散日拾遺

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╋ ヴェラ・チャスラフスカ

2016-09-01 08:50:47 | 日記

2016年9月1日(木)

 リオ五輪を見ていて1964年の東京五輪を思い出すことがいろいろとあり、そのうち書こうと思っているうちにチャスラフスカの訃報が伝わった。旧チェコスロバキアの体操の名選手、東京・メキシコの2大会で個人総合二連覇を含む金7個、銀4個、「五輪の名花」「東京の恋人」など讃辞をほしいままにした。

 演技ばかりでなく、この時期の祖国の政治危機(1968年の「プラハの春」とその後のソ連の侵攻)にあたって民主化勢力を支持する姿勢を常に保ち、1989年に共産党体制が崩壊するまでの20年間を不遇に甘んじながら節を屈することがなかった。ビロード革命後に復権してからは、ハベル大統領のアドバイザーやチェコ・日本協会の名誉総裁を勤めるなどの活躍があったが、次男とのトラブルで夫が死亡するという悲劇的な事件があり、その後は抑うつ状態に苦しんだという。

 東京五輪当時、僕は7歳の小学二年生だったが、それでもこの人の美しさをよく覚えている。圧倒的な強さを誇った彼女にして珍しくも落下することがあり(内村みたい?)、「猿も木から落ち、チャスラフスカも棒から落ちる」と漫画に描かれるぐらいの人気者だった。当時NHKの人気番組だった「ジェスチャー」のお題にも、「鉄棒(平行棒?)から落ちたチャスラフスカ」が出されたっけ。気どらず気高い大人の女性の美しさというものを、人生で最初に教わったような気がする。誰もこの人を下卑た冗談のタネにはできなかったはずである。

 今にしてそれがいっそう印象的なのは、チャスラフスカを最後に(あるいはメキシコ五輪のクチンスカヤ(ソ連)を移行段階として)、女子の体操が完全に変質したからである。その嚆矢はオルガ・コルブト(ソ連)、17歳で出場したミュンヘン五輪で金メダル3個、銀メダル1個を獲得し「ミュンヘンの恋人」と呼ばれた。さらにナディア・コマネチ(ルーマニア)、こちらは15歳のモントリオール五輪で段違い平行棒と平均台で近代五輪初の10点満点を出し、個人総合とあわせて金メダル3個、銀・銅各1個を獲得する驚異の活躍を見せ、「白い妖精」と称えられた。

 彼女らの演技は確かに素晴らしいが、基本的に「身軽な少女の軽業」といったものである。チャスラフスカのそれは、くどいようだけれど成熟した大人の女性ののびやかなスケールをもっていた。どちらが良いというものではないが、現在の採点システムではコルブト/コマネチ型でなければ入賞もできないだろう。そういう意味でチャスラフスカは一つの時代の完成型となり、終わりとなった。

 その彼女に憧れるのは、たぶん僕自身がいくつになっても大人になれず、「プラハの春」後の彼女のように昂然と頭をもたげて時代に抗することができずにいるからである。ああそうだ、チェコスロバキアにはもう一人、日本と関わりの深い運動選手がいた。「人間機関車」と呼ばれたエミール・ザトペック。1948年のロンドン五輪男子1万mで金メダル、1952年ヘルシンキ五輪では、男子の5千、1万、マラソンの長距離三冠を制するという、もちろん空前おそらく絶後の偉業を達成した超人的ランナーである。

 この英雄の少年時代に感銘を与えたのが、1936年のベルリン五輪(ナチ肝いりの「民族の祭典」)の男子5千、1万でともに4位に入賞した村社(むらこそ)講平だった。村社は1万mで当時の長距離界に君臨したフィンランド3選手を向こうに回し、小兵ながら長身の3選手と堂々渡り合って一躍ベルリンのファンを魅了した。5千mではスタジアム全体に「ム・ラ・コ・ソ!」の声援がこだまし、ヒトラーやゲーリンクが立ち上がって喝采を送った。魅了された中に13歳のザトペックがいたのである。後年、1981年に58歳で来日したザトペックは、75歳になっていた村社に懇願して5kmほどを共に走り、「人生で一番幸せな日、私のヒーローであるムラコソと走れた」と感激を語った。

 ザトペックもまたチャスラフスカ同様、チェコスロバキアの自由化を求める「二千語宣言」(1968年)に署名したため、ソ連軍侵攻後はウラン鉱山の掃除夫を強いられるなど冷遇を経験した。村社と走ったのは1989年の民主化がまだ見えない時代で、それだけにザトペックの喜びの大きさが察せられる。

  村社講平(1905-1998)

(http://www.pref.miyazaki.lg.jp/contents/org/honbu/hisho/jaja/12_senjin.html)

  エミール・ザトペック(1922-2000)

(https://ja.wikipedia.org/wiki/エミール・ザトペック)

   ヴェラ・チャスラフスカ(1942-2016)

(http://www.joc.or.jp/olympism/fairplay/caslavska.html)

 

【追記】 これらの人々や円谷幸吉について下記のサイトが詳しくて面白い。クタビレ爺イさんに表敬脱帽。僭越ながら視点・論点が概ね一致していて心強くある。10年以上前に書かれたものらしく、もっと早く拝見すべきだった。

 クタビレ爺イの廿世紀裏話(4)『村社講平・ゼッケン377の男』 http://blog.goo.ne.jp/gooshowa4/e/26d4f685e67b5779f73ad36b9c0d8ffa

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