2024年4月9日(火)
四苦八苦という。
四苦は生苦・老苦・病苦・死苦、八苦はこれに以下の四苦を加えたものとある。
愛別離苦(あいべつりく) … 愛するものと別れる苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく) … 憎むものと出会う苦しみ
求不得苦(ぐふとくく) … 求めても得られない苦しみ
五陰盛苦(ごおんじょうく)… 心身の苦痛(自分の心身すら思い通りにならない苦しみ)
一つ一つ考えさせられる。一神教と多神教の違いがそんなに本質的なものとは僕には思われない。苦のありようを一つ一つ数え上げ、その一つ毎に細やかな救済を求めていくなら、恃む神仏はおのずと多数にもなるだろう。
確か永平寺だったと思うが、厠には不浄金剛という守り神がおわし、心を込めて掃除すれば御利益があるといった解説をもらった。こういう信心を侮る気持ちは毛頭なく、むしろ我々がそれを取り戻し、忘れずにいることを願いさえする。
四月九日は四苦の記念日? 八月九日は語るもつらい長崎忌。
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> 1865年4月9日、5年にわたって続いていた米国を二分する内戦、南北戦争がついに終結した。この日、南軍を率いるロバート・リー将軍は、北軍総司令官ユリシーズ・グラント将軍のもとに投降し、南軍は敗北した。
戦争の発端は1860年、北部を支持基盤とする共和党のリンカーンが大統領選に勝ったことから始まった。奴隷制度の存続を望む南部諸州は直ちに連邦を離脱し、翌年2月にはアメリカ連合国を設立、4月にリンカーンが大統領に就任すると同時に戦端が開かれた。
当初は南軍有利のうちに推移した戦況は、西部でのグラント将軍の活躍で次第に北軍有利となった。リンカーンは1864年3月にグラント将軍を北軍総司令官に任命した。
南軍のリー将軍は、戦略に長けた優秀な人物だった。長身でハンサム、公正な人柄で部下にも人気があった。一方、北軍のグラント将軍は、近代的な戦争を得意とする人物だった。無口で大酒飲みで体格もずんぐりしており、軍服の着こなしもあまりうまくなかったという。
戦後、グラント将軍は大統領を二期務めているが、汚職事件等であまり評判は芳しくない。退任後、世界周遊の途中に日本にも立ち寄り、明治天皇に謁見している。
晴山陽一『365日物語』(創英社/三省堂書店)P.105
左:Ulysses S. Grant, 1822年4月27日 - 1885年7月23日
右:Robert Edward Lee, 1807年1月19日 - 1870年10月12日
「おしょくじけん」を音声入力したら「お食事券」と表示された。「パーティー券」があることを思えば、案外、外れてもいないのがおかしい。
リー将軍は、優勢を恃んでリッチモンド攻略を狙う北軍を数次にわたって撃退するなど、防御戦で卓越した指揮ぶりを示した。一方、北部へ侵攻した際の攻略戦では二度にわたって失敗し、「リーは攻勢に出たときはすべて最終的に敗北している」との評すらある。難しいものである。
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