散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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故郷の島山

2016-08-14 07:13:12 | 日記

2016年8月14日(日)

 五輪のことやら何やら、書きたいことそっちのけで夏休み。「忙しい休暇」なんて矛盾もいいところだが、今回少々事情あり。なので写真だけをシリーズで乗せておく。

  斜張橋は何度見ても美しい。多々羅大橋が最長だが、これは広島側の生口橋。

  一日、鹿島に渡る。島から見た高縄山、山頂の標高は986m。

  関東にはない、白い砂浜。

  鹿島の名の由来はもちろんこれ。

  友近さんは松山出身。「鹿をお持ち帰りにならないよう」と吉本風のアナウンス。

  戻り舟から見る夕陽の鹿島。

 以上、寸景を駆け足で。

 Ω


・・・かきつばた

2016-08-10 07:40:10 | 日記

2016年8月10日(水)

 アヤメ/ショウブの件、落ち着いて考えれば、それほど込み入った話ではないのかな。

  

 分類学上のややこしい論争はあるが、何しろサトイモの仲間であるところのショウブ。これが菖蒲湯に使われるものであり、芭蕉が仙台で送られたものである。この植物は花らしい花を咲かせない。というのは人間の言い草で、必要な機能を果たす「花」はちゃんと咲かすのだが、目を楽しませる派手派手しい花弁をつけないということである。

 ところで、これとは別の植物で、葉はよく似ているが鮮やかな花を咲かすものがある。これをノハナショウブ(園芸種:ハナショウブ)と呼ぶ。目立った花を咲かせない本来のショウブに対比して、花を咲かせるショウブという意味だろうが、分類学上はサトイモではなくアヤメの仲間で、血筋は別物ということだ。

 

 ここまでなら似たような紛らわしい話はたくさんありそうだが、たぶん混乱を深くしたのは「菖蒲」を「アヤメ」と読ませる習慣の成立である。実際、この画面上でも「アヤメ」と打ち込むと「菖蒲」と変換される。そして「アヤメ」を漢字で書こうとした場合には、他の書き方が存在しないのである。そうなると「菖蒲」の字は日本の庶民生活になじみの深いアヤメ科の広範な一群全体を象徴する栄誉を担うことになり、それは本来自然な読みとして「ショウブ」でもあることから、サトイモ科の本来のショウブをあっさり蹴散らしてしまうことと相成った。間違いなく、漢字表記が一役買っているのである。

 かなと漢字の使い分けに厳しかったという芭蕉先生が、こうした曰くを知ってか知らでかショウブをアヤメと称しているのが面白い。

 ところでカキツバタ(杜若)、アヤメ科三者の中でいちばん水辺に親和性が高い。いずれがアヤメ、カキツバタという言い回しがなければ気にも留めずに「アヤメ」で括ったかもしれないが、なかなかどうして。井伏鱒二に『かきつばた』という短編があることを、八月上旬のこの時期にあわせて書き留めておく。大江健三郎が「私小説にも侮りがたい力がある」ことの例証として示した逸品である。

  http://www.hana300.com/kakitu.html より拝借

 Ω (やっと!)

 


いずれが菖蒲・・・

2016-08-05 07:31:26 | 日記

2016年8月5日(金)

 角川ソフィアの「おくのほそ道」編者が力説しているのは、以下のことである。すなわち・・・

「芭蕉の句にある「あやめ」はサトイモ科に属するショウブで、アヤメ科のアヤメ・ハナショウブとはまったくの別種である。同名のために混乱することが多いので、要注意。」

 一瞬、何が何だか分からなくなった。だってPC上でも「あやめ」と入力すると「菖蒲」って変換されるんだぜ、これ「ショウブ」だろ?菖蒲園に咲き誇っているのは、アヤメだかショウブだかカキツバタだか、何しろあれらの花ではないか。サトイモがなんだって・・・?

