散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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「じんざい」4種

2016-08-26 07:09:45 | 日記

2016年8月25日(木)

 「じんざい」に4種があるのだそうだ。

 人材と人財はわかるとして、あとは人在と人罪だそうである。人材は「素材」、人財は「たから」、人在は「いるだけ」、人罪は「邪魔・迷惑」である。某中堅会社を一代で築いた創業者の持論だそうで、立志伝中の人は必ずこの種のユニークな人間観なり世界観なりをもっているものだ。話を教えてくれた同社の総務部長さんは、

 「オマエはさしづめ『人在』だ、と言われましたよ」

 と笑っている。とてもそうは思えないのだが、そんなこと言われて苦にもせず働き続けるのは、やはり創業の英雄に惚れるところがあるのだろう。部長さんの相談事はとある問題含みの職員に関することだったので、

 「この方は『人罪』と見なされてるわけですか?」

 と訊いたら、部長さんは「イイエ」と即答した。

 「『人罪』は逆に見れば能力や存在感がある証拠ですから、きっかけさえあれば『人財』に化けてくれます。それを見抜いて待つのも私らの仕事です。今回の件は究極の『人在』であることが問題なんです。」

 どうやら部長さん、創業者の哲学をバッチリ体得してるのではないですか?「オマエは『人在』だ」なんてとんだ戯れ言、むろん先方も部長さんもよく御承知ですよね。いまに生きる主従善哉、ごちそうさまでした。

Ω


上甲監督に捧ぐ

2016-08-25 08:14:46 | 日記

2016年8月25日(木)

☆ 福井優也、膝に打球を受けながら投打にわたる活躍で4勝目、カープにマジック点灯。(対巨人 7-3)

☆ 鵜久森敦志、初回の3ランで小川に完投勝ちをプレゼント、スワローズ連敗脱出。(対中日 5-2)

 この二人は2004年に済美高校が初出場で春優勝・夏準優勝したときのエース(2年生)と4番だが、その後はいずれも苦労した。

 福井は2005年のドラフトで巨人から4巡目に指名されたが拒否(巨人に指名されて拒否した選手は25年ぶりだそうな)、一浪して早稲田に入り斎藤佑樹らとともに六大学で活躍した後、2010年秋のドラフトでカープの一位指名を得て入団した。2011年から2015年まで、通算23勝26敗。センバツ初のナイター決勝戦で愛工大名電の打者らにさんざんぶつけたノーコンは相変わらずで、「持ち球を増やすより、持っている球の制球を増してほしい」とコーチ筋から苦言を呈されている。

 鵜久森は2004年のドラフトで日本ハムから8巡目に指名され入団。イースタンで活躍する場面もあったが一軍では通用せず、2015年秋に戦力外通告を受ける。しかし本人は現役続行を希望、12球団合同トライアウトを経てスワローズに移り、11月には懐かしい坊ちゃんスタジアムで同球団の秋季キャンプに合流した。日ハム入団時には将来の4番とも期待されたが、その後アベレージ・ヒッターへの転向を指導されてかえって低迷した観がある。移籍後は名伯楽の杉村コーチ(前にも書いた1975年春優勝の高知高校の4番サードで、『ドカベン』の微笑(ほほえみ)三太郎のモデル)が長距離ヒッター回帰を勧めているのだそうで、これがどう出るか楽しみである。

 鵜久森は地元・松山の生まれ育ち。福井は岡山出身だが小さい頃からプロ野球選手になること以外考えず、名将・上甲正典監督(1947-2014)を慕って済美に野球留学した。違いもあり似てもいる野球人2人、上甲さんが教え子の活躍を喜ぶことだろう。

Ω

  swallows, here.


