散日拾遺

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「運動されています」??

2017-07-28 04:22:33 | 日記

2017年7月27日(木)

 前にも書いてたらごめんなさい。

 ラジオ体操で「今日も多くの方が集まって、思い思いに運動されています」てなことを言っている。背筋がゾッとするのは「運動されています」というケッタイな表現のためだが、これは体操指導者の責任ではない、少し前から某テレビ局が「される」を敬語の軸に決めたらしく、その方針は実に首尾一貫しているのが背筋の不快感の頻度でよくわかる。皆は平気なんだろうか。

 何がいけないかって?要するに美しくないからだが、それでは「感じ方の違い」で終わってしまうから、ここは頑張って理屈を考えてみよう。そうだな、大きく分けて二つある。

 ① 豊かで多彩な敬語表現を捨て去ることになる:

 同じ場面で「運動していらっしゃる」「運動しておられる」「運動なさっている」といった表現が可能であり、それぞれ微妙にニュアンスが違う。その使い分けに配慮や個性の現れるのが面白いところなのに、何でもかんでも「されている」ではその面白さが消えてしまうということが一つある。

 仮に百歩(千歩?)譲って「敬語表現がいろいろあっては煩瑣なので、一定の表現に統一する」といった主張に理を認めるものとしよう。その場合、「される」という表現が諸々の候補の中で最有力とは考え難い。なぜというに、

 ② 受け身表現との区別がつかない場合が生じる:

  「運動する」のような自動詞ならまだ害が少ないが、これを「体を動かす」といった他動詞表現で置き換えたらどうなるか?「体を動かされている」では、尊敬だか受け身だかいよいよ分からない。少し前の世代では、こういう「される」表現を尊敬を表すために使う習慣が元々ないから、まず最初に受け身を考えるだろう。強い風でも吹いてきて、皆の体が「動かされて」いるのかと。

 バカバカしいのでもうやめるが、一聞してゾッとする感覚を強いて言語化するなら概ねこんなところ。そもそも「運動していらっしゃる」でどこがまずいのか。

***

 やや痛快なのは、今更ながらのこんな混乱は「標準語」限定で、多くの方言には無縁の現象であることだ。(どこがどう「標準」なのか、この一事でも疑わしい。「標準」は混乱を防ぐためにある。)

 たとえば関西には「〜はる」という有名な敬語表現があって、その用法には揺らぎがない。ただ地域によって活用が違い、大阪で「言わはる」というところ、神戸周辺では「言いはる」と聞こえてくる。大阪で未然形、神戸で連用形に付くのかと思ったが、「来はる」はどちらも「きはる」(連用形接続)であって大阪でも「こはる」(未然形接続)にはならないから、そう簡単ではないらしい。いずれにせよ、大勢さんが集まって「運動してはる」のである。

 名古屋に目を転ずれば、ここには「〜みえる」という洒落た語尾がある。「運動してみえる」「体を動かしてみえる」という具合で、これもなかなか使い勝手が良い。そういえば伊豫松山あたりには「〜おいでる」という表現があった。「運動しておいでる」あるいは縮約が起きて「運動しといでる」となるのかな、ちょっと雅で僕は好きなのだが、若者の間では疾うに使われなくなっているだろう。

 関西弁にせよ尾張弁にせよ、これら気軽な敬語表現が日常言語にしっかり根づいていて、構えることなくスラッと口から出るのが良い。学校の先生が「言わはった」「言ってみえた」とは、どこの親でも当たり前に言うところ。いっぽう東京では敬語がどことなく仰々しいものになっており、学校の先生に敬語など使って阿(おもね)ってると思われるのがイヤだからか、単純に面倒だからか、小学生の親同士の会話で「先生がおっしゃった」なんてついぞ聞いたことがなかった。「先生が言ってたよ」「言ってた言ってた、私も聞いた。」そのくせ自分の子どもには「お姉ちゃん(注:長女のこと)」が手伝ってくれるって言うから」てな具合で、尊敬のベクトルがどっちに向いてるのかまったくカオス状態である。

 話を戻して、どうしても統一するというなら「運動していらっしゃる」が良いという理由を、書いているうちに一つ見つけた。「運動して」までは同じ、後続部分が「標準語」では「いらっしゃる」、関西弁では「はる」、尾張弁では「みえる」、そして往時の伊予弁では「おいでる」になるわけで、これなら各地の方言の互換性が一見明瞭である。これは偶然ではなく、実際そのように各地の表現が分化したのではないかという説を、素人談義の暫定結論としておく。

 時に、普通なら「作業を加速する」と言うところ、一頃の同テレビ局は「加速化する」から「加速化させる」へと順次「肥大化させ」ていたが、昨日あたりは「加速する」に戻していたね。試行錯誤中ということかな。

Ω

 


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3 コメント

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Unknown (名無しさん)
2017-07-28 13:44:38
日本語の響き、伝わる意図は本当に複雑になり難しいものがありますね。

先生の話し言葉や書き言葉は大変明瞭かつ美しく、意味を受け取りやすく感じております。
なにか意識してされていたこと、今されていることはありますか?
是非自分も伝える人間としても成長していきたいものです。
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受け身表現とら抜き言葉 (勝沼)
2017-07-28 23:38:47
  「② 受け身表現との区別がつかない場合が生じる」ということから連想したのですが、私は可能を表現する時のら抜き言葉は受け身等の他の”られる”との区別の為に変化したのではないかとかねがね思っていました。
 そんなら抜き言葉ですが、私は話し言葉としては使ってしまうのですが、先日、不登校について自分の考えをまとめたものを無料電子書籍として公開したのですが、公開前に誤字脱字を直す際に可能のら抜き言葉に全部らを入れて直したました。書き言葉としてだとら抜き言葉は何か居心地が悪くて。
 言葉に対する感覚というのは不思議なものですね。。。
 
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Unknown (名無し)
2017-07-30 04:14:38
コミュニケーションの目的は伝えることです。先生は違和感を感じても、理解しているのだからそれでいいのではないでしょうか。

「コーラはデブの飲み物」って言われても私は言わんとすることはよく分かります。
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