2014年7月6日(日)
名古屋へ向かう日曜朝、のぞみ26号の自由席は新横浜でほぼ満席。
3人掛けの誰もスマホを手にしていないのが、今時では新鮮な感じ。右側の男性は僕と同じく文庫本に読みふけっていて、「目的地までには読み終えるぞ」というオーラが伝わってくる。
左側の若い女性は会議資料みたいなものを読んだり、余白に何か書き込んだり、ときどき右肘が僕の左の二の腕をつつくのも気づかないぐらい集中している。
僕が読んでいるのは、
『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』
***
いま現に流行っているものは、手に取る気になれないというへそ曲がりは、たぶん僕だけでもないのだろう。今を時めく村上春樹、「読んだりする?」と質問して「読んだことありません」という答えが三人続いた。同じ理由かどうか分からないけれど、三人ともけっこうな読書家なので、「本や小説そのものを読まない」というのではないのだ。
読みもしないものが何でうちにあるかといえば、7年ほど前にこの作品の第一部『ねじまき鳥クロニクル 泥棒かささぎ編』を母にプレゼントしたからである。母は文学好きで、この作品は当時「読売文学賞受賞」「探索の年代記」などと帯に麗々しく銘打って書店に積まれていたので、いいかなと思ったのだ。もっとも、受賞は1995年(第47回)のことだから、購入時点で既に12年経っている。今ならほぼ20年だ。
母が東京に置いていったものを何気なく読んでみたのだが、ああ7年後のコンコンたる後悔、何でこんなものを誕生日に贈ったかな。読まずにプレゼントした自分がバカだった、これは母には絶対合わない。道理で読後感が一言も聞かれなかったわけだ。
おかあさま、私が悪うございました・・・
***
第一部末尾、「間宮中尉」の回想の中で、モンゴル人の兵士たちが日本人将校山本の生き皮を剥いで処刑する場面がある。
著者は執筆にあたって相当の文献をあたったようなので、そうした事実が記録されているのかもしれないが、そこは何ともわからない。ともかく極刑にも数あろうけれど、これは誠に言語を絶している。
ただし、
こういう「やり方」があることは知っていた。それも由緒正しく旧約聖書、と僕は思い込んでいたのだが、どうも勘違いだったらしい。
『カンビュセスの審判』というタイトルで、フランドルの画家ヘラルト・ダヴィット(Gerard David 1460?~1523)が描いているものがそれで、紀元前6世紀アケメネス朝ペルシアのカンビュセス2世が汚職判事の皮を剥いで処刑し、かつ、その皮を後任者の執務椅子に敷いて戒めとしたという。後任者は、ここでは処刑された判事の息子であった。(ヘロドトス『歴史』)
聖書には記載がないが、教会の伝説では十二弟子のひとりバルトロマイは皮剥ぎの刑で殉教した。ミケランジェロの最後の審判には、そうして剥がれたバルトロマイの皮が描かれているが、その顔面はミケランジェロの自画像であるとされている。
皮剥ぎは、実はさほど珍奇ではないこと、Wiki があっさりと記している。事例ないし典拠を列挙すれば・・・
【西洋編】
✔ ギリシア神話: アポロンはサテュロスのマルシュアースと音楽の勝負をした。神々を買収して勝利を得たアポロンは、相手の皮を剥いで殺した。
✔ ヘロドトス: 上述
✔ ローマ皇帝ヴァレリアヌスはササン朝ペルシャとの戦いに敗れて捕虜となり、皮剥ぎで処刑された。勝者シャープール1世は、その皮を赤く染めて神殿に掲げた。
