がが何で相生市にあるかというと、これは長崎県出身の播磨造船所従業員が伝えたんだそうだ。以下、上記の web site 「相生ペーロンの歴史と由来」に詳しい解説があるので、そちらに譲る。何しろ納得。

    

(http://www.city.aioi.lg.jp/soshiki/chiikishinko/2015picturecontest.html)

 

② 愛知県新城(しんしろ)市 ~ 能面と鼓

 これは上記の先行サイトが詳しく取り上げているので、敬意を表しつつ引用させていただく。

 カントリーサインで追う東海道その10 愛知県新城市~豊川市: 富永神社の祭礼能(http://ameblo.jp/por-la-manya-na/entry-11185681976.html)
 図は能面「小面」と鼓です。新城市には様々な祭りがあり、無形文化財に指定されているものも数多くありますが、その1つに富永神社の能があります。この能の最大の特徴はプロだけが行うのではなく、アマチュアの市民も舞台に立っているということです。
 この祭礼能は、長篠の戦で活躍した奥平昌信が新城城の落成にあたって祝能を行わせたことに由来します。以来、この地では能が盛んになり、1736年に当時の領主であった菅沼定用の家督を祝い能を奉納してから毎年祭礼が行われるようになります。

 しかし、なぜ新城市は能を前面に推しているのでしょうか。私は「世界新城サミット」が関係しているのではないかと思います。「世界新城サミット」とは「新城」の名を持つ世界の市町村が文化交流などについて話し合うサミットの事です。このサミットで話し合うにあたって、最も日本の芸能らしいものを推そうとしたのではないでしょうか。ちなみに参加都市の一つの、アメリカのペンシルベニア州にあるニューキャッスルとは姉妹都市の関係を結んでいます。
 注・「小面」…女性の能面の名前で、光ごとに表情が変わるらしいです。馴染みの深い能面ですね。

 ・・・新城は Newcastle でしたか、なるほど!

 

③ 大阪府茨木市 ~ 茨木童子

 子どものようだが立派に牙をむいて金棒をもった「鬼」、でなければ雷さまのような、こちらさまは、どなたさま?

 これは茨木童子。茨木童子は大江山の酒呑童子の舎弟だそうだ。一条戻橋や羅生門あたりで渡辺綱と渡り合い、切り落とされた腕を取り返しにきたのは茨木童子である。僕はなんとなく、これが酒呑童子その人(?)と思い込んでいた。考えてみれば、渡辺綱は源頼光配下の四天王の一人である(残りの3人は、坂田金時・碓井貞光・卜部季武)。親分同士が「酒呑童子 vs 源頼光」とするなら、舎弟同士で「茨木童子 vs 渡辺綱」とするのが、正しい組み合わせにちがいない。うちの教会の渡辺さんはその末裔だそうで、末裔もこれだけ代を重ねれば全国に数多かろうけれど、酒の強さは確かに血筋を証明している。

 wiki から画像を拝借。

   茨木童子@茨木市の橋の欄干

 茨木童子にちなんだ飛び出し坊や

 月岡芳年画『新形三十六怪撰』より「老婆鬼腕を持去る図」。渡辺綱の伯母に化けて自分の片腕を奪い返した茨木童子。

(https://ja.wikipedia.org/wiki/茨木童子)

 俵藤太が退治した大ムカデは平将門のことだという。ムカデはペアで出ると決まったもの、その相方が藤原純友だとすれば、話もうまくできている。酒呑童子や茨木童子は何の具象化だろう?一般的な邪鬼悪霊の総帥?それとも大ムカデ同様、何かしらの歴史事実に対応するのだろうか?


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