2023年1月2日(月)
「いやしけ吉事(よごと)」と来たついでに、万葉歌人の誰が好きかと自問するなら、まず挙げてみたいのが山上憶良である。といっても万葉についてろくすっぽ知らないのだから、他と比較してどうこうといった精密な話はしようにもできないが、憶良については「瓜食めば」の長歌一つで十分とする理由がある。
瓜食めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲はゆ
いづくより来りしものそ眼交に もとなかかりて安眠しなさぬ
山上憶良(万葉集 巻五 802)
アメリカ留学当初に、彼地の豊かさ大きさと制度の合理性に圧倒されそうになった時、この歌一つが脳裏に浮かんだおかげでバランスを取り戻したことは、確か前に書いたような気がする。以下のも同じく良い。
憶良らは今は罷らむ 子泣くらむ
それその母も 我を待つらむそ
山上憶良(万葉集 巻三 337)
さて、この山上憶良が実は渡来人であるという説が、中西進氏の研究によって有力視されるようになっているという。なお異論もあって断定できないようだが、仮にそうであるとして、
ネットなどを見ていると、万葉歌人の誰彼が渡来人の系譜に属することを知って、落胆を表す発言があったりする。あるいは民族系と思われるサイトでちょうどその裏返しの揚言があったり。
感じ方は人それぞれというものの、そもそも出発点に誤解がありはしないか。つまり「渡来人=現代の韓国・朝鮮人と歴史的に連続する古代の半島人」という前提である。これが間違っている。
いわゆる渡来人の大半は、百済の遺民であった。新羅・唐連合軍と百済・倭連合軍の大規模な衝突があり、663年(天智2年)に白村江で後者が大敗して最終決着したことはよく知られている。百済敗亡の際に、命からがら倭に逃れてきた人々が少なからず、これが「渡来人」の主な部分となった。山上憶良は西暦660年生、733年没とあるので、中西説が正しいとすればちょうど誕生から三歳までに祖国の滅亡を経験し、父に連れられて来日した世代の典型ということになる。それ以前から渡来していた人々もほぼすべて百済人であって、新羅からは外交使節の派遣はあっても、渡来人と呼べるほどのまとまった移住は知られていない。
そしてこの新羅が高麗から李氏朝鮮を経て現代の韓国・北朝鮮につながるのである。百済はこれと敵対して滅ぼされた別の民族による別の古代国家であり、新羅とは別個の言葉と文化をもっていた。
だから、百済系渡来人が古代日本の文化形成に参与したことをもって、現代の韓国・朝鮮人が日本人に対して優越感を抱く理由は見出し得ないし、日本人が落胆する理由もさらにない。国を失った百済の人々を迎えて生存の場を提供し、彼らが携えてきた技術や文化によって自らも潤った、その歴史のアヤに注目しこれに学ぶだけのことである。
実はここ数週間、『スベクヒャン』というタイトルの韓ドラを見ている。ドラマとしての出来はさておき、百済王室を舞台にしているのが珍しい。何しろ古い時代に滅亡した国家だから考証は困難なはずで、衣装や調度をそれらしく工夫しつつ、挙措動作や会話などは明らかに李氏朝鮮時代のそれで代用している。もちろん言葉は新羅語の子孫たる韓国・朝鮮語、そのあたりは無理を承知のドラマのお約束というところ。
中でときどき「倭」が話題に出るのは、百済の武寧王(在位502-523年)が倭を「掌握せねばならない」とか「願いに応じて仏教経典を分与する」とか宣う文脈で、百済を倭の上に置く配慮がはっきりしている。要するに韓国の視聴者は百済を「我らが祖先」として感情移入して見るよう誘導されているのであるが、これが前述の事実に照らして可笑しいというのである。
仏教をはじめとする大陸発の先進の文物は、多くが百済を経由してわが国に渡来したから、百済に恩義と親近感を抱く事情が倭の側には確かに存在した。唐の勃興とこれに巧みに乗じた新羅の策動に直面し、敢えて落ち目の百済に肩入れして大敵に挑んだ理由の一半はそこにあっただろう。新羅は百済を滅ぼし、半島史上からきれいに消し去った。かろうじて生き残った者が倭に渡来し、融合して「日本」の形成に貢献していく。とすれば『スベクヒャン』を「我らが祖先」の物語として見る条件は、韓国人よりも日本人の方にはるかに多くあるという理屈である。
こうした事情が日本文化の黎明期に存在したことは、個人的にはむしろ喜ばしく誇りとすら感じる。台湾人が大陸からの亡命者を受け容れつつ独自の歴史を形成してきたことを誇りとする、それに似た感覚でもあろう。家族から国家に至るまで、人の共同体は常にほどほどの開放系であり、動的平衡によって維持されるのが健康なあり方である。万葉歌人の中に少なからぬ渡来人があったことはその意味で喜ばしく、「吉事」のはじめであったに違いない。
ただし、
あるレビュアーが書くように公人としての憶良が「「在日」意識の中で、後ろ指を指されまいとして、くそまじめに奉職する「面白みのない」官吏」であり、そうしなければ後ろ指を指される状況があったとすれば、世間というものの変わりばえのなさに落胆せざるを得ない。万葉歌人中、異色の社会派であったことがこうした出自に関係しているとすれば、将来に向けて期待半分、落胆半分といったところである。
めでたさも中くらいなりおらが春
小林一茶
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