✔ マニ教の創始者マニは、皮剥ぎの刑に処せられた。(西暦276年)
✔ 991年にイングランドを襲ったバイキングは、住民の皮を剥いだ。
✔ 1199年にリチャード獅子心王を弓を射て致命傷を与えた敵兵ピエールバジルは、王の死後皮剥ぎで処刑された。
【東洋編】
✔ 前漢、景帝時代の皇族が・・・
✔ 三国時代、呉の暴君・孫晧が・・・
✔ 五胡十六国時代、前秦の王・苻生が・・・
✔ モンゴルの族長アンバガイ・カンを金とタタールが・・・
✔ 人の皮を剥いで呪いに使っていた回教徒をフビライが・・・
✔ 不正を働いた役人を、明の太祖・朱元璋が・・・
✔ 反乱の首謀者を明朝11代正徳帝が・・・
アメリカ大陸にもあったようで、アステカの人身御供では、生贄の全身の皮を剥いだうえ、神官がこれを身にまとって踊ったという。キリがないから、もうやめる。
こうなると、本朝に例のないのがかえって不思議だが、基本的に農耕民だからではあるまいか。
狩猟ないし遊牧民なら、動物の皮を剥ぐことは日常のわざである。それを人に転用することは、むしろ平凡な応用であろう。僕らはただ単に、慣れていないのかもしれない。
***
これひとつ取ってもわかる通り、『ねじクロ』は決して読みやすい話ではない。なぜあれほど多くの読者が、あれほど村上作品を熱狂歓迎するのか、よくわからないところがある。
もっとも、グロテスクさでは先に読んだ『敦煌』冒頭の肉の切り売りも同じようなもので、残虐の描写ということに関する限り、小説/文学に足を踏み入れる時は油断は禁物なのであろう。『敦煌』原作は昭和30年代に書かれており、当時の標準で発禁に当たらなかったかと訝ったりするが、日本の検閲は昔から性に厳しく暴力に甘い。
のみならず書き手や検閲者が、読者の想像力の鈍さ、ないし必要に応じて想像力の発動を抑制できる読者の能力を、ある程度計算しているようにも思われる。(性表現に関しては逆かな。)
しかし、こう執拗に繰り返されるのでは、どうも参った。
***
角度を変えてみる。
外蒙古で捕虜になった間宮中尉が、枯れ井戸に放り込まれる。深い井戸なので入口ははるか上方に小さく丸く見えるばかりで、彼の周囲は真っ暗である。ただ、太陽の運行に連れ、一日のごくわずかな時間 ~ 10秒か15秒だけ ~ 陽光が井戸の底まで差し込み、あたりが一面の光に満たされる。この体験が中尉の人生を全く変えてしまうのである。
ついでながらこの時間の長さと、主人公が置き去りにされた井戸の直径ならびに深さをの関係を考えた。一日24時間は、60×60×24=86,400秒。地球の周径は赤道の部分で約4万キロで、外蒙古の井戸ではずっと小さくなるだろうが面倒なのでその違いは省略する。10秒~15秒の日照時間に相当する地上距離は4.6km~6.9kmとなる。言い換えるなら、仮に日光が頭上から垂直に差し込むだけで壁の反射などは捨象できるとした場合、10~15秒間にわたって陽光を浴び続けるには、4.6~6.9kmの地面が必要なのだ。
小説では、井戸の直径は底の部分で1m60-70cmとある。仮に2mとして、その頭上を太陽が通過するには0.00432秒しかかからない。高緯度である分いくらか伸びるとしても、依然として百分の一秒にも満たない、まさに一瞬である。驚いたな。
むろん、実際には太陽は垂直に差し込むだけではない。斜めに差し込む光や井戸の壁の反射があり、浅ければ浅いほどその効果は大きくなる。落下に数秒間を要し、自力では到底上がることのできないほどの深さ、それでも間宮中尉が命に関わるほどの重傷を負わずに済んだ深さ ~ 仮に5mとしておこうか ~ では、その効果はどれほどだろうか。
