2017年7月20日(木)
少し前に中高生に「アーメン」について話す機会があった。
祈りの最後をアーメンで締めくくることは文字通り誰でも知っており、この道の信心の代名詞にもなっている。「まことに、ほんとうに」といった意味で、旧約ヘブル語から新約ギリシア語に入ったものである。この「アーメン」が祈り等の末尾ではなく文頭で用いられることがあり、この場合は「おごそかに、はっきりと」といった意味で後続文の内容に関する強意強調を示すことになる。
・・・などと概括してしまうより、用例を全て列挙した方がいいかもしれない。そう思い立ったのは、とある辞書が「ヨハネ福音書にのみ25回、この用法がある」と記していたからで、突出して25回なら他はよほど少ないのだろうと思ったのだ。そこでさっそく実行しようとしたが早々に頓挫した。というのも調べてみると実際には・・・
マタイ福音書 33箇所
マルコ福音書 15箇所
ルカ福音書 6箇所
ヨハネ福音書 31箇所
あと、使徒言行録以下が43箇所である。
知れた数とはいうものの、朝飯前にさっさとかたづけるという訳にはいかず、ヒマを見てはねっちりやってみるしかない。全文の長さを考慮すればマタイ・マルコ・ヨハネでの出現頻度は似たようなもので、件の辞書(古くから定評のあるもの)がヨハネに注目した理由がよく分からない。
むしろ気になるのは、ルカにおける使用頻度の少なさである。マタイとルカには並行箇所が多いのだから、両者の違いは際立っている。たとえば下記。
「はっきり言っておく。およそ21:32)女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」(マタイ 11:11)
「言っておくが、およそ女から生まれた者のうち、ヨハネより偉大な者はいない。しかし、神の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。」(ルカ 7:28)
マタイが「アーメン」を付加したか、ルカが「アーメン」を削除したか、二つに一つだが、両者の共通資料でもあるマルコにはそこそこ使われているところを見れば、ルカが削除した(あるいは使用箇所を厳選した)可能性が高いと見るべきだろう。
なので今は、ルカが「アーメン」を敢えて採用した6つの箇所を列挙しておく。先日、鶴見教会で話をさせてもらった時にも思ったのだが、ルカ福音書固有の記事には捨てがたい(?)ものが少なくない。よきサマリア人のたとえ、ザアカイの逸話、そしてエマオ途上の主の顕現、いずれもルカにしかないのである(!)。
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1. そして言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ・・・」(ルカ 4:24)
2. 主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。(同 12:37)
3. はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。(同 18:17)
4. イエスは言われた。「はっきり言っておく。神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子供を捨てた者はだれでも、この世ではその何倍もの報いを受け、後の世では永遠の命を受ける。」(同 18:29-30)
5. はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。(同 21:32)
6. するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。(同 23:43)
う~ん、何だろう?
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