散日拾遺

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中国の古典 ~ 済美 vs 済々黌

2013-05-06 13:42:56 | 日記

ちょっと古くなっちゃったんだが、センバツでは久々に愛媛代表が活躍してくれて嬉しかったな。

広陵、済々黌、県岐阜商、高知高校、浦和学園

相手校がまたネームバリューも実力も十分の「好敵手」たちで、済美を応援しながら相手校にも拍手を送る気持ちがあった。なかなか毎回こうは行かないものだ。

 

で、対・済々黌戦。

 

「済美 vs 済々黌」、スコアボードを見て、どちらも「済」の字の付いてるのが気になったのだ。

由来は何だろう?

さっそく調べてみると、

 

済美高校のほうは『春秋左氏伝』。

おバカのATOKは、これを『春秋差し出ん』と変換しちゃうのだが、ともかくこれは孔子編纂とされる歴史書『春秋』に、後世が付した詳細な注解だ。

その中の「世済其美、不隕其名(世々その美を済し、その名をおとさず)」から取ったと学園のwebページにある。

「子孫が先祖の業を受け継いで、よい行いをする」つまり、先輩が残した立派な業績を後輩が受け継いで、ますます発展させていくの意。

この「済」は、何と読み下すのだろう。

漢和辞典の挙げる読みは、「わたる、すくう、なす、ます」の4つだ。

「世々その美を済(ま)し」かなぁ・・・

 

いっぽう、熊本の済々黌は『詩経』から。

「濟濟たる多士、文王以て寧んず」

いわゆる「多士済々」の語の由来だね。

 

それにしても、『春秋差し出ん』(違うったら!)に『詩経』、中国古典の影響力は大きい。

あるいは、大きかった。

これを捨てることないと思うけどね。

 

呉清源は、二十世紀最強の棋士とも言うべき巨匠である。

1914年生まれだよ。

この19日に満99歳だが、今も矍鑠として対局場に観戦に現れ、検討に加わったりする。

中国福建省の出身、日本の囲碁が江戸時代の蓄積を経て世界の頂点にあった時代、才能を認められて来日し、見事に開花した。

『呉清源とその兄弟 ー 呉家の百年』 桐山桂一 (岩波現代文庫)

これは時代の記録としても、当時の中国事情を伝えるものとしても、たいへん面白い。

その中に出てくるのだが、呉清源の幼年時代、つまり1920年代に入って辛亥革命を経た中国でも、教育の中心は依然として四書五経の学びと暗誦であったという。

それが決してバカにならないという話で。

 

「窮すれば通ず」

って、聞いたことある?

人間、追い詰められると底力が出る、ぐらいのことかと安直に考え、

野球の川上哲治さんの好きな言葉と聞いて、いかにも「らしい」ことと決め込んでいた。

 

実はこれ、不正確な引用であり、正しくは、

 

「窮すれば変ず、変ずれば通ず」

 

というのだそうである。

こちらは『詩経』と同じ五経中の、『易経』が出典。

そして、俗には省略される「変ず」こそが大事だと呉清源師。

 

追い詰められると、これまでのやり方では通じないことを悟って、自らを変える努力をする。

だから道が開けるのであって、窮したところでこれまでと同じやり方を工夫なく繰り返すだけでは、通じるどころか滅びるだけだと、言われてみれば当然のことなのだけれど。

頑固一徹のススメか、自己変革の促しか、この一句の解釈で『易経』全体のイメージが変ってくるようにすら思われる。

 

それにつけても、オリジナルにあたることの大切さを思う。

この点は、法学部での恩師と、医学部での恩師と、畑も個性もまったく違うお二人から、それぞれ厳しく教わったことだった。

「孫引きではいけない、必ず原典に当たれ」

K先生も、T先生も、それぞれの立場からそのように強調なさったのだ。

 

*****

 

愛媛には済美(さいび)高校あり。

いっぽう、岐阜には済美(せいび)高校があるのを見つけた。

こちらはキリスト教主義だそうで、学園公式HPに校名の由来の説明はなく、かわって同校が建学の拠り所とする聖書の句が掲げられている。

「神を畏れることは知識のはじめである」

有名な句だが、出典を確認すると、詩編110章10節と箴言9章10節の二つが出てくる。

新共同訳では同じ訳語だが、口語訳では詩編は「知恵のはじめ」、箴言は「知恵のもと」となっている。

おそらく言語が微妙に違うのだろう。

 

さぁ、オリジナルに当たらなくっちゃ!


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