散日拾遺

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旧友の秀句 ~ その2

2017-07-29 21:35:31 | 日記

2017年7月29日(土)

 ・・・それよりも歌ならぬ俳句を、句会で鍛えてもらうというクラシカルなやり方でもじり続ける旧友M女史。登場履歴については下記参照のこと。

・ 旧友の秀句 2015-12-06

・ さくらのこえ 2015-12-31

・ 同窓会の効用(「さくらのこえ」補遺) 2015-12-31

 で、このM女史から今朝ほど、喜びも隠しおおせぬメールあり。「俳誌銀漢をインターネットで開け」と曰う。

 http://1st.geocities.jp/ginkan_haiku/2017-08.html

 さっそく見ればなるほど秀句、これはインターネットで公開されてるんだから、URLを明記すれば転載OKの理屈ですよね?友バカ丸出し、まるまる転載する。

【その1】

 故郷も子には旅先かき氷        

 信州生まれの私は、当然ながら故郷への思いは深く、四十歳の頃、町の古刹の墓地分譲情報を聞き、買った。ところが妻は寒いから嫌だ、というし、子供達も小さな頃の思い出がかすかに記憶に残る土地という位のことで、結局妻が死んだとき、返却し、東京の墓地に替えた。この句はまさにそのような親の心境を詠み留めたものである。東京で育った子には親の故郷も「旅先」の一つでしかない。淋しいけれどそれが現実で、かき氷の冷たさが頭に響くのだ。

 (選評 伊藤伊那男先生)

【その2】

 豆飯を囲み揃はぬ顔のこと      

 鯛飯とか牡蠣飯、松茸飯などではなく、「豆飯」という日常食と変らないものであるところがいい。他人から見たらどうということもない、日常生活の中の微妙な変化や機微などが句の裏に潜んでいるようである。同じように〈果物を包ませてゐる白日傘〉などにも、私小説的な「物語」があるように思われる。味の深い二句であった。

(選評 同上)

 女史の得意や思うべし。「かき氷」「豆飯」そして「果物」・・・喉を通り腹に達する小物の働きをこちらは感じている。

Ω


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