2017年1月17日(火)
勝沼さん、いつもありがとうございます。コメントもありがたいのですが、欠かさずフォローしてくださると思うと、振り子時計の振り子の動きを確かめるような安心感があります。
ガッツポーズの件、アメフトのルールの不思議もさることながら、勝沼さんが「自分が試合で負けた時の気もち」をまず振り返ったことが面白く、大事なヒントでもあると思いました。そこに頭が行かなかったのは、私の競技スポーツ経験の乏しさゆえかもしれません。乏しい経験を探索してみれば、なるほど相手の勝利の喜びに不快を感じることはあまりなかった ~ むしろ競技中の相手のアンフェアな態度、それ以上に応援マナーの悪さのほうがよほど悔しかったり腹が立ったりしたような記憶があります。
そこに一つのポイントがあって、この種の問題は競技者よりも見る者にとって重要なのではないでしょうかね。私が気になるのもそこのところで、負けた側の気もちを忖度するというよりも、要するに見ている自分が愉快になれないということなのでしょう。当然ながら見ている者の感じ方・考え方は多様ですから、誰かに押しつける性質のことでもありません。逆に押しつけられる筋合いもないから、言いたいことを気楽に言っているわけですね。さだまさしさんが「私のように感じる者も、中にはいるのだということを言っておきたい」と慎重につけ加えておられましたが、これが発言者の基本スタンス。そうした大小の声を聞き合わせながら、その競技にふさわしいありかたを考えていくのが、当該スポーツを運営する組織の見識ということになるのでしょう。
ついでに言えば、昨日も国技館に響いていた特定力士への手拍子の応援は、個人的には感心できません。一人一人が力士の名を呼んで声援することとは全く違う、数による押しつけがましさを感じるからですが、そもそも品がなくって国技館には似あわない。ただ、勝沼さんもおっしゃるように「思わずはじける」ということはありますし、それが筋書きのないドラマの醍醐味の一部でしょう。1975(昭和50)年春場所に貴ノ花(貴乃花の父)が北の湖と優勝を争い、本割りで負け13勝2敗の相星となって優勝決定戦に臨んだとき、花道から入場する貴ノ花の足どりにあわせて手拍子が起きたことがありました。ごく短時間だったと記憶しますが、それでも当時としては非常に珍しいこと。これなどは貴ノ花の人気とともに北の湖の圧倒的な強さを裏書きし、逸話として「あり」だったでしょう。
「あり」の例としてもうひとつ思い出すのはボルグとマッケンロー(!)の角逐で、1980年のウィンブルドン決勝で凄まじい激戦をボルグが制した時 ~ 伝説のタイブレークとか言うのでしょうか、私はテニスが全くわからないので違ってたらごめんなさい ~ プレー中は感情を抑えに抑えていたボルグが勝利を決めた瞬間、野獣のような咆哮とともに膝をつき天を仰ぎましたね。ガッツポーズなんて気どったものじゃない、凄まじい絶叫でしたが、こんなのはそれこそ話が別だと思うのです。
考えてみればスポーツの影響力というのは凄い、競技者の数の百倍、千倍、一万倍、場合によっては数百・数千万倍の数の視聴者を否応なく感動の坩堝に引きずり込むんですから。『ホモ・ルーデンス』の今日的な様相でもありますね。それだけに高校野球や高校サッカーがマナーをやかましく言うのは当然で、何かが間違って伝わったらその害は違法薬物のそれでは済まないかもしれない。こういう時には口うるさいのが大人の徳というものです。
勝沼さんもよく御存じの桜美林M先生、同大学の野球部を見事一流に押しあげました。彼は高校時代に春の甲子園一回戦で決勝ホームランを打っていますが、ダイヤモンドを一周するときそれこそ気もちが溢れ、味方ベンチに向かって「やった」と拳を振るような動作をした、そのことを次の試合の開始前に球審から注意されたそうです。私はそれで良いと思うんですよ、注意されても気もちが溢れるのは若者の常、心の中で祝福しながら小言いうのが昔若かった大人の仕事、1970年代終わり頃の風景でした。
時は移り、今では優勝チームが人差し指を立ててピョンピョン跳びはねるのがお決まりの風景。私は嫌いですが気もちはわかります。自分が選手だったら、カッコ悪いの承知でやっちゃうかもしれない、問題は大人が物わかり良さを気どって注意しないことです。
「まず整列して挨拶、喜ぶのはその後にしなさい」とね。
Ω
水入りが入る熱戦で勝てばガッツポーズも納得できるけど立ち会いの変化で勝ってしまうと見ている方がつまらないですから。
僕は一応格闘家の端くれの端くれ(相手にされてないレベル)ですからケタグリであれ猫だましであれ実際本番で決めようと思ったら難しいと思います。けたぐりは上手く出てくるところを重心を寄せながら丁度相手がバランス崩す位置を蹴りあげる、、、そこそこな高等技術だと思ってみています。失敗するとリスクも大きいのであれはあれで大したもんだなと思っています。
見ている方からすれば短いですがやってる方からすれば長いだろう。ガッツポーズもありだと思います。
飽くまでアスリートの方は「どうすれば同じ手を食わないか」が重要なんだと思います。
そこにこだわっている人はアスリートとしてやっていけないんじゃないかと思います。
失礼しました。