散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

週末西行/ミサと礼拝/プロペラ機で瀬戸内海を越える

2013-06-24 09:58:25 | 日記
2013年6月21日~23日

金曜の診療後に関西へ移動。

最寄り駅まで長男の迎えあり、夜食などふるまってくれる。
自炊の(本をバラしてスキャンする話ではなくて、料理の)腕が会うたびに上がっているのが、異次元生物を見る感覚だ。
好きこそものの上手なれ、これ至言。

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土曜日、大阪SCで卒論/修論ガイダンス。
午前の卒論は30~40人、午後の修論は70人ほども集まったのだろうか。
レベルはさまざまだが、皆、熱心このうえない。
放送大学で仕事する楽しさは、心から勉強したがっている人間が集まっているところにある。それだったら、いくらでもつきあうよ。これがほんとの大学というものだ。

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日曜日、京都・岩倉村のこと。
ベルギーのゲールに匹敵する精神障害者のコミュニティが、ついこの間までこの地にあった。それが立ちゆかなくなったのは戦時下の窮迫ゆえであり、戦後も悲しいかな、復興に至らなかった。

妻の実家の人々とともに、カトリックのミサにあずかる。
僕自身はプロテスタントなので、「それってありなの?」みたいなことを時々きかれるが、「あり」なんじゃないのかな。ていうか、「何でナシなの?」と訊きたい。

本質的なところでは、違和感なんかありはしない。ただ、ミサは聖歌集やらプリントやら手元資料がいろいろあって、どれを参照すればいいか慣れないと判りにくい。そういうつまらないレベルでアウェーな感じにさせられるのが、残念なだけである。あとは、茶事を連想させる司祭さんの所作が面白いぐらい。実際、茶事に影響を与えたんじゃないのかな。戦国末期の堺あたりの状況を考えれば何の不思議もないことで。

カトリックの信徒が御聖体をいただく時は僕らも列に連なり、順番が来たら聖体は受けとらず、司祭から祝福だけをいただく。逆にカトリックの信徒がプロテスタントの礼拝に出た時には聖餐OKが普通なので、内心いささか得意の念があったりする。

アメリカ滞在中には、よく驚かれた。「日本ではそれって問題ないの?」って。
キリスト教がマイナーである国で信徒であることの幸いを、つくづく感じたものだった。

せっかく歴史を学ぶのに、もったいないなと思うんだよ。
カトリックとプロテスタントは、キリスト教の大きな歴史の中では「西方教会」に属する同根の兄弟なのだ。ただ500年ほど前、この大きな家族を少々危機的な状況が襲った時、これを克服する路線の違いから群が大きく二つに割れた。お互い真剣であるだけに、軋轢も深刻だった。渦中にあり現場にあった人々にとって、和解も容易ではなかったろうが、地球の裏側の異教の日本くんだりで、軋轢までも義理堅く継承することはない。500年の軋轢より、2000年の一致を重しとせよ。歴史を学ぶ功徳はそういうところにあるんじゃないか。

それにつけてもCMCC万歳!あれは完全にエキュメニカルなNPO活動なんだからね。

そういえば、今日のミサではニケア信条を使っていたな。これは(文言上の厄介な問題はあるものの)東方教会までも含む、全キリスト教徒共通の信仰告白なんだから、これを使うのは立派な見識だ。ただ、日本語訳がちょっとヘンだったけど。

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日曜日の午後、伊丹から松山へ。

久しぶりにプロペラ機に乗った。
プロペラ直近の座席で騒音を警戒したが、何ほどでもなかったのは技術の向上なんだろう。

畑まわりの手伝いをするつもりで乗り込んだのに、家に着くなり2時間ほども午睡してしまった。田舎の爽やかな空気と静かさは、いつでも気持ちの良い眠りを誘う。

ああよく寝た!

沖縄慰霊の日

2013-06-23 11:35:21 | 日記
6月23日

沖縄慰霊の日である。

この日をその日とする根拠については、異論もあるらしい。

どの日がその日であるかは、たぶん大きな問題ではない。

この日が存在すること、それを僕らがあまりに意識していないこと、それが問題だ。


また後で


期日前投票/I さん詩信

2013-06-20 19:30:11 | 日記
2013年6月20日(木)

不在の日曜日が都議選投票日であることに、きわどく気づいた。
夕方、いったん帰宅して住区センターまで投票に出かける。
夏には大事な国政選挙、それを占う都議選なれば、吹けば飛ぶよなこの一票も無駄にはすまじ。

速歩20分、目黒通りを越えて住区センターに着くと、道の前にK候補の宣伝カーが停めてある。
投票所の真ん前で街頭演説でもあるまいし、実際ひっそりと駐車の様子。
はてなと思いながらセンターの入口へ向かうと、「すみません」と小声で言いながら自動ドアを先に出てきた女性が、見ればK候補その人らしい。ポスターの印象とは違って、小柄ではにかむ風である。