これは考えてもつまらない。小説の描写自体が、そのような陽光の補助的な効果を否定するところに成立しているもんな。
『空想科学読本』まがいの試算をしてみたのは、別に作品をクサすためではなく、むしろイメージの鮮やかさに感心してみたかったからだ。計算上合わなくてもイメージの豊かさが損なわれるわけではないが、個人的には小さからぬ落胆である。これは現実にはあり得ない。皮剥ぎボリスは実在したかもしれないが、井戸の底の光の体験は純粋に想像の産物でしかない。
もう一つ、地表からは見えない昼の星が、井戸の底からは見えるとされていること、これも「そうであったら素晴らしいだろう」としか言えない。
***
「私とあなたとのあいだには、そもそもの最初から何かとても親密で微妙なものがありました。でもそれはもう今は失われてしまいました。その神話のような機械のかみ合わせは既に損なわれてしまったのです。私がそれを損なってしまったのです。正確に言えば、私にそれを損なわせる『何か』がそこにあったのです。私はそのことをとても残念に思います。誰もが同じような機会に恵まれるわけではないのですから。そして、このような結果をもたらしたものの存在を、私は強く憎みます。」
(第2部、新潮文庫版 P.232)
よくわからないが、この下りには何かひどく不愉快なものがある。クミコがある種の責任転嫁をしていると・・・だろうか?ほんとに?
***
「いったいこの男は何なんだろうとそのときに僕は思った。この男の実体というのはいったいどこにあるのかと。」
(第1部、単行本 P.138)
綿谷ノボルの正体がどこまで行っても不明であることが、物語全体を通して繰り返し語られる。小林秀雄が『考へるヒント』のどこかで、悪魔の標徴としたのがこのことだ。
仮面を取って悪魔が正体を現した、などというのは嘘だ、剥いでも剥いでも(!)正体が現れない、それが悪魔だ、そんな風に小林が書いている。記録映画で見たヒトラーの姿と、『悪霊』のスタヴローギンとを見比べながら彼の書いたことだ。
村上春樹がそれを踏まえたかどうか知らないが、綿谷ノボルは確かに一個の悪魔として描かれている。
***
第3部の28章『ねじまき鳥クロニクル #8』、文庫版で371ページから400ページは、文字通り読み飛ばした。そこにあらまし何が書かれているらしいかということだけ垣間見、言葉を追うことは省略した。僕としては相当珍しいことだが、悪夢を見たり吐いたりすることが分かっていてまで、ガマンして読もうとは思わない。
『夜と霧』は読んでも、この小説は読もうと思わないというのは、なぜなのかよく分からない。
***
ピボタルな重畳ととりあえず読んでみた技法があって、この長い物語をいわば束のように撚り合わせている。
主人公と田宮中尉は井戸でつながる。
ある種の性的な事柄でクミコと加納クレタが重なり、家族構成においても二人は妙に共通していて、総体として一種の分身であることが示されている。
バットが、各系列を止めつける要のような働きをする。
主人公の系列と対ソ戦の系列があり、満州からの帰還者として両者をつなぐのが、ナツメグとシナモンの母子である。
しかし、どうもよく分からない。
だから何なのだ?
『百年の孤独』が同じく錯綜する年代記であり、同じく性と暴力にまみれているにもかかわらず、全体として非常に分かりやすく痛快であるのに対して、この不愉快な読後感は何/なぜなんだろうか?