 だ~か~ら~

 まずはアヤメ科の面々

 http://gado3.exblog.jp/5599818/ 

↑ アヤメ: アヤメ科アヤメ属の多年草。多くは山谷の草地に自生し、湿地に生えることは希。

Wiki

↑ ノハナショウブ: アヤメ科アヤメ属の多年草。水辺や湿原、湿った草原に自生する。園芸種がハナショウブで、三重県の県花。

Wiki

↑ カキツバタ: アヤメ科アヤメ属の多年草。湿地に群生する。愛知県の県花。

 ついでサトイモ科のショウブ

 http://blog.penguin-aqua.jp/archives/1237

↑ ショウブ: 池、川などに生える単子葉植物の一種。APG体系ではショウブ目ショウブ科のショウブ属に属する。旧来のクロンキスト体系ではサトイモ目ショウブ科で、新エングラー体系などではサトイモ目サトイモ科のショウブ属に属する。

(この項、書きかけ)


おくのほそ道再読のこと ~ カナと漢字/荒川の出自

2016-08-01 06:38:00 | 日記

2016年8月1日(月)

 ふと思い立って『おくのほそ道』を通読中。たぶん以前に少なくとも一度は通読しているはずだが、いつ読んだのかも細かい内容もわからないありさまだから、読んでないのとかわらない。手許に岩波文庫版があって、これは『曾良旅日記』と『奥細道菅菰抄(おくのほそみちすがごもしょう)』を併収した、薄いけれどゴッツいもの。そぞろ神のささやきに誘われ、現代語訳・原文・解説の三つ組み構成が人気の角川ソフィア文庫を Kindle 版で購入し、岩波文庫とこれと並べて読んでみている。500里弱を踏破した半年近い旅の産物なんだから、じっくり時間をかけて読むのが作法というものだが、なじみの地名が現れる楽しさと、なじみのない場所に分け入る面白さがこもごも魅力で、つい頁をめくりたくなる。

 角川版の解説に、「芭蕉はカナと漢字の使い分けに関して厳密だった」とあり、さもありなん、さこそあれと大いに意を強くする。その伝では『おくのほそ道』であって『奥の細道』ではないという。のっけからへへえと唸るところ。さらに冒頭妙なところでつっかえたのは、旅立ちに深川から舟に乗って千住で降りたとあることだ。隅田川で乗って、荒川で降りたのである。どうぞ笑ってください、隅田川と荒川がトポロジカルに連続しているのは分かっていたが、現実こんなふうに相互交通のあることが僕は分かっていなかった。まったく、ものを知らないのね・・・

 インターネットで急ぎ調べれば、両川は現在、東京都北区にある岩淵水門で仕切られている。本来の荒川と利根川の自然史・社会史は広大複雑なもので、簡単に要約できた話ではない。利根川筋を東へ移すべく江戸幕府がさんざん苦労したあげく明治政府へもちこしの宿題となり、1913~30の大正・昭和にまたがる難工事で荒川放水路が完成した。そこでようやく首都東京が洪水の危険から解放された次第。岩淵水門は旧水門(赤水門、大正13年竣工、甲子園球場やわが母と同年の生まれ)と新水門(青水門、昭和57年竣工)からなり、水門の開閉で隅田川の水量を調節している。隅田川と云ったが、これが本来の荒川。人工河川である荒川放水路が現在の荒川という次第。芭蕉の時代には要するに荒川を遡航したに過ぎない。

 その後の道行きを、文学的にというよりまずは歴史的博物誌的に楽しむのは、邪道かも知れないが捨てがたいところである。須賀川やあさか(安積)山が出てくるとは予想もせず、ほんとは今初めて読んでいるのかもしれない。ゴジラランドや開成山公園の花盛りなど、芭蕉先生がこの世に戻ってきたら何と見るだろうね。偽物と思われていたのが最近になって真実性の確認された多賀城碑、歌で有名な末の松山など、ただいまは涼しくも宮城路にさしかかったところである。

 あやめ草 足に結んで草鞋の緒

 仙台での句だが、これにひっかけて角川ソフィアの解説に力が入る。これ、項をあらためる。

Ω