そうか、候補自身も期日前投票したりするわけだ。当日は忙しいんだろうね。

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帰宅すると、Iさんから「はがき詩信」が届いている。
これ、楽しみなのだ。はがき一枚に、Iさん自作の詩や好きな詩を印刷なさったものである。
『母の詩集』を知って以来、Iさんのファンになっている。

宛名面の下部は、朝のラジオよりだいぶ詳しい「この一日」情報。
今日は6月22日がテーマで、「ボウリングの日」「東北帝国大学創設の日」「日韓条約調印記念日」「かにの日」(何でだろう?)「夫婦の日」(きっと「睦つまじい夫婦」で6.22なんだな)「禁煙の日」(何でだ?)「滝沢修忌」(しぶい!)そして、漱石の『門』所在不明の原稿4枚が福島市の個人宅で発見されたと報道された日(2012年)だって。

裏面の冒頭に『所有』という詩。

 さかなは
 なにももたない
 海という
 すまいをもっている

いいなぁ!

そしてこれは、いろいろ置き換えて楽しむことができる。
そういう詩が、良い詩だろう。

 とりは
 なにももたない
 空という
 すみかをもっている

・・・鳥は巣があるから、「空がすみか」とは言えないか。

「鳥には巣があり/狐にはねぐらがあるが/人の子には枕するところがない」
(ナザレのイエス)

よし、じゃあこれでいこう

 ぼくは
 なにももたない
 君という
 ねぐらをもっている

決まったね、
Iさん、ありがとうございます!

各国囲碁事情/補助犬法

2013-06-16 00:22:42 | 日記
I先生の囲碁啓発活動はますます盛んで、最近は伝道者の趣がある。
(Iっても、僕じゃないよ)

熊本県の宇土中学校に何度か足を運ばれたことは週刊「碁」で見ていたが、今日は中学生から来たお礼状のコピーを配布なさった。温顔がいつもにましてほころんでいる。
先方の校長先生に了解を得ての配布ということだから、これをブログに挙げても許される・・・と思うんだけど、まずいかな?

個人名が特定される内容でもないし、サムネイルで小さく挙げておこうっと。
  

I先生、最近お得意のフレーズは、「囲碁は平和のゲーム」というものだ。

将棋やチェスは王様を詰めるゲームなので、結果が白黒はっきりして容赦がなく、敗者には何も残らない。これに対して囲碁は地の多寡で勝負を決めるし一局の経過が長いから、負けた側にもそれなりの満足を得る余地がある。
勝ち負けは鮮明だとしても、半目負けならまさしく惜敗、大差中押しとは意味が違う。

現に碁聖と呼ばれる本因坊道策は、生涯最高の一局として一目負けの局を挙げている。
ただし二子局、つまり相手に二子置かせてのハンディキャップ・ゲームではあるが、それでも御城碁というれっきとした公式戦だ。

道策のコメントは以下の通り。
「春知は当代の逸物にして古人に恥じず、また後年も稀なるべし。しかしてこの対局に於いて、春知の手段、毎着妙ならざるはなし。余もまた思いをきわめ、功を尽くしてこれに対抗し、いささかの遺憾もなく打ち終わらせて、ついに1目の負けにせしは、自ら大いに誇りとするところにして、一生中再び得られざる対局なり。」

強敵が二子のハンディを背景に完璧な着手を繰り出すのに対し、自分もよく善戦敢闘、一目負けまでもっていったのが誇りだというのだ。こういう誇り方は他のゲームではちょっと難しかろう。

話が逸れたが囲碁はそういうゲームだから戦略も常に give and take、どこを相手に与え、見返りに自分はどこを取るか、その積み重ねで進行する。やらずぶったくりでは、必ずどこかで破綻する。
囲碁は相手にも与える平和のゲーム、これを世界に広げねばならない。

・・・・というありがたい講義を毎回拝聴しているのに、打ち手の中には「何もやらない、全部取る」式の乱暴者が少なくない。碁は陣取りではなく石取りだと勘違いしている。アマチュアの力自慢にはけっこういるんじゃないだろうか。

教室の五段にも3~4人の乱暴者がいて、実は僕の苦手の人たちなんだな。
これは技術よりもメンタルな問題で、筋も定石も無視してむやみに突っかかってこられると、じきに腹が立ってくるのだ。腹を立てたら勝負事は負けである。
そもそも、理に適った美しい碁をきちんと打てていれば、ヤクザ打法に負けるはずがないんだよ。

というわけで、技量に優れたMさんとKさんに追いつくことは表の目標、乱暴者たちに膺懲を加えられるよう不動心を養うことが裏の目標、今日はその裏の目標に一歩近づけたから良しとする。