***
なかで笠原メイという少女の語りと行動が、ユーモラスでもあり希望でもあるのだが、その彼女にして子供っぽい死亡遊戯(?)の結果、オートバイ少年を死なせており、しかもそのことへの罪悪感をカンペキに非言語化している。
メタファーがウィットに富んで秀逸なのは、この作家の特徴であるらしい。モノを自在に animate する(魂ある者として扱う)表現も卓抜である。
それだけだ。
***
何か口直しをしたいと思い、手が伸びるままに本棚から取り出したのは・・・
『消え失せた密画』
そして
『博士の愛した数式』
奇しくも後者は、『ねじクロ』と同じ読売文学賞受賞作品である。
名古屋へ向かう日曜朝、のぞみ26号の自由席は新横浜でほぼ満席。
3人掛けの誰もスマホを手にしていないのが、今時では新鮮な感じ。右側の男性は僕と同じく文庫本に読みふけっていて、「目的地までには読み終えるぞ」というオーラが伝わってくる。
左側の若い女性は会議資料みたいなものを読んだり、余白に何か書き込んだり、ときどき右肘が僕の左の二の腕をつつくのも気づかないぐらい集中している。
僕が読んでいるのは、
『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』
***
いま現に流行っているものは、手に取る気になれないというへそ曲がりは、たぶん僕だけでもないのだろう。今を時めく村上春樹、「読んだりする?」と質問して「読んだことありません」という答えが三人続いた。同じ理由かどうか分からないけれど、三人ともけっこうな読書家なので、「本や小説そのものを読まない」というのではないのだ。
読みもしないものが何でうちにあるかといえば、7年ほど前にこの作品の第一部『ねじまき鳥クロニクル 泥棒かささぎ編』を母にプレゼントしたからである。母は文学好きで、この作品は当時「読売文学賞受賞」「探索の年代記」などと帯に麗々しく銘打って書店に積まれていたので、いいかなと思ったのだ。もっとも、受賞は1995年(第47回)のことだから、購入時点で既に12年経っている。今ならほぼ20年だ。
母が東京に置いていったものを何気なく読んでみたのだが、ああ7年後のコンコンたる後悔、何でこんなものを誕生日に贈ったかな。読まずにプレゼントした自分がバカだった、これは母には絶対合わない。道理で読後感が一言も聞かれなかったわけだ。
おかあさま、私が悪うございました・・・
***
第一部末尾、「間宮中尉」の回想の中で、モンゴル人の兵士たちが日本人将校山本の生き皮を剥いで処刑する場面がある。
著者は執筆にあたって相当の文献をあたったようなので、そうした事実が記録されているのかもしれないが、そこは何ともわからない。ともかく極刑にも数あろうけれど、これは誠に言語を絶している。
ただし、
こういう「やり方」があることは知っていた。それも由緒正しく旧約聖書、と僕は思い込んでいたのだが、どうも勘違いだったらしい。
『カンビュセスの審判』というタイトルで、フランドルの画家ヘラルト・ダヴィット(Gerard David 1460?~1523)が描いているものがそれで、紀元前6世紀アケメネス朝ペルシアのカンビュセス2世が汚職判事の皮を剥いで処刑し、かつ、その皮を後任者の執務椅子に敷いて戒めとしたという。後任者は、ここでは処刑された判事の息子であった。(ヘロドトス『歴史』)
聖書には記載がないが、教会の伝説では十二弟子のひとりバルトロマイは皮剥ぎの刑で殉教した。ミケランジェロの最後の審判には、そうして剥がれたバルトロマイの皮が描かれているが、その顔面はミケランジェロの自画像であるとされている。
皮剥ぎは、実はさほど珍奇ではないこと、Wiki があっさりと記している。事例ないし典拠を列挙すれば・・・
【西洋編】
✔ ギリシア神話: アポロンはサテュロスのマルシュアースと音楽の勝負をした。神々を買収して勝利を得たアポロンは、相手の皮を剥いで殺した。
✔ ヘロドトス: 上述
