散日拾遺

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藤の木に藤の花咲く / 4月8日 ナンセンが北極点間近で到達を断念(1895年)

2024-04-08 23:27:20 | 日記
2024年4月8日(月)

 やんなっちゃうな、これじゃあ何を撮ったのだか分かりゃしない…


 小雨まじりの曇天で条件が悪くて、と言い訳しておこう。撮りたかったのは藤である。若葉とともに花が咲き始めたのだが、このお宅の藤はとても上手に仕立ててあって、小さな立木のように鉢植えに行儀よく並んでいるのを、真冬のうちから目に留めていたのである。
 その藤に花が咲いた。
 一枚撮らせてもらって写真右手に歩いて行くと、ガラリと戸が開いて御主人が出てきた。掌を上に雨の具合を見る風情である。
 「藤がきれいに咲きましたね」と声をかけると、「ええ、ようやくね」と笑顔を返された。「上手になさいますね、藤はなかなか、こうはならない」と、これはお世辞ではない。田舎の庭で今頃は、わがもの顔に蔓を走らせていることだろう。どうやったらその奔放な力をこんなふうに撓められるのか。

> 1893年6月、ノルウェーの科学者フリチョフ・ナンセンは、北極点初到達を目指してクリスチャニア(現在のオスロ)を出発した。流氷とともに船で漂流しつつ北極点に近づく計画で、そのために設計されたフラム号に十二人の乗組員と八年分の燃料、六年分の食料を積んでいた。
 フラム号は予定通り九月に流氷に遭遇し漂流し始めたが、流氷が計画したほど北極点に近づかなかったため、1895年3月、ナンセンとハイアラム・ヨハンセンの二人がスキーで北極点を目指した。4月8日、二人は人類未踏の北緯86度13.6分の地点に到達したが、食料も底をついたため、到達をあきらめて引き返し、苦労の末、翌年生還した。
 帰国後のナンセンは、クリスチャニア大学の海洋学・動物学の教授を務めながら執筆活動や科学調査を行っていたが、1906年からノルウェー大使としてロンドンに赴任した。第一次大戦後、戦争捕虜の問題を解決するため、国際連盟から捕虜送還問題担当高等弁務官に任じられた。捕虜問題が解決すると、今度は難民高等弁務官として難民の救済に尽力し、後のち「ナンセン・パスポート」と呼ばれる証明書によって多くの難民を救った。それらの功労が認められ、ナンセンは1922年にノーベル平和賞を受賞している。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.104

 ここでナンセンが再登場するとは思わなかった。二日前にピアリーの項で述べた通りである。そこで著者自身が注意深く述べているのが正しく、「人類未踏」はおそらく間違いであろう。
 それにしても大した人物である。再掲。


Ω


 

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