今年のツバメ

2016-08-24 09:54:54 | 日記

2016年8月23日(水)

 例年の如く、伊豫松山まで車で帰省した。途中、兵庫の一、二泊をはさんで片道1,000kmとホラ吹いてきたが、新東名が延伸し伊勢湾岸道が整備され、本四架橋は「しまなみ海道」が距離も時間も有利と判明するなど状況の変化あり、今年は往路821km、復路825kmで「千キロ」とは言いづらくなった。

 旅の終わり近く、首都圏に入る前の最後の休憩は足柄SAでとることが多かったが、今年は混雑を避けて一つ東の鮎沢PAにしてみる。足柄までが静岡県で鮎沢は神奈川県だから、いよいよ帰ってきた感じがする。

 鮎沢PAには以前にも立ち寄った記憶があるが、急峻な森山の懐に抱かれ、そそり立つ緑がなかなかの眺めである。休憩所の建物も気持ちよく呼応している。画面左上の枝は撮影時には気づかなかったが何の木だろうか、わずかに赤い葉が混じり、夏の終わりを告げるようだ。

 

 用を足しに建物に入るところで、頭上のがらんとした空間にかしましく囀りがこだましている。見上げれば多数のツバメが、あるいは止まって胸を張り、あるいは狭い屋根裏で旋回をくり返し、どうやら今年生まれた若いのが思い思いに飛翔の準備をしているようである。

 屋外から飛び込んできた一羽が、ひときわ高い巣の前で空中静止し、とたんに巣の中から若鳥が三羽、けたたましく口を開けて乗り出した。見れば立派なツバメの制服着用で、この図体でまだ親から餌もらってるのとからかってみたい様だが、写真で見直すとまだまだうぶ毛まじりで体ができていないのだ。

 

 何とか給餌の瞬間を撮りたいとしばらく待ったが、そうなるとなかなか帰ってこないもので、ミケランジェロみたいに首が曲がるのもありがたくないので断念した。その代わり・・・

 

 これはなかなかでしょう。ただし右側に移っているのは彼らの親ではなく、飛翔訓練中の若鳥である。なので三羽のヒナは、口を開けて身を乗り出す代わりに口をつぐんで引き気味になっている。

***

 この風景がとりわけ印象的だったというのも、この夏のわが家はツバメの営巣がなかったからである。門裏のいつもの場所に取り付こうとしたペアはあったものの、作りかけの巣があっけなく落ちることを繰り返し、結局失敗に終わったのだそうだ。

「鈍くさいねえ」

「いや、それが・・・」

 父が案じたのは近隣の農地に何か変化があって、巣の材料になる土の性質が変わったのではないかということだった。なるほど、そういうこともあるかもしれない。ツバメの生態はかく人のそれと連動している。責任ということを思う。

 松山がそういう次第であっただけに、鮎沢のツバメに会えたのが殊の外うれしいのだった。

Ω


世界一の銀メダル

2016-08-19 07:45:45 | 日記

2016年8月19日(金)

軽い方から順に・・・

 48キロ級 登坂絵莉

 58キロ級 伊調馨

 63キロ級 川井梨紗子

 69キロ級 土性沙羅

以上4人が金メダル、そして

 53キロ級 吉田紗保里

銀メダル、四連覇ならず。

誰よりも本人が悔しいだろうし、吉田の背中を追ってきた仲間たちもどんなにか無念で、申し訳ない気もちすらあろう。ただ妙な言い方だけれど、この結果はかえって天意を示すように感じられる。吉田の足跡と存在が、この敗北でかえって不滅の輝きを増すような。皆を勝たせて自分は銀に甘んじるなんて、どこまで彼女は強いのだろう?

常に勝つことを期待し、配慮も慎みもなしに煽り続けた僕らファンの身勝手さを思う。記録はいつか途切れるが、彼女が最強であり空前絶後であることは皆が知っている。

ありがとう、お疲れさま!

Ω

 


眠りと愛と小さな親切

2016-08-17 09:15:42 | 日記

2016年8月18日(木)

不在中の新聞に目を通し整理する。

「たぶん人は人に心地よい眠りをプレゼントする以上のことはできないんだよ」

 『春に散る』484回、8月10日(水)掲載分より

良い言葉であり、覚えのあることでもある。少しだけ言い方を変えてみたい。

「人が人にプレゼントできる最高のものは、心地よい眠りなんだよ」

もちろん同じことだけど。

***

同じく不在中に来た郵便物の中に、「マザーテレサ映画祭」の広告あり。その中の言葉:

「大切なのは私たちが何をするかではなく、どれだけの愛をその行いにこめるかです。小さなことも大きな愛をもって」

しみじみ噛みしめながら、次の言葉をあわせ思い出すのでもある。

「愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっと多めに」(カート・ヴォネガット)

字面は正反対に見えるが、そのココロはそんなに離れていない感じがする。

 

 

Ω