ところで、

I先生によれば、井山五冠と高尾九段がベスト8進出を果たしたLG杯で、何と開催国の韓国は二回戦までに全員負け、つまり残りの6人はすべて中国勢だというのだ。
日本の優位が崩れた後、しばらくは韓国が強かったが、今や中国の時代らしい。
それというのも御多分に漏れず国を挙げての英才教育で、見込みのある子供は学業そっちのけで徹底的に囲碁を仕込むのだという。

琴棋書画の言葉があるとおり、囲碁はもともと君子のたしなみだった。
人格の総合的な養いの一環なんだよ。
いずれそこへ戻っていくことを願う。

*****

乙武さん事件について、Mさんからコメントあり。

「盲導犬同伴のばあい、店やレストランなどへ入るのを断られたこともあります。補助犬法ができて、だいぶ違ってはきましたけどね。」

そういえば僕のところの向かいのマンションにも、「犬猫立ち入り禁止、ただし盲導犬を除く」と書いてある。
身体障害者補助犬法(平成14年5月29日 法律第49号)というのがあるんだな、またひとつ勉強した。

Mさんは勤め先でイジメらしき扱いを受け、犬に影響が出たこともあるそうだ。
でも、これは「障害者」であるがゆえの差別かどうかわからないね。
イジメは健常者間でも普通に起きるし、どんな些細な標徴でも「理由」とされ得るから。

腹の虫が治まらないのは、スマホを見ながら歩いていた健常者が、視覚障害者に激突したという類いの話だ。年寄りでも肢体不自由者でも同じことだけど。
自分がホームから落ちるのは勝手だが(でもない、そのたびに緊急停止ボタンが押されて電車が止まるからな)、人を巻き込むのはやめてくれないかな。

スマホと自転車は、そのうち法規制が必要になるんじゃないかと心配する。
スマホしながら自転車漕ぐのは、さしずめ現行犯逮捕で一発免停だ。
あ、自転車は免許いらないのか・・・








コメント感謝/コメントください

2013-06-15 09:29:24 | 日記
勝沼さんのコメントに今日も学ぶ

・・・ところで、乙武洋匡さんが事前の連絡なしで小さなレストランに行って入店を断られツィッターで店名をあげて批判したことが大きな騒ぎになったのはご存知でしょうか?
 もちろんお店の対応は批判されるべきことですが、乙武さんが店名を出したことでお店に嫌がらせが起きたこともあり、様々な意見が飛び交いました。「乙武洋匡 レストラン」などで検索すると今でも詳しい情報を見ることができます。
 私としては、お店が悪いのか乙武さんが悪いのかという議論が起こる中での宮台真司の「周囲の他の客や通りすがりの人が支援しないことが問題」という意見に一番心を動かされました。
 ノーマライゼーションとは福祉の制度や物理的な環境だけでなく、市民一人一人がちょっとだけの労力をそれが必要な人に気軽に費やすことなのではないかと思いました。

騒動のあらましと宮台真司の意見のラジオの動画はこちら。
http://www.youtube.com/watch?v=w8IFIzBH-c0

*****

結句に100%同感。
で、小咄をひとつ。

カナダ人 
「アメリカの道路って、遅れてるわよね、段差がいっぱい。カナダの道路には段差なんかないわ。」

スウェーデン人
「へぇ、そうなんだ。スウェーデンの道は段差だらけだけど問題ないね。誰かが困ってたら、すぐに皆が集まってきて助けてくれるから。」


あと、もうひとつ思い出した。

10年ぐらい前の桜美林大学には、まだエレベーターのない古い建物があった。
車椅子の学生は、営繕や雑務のために入っている業者に頼んで、担ぎ上げたり担ぎ降ろしたりしてもらっていた。

ある日、僕の授業が終わった後で車椅子の学生が教室にひとり残され、業者が来てくれるのを待っている。やがてやってきたオジサン達の一人が、
「何だよ、大学にはこんだけたくさん若い者がいるのに、誰も降ろしてやんねぇのかい」

桜美林は気の良い学生が多いから、声がかかれば手には不自由しなかったろう。
でも誰かが声をかけないと始まらないし、「声をかける」ことへの心の準備に関しては、悔しいけれどアメリカ人にはだいぶ遅れている。

*****

T君が久々にブログを見て、2週間前のネタに反応をくれた。

キャリー・パミュパミュを舌を噛まずに発音するコツは、本人がテレビで言ってました。
二つのパにアクセントを置いて、しかも一瞬、間をおくそうです。
試してみたら大正解でした。

ほんとだ!

それにしてもT君、忙しいのにちゃんとTV見てるんだね。
ついでにブログも見て、もっとコメント頂戴ませ。