2017年10月26日(木)
分からないことだらけの先の選挙、報道のあり方についても分からないことがいくつかあった。
ひとつはNHKの出口調査、えらく力を入れて実施かつ宣伝し、「投票締切と同時に詳しい現状分析と当落予測を公表する」と連呼のうえ、大河ドラマの放送時間帯を繰り上げて「公約」を実行した。正確・迅速であることは実に見事。
しかしこれ、必要なんだろうか?翌日まで待てばすべて判明することである。緊急事態の報道と違って分秒を争う意味はなく、そのためにべらぼうな人と金をかけて「全国で数十万人の投票者に出口調査を実施する」ことのプラスがまるで分からない。この調査にいくらかかったか、その方がよほど気になる。そんなの節約して、実質的に税金と化している視聴料を少しはマケたらどんなものか。
もうひとつは選挙の意味づけである。「今回の選挙は現政権の5年間の施策に対する評価が問われるもの」ということを、これまた選挙期間中くりかえして聞かされた。ことさら言われなくても、国政選挙はいつだってその時の政権の施策に対する評価を問うのが、主目的の一つである。ただ、その他のことも実質的には重畳混在しているわけで、その中からある側面だけを取り出して連呼することは、実は報道(現状の報告・伝達)ではなく誘導(意味の創出)である。それを報道のスタイルで行う分だけタチが悪い。
そこから最大の利益を引き出したのが政権与党であることは言うまでもない。一括して「国民の信を得た」と解釈し、加計も森友も国会軽視もすべてまるめてお蔵入りにできる。サルトルが「アマルガム(合金)法」と皮肉った例の手法である。
Ω
出口調査をしてまでメディアが早めに情勢を掴もうとするのは、テレビや新聞の側から考えるとゴールデンタイムの放送や翌日の朝刊に間に合うことで大きな利があるのでしょう。
ただ、私は一つだけ社会的な意味があるのではないかと改めて考えました。
今の日本では幸運なことにそんな心配はほとんど杞憂ですが、各局出口調査と選挙結果がそれほど違わないということを確認できることの意味です。かつて「誰が票を集めるかより誰が票を数えるかの方が大事だ」と言った独裁者がいたように記憶していっます。選挙が正しく行われているかどうかメディアが確認するという意味はあるのではないかと思います。