散日拾遺

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河野兵市と忌野清志郎/杜稾鍾隸 漆書壁經 ~ 千字文 061

2014-05-02 06:53:33 | 日記
2014年5月2日(金)

 1997年のこの日、愛媛県出身の冒険家・河野兵市(こうの・ひょういち)氏が単独徒歩で北極点到達。日本人初、世界でも3人目の快挙だったと。
 そういう人がいたことも知らず、さっそく調べれば、なるほど愛媛県西宇和郡瀬戸町出身、現・伊方町は原発の町だ。
 僕より一つ年下で、植村直己に憧れて冒険家になったとある。マッキンリーやアコンカグア登頂のほか、1990年には荷物を詰めたリヤカーを引きながらサハラ砂漠を徒歩縦断するという快挙。
 惜しいかな、2001年5月に同じ北極海で氷の割れ目に転落し、落命した。
 故郷佐田岬に記念碑が建っている。

  
左は最後の冒険ルートを示した地図
右は冒険した場所の方角と距離を示す道標

 2009年のこの日、忌野清志郎他界(1951 - 2009)、上から読んでも下から読んでも「忌野忌」だ。
 都立日野高校の卒業生だったね、確か。
 うん、三浦友和は高校の同級生だって。

***

◯ 杜稾鍾隸 漆書壁經(トコウ・ショウレイ シッショ・ヘキケイ)

 杜は杜操(トソウ)、後漢の宰相の名。稾は下書きのこと。杜操は草書を得意とし、その起こりは下書きに急いで書いた書体という。

 鍾は鍾繇(ショウヨウ)、魏の軍事長官で、小篆(ショウテン)の書体を改めて隷書を作り、後世に伝えた。

 漆書は文字通り漆で書いた文字のことで、後漢の宮廷所蔵の古典には漆で書かれたものが多数あるという。たいへんな手間だが、墨字よりも永続性があるだろう。それでも消滅の危険があるとして、漢の霊帝は石壁に経書を彫り込ませたと李注。壁經の由来、永遠への憧れである。

 今日の八文字は何だか訴える。どんな一日になるかな。
 

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