散日拾遺

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「懐かしい」ということ ~ 『イボタの虫』補遺

2014-05-01 11:30:51 | 日記
2014年4月30日(水)

 雨、放送大学へ。

 『イボタの虫』の読書メモで、本郷界隈の路面電車風景が「懐かしい」と書いたことが、電車の中でふと気になった。これは正しい用法だろうか。
 描かれているのは大正年間の風景で、経験するはおろか、想像することもほとんど不可能である。本郷に用があれば地下鉄で出かけた。今日の地下鉄と往時の路面電車を結びつけるものは、たぶん何一つない。自分が全く知らないことを、「懐かしい」ということが可能だろうか。「懐かしい」とは、よく見知った人や物に対して言うことではないのか。
 
 そうでもなかろうと思うのだ。
 路面電車とか、下駄履きに浴衣掛けとか、そういった表象や言葉がスイッチとなって起動するある一連の心象風景があり、そこに「懐かしさ」が漂う時、自分が直接見聞きしていなことについても「懐かしむ」ことが現に起きる。
 想像において懐かしむということがあり、僕らは他の人や過去の人が現実に知って具体的に体験したことを、共に懐かしむことがある程度まで許されている。それは共感的な作業である。だから・・・
 そこに共同体が生まれる。何を笑うか、何を食べるかといったことと同じく、何を懐かしむかは、人を束ねる強力な力なのだ。共通の懐かしさを提示することは、共同体の大切な役割なのである。さらに言うなら、懐かしさを共有することなしに共同体は成立しない。
 それは共感的な作業であると同時に、ひとつの決断でもある。『イボタの虫』が「懐かしい」と感じるとき、僕はそれを懐かしむことを、少しだけ大袈裟に言えば、決断している。それを懐かしむ文化と、その文化を共有する一群の人々に加わることを望み、そこに自分の情緒的な足場を求めている。

***

 若い人々が高齢者の昔話に興味を示さないような時、何とも言えない寂しさを感じるのはそのためだろうか。「私、生まれてなかったし」とは確かに事実なのだが、同時に「懐かしさを共有することを拒絶する」という断固たる意思表示を僕などは感じてしまう。戦争体験の風化もこれと同じことで、戦争体験というものが言わば「負の懐かしみ」であるとすれば、それに関心を示さないことが単なる時間の経過・世代の交代ではなく、「異文化宣言」であると思われることが悲しいのだ。

 逆に、若年者の「懐かしさ」に対して先輩の側が共感できるか、できているかということも問うてみて良い。僕がブログでしきりに息子達のことに触れるのは、必ずしも子離れが悪いせいではなくて、この種の共感の絆を重視するからである。両親の思い出に対して「懐かしさ」をもちうると同様に、息子達の「懐かしさ」に敬意を払いたいのだ。
 三男は待望の野球部生活が始まり、練習からヘトヘトになって帰宅するが、それでも関心にベランダの降り口へ座り込んで ~ 往時なら縁側の作業だっただろう
 ~ スパイクを掃除することを欠かさない。自慢のスパイクであり、大好きなスパイクである。それを愛おしそうに磨くとき、彼は未来の懐かしさの苗床を営々と仕込んでいる。それを見守ることが、僕自身の懐かしさを養うのでもあるのだ。

***

 郷愁という語は「愁い」と書くが、むしろ「愛おしみ」に近く「懐かしさ」に近い気がする。試みに大辞林を開いてみると、

 「懐かしい」は、① 昔のことが思い出されて心がひかれる、② 久しぶりに見たり会ったりして、昔のことが思い出される状態だ、③ 過去のことが思い出されて、いつまでも離れたくない、したわしい、
 以上に加えて、④ 心がひかれて手放したくない、かわいらしい、とある。

   あさましきにあきれたるさま、いとなつかしうをかしげなり(源氏・花宴)

 「懐かしむ」は、① 昔を思い出し、その頃を慕わしく思う、に続いて、② 親しみを感じ、近くにいたいと思う、が挙げられている。
   
   春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ 野を懐かしみ一夜寝にける(万葉 1424)

 ああそうか、「懐かしい」は動詞「懐(なつ)く」の形容詞化なのだから、これらすべて当然なのだ。懐くとは、「慣れ親しむ、親近感をいだいて近づきなじむこと」(大辞林)、ならばそこに決断があるのは論じるまでもない。
 接近の意志と決断がなければ、懐かくことは起きないし、従って懐かしさも生じない。
 僕が『イボタの虫』の世界を懐かしむのも、そういうことなのだ。

***

 すっかり忘れていた。著者情報。
 『イボタの虫』は中戸川吉二の代表作。以下はWikiのコピペである。

 中戸川吉二(なかとがわ・きちじ)は1896(明治29)年-1942(昭和17)年、、北海道釧路生まれの小説家。
 明治大学中退後、里見に師事。1923年(大正12年)雑誌「随筆」を創刊。代表作に「イボタの虫」「兄弟とピストル泥棒」がある。1921年、里見の許に来ていた吉田富枝と恋仲になり、その処遇をめぐって里見と関係が悪化、富枝と結婚するが、その経緯を小説『北村十吉』として、里見は「おせつかい」として書いた。牧野信一の才能を評価し、牧野らとともに雑誌「随筆」を発刊。また里見、吉井勇、田中純らの雑誌『人間』にも参加、第5次『新思潮』の同人でもあったが、次第に創作から手を引き、もっぱら批評家として活躍した(盛厚三『中戸川吉二ノート』、小谷野敦『里見伝』)。

 そして絵は小説と関係ない、ルネ・マグリットの『郷愁』
 ・・・橋の欄干に佇むタキシード姿みたいな天使、その足許になぜかライオンが伏せている・・・

 

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