散日拾遺

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雪の記憶 その1(いずれその2は、山形について)

2014-02-08 10:33:37 | 日記
2014年2月8日

 東京では16年ぶりの大雪だそうだ。
 1973年にこの地域に移ってきてから、主な「大雪」については何かしら記憶がある。

 最初は1974年、高校二年の冬。この時は怖い思いをした。
 学校帰り、最寄り駅からの急な下り坂にさしかかって、いきなり派手に滑った。身軽な年齢でケガは免れたが、立ち上がろうとして容易ならぬ事態に気づいた。立とうにも幅3mほどの路面が一様に凍っていて、手がかり足がかりが何もない。急坂の最上部だが坂の上には引き返せないし、前には30mほどの急坂がおいでおいでをしている。車でも来ようものならどうなるか。
 文字通り這々(ほうほう)の体でどうにか路側の塀にとりついたが、これがまた手摺りのないのっぺりした高さ2mの障壁である。恥も外聞もなく、塀の小さな突起に指をかけながら30㎝刻みで横滑りを繰り返し、どうにか坂を降りきって安心した途端、もう一度派手にコケた。
 山形など雪深い土地にも住んだから、怖さや対策を知らない訳ではない。ただ、日頃の帰宅路(朝は違う道を通ることが多かった)が凍結しているという予測のないまま、危険地帯に踏み込んで気づいたお粗末の段。靴も年中一張羅のバックスキンで、むろん靴底はツンツルテンであった。

 次がちょうど10年後の1984年、この冬はこれが東京かと思うぐらい、よく降り、よく積もった。必然的に春の到来も遅く、ついでにイースターも遅かった。
 イースター(復活節)はいわゆる移動聖日で、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」と決まっている。クリスマスが冬至の祭りと不可分であるように、イースターは春の祝祭と深い関わりがあるが、そこに「満月」が介在するのは中東地域の太陰暦との兼ね合いである。ユダヤ風に言えば「ニサンの月」の満月の次の日曜日である。
 イースターは理論上3月22日から4月25日の間のどこかに落ち着くことになるが、1984年はそれが4月22日とぎりぎり近い遅さだった。それと歩調を合わせるように、春の到来も珍しいほど遅れたのである。4月22日の日曜日は抜けるような晴天、東京のソメイヨシノは満を持して一斉に満開を迎えた。こんなに遅い桜は記憶にない。
 その日に受洗した。覚えているわけだ。
 桜は連休前まで咲き誇っていたっけ。

 さらにその次は1998年。前年にアメリカから戻り、長男は区立の小学校、次男は教会附属幼稚園、三男は初夏の誕生に向けてぬくぬくと成長中の冬だった。。
 1月だか2月だかの祝日、幼稚園で父親を集めてプレイデイをやることになり、僕は何だったか役割をいただいた。当日が大変な積雪で、長靴で膝までの雪を踏み分けながら、1㎞あまりの道を会場までたどり着いたものである。これもなかなか凄かった。
 昨日からしきりに「16年ぶり」と聞こえるのは、この年以来なんだな。

***

 温暖化が懸念される中、冬に雪が降るの報に安堵する自分がいるが、実害を被る人々にはそれどころではない。病院の玄関で転んでケガをするといった話は、雪が降る度に聞こえてくる。今日明日は私大入試日程の山で、大学関係者や受験生は気が気でないはずだ。そして、高齢者やハンディキャップを負う人々。「コミュニティの崩壊」とは、「大雪の日に一緒に雪かきする仲間がない」ということだ。
 福井市の交差点には角毎に緑のスコップが設置され、信号待ちのわずかな時間に人々が雪をかく姿がある。負荷を逆手にとって、コミュニティ形成のためのバネとする知恵である。
 新年ではないけれど、いつぞやの引用をもう一度。
 
 新しき年の始めの初春の 今日降る雪のいや重け吉事 (大伴家持)


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