✔ ローマ皇帝ヴァレリアヌスはササン朝ペルシャとの戦いに敗れて捕虜となり、皮剥ぎで処刑された。勝者シャープール1世は、その皮を赤く染めて神殿に掲げた。
✔ マニ教の創始者マニは、皮剥ぎの刑に処せられた。(西暦276年)
✔ 991年にイングランドを襲ったバイキングは、住民の皮を剥いだ。
✔ 1199年にリチャード獅子心王を弓を射て致命傷を与えた敵兵ピエールバジルは、王の死後皮剥ぎで処刑された。
【東洋編】
✔ 前漢、景帝時代の皇族が・・・
✔ 三国時代、呉の暴君・孫晧が・・・
✔ 五胡十六国時代、前秦の王・苻生が・・・
✔ モンゴルの族長アンバガイ・カンを金とタタールが・・・
✔ 人の皮を剥いで呪いに使っていた回教徒をフビライが・・・
✔ 不正を働いた役人を、明の太祖・朱元璋が・・・
✔ 反乱の首謀者を明朝11代正徳帝が・・・
アメリカ大陸にもあったようで、アステカの人身御供では、生贄の全身の皮を剥いだうえ、神官がこれを身にまとって踊ったという。キリがないから、もうやめる。
こうなると、本朝に例のないのがかえって不思議だが、基本的に農耕民だからではあるまいか。
狩猟ないし遊牧民なら、動物の皮を剥ぐことは日常のわざである。それを人に転用することは、むしろ平凡な応用であろう。僕らはただ単に、慣れていないのかもしれない。
***
これひとつ取ってもわかる通り、『ねじクロ』は決して読みやすい話ではない。なぜあれほど多くの読者が、あれほど村上作品を熱狂歓迎するのか、よくわからないところがある。
もっとも、グロテスクさでは先に読んだ『敦煌』冒頭の肉の切り売りも同じようなもので、残虐の描写ということに関する限り、小説/文学に足を踏み入れる時は油断は禁物なのであろう。『敦煌』原作は昭和30年代に書かれており、当時の標準で発禁に当たらなかったかと訝ったりするが、日本の検閲は昔から性に厳しく暴力に甘い。
のみならず書き手や検閲者が、読者の想像力の鈍さ、ないし必要に応じて想像力の発動を抑制できる読者の能力を、ある程度計算しているようにも思われる。(性表現に関しては逆かな。)
しかし、こう執拗に繰り返されるのでは、どうも参った。
***
角度を変えてみる。
外蒙古で捕虜になった間宮中尉が、枯れ井戸に放り込まれる。深い井戸なので入口ははるか上方に小さく丸く見えるばかりで、彼の周囲は真っ暗である。ただ、太陽の運行に連れ、一日のごくわずかな時間 ~ 10秒か15秒だけ ~ 陽光が井戸の底まで差し込み、あたりが一面の光に満たされる。この体験が中尉の人生を全く変えてしまうのである。
ついでながらこの時間の長さと、主人公が置き去りにされた井戸の直径ならびに深さをの関係を考えた。一日24時間は、60×60×24=86,400秒。地球の周径は赤道の部分で約4万キロで、外蒙古の井戸ではずっと小さくなるだろうが面倒なのでその違いは省略する。10秒~15秒の日照時間に相当する地上距離は4.6km~6.9kmとなる。言い換えるなら、仮に日光が頭上から垂直に差し込むだけで壁の反射などは捨象できるとした場合、10~15秒間にわたって陽光を浴び続けるには、4.6~6.9kmの地面が必要なのだ。
小説では、井戸の直径は底の部分で1m60-70cmとある。仮に2mとして、その頭上を太陽が通過するには0.00432秒しかかからない。高緯度である分いくらか伸びるとしても、依然として百分の一秒にも満たない、まさに一瞬である。驚いたな。
むろん、実際には太陽は垂直に差し込むだけではない。斜めに差し込む光や井戸の壁の反射があり、浅ければ浅いほどその効果は大きくなる。落下に数秒間を要し、自力では到底上がることのできないほどの深さ、それでも間宮中尉が命に関わるほどの重傷を負わずに済んだ深さ ~ 仮に5mとしておこうか ~ では、その効果はどれほどだろうか。
これは考えてもつまらない。小説の描写自体が、そのような陽光の補助的な効果を否定するところに成立しているもんな。
