散日拾遺

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似たれども非なり ~ フロイトとヤスパース、翻訳の問題

2014-07-06 09:06:58 | 日記
2014年7月6日(日)
 Ich-Störung は「わたくし障害」とでも訳すべきだったと書いたことについて、イザベルさんから耳打ちあり。
 先々週の精神神経学会で北山修氏が『心の台本を読む』と題して講演、その中で、

 フロイトの言うエスは「それ」、自我は「私」と訳せばよかったのに、「エス」「自我」と訳してしまったために精神分析/精神医学が難しい学問になってしまった

 という趣旨の指摘があった由、教えてくれた。
 イザベルさんとしては「北山先生も同じようにお考えですよ」と教えてくれたかと思うが、実はこれ、同じではない。又聞きなのではっきりとは言えないが、たぶん反対なのである。
 精神分析理論中、いわゆる構造論の基本骨格は「エス」「自我」「超自我」の三者構造である。フロイトはオーストリア人でドイツ語が母語であるが、構造論の定式化にあたって「自我」は ego というラテン語で命名した。「超自我」superego も同じである。「エス」は英語の it にあたるドイツ語の代名詞だが、しばしば id(イド)というラテン語で呼び換えられている。
 「エス」には日本語の「あれ」に相当するような性的隠語の用法がある由だが、それを嫌ったというわけではあるまい。ego/superego とあわせ、フロイトにはことさらラテン語を用いる意図があった。日常言語からは距離を置いた、抽象性の高い術語を導入しかったのであろう。
 それを汲むなら「エス(イド)」は「エス(イド)」のままで良いし、ego は「私」ではなく「自我」と訳すのが至当なのだ。だいいち、「私」とは一人称の人格総体を表すもので、ego は人格の一部に過ぎないのだから、ego を「私」と訳したのでは話が混乱する。超自我もエスも「私」の一部に違いない。

 ヤスパースの場合はこれと正反対で、フロイトが導入した ego という言葉は百も承知、ドイツ語を使うにしても英語の self に相当する Selbst などという語も考えられたはずだが、そこであえて ich を使ったのが見逃せないというのだ。
 「(私は)茶を飲む Ich trinke Tee.」「(私は)汝を愛する Ich liebe dich.」などと毎日何百回も使われる一人称主語の ich、まさにその「わたし」が構造的な動揺をきたしているというのが Ich-Störung である。(oe と書いたところは、本当はウムラウト付きの o、そしてIもSも大文字であるべきなので、この際あわせて訂正。)
 これを「自我障害」と訳した瞬間、ヤスパースの意図が台無しになってしまう、それが言いたかったのだ。

 イザベルさん、コメントありがとうございます。おかげで事の次第を少し明確化することができました。
 それにしてもネットは便利だ、Ich-Störung と打ち込めば、ドイツ語の情報がソッコー拾える。(Wikipedia 、ドイツ語人なら「ヴィキペディア」かな?)
 http://de.wikipedia.org/wiki/Ich-St%C3%B6rung


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