『空想科学読本』まがいの試算をしてみたのは、別に作品をクサすためではなく、むしろイメージの鮮やかさに感心してみたかったからだ。計算上合わなくてもイメージの豊かさが損なわれるわけではないが、個人的には小さからぬ落胆である。これは現実にはあり得ない。皮剥ぎボリスは実在したかもしれないが、井戸の底の光の体験は純粋に想像の産物でしかない。
もう一つ、地表からは見えない昼の星が、井戸の底からは見えるとされていること、これも「そうであったら素晴らしいだろう」としか言えない。
***
「私とあなたとのあいだには、そもそもの最初から何かとても親密で微妙なものがありました。でもそれはもう今は失われてしまいました。その神話のような機械のかみ合わせは既に損なわれてしまったのです。私がそれを損なってしまったのです。正確に言えば、私にそれを損なわせる『何か』がそこにあったのです。私はそのことをとても残念に思います。誰もが同じような機会に恵まれるわけではないのですから。そして、このような結果をもたらしたものの存在を、私は強く憎みます。」
(第2部、新潮文庫版 P.232)
よくわからないが、この下りには何かひどく不愉快なものがある。クミコがある種の責任転嫁をしていると・・・だろうか?ほんとに?
***
「いったいこの男は何なんだろうとそのときに僕は思った。この男の実体というのはいったいどこにあるのかと。」
(第1部、単行本 P.138)
綿谷ノボルの正体がどこまで行っても不明であることが、物語全体を通して繰り返し語られる。小林秀雄が『考へるヒント』のどこかで、悪魔の標徴としたのがこのことだ。
仮面を取って悪魔が正体を現した、などというのは嘘だ、剥いでも剥いでも(!)正体が現れない、それが悪魔だ、そんな風に小林が書いている。記録映画で見たヒトラーの姿と、『悪霊』のスタヴローギンとを見比べながら彼の書いたことだ。
村上春樹がそれを踏まえたかどうか知らないが、綿谷ノボルは確かに一個の悪魔として描かれている。
***
第3部の28章『ねじまき鳥クロニクル #8』、文庫版で371ページから400ページは、文字通り読み飛ばした。そこにあらまし何が書かれているらしいかということだけ垣間見、言葉を追うことは省略した。僕としては相当珍しいことだが、悪夢を見たり吐いたりすることが分かっていてまで、ガマンして読もうとは思わない。
『夜と霧』は読んでも、この小説は読もうと思わないというのは、なぜなのかよく分からない。
***
ピボタルな重畳ととりあえず読んでみた技法があって、この長い物語をいわば束のように撚り合わせている。
主人公と田宮中尉は井戸でつながる。
ある種の性的な事柄でクミコと加納クレタが重なり、家族構成においても二人は妙に共通していて、総体として一種の分身であることが示されている。
バットが、各系列を止めつける要のような働きをする。
主人公の系列と対ソ戦の系列があり、満州からの帰還者として両者をつなぐのが、ナツメグとシナモンの母子である。
しかし、どうもよく分からない。
だから何なのだ?
『百年の孤独』が同じく錯綜する年代記であり、同じく性と暴力にまみれているにもかかわらず、全体として非常に分かりやすく痛快であるのに対して、この不愉快な読後感は何/なぜなんだろうか?
***
なかで笠原メイという少女の語りと行動が、ユーモラスでもあり希望でもあるのだが、その彼女にして子供っぽい死亡遊戯(?)の結果、オートバイ少年を死なせており、しかもそのことへの罪悪感をカンペキに非言語化している。
メタファーがウィットに富んで秀逸なのは、この作家の特徴であるらしい。モノを自在に animate する(魂ある者として扱う)表現も卓抜である。
それだけだ。
***
何か口直しをしたいと思い、手が伸びるままに本棚から取り出したのは・・・
『消え失せた密画』
そして
『博士の愛した数式』
奇しくも後者は、『ねじクロ』と同じ読売文学賞受賞作品である。